投稿

7月, 2024の投稿を表示しています

宋常星『太上道徳経講義』(49ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(49ー2) 聖人には決まった心のあり方というものはない。多くの人の心をその心としている。 聖人の「性」は太極そのものであり、聖人の心は、天地のすべての徳と等しいものである。そうであるから全く偏りはないし、滞ることもない。時に応じて理によってそれは働いている。すべてが臨機応変に発動されるのであり、そのために「決まった心のあり方」というものはない。それは曇りのない鏡のようで、人々の心をそのままに写していて決して、その一部だけを写すということはない。そうであるから多くの人の心を自分の心とし得ているわけである。こうしたところに固定されていない心の奥深さがある。そうしたことが「聖人には決まった心のあり方というものはない。多くの人の心をその心としている」と述べられている。「多くの人の心」は誤りのない天の「理」と等しい。そうであるから「善」である。これが私欲と等しいものであれば「不善」となる。聖人は個々人に応じて教えを説いて、その心を導くのであり、そこには自分へのこだわりも、相手へのこだわりもありはしない。自分にも、相手にも偏ることはないのである。多くの人々の考えることを聖人も考えている。多くの人の失敗も聖人は自分のこととして受け止めている。つまり、多くの人の「性」と聖人の「性」を別のものとして考えてはいないということである。道の修行をしようとする人は、自己と他人を区別することがないであろうか。そうした区別の心を排してこそ、適切に物事に接することができる。ここに迷いの心は自然に起こることはない。相手の心は「善」であり、自分の心も「善」である。自分の心は「信(まこと)」であり、相手の心も「信」である。そうなれば永遠に迷いの心が生ずることはない。迷いとは相手を疑うところに生まれる。もし、自分と相手とで違いがないとしたならば、そこに疑いは生まれず、迷いも生じない。そしてあらゆる人の心が等しいのであれば、つまり自分の心は、そのまま聖人の私情、私欲のない心と等しいということになる。これもまた聖人が「多くの人の心をその心とする」ということである。 〈奥義伝開〉老子の見出したのは真理の普遍性である。人や物は個々それぞれに個性を有しているが、それらの根底には「道」という普遍的な法則があると老子は考えた。そして「道」という視点からすればあらゆる人は等しい存在であること

宋常星『太上道徳経講義』(49ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(49ー1) 古の聖人君子は、天の働きを受け継いでその立場としていたが、その立場とは「道」である。天の働きの優れた働きは「徳」である。「道」が存していれば、必ずそこには「理」が存している。「徳」があれば、必ず「善」がある。太極がいまだ陰陽に分かれていない時、そこにあるのは「無名の始め」である。太極が陰陽に分かれた後は、陰陽が天地の間に働いている。天地の万物には、それぞれに「理」があり、これを持たないものはない。たとえ「無」や「空」であっても、それぞれに「理」の「善」があるのであって、それを有していないものはない。もし聖人の「道」が行われないならば「理」の働きは明らかにされなくなって、天下の大本が立たなくなる。人の心に私欲は横行して「性」の中に本来的に有されている「善」が失われてしまう。そして「不善」を為してしまうのである。そうなれば世間によくある他人を騙して利益を得ようとする俗情が生まれてしまい、そうなれば他人を信じることはなくなってしまう。そうであるから聖人の「道」は、天下において行われるのであり、君臣、父子の間にも「道」は天下に行われている。そうであるから聖人の「徳」も天下に行われているのであり、そうなれば三綱五常の徳が実践されることとなる。つまり聖人は大公無私の教えを下しており、それにおいて天下の人の誰しも「善」に導かれない人は居ない。また聖人の心は、天にかかる日月のようでもあり、その光の及ばないところはなく、あらゆるところを照らしている。聖人の「徳」は、天地の間にあって天の気と等しく、その働きの見られないところはなく、その「善」でないことはない。こうして見てみると、万民の「性」は当然のことに「善」なのであり、万民の心も当然のことながら「信(まこと)」である。天下の人は、こうした個々人の集まりであって、万民の心も、こうした個々の人の心の集まりである。民が「道」や「徳」を重視することがなければ、国においてもそれらによった政治が為されることはない。つまり聖人の「道」や「徳」をして国を治めることがなければ、どうして適切な統治を行い得るであろうか。この章では、聖人の区別をしないことが述べられている。それは善を忘れ、悪をも忘れてしまって、「己」にとらわれることなく、「人」にもとらわれることがない。こうした境地はまた統治の「道」でもある。 〈奥

