第九十三話 簡易と簡化の太極拳(15)
第九十三話 簡易と簡化の太極拳(15)
簡易式が鄭子太極拳といわれるのも、鄭曼青が孔子や孟子のように「道」を提示した「聖人」と見なされているという側面のあるためである。儒教では「聖人」は特別な存在ではなく、だれでも「聖人」であるが欲望などに曇らされて「聖人」としての実際の働きができないでいると考える。孔子も孟子も心の曇りを浄化して「道」を知ることができたのであり、これは鄭曼青においても同様であったと見なされている。もちろん張三豊も儒教でいえば「聖人」とすることができるであろう(張三豊は道士であったとされるので真人といわれることはある)。そうであるならその太極拳は「簡易」なものでなければならない。それを復活させようとしたのが鄭曼青であった。