道徳武芸研究 易と太極拳(6)

 道徳武芸研究 易と太極拳(6)

現在、古い卜は甲骨文に見ることができるが、そこに残されているのは問いかけだけであり、例えば亀の甲羅には「甲申、卜。雨」などと記されている。これは「甲申の時に卜(うらない)をする。雨が降るか」ということで、その甲羅のひび割れで雨が降るかどうかを占ったのである。そして、その結果は別のところに記録されて残されたと思われる。そうであるから「問い」と「答え」がバラバラに残ることになったのであろう。そしてこの「答え」は神託として、似たもの(龍に関係するものは乾卦に集められた等)がそれらしい「卦」のところにまとめられて易が成立して行ったものと思われる。そうであるから「卦」と「爻辞」とが合わなくて意味が分からないというのは当然のことなのである。儒教では古代人の神界からのメッセージ、ぞれはシュタイナー的には超感覚的世界からのメッセージ、アカシックレコードのリーディングともいうべき情報であるが、これを捉えて、それらを通して宇宙の実相を知ることができると考えたのであろう。そして、儒教ではこうした「真理」の中に身の処し方を知ることができるヒントがあると考えた。これは『詩経』などでも同様で、古代の素朴な、つまりは簡易なものの中には「真実」を見ることができると考えられたのであった。


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