宋常星『太上道徳経講義』(34ー3)

 宋常星『太上道徳経講義』(34ー3)

万物がこれ(大いなる道)によれば「生」が止むことはなく、

ただ大いなる道はあらゆるところに存しているだけではなく、万物もそれが母(大いなる道)と子(万物)のようにして存している。「道」とは万物の母なのであり、万物は「道」の子である。天は「道」に依らなければ成り立つことはないし、地も「道」によらなければ成り立つことはできない。人も「道」に依らなければ成り立つことはあり得ない。また物も同様である。天、地、人、物には、それぞれに根本となるもの(体=道)と、その働きとなるもの(用=生成)とがある。そして、その現れには剛柔などのような別があるが、その終始の全てを見たならば、そこには等しく「道」の働きが存していることが分かる。そうであるから「道」がなければ物はないのであり、物がないところには「道」も存することがない。「道」は物を生むが、それは風が物を動かすのと同じである。つまり風が吹いて水に波紋ができるように道(原因=体)があって物が生まれて(結果=用)いるわけであり、そこに何らの隔たりもないのであって、こうした関係性が止まることもない。「よる」とは頼るということで、万物は「道」に頼って生み出されている。また「よる」とは、全てが自然のままに成るということでもある。「生」とは自然に生まれるのである。自然であるからこそ適切に物が生み出されるのである。つまり「生」は特別なことをすることなくして生まれるわけである。それは自然に「よる」のであり、ただそれだけである。そうであるから「青、黄、翠(青黄色)、緑」や「小、大、曲、直」「有、無、虚、実」などあらゆる物は、全て大いなる道によって生み出されているのである。大いなる道の働きは天地の間に遍く広がっている。「清静経」には「大いなる道には名は無く、万物を長く養う」とあるが、つまりは大いなる道とはこうしたものなのである。そうであるから「万物がこれ(大いなる道)によれば『生』が止むことはなく」とあるのである。 


〈奥義伝開〉老子はこの世のあらゆる存在は、生まれているから存在しているわけで、そうであるなら生成の働きは普遍的に存している、とする。そうなると生成の働きという法則、つまり「道」がそこにあることが認められるわけである。老子はこうした生成の道理を正しく認識することで、人が人として生きる生き方が分かって来ると教えていた。極言すれば「生成」の働きこそが「道」なのであり、それを阻害しない生き方が「道」に沿った人のあるべき生き方なのである。


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