宋常星『太上道徳経講義』(33ー4)その6

 宋常星『太上道徳経講義』(33ー4)その6

「徳力」とは、心も体も穢されることのない本来的な心の働きである「性」の自ずからなる善なる働きをのことである。「徳」は「道」によることなくして成り立つものではない。「道」は「徳」がなければ成立しない。そうであるから「徳」のあるところには、つまり「道」も存しているのであり、「徳」の失われているところでは、つまりは「道」も存していないのである。「道」と「徳」とは、元はこれは一つなのである。それが「道」と「徳」の二つになったのであるが、この二つが本来的には一つであることは知っておかなければなるまい。よく「徳」を修することができれば「道」の体現も完璧なものとなる。そうなれば身を修めることで、国が治まり、天下が平らかになるようになる。そうしたところに善でないものはない。

以上の十力は、修行の本道である。人の歩むべき道である。よくこれを得ることができたなら、自ずから勝つことのできる強さを得られることになるであろう。


〈奥義伝開〉最後に「徳力」が出ているが、これは「慧力」「道力」とも深い関係にあることは前回でも説明をしている通りである。仏教では初めは「慧力」のみが重視されて、その実践である「徳力」は「業」を作るものとして忌避されていた。しかし大乗仏教が出てからは、社会的な実践も「菩薩行」として、積極的な悟りへの階梯に取り入れられるようになって来る。これは古代よりある中国的な考え方ともよく合うものでもあった。中国では思想は必ず社会実践を伴うものであったのである。


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