宋常星『太上道徳経講義』(48ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(48ー5) そうであるから天下は、常に「無事」を基本として「有事」に対するべきなのであり、そうでなければ天下を取ることはできない。 「天下を取る」とは、天下を思うままに統治することではない。もし、そうであるとするならば、ここで述べられていることの本義から逸脱することになろう。先には、損じて損ずることが述べられており、そして無為に至るとされていた。つまり「道」とは「無為の理」のことであることを知らなければならない。日々に損ずることがなければ、その奥義を得ることはできないのである。知識の集積としての「学」を通してでは「無為の理」を知ることはできない。日々に益することの本義を知ることはできないのである(注 益することの本義は損することにあるため)。損することは「無為の理」をして行われる。つまり「道」に順じて為されるのである。益するのも「無為の理」をもって行われれば、無為を学ぶことができる。「道」であっても「学」であっても、共に「無為」をしてそれを行う。そうであるから他の事でも当然のことに「無為」をして為されなければならない。かつて、よく天下を取った人たちは、損して損ずることに努めていた。民の力を労することなく、民の財を費やすこともなく、重い刑罰を科すこともなく、法令で縛ることもしなかった。ただ「無事の治(注 無為をして統治すること)」を実践していたのである。天下を取るのも「無為」をしていた。そうなれば人々の心の徳も欠けることもなく、人々の「性理(注 自然と一体となった心の本質的な働きの理)」も乱れることがない。こうした状態で天下を取る者は「損するの道」によっていた。そうであるから「天下は、常に『無事』を基本として」とあるわけである。もし、損して損することがなければ、あるいは民の力を労し、民の財を費やし、刑罰を科して、法律で縛ることになる。それは「有事の治(注 有為をして天下を治めること)」である。天下を取るのに、それに執着して、それを意図して行っては「無為の化(注 無為をして天下のことに対処する)」の境地に入ることは決して出来ない。こうしたことは全く好ましいものでもない。それは損して損することができていないからである。こうしたことを「『無事』を基本として『有事』に対するべきなのであり、そうでなければ天下を取ることはできない」としている。この「

道徳武芸研究 大東流と集合無意識(4)

  道徳武芸研究 大東流と集合無意識(4) 「合気」を利用したとされる柔道の山嵐は足裏を相手の脛に密着させてコントロールし、逃さないように技を掛けるところに西郷四郎独自の特色があった。四郎の足は「たこ足」といわれる程、一旦触れると密着して離れることがなかったという。しかし現在の山嵐は足払いや腰投げの技と解釈されており「合気」的な方法は使われていない。こうした脛や膝に足を密着させる方法は基本的には太極拳の採腿と同じである(山嵐は足の甲、採腿は裏の違いはあるが)。ちなみに採腿は太極拳の套路にその名を見ることはできない。しかしほとんどの技にそれは含まれている(暗蔵)。太極拳ではこれにより相手の出足を制して動きを止めたり、崩したりすることを目的とする。そして、そうした感覚は推手によって養われる。これは大東流での「合気」の稽古と同じであり、大東流で「合気」の稽古をそのまま実戦に使おうとするのは、太極拳では推手をそのまま実戦に使おうとするのと同じである。こうした感覚を実戦に使うには、それを用いるための「技」がなければならない。こうした観点からしても、推手の「試合」の無意味さはよく理解されよう。また合気道で試合を禁じているのも同じ理由からである。つまり試合をしないおおきな理由は練習している動きが、そのまま実戦の「技」として使ってしまう「誤解」を回避するためなのである。

