道竅談 李涵虚(116)第十三章 内薬と外薬

道竅談 李涵虚(116)第十三章 内薬と外薬

「外薬を食して内薬に合わせる」とは「鉛を迎えて汞を制する」ことであり「母が子を見る」ことでもある。ここでの「外薬」は大薬で、早々にこれを得ることができれば酔っているように心地よくなり、長くこれを得れば長生きができるようになる。そして調和が安定して得られれば聖胎となる。この後、温養が終わると聖人となることができる。誠実なる修行者の成就の時となるのである。

〈補注〉「鉛を迎えて汞を制する」は、先に述べられていた「真汞において精を『種』とする」と同じことである。鉛は心で心=離は陰陽陰であり、この一陽が真汞であることは既に述べた。真汞は汞(腎)に入る。また腎=坎の陰陽陰の一陽は真鉛で、真鉛は心へと入り心は純陽となる。腎の一陽、心の一陰と心、腎は「子と母」の関係となる。心が純陽、腎が純陰となることで先天後天の合一が成就したとする。

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