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第九十五話 立禅と馬歩トウ功(16)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(16) そして現在、はじまりかけている「文」の時代に再び混元トウのようなものが出現しようとしているわけである。ちなみに形意拳の三体式は半身の構えで低く腰を落として練るものであり、これはまさに「勁」を開く優れた鍛錬法である。一方、三才式は混元トウにつらなっており、ただ立って手を前後に置くものとなる(三体式よりゆるやかに広く構える感じである)。興味深いことに姜容樵の写真にはこの構えをしているものが残されている。姜は対練でもこの構えをしているが、これは王キョウ斎と同様に混元トウから武術的な力(勁=天然の内功による)が得られると考えていた可能性をうかがわせる。ただ前後に足を開いて立っているだけの姿は、前足の膝を容易に折られるのではないかなどと危惧されないでもないが、そうした計らいを超えた動きが可能となると姜は考えていたのかもしれない。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(15)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(15) 形意拳では形意拳は「道芸」であることを強調する。そして形意拳が「武芸」のひとつとなっている現状を嘆くのであるが、形意拳は混元トウから始まり三才式、そして三体式で武術の領域に入り、三体式が変化をして五行拳となって、さらに十二形拳へと展開して行くシステムである。もし形意拳が道芸であろうとするならば武芸としての「形意拳」から離れることになる。またこうした道芸としての形意拳を心意拳とすることもあるが、そこにあっては道芸と武芸の違いを「形=套路」として認識している部分が大きいことがうかがえる。こうした考え方には「武芸」の時代の前後に「道芸」の時代があったという感覚が背景にあるのではないかと思われる。中国武術では「文」の時代から「武」の時代、そして「文」の時代と文武の時代が繰り返すと教える。「文」の時代になると「武」の稽古はできなくなるし、「武」の時代では「文」を深めることはできなくなるとされるのである。形意拳においては「武」の時代に三体式が生まれたと考えるのであり、混元トウや三才式は太古の先の「文」の時代の遺産とするわけである(現代は再び「文」の時代でこの時代には新しく技を開発することはできない)。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(14)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(14) 静坐では心身に負荷をかけないことを重視して坐禅との違いとすることがある。坐禅は結跏趺坐や半跏趺坐など坐法へ習熟することがひとつの大きな修行となるが、静坐ではそうしたことは意味のないこととする。やや顔を上に向けて臍のあたりで両手を向かい合わせてただ立っている王キョウ斎の写真があるが、これは混元トウを示したものとされる。この姿勢で腕を胸の高さにあげて、足を肩幅に開けばまさに「立禅」となる(太気拳では踵をあげるということも加わる)。王キョウ斎は混元トウを武術的な力である「勁」を得ることのできるトウ法としているが、本来の混元トウではそうした力を求めてはならないとする。ただ天地と一体となるだけで何かを得るために行うものではないとするわけである。これは静坐も同じで坐禅のように「悟り」を求めて行うことを否定する。そうであるから混元トウは「勁」を得るための功法ではない。王の提示している「混元」トウは既に馬歩トウ功に近づいていると見なければならない。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(13)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(13) 王キョウ斎(キョウは草冠に郷)は『意拳正軌』の「トウ法換勁(勁を得るためのトウ法)」に「修行を始めるに際してトウ法は実に多い。たとえば降龍トウ、伏虎トウ、子午トウ、三才トウなどである。ここではこうした煩雑さを避けて簡単にし、各トウ法の優れたところを取って、合わせて一つにしたものを混元トウといっている。これは勁を生じさせるのに有効であるし、実際の攻防にも使うことができる」と述べている。つまり意拳で中核となるのはトウ抱式(馬歩)ではなく、混元トウなのである。混元トウは形意拳に古くから伝わる功法で、たた静かに立っているだけのものである。これは太極拳でも重視する人がいる。混元トウは儒教の瞑想法である静坐と同じく一定の形はない。ちなみに「静坐」は坐禅のような坐法を用いても良いし、椅子で行っても良い。重要なことは動かないで内面を見つめることにある。そうであるからこれを立って行っても構わないことになる。「坐」には「むなしく」「なすところなく」の意もあるので、静坐は必ずしも坐るということに限る必要はないわけで「静かにむなしくしている」ということにもとれるのである。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(12)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(12) いうならば「高い姿勢の馬歩」は従来の武術の鍛錬法にはなかったものなのである。そうであるならば、それがどのようにして生まれたのかというと、これは意拳で考案されたものと思われる。ただ意拳で太気拳のように馬歩トウ功(立禅)を中核的な鍛錬法としてそれをのみを長く練るかというとそうでもない。意拳で中核とされるのは混元トウであって馬歩ではない(意拳では「立禅」のような馬歩トウ功をトウ抱式という(「トウ」は手篇に掌)。これはまたトウ抱提抓トウとも称される(最初の「トウ」は手篇に掌、最後の「トウ」は椿の春の「日」が「臼」)。これは掌の形をいうもので少し指を曲げる形がものを抓(か)く(掻く)ようであるところから来ている。つまり「提抓」とは指を練る龍爪功の鍛錬のことなのである。