道徳武芸研究 大東流と集合無意識(3)

  道徳武芸研究 大東流と集合無意識(3) 本来の大東流のシステムとしては「合気」による崩しを行うのが主であり、更に「固技」を加えることも考えられていた。そして、あくまで投技は近代以降の要求によって発達して行ったものである。おそらく大東流の原形に近いのは八光流であろう。八光流の投げは遠くに投げるのではなく、近くに落としている。そうであるからそのまま固技に入ることができる。これは八光流が、あくまで護身術としての立ち位置にこだわっていたことによるものと思われる。八光流では他に護身術として指圧や体操(肥田式によるもの)を伝えていた。つまり八光流における「大東流」は、柔術としての威力を希求することが少なく、ために強力な投技への展開を必要としていなかったわけである。一方で柔術的な展開をなそうとした系統では種々の問題が生じている。もともと大東流の「合気」は、そのままの形で実戦で使えるようなものではない。もし、実戦で使おうとするのであれば西郷四郎のように「技」と組み合わせることが必要となる。確かに「合気」は技を補完するもの(崩しの技術)としてはひじょうに有効である。しかし、それ以上でもない。つまり大東流での「合気」の稽古は、心身の感覚を鋭敏に開くところまでで、それ以上の武術的な展開には、もう一段の工夫が必要となるのである。

道徳武芸研究 大東流と集合無意識(2)

  道徳武芸研究 大東流と集合無意識(2) 大東流が知られるようになってから、数人を倒して重ねるような演武を合気道でも見るようになった。多人数を同時に相手にすることは剣術でも柔術でも近世では想定されていたことではあるが、特に大東流ではこうした技に工夫が見られる。植芝盛平も多人数を相手の演武は好んでいたようであるが、ただ投げるだけで大東流のように固めるところまではやっていない。また現在の合気道では三人捕りあたりが普通で、それを投げるパターンである。一方、大東流では四人、六人などバリエーションが多く、大体において最後には固めに入っている。よく塩田剛三の大東流の影響を言う人が居るが、それは晩年に数人を重ねるように投げるところからイメージされたもののようである。しかし、こうした傾向は他の合気道の演武でも見ることができる。一方で合気道でのこうした多人数を相手の演武では大東流のように固めることをしないのが特徴である。こうしたことからしても、そこには何らかの大東流から「伝承」があったと考えるよりは、単に大東流からの「影響」であることが妥当であることが分かろう。注目するべきは何故そうした「影響」が生じたかである。

道徳武芸研究 大東流と集合無意識(1)

  道徳武芸研究 大東流と集合無意識(1) 集合無意識とはユング派でよく唱えられるものであるが、個人の経験ではなく人類に共通するような意識の働きのことをいう。「時代の熱狂」や「ブーム」といったものの多くがこうした集合無意識に関係すると考えられる。それは確たる理由がないのにも係わらず、多くの人々が共感し得るような考え方の存する理由として考え出されたものであった。かつてのノストラダムスの大予言ブームもそうしたものの一つで、本当に人類の最後が来る云々に具体的な理由があったわけではないが、多くの人が「漠然たる不安」を実際に共有していた。それを牽引した五島勉の著作(1973年の『ノストラダムスの大予言』から)は本来が娯楽オカルト本の類のものであり、通常は一部のオカルト・マニアに楽しまれて消費されてしまうに過ぎない情報であった。それが多くの人に真面目に受け取られたのは、理性ではなく何らかの無意識的な衝動によるものと考えられる。よく当時を振り返って「時代の不安」が背景にあったとなど言われることも多いが、それも情緒的な理由であるに過ぎない。今日「大東流」なるものが合理的な理由もなく武術関係者に受け入れられている。こうしたことの根底には何らかの集合無意識に係る意識の奥深い部分が関係しているのではないかと考える。

