道徳武芸研究 中国武術の中の教門武術(2)

 道徳武芸研究 中国武術の中の教門武術(2)

譚腿は弾腿といわれることもあるが、この違いは重要で「譚」には「柔らかでのびのびしている」という意味がある。この段階の練習では体を開くことを重視しているので伸び伸びとした動きで拳を練る。特に蹴りは高く蹴る。これで四肢を開いたら、実戦技法としての寸腿を加えて弾腿を練る。「弾」は寸腿の飛び出すような勢いを示していて、「寸」はその低さをいう。寸鯛では地面から3センチくらいのところを蹴る。こうした蹴りは八卦拳でいうなら相手に見えない蹴りである「暗腿」に属するもので、相手の動きを止める「截腿」としても有効である。譚腿、弾腿の違いは練習の段階をいうもので、これと同様なことは形意拳にも見ることができる。形意拳と心意拳である。また八極拳と把子拳も同様で、こうした名称の違いで練習の内容の違い、いうならば表と裏を示すのはイスラム系の武術に特徴的に見られるものとすることができるのかもしれない。譚腿、形意拳、八極拳も、弾腿や心意拳、把子拳も動きにおいて大きな違いがあるわけではないが、少し動きを変化させることで実戦においては雲泥の差異が生じる。漢族の武術が基礎の母拳と実戦の砲捶のように套路を分けるのに対して、イスラム系の武術ではただひとつの套路に「秘訣」を加えて実戦技を練るのである。これは回族が少数民族として、しばしば漢族との闘争関係にあり、極秘に実戦的な武術を学ぶ必要があったためと思われる。表面的には一般的な武術の套路を練っているように見せて、実は実戦套路を練習することが可能であったわけである。


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