沢井健一の示している太気拳の立禅もよくこうした指の形を示していることは、先に触れたとおりである。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(11)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(11) 高い姿勢での馬歩トウ功は鍛錬法としては意味がないと考えられていた。馬歩は低い姿勢で練ることで足腰を鍛えることもできるし、上半身と下半身にストレッチをかけることができるのでそれらの適切な関係を構築することが可能となる。またこれはストレッチと同じで大きな負荷をかけてそれを解き、再び負荷をかけること(緊張と弛緩)を繰り返して、柔軟性を持った強い体を作ることができると考える。これはヨーガのアーサナも同じである。適切な緊張と緩和によって気血の流れを促し、経絡のような内的な体をも開くことができると考えるわけである。この「適切な」緊張と緩和のことを「火加減(火候)」という。太極拳で「柔」を体得する時に鄭曼青は楊澄甫からある時は「緩めすぎている」と注意され、ある時は「固すぎる」といわれたと述べている。「柔」もただ力を抜けばよいというものではない。適度に抜くことが求められるわけでありある種の緊張はなければならない。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(10)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(10) 形意拳にも馬歩のトウ功はあり、これは龍爪(龍身)功に属するものである。形意拳の鍛錬で重要なもののひとつに指功がある。指の功を練るにはその形が重要で、常に五指の先が意識できるようでなければならない。王樹金も常に指功の鍛錬をしていたという。形意拳の指功は指先の感覚を育てるもので、それにより五指につらなる経絡が開くとされる(固いものに打ち付けたりして感覚を鈍化させることはしない)。太気拳の沢井健一の示している立禅の指の形は形意拳の馬歩に近いものである。この掌の形のまま半身に構えれば三体式となる。ただ馬歩で腰を深く落とすことがなければ上半身と下半身の関係を明確に作ることができないので、通常は高い姿勢で馬歩を行うことはないし、ストレッチと同様な効果を期待しているのであるから長時間それを煉る必要もない。長くトウ功を煉る場合には馬歩だけではなく弓歩、虚歩などを組み合わせてそれらを繰り返す。馬歩に疲れたらそのまま弓歩に移り、そして虚歩をとって、また馬歩を行うというようにするわけである。これを20分から30分前後行う。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(9)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(9) 馬歩の鍛錬は中国武術では基本的な体を作るために欠くことのできないものとされている。それには足腰を鍛えるということもあるし、腕の位置により上半身と下半身の状況を調整してそれらの適切な関係を作るということもある。例えば八卦拳のように合掌する形であれば腰は沈んで、胸は開く形になる。ここでは腕を水平にすることで上半身を引き上げて、沈んでいる下半身と「引き合う」関係を作ろうとする。これは体をエネルギーの漲った状態にしておいて、それを緩める時に力を発するのである。一方で太極拳では掌の指先を向かい合わせる。この姿勢であれば上半身にはあまり力は入らない。太極拳では腕の重さ、沈み込みを感じることを重要と考える。その感覚が腰にまで至ると沈身が可能となる。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(8)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(8) 立禅を実践している人物に俳人の金子兜太が居る。金子の立禅は立ったままで亡くなった知人の名前を唱えるものらしい。これはここで述べている「立禅」ではないが、言語に敏感な俳人が立禅という語をあえて使っているのは、それが何らかの琴線に触れる語であったからではなかろうか。つまり現代人の集合無意識にあるイメージに通じるものであった可能性をこれは示しているのではなかろうか。それはともかく太気拳の立禅は伝統的な中国武術では「馬歩トウ功」と称されるものに属するとみなすことができる。ただ馬歩トウ功は低い姿勢で数分行うものであり、「立禅」のように数十分あるいは一時間ほども行うことはない。時に低い姿勢での馬歩を30分、あるいは一時間やったという人もいるが、それは一般的ではない。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(7)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(7) 太気拳を始めた沢井健一が立禅という言い方をどこで知ったのかは興味深いところであるが、「立禅を組む」という言い方をしているので、これは「坐禅(で足)を組む」というところから発想されたものと思われる。戦前の日本では西田幾多郎など禅が知識人の間で重視されていたのでそれに影響されて坐禅に対する立禅ということで考えられたのかもしれない。この名称は日本や中国で古くからあることはあったが、立禅が修行の中心とされるようなことはなかった。「立禅」は太気拳の形が一般化したようであるが、ただ太気拳のように「踵を上げる」ことはない。踵を浮かせると姿勢が不安定になるので瞑想をするには適していなこと、また立って腕を上げているだけでもかなり体の負担がかかっているのに、さらに踵を浮かせるとなると多くの人が瞑想法として実践できなくなるという理由もあるものと思われる。つまり現在の立禅の一般化は太気拳の立禅が広まったというより現代人の心の形にあった「立禅」が開れたものということができるのではなかろうか。つまり臥禅から坐禅、そして立禅へと展開すべき人類の瞑想法の変遷によって当然、現れるべきものとして「立禅」は出現して来たのである。