第九十五話 立禅と馬歩トウ功(5)
第九十五話 立禅と馬歩トウ功(5)
つまり立禅は坐禅の次の時代(アクエリアス時代)の瞑想ということができよう。これは現代になって何の違和感もなく坐禅を紹介する本で「立禅」が紹介されていることでも分かる。つまり「立禅」があたり前のものとして受け入れられているのはそうしたものを受け入れる無意識的な素地があったと考えなければならない。太気拳という広く練習されてはいない流派の練功法が何の疑問や違和感もなくあたかも従来からあったもののように受け入れられているのは、やはりそうしたイメージがすでに多くの人の無意識に存していたためと考えるのが自然ではなかろうか。また「立禅」とされているものは太気拳そのものでもない。つまり「立禅」は太気拳そのものから広まったのではなく、太気拳によって開かれたある種のイメージを共有しているに過ぎないのである。