道竅談 李涵虚(118)第十三章 内薬と外薬
道竅談 李涵虚(118)第十三章 内薬と外薬
団陽子は「汝らは『後天の外薬』と『先天の外薬』を等しく外薬とみているのではあるまいか。『後天の外薬』は癸の先にあるのであり、『先天の外薬』は癸の後にある。同じく外薬といっても同じものではない。『外薬』という言葉にとらわれて、師から秘訣を得ることができなければこうした間違いに陥ることがある」と教えている。こういうことであるからここに薬に三つのレベルのあることを記しているのである。
〈補注〉「癸」(水の弟 みずのと)とは「腎」のことである。「癸の先」とは心の一陰が腎に入っていない時であり、「癸の後」とは一陰が腎に入って純陰となった状態をいうものである。つまり先天と後天の合一をしていない時と、合一した後ということになる。後天とは外薬のみで、先天とは先天後天の合一した状態であるから外薬と内薬がともに存しているわけである。ともに外薬は存しているが、その意味するところは同じではないと教えている。