道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(7)

 道徳武芸研究 一霊四魂と三元八力〜合気道と古神道〜(7)

ちなみに天照大神は「天=海(あま)」を照らす「太陽の光」を神格化した神で太陽神ではない。天岩戸神話では天照大神が岩戸に隠れて太陽の光が失われるといろいろな災いが生まれたとある。また天照大神を岩戸から導き出す時に「鏡」が用いられ、それに姿を映させるというシーンもあるが、これは太陽の光を鏡で受けていたことを示すものである。中国の史書には、卑弥呼も鏡を好んだとして百枚を送ったとある。また月読の命も月神ではなく、月の満ち欠けの示す時間を象徴する神である。また建速須佐之男の命は風で、この神が泣くと山が枯れ、川や海が干上がったとされるが、これは大風で山の木が倒れ、夏に熱風が吹いて川や湖(古代において「湖」も「海」とされた。近江は「大海」のこと)が干上がるようなことを言っているのであろう。また風が吹くことで昼と夜の交代が促されていると思われていたのかもしれない。三貴神では天照大神が最も重視されるが、これを生んだ伊邪那岐の神は「凪(なぎ)」の神であり、その妻であった伊邪那美の神(いざなみのかみ)は「波」の神で、ともに風が無くて海が凪いでいる時と、風があって海が波立っている時を表している。つまり伊邪那岐の神と伊邪那美の神から生まれた建速須佐之男の命は、いずれも「風」に関する神であり、つまり「気吹(いぶき)」の神ということになる。こうして見ると三元八力のベースにあるのは「気吹」つまり「呼吸(力)」ということになる。


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