宋常星『太上道徳経講義』(39ー8)
宋常星『太上道徳経講義』(39ー8)
「一」を得るとはこうしたことなのである。
これはここまでに述べられたことのまとめであり、天の理の極地ということができる。総てはここに尽きている。先には天の秩序が整うこと(清)が述べられ、地の寧(やす)らかさ、神の不可思議さ(霊)、谷が盈(みつ)ること、万物が生きていること、侯王が正しく天下を治めていることが挙げられていた。それらは個々の事柄を、もし天下の理をよくわきまえた人が見たならば、結局は「一」を得るている、ということに尽きることが分かるであろう。ただそれぞれで具体的な事柄は違っているが、それらは総て「一」を外れるものではない。それぞれで違う分野のことであるが、それらは総て「一」によっているのである。つまり理においては自然に等しく「一」へと帰するわけである。そうであるから「得る」とあるのであり、人は「一」を得るように努めなければならないことを教えている。
〈奥義伝開〉老子の重視するのは「調和的統一」としての「一」である。そしてあらゆる存在は過度に干渉し合うことなく存していると考える。またそうあるべきと教えている。老子の言う「一」では統一といっても、個々の自由を制限するものではなく、個々の自由さを最大限に活かすためにあるものであった。そして、それが実践されるフィールドが「一」の働いているところであるとする。個々の自由さのベースとなるのは成長である。成長が阻害される社会は最も好ましくないものとする。そうであるから戦争は最もよろしくないものであった。日本の縄文時代には戦いの痕跡は少なく弥生時代になると一気に増えるがそれは人と人との「距離」が小さくなったためである。稲作ができる地域が限られているということも、そうした「距離」を縮めてしまうことになったのであろう。老子は隣の村の気配が感じられるくらいで人の交流が殆ど無いくらいの「距離」が良いとしている(第八十章)。縄文時代の日本のムラはそうした「距離」にあったのであろう。