道徳武芸研究 「道芸」修行試論〜肥田春充の場合〜(3)
道徳武芸研究 「道芸」修行試論〜肥田春充の場合〜(3)
肥田春充は「肥田式」と称する心身を開発する方法を提唱して知られていた。その過程で注目するべきは肥田が「聖中心」を発見してからその姿勢に大きな変化が生じた点である。一般的には下丹田と称される「聖中心」を発見することで心身の充実を実感した肥田は「胸を開き腰を反る」ような姿勢をとるようになった。日本で肥田を再発見したのは甲野善紀であるが、それはまた中国武術の黎明期でもあった。当時、太極拳では「含胸抜背」が猫背のような姿勢と誤解されており、その観点からすれば肥田の姿勢の改変は「改悪」ではないか、とする疑問が呈されたのであった。なぜ心身の充実を得て姿勢が「改悪」されたのか。実は、それは「含胸抜背」の解釈に誤りがあったのであり、肥田の姿勢は「改悪」ではなくやはり「改良」であったのである。「含胸抜背」を誤って理解している人は今も多いようであるが、これは発勁のための秘訣であり、通常はこれと反対の姿勢をとって勁を蓄える。弓でいえば弦を張っているのが「蓄勁」であり、矢を放っているのが「発勁」であって、この時の姿勢が「含胸抜背」となるわけである。こうした身体の操作は野球の投手のフォームには如実に現れている。