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(6)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(6) 考えてみると「立禅」で一様に体の前にまるく腕を置くのは坐禅からの変化としてはおかしなことである。坐禅が法界定印という両手を合わせる印を組むのであれば立禅でも法界定印で行うべきではなかろうか。体の前に腕をあげる方法はある程度、修練を積まないとすぐに腕が痛くなる。しかし法界定印であればそうしたことはない。何の疑問もなく体の前に腕を置く「立禅」を立禅として示しているのは、これが太気拳の紹介した立禅に依っていることを明確に示している。立禅という語は江戸時代の儒学者の文献にも見ることのできることは冒頭でも触れたが、それは一定の形式を求めない儒教の瞑想法である静坐によるものである。また明の頃の文献とされる『万神圭旨』には立禅が詳しく記されているが、同書での立禅は坐禅と同じ手の形で下腹部あたりで手を組んでいる(一方の手で他方を包むようにする)。これは神仙道では一般的な手の組み方であるし、日本の禅宗では白隠流とされている。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(5)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(5) つまり立禅は坐禅の次の時代(アクエリアス時代)の瞑想ということができよう。これは現代になって何の違和感もなく坐禅を紹介する本で「立禅」が紹介されていることでも分かる。つまり「立禅」があたり前のものとして受け入れられているのはそうしたものを受け入れる無意識的な素地があったと考えなければならない。太気拳という広く練習されてはいない流派の練功法が何の疑問や違和感もなくあたかも従来からあったもののように受け入れられているのは、やはりそうしたイメージがすでに多くの人の無意識に存していたためと考えるのが自然ではなかろうか。また「立禅」とされているものは太気拳そのものでもない。つまり「立禅」は太気拳そのものから広まったのではなく、太気拳によって開かれたある種のイメージを共有しているに過ぎないのである。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(4)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(4) 臥禅、坐禅、立禅はこれらを鉱物時代、植物時代、動物時代の禅(瞑想)とすることができるかもしれない。古神道の三元でいうなら剛、柔、流である。神道では神を「柱」と数えるが、これは立っている木など棒状のものの先に神が降臨するためである。つまり神道での聖なる姿勢とは立っている姿勢になる。これは木の先に雷が落ちるところから発想されたものと思われ、先が尖ったものに神は降りるとされている(剣の先なども)。人類は立禅の時代になって初めて自由に動き回ることができるようになる。坐禅では経行という歩く瞑想があるが、これも坐禅だけでは不十分であることから考えられたものではなかろうか。東南アジアに広まった禅宗では経行を瞑想法として積極的に使うが、日本などでは長い坐禅の足のしびれを癒すものくらいに捉えられているようである。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(3)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(3) 私見であるが臥禅は「ヒト」が人として霊的な進化をする以前の禅の形態であり、坐禅は「ヒト」の時代の禅、そして立禅は「ヒト」が人として霊的な境地をさらに超えたところにある禅の形態と考えている。これらには背骨が地面に対して水平か垂直かの違いがある。臥禅は背骨が地面と水平となるが、これは動物と同じである。一方、坐禅、立禅は垂直の関係になるのでこれは「ヒト」の姿勢であるとすることができる。背骨が立つことで「ヒト」は、天と地とをむすぶ形をとることができるようになった。そして坐禅はより「地」へのむすびつきが強く、立禅はより「天」とのむすびつきがより強いということができるであろう。そして臥禅は「地」のむすびのみということになる。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(2)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(2) 坐禅は本来は結跏趺坐か半跏趺坐で行うのであるが、中国の儒教や仙道の系統の瞑想では胡坐や椅子を用いるものなども従来から紹介されている。ただあくまで椅子や胡坐での瞑想は便法とされていて、結跏趺坐、半跏趺坐が困難である人のためのものとする。ほかには臥禅(横臥禅)というものもあり、中国では睡功として釈迦が横になっている姿勢で眠ること、あるいは横になることで功を練ることができるとする。東南アジアでは寝釈迦として大きな仏像のある寺院が知られてもいるが、その姿は亡くなる時の姿であるがそれを瞑想をしている姿ととらえるのである。実際に釈迦は涅槃に入ると共に最高の瞑想の境地に入ったとされている。日本では横臥禅を瞑想法として積極的に唱える人もいる。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(1)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(1) 不思議なことに現在「立禅」というと、太気拳の沢井健一が『太気拳』で公開した馬歩をベースとするトウ功が「立禅」として坐禅を紹介した文献などでも紹介されており、「立禅」は一般的に使われる言葉になりつつある(以下、高い姿勢の馬歩で胸の前あたりに腕を置くトウ功を「立禅」とする)。立禅という言い方そのものは中国にもあるし、日本では江戸時代の儒学者の記したものの中にも見ることができる。この場合には坐って行う瞑想(禅)に対して立って行う瞑想を立禅としている。また横になって行うのは臥禅、歩いて行うのは行禅などとする。こうした場合の立禅は立禅として積極的に修行されたというよりは坐禅にこだわらないという意味合いの方が大きいように思われ、それは儒教での瞑想修行において専ら坐禅を行う仏教との違いを示す意図があったに過ぎないようである。

