宋常星『太上道徳経講義』(42ー8)

 宋常星『太上道徳経講義』(42ー8)

そうであるから物はあるいは損することがあれば益することがあろう。また益することがあれば損することがあることになる。

ここでは損益の道(道理)について述べられている。「物はあるいは損することがあれば益することもある」とは、王公が「孤」「寡」「不穀」を謙遜して自称するようなもので、これは「損」であるということができる。そうすることで国は安泰で民も安らかで居ることができるのである。そうなればそれは真の「益」であろう。もし「王公」が奢って自分だけのことを考えていたなら、これは一見しては「益」であるが、政治は乱れ民は苦しむことになる。そうなればこれは真には「損」ということになる。こうしたことからすれば「益」と見えることが実際は「損」であることもあるし、「損」と見えることが本当は「益」であるということもあるわけである。つまり「満つれば、必ず損する」のであるし「譲れば必ず進められる」ものでもあるのである。これは一般的に見ることのできる道理といえるであろう。修行をしようとする人は、必ず慎まねばならない。そうしたことを「あるいは損することがあれば益することもあるであろう」と述べているのである。


〈奥義伝開〉ここも同じく「損」という概念を得たならば、自ずから「益」という概念も得ることになるのであり、それは反対に「益」という概念を得たならば「損」ということも自然に認識されるようになるわけである。こうした例を老子はよく用いている(第二章)。武術でも攻撃力を得ることは自らを守る「益」にもなるが、同時に自らを「損」することにもなるので注意が必要である。力を持てば使いたくなる。そうすると武術を使わなくても良い場面で使ってしまい、自らを傷つけることにもなり兼ねないわけである。重要なことは「益」と「損」とのバランスである。武術でいうならあまり強くなり過ぎないことが好ましいとされて太極拳のような練習法が最も優れていると見なされている。

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