宋常星『太上道徳経講義』(40ー4)
宋常星『太上道徳経講義』(40ー4)
天下の万物は「有」から生まれている。
「有」とはつまり「道の動」である。そこには「理」もあるし「気」も存している。万物が生まれるのは、そこに「有」があるからである。そういったところに「有」の「理」があるわけである。またここには「気」も存している。「気」があるから「物」がある。天命は常に動いて止むことがない。そうであるから万物は生まれ生まれて止むことがない。もし、そうした「理」がないとすれば、そこには「気」も存しないことになる。天命が動いていなければ、万物に始めも、終わりもないことになる。そうであるから「天下の万物は『有』から生まれている」とされている。
〈奥義伝開〉「物」は一般には「有」るとして認識される。これは当然のことであろう。コップでも本でも、それが有れば「有」るとして認識される。人は無いものを認識することはできない。一部の瞑想法では本来的に「物は永遠に存在するのではない」ことを悟るために、ヴィジョンとして物を幻視して、それを消すということを行う。これは精神の正常な働きを誤作動させて幻視をするのであるから、そのままでいると精神病になってしまう。そこでヴィジョンを消す作業をしなければならない。この時に導師(グル)という絶対的な指導者が必要になる。ヴィジョンを幻視している時、修行者の精神は正常に働いていないからである。こうした幻視を消すには絶対服従の関係を予め作っておかなければならないわけである。儒教の静坐などではこうした精神にあえて誤作動を促すようなことはするべきではないと考える。