道竅談 李涵虚(118)第十三章 内薬と外薬

道竅談 李涵虚(118)第十三章 内薬と外薬 団陽子は「汝らは『後天の外薬』と『先天の外薬』を等しく外薬とみているのではあるまいか。『後天の外薬』は癸の先にあるのであり、『先天の外薬』は癸の後にある。同じく外薬といっても同じものではない。『外薬』という言葉にとらわれて、師から秘訣を得ることができなければこうした間違いに陥ることがある」と教えている。こういうことであるからここに薬に三つのレベルのあることを記しているのである。 〈補注〉「癸」(水の弟 みずのと)とは「腎」のことである。「癸の先」とは心の一陰が腎に入っていない時であり、「癸の後」とは一陰が腎に入って純陰となった状態をいうものである。つまり先天と後天の合一をしていない時と、合一した後ということになる。後天とは外薬のみで、先天とは先天後天の合一した状態であるから外薬と内薬がともに存しているわけである。ともに外薬は存しているが、その意味するところは同じではないと教えている。

道竅談 李涵虚(117)第十三章 内薬と外薬

道竅談 李涵虚(117)第十三章 内薬と外薬 また団陽子は「上陽子は『内薬、了性すれば丹を結ぶことができる。外薬、了命すれば丹を還すことができる』としていますが、これは修行者は先に内薬を修して、外薬を修することと思いますが、なぜこのように教えているのですか」と問われ、また瑩蟾子には「道を学ぶのは必ず外薬から始めて、その後に内薬を修するのでしょうか」と聴かれている。 〈補注〉上陽子の教えている「内薬、了性すれば丹を結ぶことができる。外薬、了命すれば丹を還す」はともに「了性」「了命」を行い得たならば、内薬から入っても、外薬から入ってもともに先天後天の合一を得ることが可能であるとするものである。神仙道ではこのように内と外を分けるのは好ましくないとする。あくまで内と外は便宜的な区分に過ぎないのである。

