第九十五話 立禅と馬歩トウ功(7)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(7)

太気拳を始めた沢井健一が立禅という言い方をどこで知ったのかは興味深いところであるが、「立禅を組む」という言い方をしているので、これは「坐禅(で足)を組む」というところから発想されたものと思われる。戦前の日本では西田幾多郎など禅が知識人の間で重視されていたのでそれに影響されて坐禅に対する立禅ということで考えられたのかもしれない。この名称は日本や中国で古くからあることはあったが、立禅が修行の中心とされるようなことはなかった。「立禅」は太気拳の形が一般化したようであるが、ただ太気拳のように「踵を上げる」ことはない。踵を浮かせると姿勢が不安定になるので瞑想をするには適していなこと、また立って腕を上げているだけでもかなり体の負担がかかっているのに、さらに踵を浮かせるとなると多くの人が瞑想法として実践できなくなるという理由もあるものと思われる。つまり現在の立禅の一般化は太気拳の立禅が広まったというより現代人の心の形にあった「立禅」が開れたものということができるのではなかろうか。つまり臥禅から坐禅、そして立禅へと展開すべき人類の瞑想法の変遷によって当然、現れるべきものとして「立禅」は出現して来たのである。

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