宋常星『太上道徳経講義』(48ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(48ー4) 無為であっても為すべきことで為されないことはない。 これは、これまで述べたことを受けての教えである。これまでは損じて損じて無為に至ることが語られていた。こうした無為の妙は、土や石といったものにもある。つまり、物は全て(自分で何かをすることのない)無為にあるわけである。こうした無為は「動の中の静」であり「静の中の動」でもある。またそれは「虚の中の実」であり「実の中の虚」でもある。また「色の中の空」であり「空の中の色」でもある。そして「有の中の無」であり「無の中の有」でもある。こうした「無為」は、それを定義して語ることはできないが実際にあるものとして信じられている。意図して行うことはできないが行っているものでもある。思うことなく為してしまうものなのである。そして、それは「清静自然の道」である。この「清静自然の道」は「無為」であり自然の中に見ることができる。これは奥深いの上にも奥深い教えであり、不思議な上にも不思議な教えであるが、無為ではあっても為さなれるべきことは全て為されているのである。それは誰が命令しなくても四季が移ろうのと同じで天の無為である。そこにあって四季は滞りなく移り変わっている。また地は動くことなく万物を生み出している。地もまた無為であってあらゆることを行っているのである。人も「無為にして為すべきことを為さないことのない理」を悟ったならば、それは天や地とその「徳」を同じくすることになる。「性(注 心の本質)」にあって、万物の造化が、心において覚醒されることとなる(注 自覚される)。天地と無為を等しくすれば、天地と同じく為すべきことで為されないことはなくなる。我が無為が、天地の無為と一体でなければ、我の無為は天地の無為と同様に為すべきことを全て為すことはできない。こうした無為を「性」に求める。それを心に問う。心に徳(注 「徳」は無為を実践することで得られる)への悟りが得られれば、これを実践で修行する。そうすれば家は整うし、国も治まる。国が治まればそれぞれの国が安泰となるので天下も安泰となる。こうしたことが「無為であっても為すべきことで為されないことはない」なのである。今、修行をしている人は、よく損して損するということが分かっているであろうか。それは「父母の生まれる前」(注 無極)を知るということでもある。生まれる前で

宋常星『太上道徳経講義』(48ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(48ー3) 何事も損じて損ずる。そうして無為に至ることができる。 道を学ぼうとする人は多く、ある人は年老いるまでそれを続けても奥義を知ることはできない。またある人は多くの教えを得ているが、かえって本質が分からなくなっている。これらはいまだ「日に損する」の境地に入っていないからである。損するということをよく理解していないので、その境地が分かっていないのである。つまり、損するということが十分には出来ていないので、それを為すことができなわけである。また熱心さが足りないということもある(注 学ぶ段階だけに留まって、その奥にある道の修行まで入って行けていない)。初めは熱意を持っていても、最後には怠けてしまう。あるいは正しい道に出会っていても、それが正しいと認識することができないで、正しい道を捨てて邪な道に入ってしまう。また今日は損することができていても、明日にはまた益する道を取ってしまう。こうして減らしたり増やしたりを繰り返してしまう。また、これは損しても、あれは益するとなる。こうしたことをいくら繰り返しても、よく清静たり得ることはない。無為となり得ることはないのであり、道を得ることも当然ながらできない。損することをして老子は無為へのプロセスを示している。欲を損じて自分へのこだわりを損じる修行は不断に続けなければならない。それは生活の全てに渡る修行であり、あらゆるものを損じて、損ずるのである。そして何ものも損ずることのない境地へと入ることで、清静たるを守り得るのである。自然無為の道に入る得るのである。例えば「擦って模様を消して合わせ縫う」ということがある。擦って、擦って、そうして模様を消してしまう。そうなれば模様は消えてしまうので、どのような模様の生地であっても、それらを縫い合わせることができる。あるいは「草を削って根を鋤く」という。鋤いて、鋤いて、根こそぎ草を削ってしまう。そうなると鋤を使おうとしても使うところは無くなる。つまり取り去って、取り去る。棄てて、棄てて、棄て去ってしまうわけである。清静であるのにさらに清静であろうとする。無為であってもさらに無為であろうとする。そうして天地と一体となれば、欲もなくなってしまう。天の理は純粋で完全である。性の静謐であることは美しい宝石のようであり、一点の汚れもない。心の清らかなことは明らかな鏡のようで、