道竅談 李涵虚(116)第十三章 内薬と外薬

道竅談 李涵虚(116)第十三章 内薬と外薬 「外薬を食して内薬に合わせる」とは「鉛を迎えて汞を制する」ことであり「母が子を見る」ことでもある。ここでの「外薬」は大薬で、早々にこれを得ることができれば酔っているように心地よくなり、長くこれを得れば長生きができるようになる。そして調和が安定して得られれば聖胎となる。この後、温養が終わると聖人となることができる。誠実なる修行者の成就の時となるのである。 〈補注〉「鉛を迎えて汞を制する」は、先に述べられていた「真汞において精を『種』とする」と同じことである。鉛は心で心=離は陰陽陰であり、この一陽が真汞であることは既に述べた。真汞は汞(腎)に入る。また腎=坎の陰陽陰の一陽は真鉛で、真鉛は心へと入り心は純陽となる。腎の一陽、心の一陰と心、腎は「子と母」の関係となる。心が純陽、腎が純陰となることで先天後天の合一が成就したとする。

道竅談 李涵虚(115)第十三章 内薬と外薬

道竅談 李涵虚(115)第十三章 内薬と外薬 「内薬によって外薬を修する」とは乾坤の鼎器のことである。ここでは内薬を巡らせるのであり、真汞において精を「種」とすることとなる。 〈補注〉「乾坤の鼎器」や「真汞」はともに先天に属している。「内薬を巡らせる」とあるのは先天の陽気を巡らせるもので小周天の後天の陽気を巡らせるものと同じではない。ただいうならば先天の陽気は既に巡っているのであるから、それを阻害する要因を除くことで円滑な動きを得ることが可能となるのであって、意図的に内薬を意識によって動かすのではない。真汞は心にある一陰のことである。これが腎に入って純陰となることを「精を『種』とする」としている。「種」とは先天と後天との合一を促すものとなるということである。

道竅談 李涵虚(114)第十三章 内薬と外薬

道竅談 李涵虚(114)第十三章 内薬と外薬 〈本文〉 外薬と内薬の関係性には三つのレベルがある。始めは「外薬を取って内薬を制する」のであり、次は「内薬によって外薬を修する」こととなり、最後は「外薬を食して内薬と合わせる」のである。 〈補注〉ここで述べられていることは先の「無から有を出す」「有から無に入る」「無から有を産む」に対応している。     「外薬を取って内薬を制する」とは築基・煉己のことである。ここでは外薬を巡らせるが、これは小薬を煉るもので煉精化気の段階でもある。 〈補注〉築基は小周天のことである。始めの「外薬を取って内薬を制する」が成就するのは小周天の完成した時とする。またこれを小薬を得るということもある。行動を変えることで一定の内的な変化の得られた状態をいう。また西派ではこれを「煉己」ともする。煉己は自分自身が「本来の自分」を知って心身の変化を自覚することをいう。門派によっては「本来の自分」を知るという部分を重くみて最後の段階に「煉己」としていることもある。そもそも神仙道の修行は今の自分と「本来の自分」が等しいものではないことを前提としなければ始まらない。その意味では西派のように最初に「煉己」を設けるが、一方では「本来の自分」である「性」への悟りが得た段階を「煉己」とすれば、これは最後の段階ということにもなる。こうした違いは小薬と大薬でも等しくみられるが、厳密には区別をするべきではないと考えられている。

道竅談 李涵虚(113)第十三章 内薬と外薬

道竅談 李涵虚(113)第十三章 内薬と外薬 なぜ八卦掌では相手を打つ力を発する明確な方法が示されていないのか。またとりわけ八卦掌では八卦拳から攻防の方法(羅漢拳系)ではなく、心身を開くための方法である八母掌(八卦掌)系のみが取られたのか。「本来の自分」をベースにするという意味では八卦拳から八卦掌というシステムを形意拳において抽出したということは「八卦拳」というシステムの純化であるとすることもできる。それは道芸としての形意拳を純化するためには必要なことであったということもできるであろう。攻撃をベースとしないということは太極拳についても言い得るであろう。

