宋常星『太上道徳経講義』(39ー9)

 宋常星『太上道徳経講義』(39ー9)

天の秩序が乱れれば、崩壊してしまう(裂)ことであろう。地が寧(やす)らかでなければ安定を欠く(発)ことであろう。神が不可思議な働き(霊)をしなければ何の働きもないことであろう。谷(に気)が盈(みつ)ることがなければ生命力が失われてしまうことであろう。万物が生きていられなければ滅びてしまうことであろう。侯王が貞(ただ)しくなければ重臣たちは離れて行ってしまうことであろう。

ここで述べられていることも先の文章の意味を繰り返したものである。そして次(の諺の解説)へと繋いでいる。また(あえてこの一文を入れたのは)後の世の人への警告でもあろう。先の文では「天の道」「地の道」「神の霊」「谷の盈」「万物の生」「侯王の貞」が挙げられており、それらは「一」を得ていて秩序を持って、寧(やす)らかで、不可思議な働き(霊)をしており、(生命力に)盈(み)ちており、貞(ただ)しくあることが示されていた。つまり「一」を得るとは天地の根本となるものを得ることなのである。もし「一」を得ることができなければ、天も地も人も正しく存することはできず、星々の運行も不適切で、五行は乱れ、時の流れは狂ってしまう。それは天から秩序が失われたからである。「裂(崩壊してしまう)」とは、星が特異な場所に移動して、天の秩序が崩壊してしまい不吉な予兆をもたらすことで、それを「天の秩序が乱れれば、崩壊してしまう(裂)ことであろう」といっている。山は崩れて河は枯れ、思いもよらない時に干ばつや長雨が起こり、万物は生きて行くことができなくなる。万民は生活できなくなる。これが「地が寧(やす)らかでなければ」である。「発(安定を欠く)」とは地が揺れて山が崩れることである。海が荒れて海岸が侵されることである。それが「地が寧(やす)らかでなければ安定を欠く(発)ことであろう」である。神がもし「一」を得ていなければ、決して不可思議な働き(霊)をなすことはできない。そうなれば集散、開閉、昇降、縮伸における「理」は存しないことになる。それらは適切に変化することはない。例え変化をしても時宜を得ないものとなるのである。そうであるから「神が不可思議な働き(霊)をしなければ何の働きもないことであろう」とされている。谷がもし「一」を得なければ、谷には決して(気が)盈ることはない。そうなれば生成、運動が為されることもない。(気が谷に)出たり入ったりして、(気が)満ちたり少なくなったりする。「谷」という「無虚」における根本は、つまりは「音無きの音」の深い教えなのである(気という見えないもののことを言っているのである)。そうであるから「谷が盈(みつ)ることがなければ枯れてしまうことであろう」とされている。万物がもし「一」を得ることがなければ、万物は生きることができない。そうなればその成長、運動も、何らの根拠を持たないことになる。青、黄、碧(あおみどり)、緑はその色の根拠を失うことになる。母胎から生まれる、卵から生まれる、湿ったところで生まれ(蚊や魚、亀などとされていた)、生まれ方が分からないもの(妖怪などとされていた)、そういったものも、その誕生の根拠を失うこととなる。そうであるから「万物は生きていられなければ滅びてしまうことであろう」とあるのである。侯王がもし「一」を得ていなければ高位の重臣を得ることはできない。一国を治めるには一国の主とならなければならない。天下を泰平にするには、天下の主とならなければならない。「離れて行ってしまう」とは、つまりは集まらないということである。政令が道に反していれば民は必ず離れ乱れてしまうものである。個々の家は天下が分裂することで離反が起きることにもなろう。そうであるから「侯王が貞(ただ)しくなければ重臣たちは離れて行ってしまうことであろう」としている。


〈奥義伝開〉ここまで老子は「一」というだけで、それが具体的にはどのようなものであるかを明らかにしては来なかった。そこで初めて「一」が「調和的な統一」であることが示される。本来的な「秩序」が崩壊した時には「混乱」が生じるとしているのであり、これはつまりは「混乱」があるのは、一時的に「秩序」が失われているからであるという教えでもある。戦争などはそうしたもので、それを導く者は「一」を乱す者であるから結果的には自滅してしまう。また「無理」を通し、一時はそれで「成果」が得られたように見えても、最後にはその「無理」をした「成果」も「一」へと還元される。そうして「成果」は無くなってしまうわけである。こうした視点は、歴史が特に重視たれた中国の文化的背景も大きく関係していよう。


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