道徳武芸研究 手印と静坐(1)

 道徳武芸研究 手印と静坐(1)

我が九華派八卦掌居敬窮理学派の居敬窮理学派の部分の伝承は儒教の系統によるもので、ここに静坐が伝えられている(九華派については『植芝盛平と中世神道』で触れているので参照していただきたい)。一般に儒教の静坐は特別なテクニックを用いることはない。居敬窮理学派では、ただ敬字訣があるのみである。静坐では雑念というような考え方はせず、ただ流れる想いをそのままに見つめていれば良いとされている。ただ靜に座っていればその内に「静=敬」の境地に徐々に入ることができる。しかし、心がどうしても静まらない初心者には敬字訣を用いることを教えている。また朱子は『朱子語類』で鼻の頭を見ると良いとしてている(これは坐禅やヨーガなどでも同じことが言われている)。敬字訣は敬が「チン」で「静(チン)」と同じ音であるため「敬」をイメージすることで「チン」という音が感じられ、それが「静」への連想を導くので自ずから心は静まるわけである。ただ、これは中国語を日常的に使っていない人には生じにくいことでもある。これは日本でいうなら言霊の行法ということができよう。同じようなものに気功には「六字訣」があるし、趙避塵は「オン・マニ・ペメ・フーン」の観音の真言を使う行法を伝えている(『性命法訣明指』)。言霊というと日本独特の行法のように思われるが、中国でも似たようなことはあったようである。


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