道竅談 李涵虚(112)第十三章 内薬と外薬

道竅談 李涵虚(112)第十三章 内薬と外薬 ただ西派ではこれだけで修行は終わらないとしている(これは西派だけではなく神仙道で広く言われていることでもある)。第三の段階の「外薬を食して内薬と合わせる」では「本来の自分」が出て来なければならない。これを良知良能という。意拳はこれを開くことを目的として套路のくびきから逃れようとした。しかし、現在の意拳の修行者を見るとほとんどが似たような動きになっている。これは套路はないが、指導者の動きをまねているためであろう。つまり結果として套路はないが、実質的には套路があるのと同じく一定の動きのパターンから脱することができていないわけである。攻防における強さを求めて修行をするならば、強い人の動きから学びたくなるものである。しかし良知良能を得ようとするのであれば、攻防における強さに執着してはならない。それは「本来の自分」をいう例えとして「倒れそうになっている子供に思わず手を差し伸べてしまう」ことがあげられるように「本来の自分」の有する能力とは相手を攻撃する力ではないのである。ただ攻防における強さを求めることなしに意拳の練習を続けるモチベーションを維持することはほとんどの人にはできないであろう。つまり論理的には意拳では良知良能を開くことはできないということになる。

道竅談 李涵虚(111)第十三章 内薬と外薬

道竅談 李涵虚(111)第十三章 内薬と外薬 〈要点〉 外薬とは体の変化であり、内薬は心の変化をいう。ここでは体と心の変化をどのようにバラスをとって行うかが述べられている。まず内的な変化を促すには外的な変化がなされていなければならない。それは「行動を変える」ということである。武術でいうなら新たに套路を煉るということになる。また週に一回であった練習を毎日行うようにするのも「行動を変える」ことになる。行動が変化すれば内的な変化も生まれる。こうして心が変化をすれば、それは行動へも反映される。よく野球をやっていた人はそうした雰囲気があり、ボクシングなどでもやはり独特の雰囲気があって、体だけではなくなんとなく持っている雰囲気にもある種の共通する感じがある。これは「心」も野球やボクシングを行うに適したものになっているためである。

道竅談 李涵虚(110)第十二章 薬のレベル

道竅談 李涵虚(110)第十二章 薬のレベル 聖胎が結ばれて温養をすると陽神が表れるが、これは修行者は「無から有を出す」のと「無より有を産む」こととはまったく異なることを知らない。そうであるからここにあえて述べておくこととする。 〈補注〉最後に瞑想を深めて行く(温養)と、「陽神」が表れるとする。この「有」は既に述べたように一定の「形」を持つものではない。その時に応じて形をなすに過ぎない。俗説では「陽神は嬰児のようなもので、自分の頭頂から出てまわりを歩くようになる」などといわれる。そしてそれを育ててより遠くまで歩いて行けるようになれば、遠くの出来事を知ることもできるようになるとされる。これは「嬰児」を固定した「形」ととらえるものでまったく「陽神」としてのあり方に反している。

道竅談 李涵虚(109)第十二章 薬のレベル

道竅談 李涵虚(109)第十二章 薬のレベル 「無より有を生む」とは兌方(西・土)から「吐く」ということになる。先天の一気が虚無の中から現れるのである。無形から妙形を生むのである。無質から霊質を生むのである。二候でこれを求めて、四候でこれを成就することになる。 〈補注〉最後の「無より有を生む」は「土」の「種」が顕在化することである。しかし、その「形」は一定の形を持たないもの「妙形」「霊質」でもある。ここにおいては自在の境地を得ることになる。本来、武術などの「形」であっても、社会的な規矩であってもそれを超えることは可能である。多くの人がそうした「規矩」を超え得ないものと思い込んで自滅してしまうことも多いが、神仙道は最後にはあるゆる「規矩」を超えることができることを教えている。

道竅談 李涵虚(108)第十二章 薬のレベル

道竅談 李涵虚(108)第十二章 薬のレベル (次の)「有から無に入る」では、(金気は金である)西の郷(つまり土)へと送られることになる。ここに内的な「種」が生じるが、この「種」は至空、至虚である。(南である)坤の家つまり(南向きの洞窟である)洞陽のところにあるものである。 〈補注〉仮の「土」から生じた「金(気)」は再び本来の「土」へと返されることになる。ここにおいて真に深い瞑想の境地への入り口が得られる。それを「種」としている。以後はその「種」を育てて、より深い境地(至空、至虚)を得ることになる。この至空、至虚を純陰として「坤家」「陽洞」で示している。「坤」は「南」を現す。ここでは「形」へのこだわりを捨てることになる。よく「形」や技術は心身を一定のあるべき状態に導くには便利であるが、それだけで完全にあるべき状態にまで入れるわけではない。「近い」ところまでしか行けないのである。そうであるからより微細な感覚が育った後は、「形」を離れて自分なりの微調整をしなければならない。