宋常星『太上道徳経講義』(48ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(48ー2) 学ぶとは日々知識を増やすことであり、道を修するとは日々物事を損することである。 「学」を為す。「道」を為す。これらは何かをしようと志すという点では変わりはないが、やっていることには違いがある。「学」を為すのは、多く聞いて、多く見ることによる。「道」を為すのは、聞くこともなく、見ることもない。多く聞いて、多く見れば過去の出来事に通じることができるし、現在の事象をも広く知ることができる。古今東西どのようなことが起こっているのかが分かる。聖賢の記したものを読み、天下の本を読み尽くし、天下の事を究め尽くす。広く関心を持ち、卓越した見識を有する。一つを学べば、また一つ新しいことを知る。こうした学びは十分に意義のあることであり、有効であるとすることができよう。そうしたことを「学ぶとは日々知識を増やすことであり」としている。聞くことも見ることもなく、文字を追うこともしない。聡明であることも求めないで、愚かで劣ってるように見える。不器用で何の考えもないようでもある。私欲や情にとらわれることなく、むやみな思いを抱くこともない。世俗の欲に染まることはなく、心を静めて「中」に帰する。「反樸の道(注 成長ではなく生まれたままの状態へと戻ろうとする道)」を求めて、不合理な行動をすることもなく、不合理な思いを持つこともなく、ひたすら「聖人清静の理」を修する。こうして心を整えて、「天地無為の道」を体得しようとする。徳を養い、益を損じて、道の学びとする。「益」を「損」ずること一分か、十分か。それは十分(すべて)である。人情や欲望、明利や栄達、そうしたものを求め続けるのは、全く誤った考えにとらわれているからである。そうであるから「道を修するとは日々物事を損することである」とする。道の修行をしようとする人は、必ず「損」を修しなければならない。学ぶことの弊害は、ただ「益」にある。どのような行動をするべきか、それを「学」ぶことによって知るのと、「道」を修することで知るのとでは大きな違いがある。ただ真の「学」びができたならば、常に「損」することの中に「益」のあることを知るであろう。善く「道」を修することができたならば、常に「益」の中に「損」を見ることができよう。「損」の中に「益」を求めるとは、私欲を取り去ること学び、名誉や利益を求める気持ちを捨てることを学ぶことであ

道徳武芸研究 練功法としての大小架と高低架(4)

  道徳武芸研究 練功法としての大小架と高低架(4) 陳発科は饅頭(パン)を入れた篭を吊るして、時にそれを食べながら一日中練習をしていたという。また王樹金は延々と八卦掌の円周を歩いていたともされている。こうした軽い負荷をかけての練習は心身の調整を取りやすい。火候の調整がしやすいわけである。また高架は実戦の姿勢そのままであるので、その状態で功を練るのは、ひじょうに実戦的であるともされている。しかし、これには長い時間を要する。呉家が次第に高架になって行ったのは家伝であったためである。呉家の伝承者は武術教師であるので、長い練習の時間を確保できた。これは結果として他に職業を持つ弟子が追いつけないシステムであり、呉家の人たちの優位性を保てるものでもあったといえよう。また武家や孫家が広まらないのも練功の難しさが原因となっていると思われる。孫家は形意拳や八卦拳も共に修練するので、こうした拳で大架、低架を練って体を鍛えれば良いのであるが、孫禄堂はそれらも小架、高架にしてしまったので結局、孫家も禄堂は名人とされ優れた著作も残したが、大きく人々に受け入れられることはなかった。このように高低、大小の違いをよく知って、適度に心身にストレスをかけることで、より効率的に功を練ることが可能となるのである。

