第九十五話 立禅と馬歩トウ功(15)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(15)

形意拳では形意拳は「道芸」であることを強調する。そして形意拳が「武芸」のひとつとなっている現状を嘆くのであるが、形意拳は混元トウから始まり三才式、そして三体式で武術の領域に入り、三体式が変化をして五行拳となって、さらに十二形拳へと展開して行くシステムである。もし形意拳が道芸であろうとするならば武芸としての「形意拳」から離れることになる。またこうした道芸としての形意拳を心意拳とすることもあるが、そこにあっては道芸と武芸の違いを「形=套路」として認識している部分が大きいことがうかがえる。こうした考え方には「武芸」の時代の前後に「道芸」の時代があったという感覚が背景にあるのではないかと思われる。中国武術では「文」の時代から「武」の時代、そして「文」の時代と文武の時代が繰り返すと教える。「文」の時代になると「武」の稽古はできなくなるし、「武」の時代では「文」を深めることはできなくなるとされるのである。形意拳においては「武」の時代に三体式が生まれたと考えるのであり、混元トウや三才式は太古の先の「文」の時代の遺産とするわけである(現代は再び「文」の時代でこの時代には新しく技を開発することはできない)。

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