道竅談 李涵虚(107)第十二章 薬のレベル

道竅談 李涵虚(107)第十二章 薬のレベル 〈本文〉 薬には三つのレベルがある。初めは「無から有を出す」ものである。次は「有から無に入る」ものである。最後は「無から有を産む」ものである。無から生まれる有とは後天の鉛火である。外に生じたことが(熱として)分かるものであるが、形は無いし、質も無い。形も質も無いが、ここに金気が初めて生ずることになる。 〈補注〉金気が生まれるのは「土は金を生む」による。この「土」は先天後天の合一した状態、性と命の調和した状態である。こうした状態を老子は「嬰児」として表現している。こうした「土」は成長してからは失われてしまっているように見えるが、一定の瞑想状態(先天後天の合一した状態)に入ることができるということは成長してからも「嬰児」の状態は完全に失われたのではなく、いろいろな「欲」によって見失われただけと考える。そうであるから一定の修練を経れば「嬰児」の状態を回復することも可能となる。

道竅談 李涵虚(106)第十二章 薬のレベル

道竅談 李涵虚(106)第十二章 薬のレベル こうした境地を得るには「ゆっくり動く」ということはひじょうな発明であったことが分かる。太極拳でゆっくり動けば足腰に負荷がかかるので体に「熱」が生じる。また静かに動くので心も鎮まることになる。套路も基本的には一つなので慣れれば形へのこだわりも少なくなる。始めは指導を受けることで「有(熱)」と「無(静)」の調節(火候という)をしなければならないが、数年も修行をすれば自分で調整が可能となる。太極拳の火候の調整は姿勢の高さでは「高架、中架、低架」があり、動きの大きさでは「大架、中架、小架」がある。また速さは「快架、中架、慢架」がある。これは今の状態を「中」として、時に姿勢を低くしてみたり、高くしてみたりして自分の火候を調整する方法を示すものである。また動きをやや大きくしたり、小さくしたり、また早くしたり、遅くしたりする。これは「機」によるべきである。天気が悪くて部屋で行う時は動きを小さくしてみるのも良かろう。こうして自分の県境の変化に応じて学ぶことが大切なのである。

道竅談 李涵虚(105)第十二章 薬のレベル

道竅談 李涵虚(105)第十二章 薬のレベル 最後には「命」と「性」の合一を行わなければならない。それが第三段階の「無より有を産む」である。李涵虚は初めの「無から有を出す」段階と最後の「無から有を産む」段階は全くことなるものとであることに特に注意をしなければならないとしている。ここでの「有」は一定の形を持つものではない。状況に応じて変化をする。そうした「形」なのである。第一段階では肉体が精神に影響を及ぼすことを知り、第二段階では精神が肉体に影響することを悟り、第三段階では肉体と精神のバランスを保つことを体得することになる。精神に偏重しても良くないし、肉体に偏るのもよろしくない。自分なりの適度なバランスを保つことが重要なのである。

道竅談 李涵虚(104)第十二章 薬のレベル

道竅談 李涵虚(104)第十二章 薬のレベル 最初の段階では体を活性化するのであるが、これは腎が活性化することであり、呼吸が深くなることで、結果として「熱」が生じることになる。神仙道では「陽気」を開くといったりすることがある。次の「有から無に入る」とは、一定の瞑想状態(三昧などと称される)に入ることであり、「熱(有)」が消えて「静」を得ることになる。これは五行説の「火は土を生む」によって西派では説明している。内的な熱(鉛火)が出てくると、次には深い瞑想状態(無)に入ることになる。それは肉体である「命」が整えられることで、精神である「性」が整えられるという本来のあるべき状態(土)にもどることでもある。深い瞑想状態を得るには心身が安定に活性化した状態になければならない。釈迦は苦行を否定したが、苦行とは肉体と精神とを分けて、肉体の苦痛を精神の統御によって乗り越えよとしたのであるが、もしこれを行おうとするならば精神が苦痛を感じなくなるより他にないことが分かって来た。つまり精神を活性化させないより肉体の苦痛を逃れる方法はないことが分かった釈迦はそれを止めたわけである。