道徳武芸研究 練功法としての大小架と高低架(3)

  道徳武芸研究 練功法としての大小架と高低架(3) ある意味で大架、小架は主として実戦への応用に向けて設けられた概念であるとすることも出来るが、高架と低架は体を練ることを主としているということが出来よう。ここで重要なのは中架である。中国で「中」は高と低の「間」ということに留まらない。それだけではなく「中庸」といった「バランスの取れた状態」という意味がある。その套路を特に大きな負担を感じることなくしている高さが「中架」となる。そして、より負荷をかけて練功をする場合には中架より少し腰を落とすことが求められる。それは「やや沈んだ感じ」を覚えるくらいで、あまり深く落とし過ぎると全身のバランス(心身の負荷=火候)が適切でなくなる。また練功においては大架や小架を意図的に行う必要はない。自然の変化に任せれば良い。太極拳や形意拳、八卦拳を練る場合に最も重要なのは「火候」である。心身のテンションを適切なものとしなければならない。あるいは「低く練るのが良い」と思われる向きもあるかもしれないが、高架での鍛錬も重要で、八極拳でも陳家太極拳でも昔の名人で高い姿勢の写真が目に付く。これは高架で、長い時間をかけて小さな負荷を重ねることで功を練っているのである。こうした鍛錬は時間は要するが実は優れた鍛錬法でもある。

道徳武芸研究 練功法としての大小架と高低架(2)

  道徳武芸研究 練功法としての大小架と高低架(2) 太極拳において小架が生まれたのは武禹襄が師の楊露禅の学んだ太極拳の探索に陳家溝に赴いて趙堡架の影響を受けたためと思われる。これに露禅の息子の班侯が影響を受けて楊家では小架の系統が生まれる。一方、北京で露禅に教えを受けた呉全佑は大架を学び、後に班侯から小架を学んだので呉家には大架と小架が共に交じることになった。そして時代を追うごとに小架の方へと収斂して行ったのである。大架の良いところは体を練るのに適している点である。それに対して小架は技の連環性に優れている。よく中国では「大きく学んで小さくまとめる」などというが、それは基本的な動きを正しく会得して、更に熟練を重ねて途切れなく技が出せるようになることをいっている。そうであるから特に意識をしなくても、拳の動きは大架から小架へと深みを加えることになる。呉家は上海の精武会でも教えられて、香港では白鶴拳との公開試合にも勝つのであるが、楊家と比べて圧倒的に修行者が少ない。それは動作が小さくて分かり難いことや簡単に適度な運動量が得られないためである。また大架から小架への変化には、中心ラインの防御という視点も関係している。これは「門を閉じる」という言い方がなされるが、蟷螂拳では「閉門=秘門」蟷螂拳が小架であり中心ラインの防御を特に重視している。

道徳武芸研究 練功法としての大小架と高低架(1)

  道徳武芸研究 練功法としての大小架と高低架(1) 中国武術には大架、小架や高架、低架といった区別がある。これにそれぞれ中架が加わる場合もあるが、こうした区別は各門派の特徴を説明する時に使われることがあると同時に、練功法として火候(運動量)の調節の方法として説かれることもある。太極拳で言えば武家やその系統に連なる孫家などは動作が小さく小架で姿勢は高いので高架とされる。一方で楊家は動作は大きく、低く練るので大架であり低架とされる。これらの中間あたりにあるのが呉家であるから、呉家は中架ということになる。しかし、こうした分類はあくまで相対的なものであるから、必ずしもそれに固定されるものではない。楊家も澄甫の系統は大架であるが、少侯は小架であり、同じ兄弟であっても違いがある。呉家も北京の古い時代には大架であるが、上海、香港と動きは次第に小さくなって行くので、上海は中架、香港は小架ということもできる。また伝承者によっても大きな動きであったり、小さな動きであったりするので、一概に大架、小架などと決めつけることはできない。

