宋常星『太上道徳経講義』(33ー6)

 宋常星『太上道徳経講義』(33ー6)

強いて行う者には志がある。

強い思いがあれば、それは実現される。勝つこともできるし、充分であると思うこともできよう。これらは全て強いて行っているからであり、志のある人であるからである。強いて行えば、止めずに実行することができる。それは川の流れが滔々と止まることがないのと同じで、昼夜を問わず、少しの時も途切れることがない。つまりこういった人が、強いて行う意志のある人なのである。そうであるから「強いて行う者には志がある」とされている。志は徳を行うもととなる。道に入る門となる。志のおもむくところ遠くても到達できない所はないし、志が向かえば堅くて穴を開けられないようなものでもついには穴を開けることができるであろう。こうした志を強く立てれば、山もそれを阻むことはできないし、水もそれを遮ることはかなわない。人も奪えないし、物を与えても気持ちを変えることはできないであろう。そうであるから孔子は「大軍に守られている司令官でも、それを打つことはできるが、普通の人であってもその志を変えさせることなどできない」(『論語』)といっている。それがここで言われていることである。


〈奥義伝開〉ここも気持ちがしっかりした人は困難なことでも実行できる、という当然のことが説かれているに過ぎない。困難なことを行うには呪術などの助けは必要ない。その人の気持ちがあれば行えるのであり、なければたとえ呪術の助けがあったとしても(そうしたものがあると思うのは迷信に過ぎないが)、実行することは叶わないわけである。修行も同様で一定の方法もあるが、最後は日々行うということに尽きる。そうであるのに日々実行するための「方法」ばかりを探していたのでは、何時までたっても成就には至らないのは当然のことである。


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