宋常星『太上道徳経講義』(48ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(48ー1) 真の「学」とは物事の本質を追及して「徳」というものを知ることであると言えよう。正しい心(正心)や誠意をして「道」の門に入ることができる。天の「理」の兆しや人の「倫(のり」の現れ、物事のそれぞれのあり方、鬼神の感覚、こういったものは全てに奥深い学びがある。そうであるからそれらの本質を知ることが真の「学」ということになるわけである。しかし「学」と「道」の追究とは全く同じではない。「道」の追究にあっては視覚や聴覚による情報を使うことはない。そうしたものを通して多くの情報を得ることを重視しはしない。大切なことは損ずることであり、損ずることこそが重要なのである。つまり見るのは内面を見るのであって、外面を見るわけではない。聞くのは「性(注 心の本質)」であって、俗事ではない。つまり「道」の修行にあっては世俗のことに関心を持つことはないわけである。そうであるから「道」の修行と学びは同じではない。「道」の修行は心にあるのであり、自己の「性」を究めることにある。あえて広い外ではなく狭い内を究めることで、反対に広い世界を知ることができるのが「道」の修行である。大いに情報を減らす(損)ことで、広い知見を得られるのが「道」の修行である。そうしたことによって「聖」や「賢」たらんことを求めたならば、真の「聖」者や「賢」者となれよう。そうであるから日々に損じて損ずる。そうして私欲に溺れないようにする。この章では「損」ということが説かれている。学ぶということは知識を増やすということであるが、真の「学」は「損することを学ぶ」ところにある。そこにあるのは「損するの道」である。損するとは、物事を壊して減らすことである。物事を壊して減らして行けば「道」の学びにおいて何ら妨げとなるものは生まれない。「天下に対する」のは「清静無為の道」を行くべきである。「清静無為」は学ぶべきものであり「損するの道」である。この章を読む人は、こうしたところに注意してもらいたい。 〈奥義伝開〉有効な情報を得るには多くの情報を集めるだけではなく、それをよく吟味しなければならない。こうしたことを老子は「損」する、としている。取捨選択をするわけである。しかし、それはひとつの情報に固執することではない。宗教では固定したドグマをひたすら「真理」として信奉するように求める。こうしたことの危うさを老子

宋常星『太上道徳経講義』(47ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(47ー4) そうであるから聖人は、外に出てなくても知ることができるのであり、実際に見ることがなくても分かるのであり、行わなくても成すことができるのである。 聖人は、よく天下のことを見ているとされる。それは個々の事柄をしてよく知っているというのではなく、自己の「一身(注 「一」である「道」と一体となった身体)」を通して世間のことを理解しているからである。またそれは単に「一身」をしてということではなくて「一理」をしてということでもある。「一理」とは、社会の根源の「理」のことで、それは社会のあらゆることに及んでいる。あらゆるところにも存している。そうであるから「我が一身の一理」をして社会の全般を見ると、あらゆる事象で共通した「理」が働いていることが分かる。そうであるからわざわざ外に出て世間の事象を知ることもないのである。遠くに出て求める必要もないのである。「一理」とは「自然」のことであり、我が心の「真知」でもあって、それは「自然」とも融合している。そうであるから外に求めなくても世間で起きている事柄の本質を知ることができるのである。それはつまりは先にあった、ドアから外に出ないで世間のことを知ることが出来る、ということでもある。そうでるから「聖人は、外に出てなくても知ることができる」とされているのであり、昔の聖人は、よく「天の道」を知っていて、天地を見るのに「天の道」をして見ていた。つまりそれは「一心」をして「天の道」を見ていただけではなく、「一性」をして見ていたのであった(注 「一心」とは自己の中に「道」を認識すること。「一性」はあらゆるものに「道」を認識すること)。「一性」とは「天の道」を動かしているものであり、それはあらゆる物の中で働いているし、あらゆる物に存している。そして「我が一性」をして「天の道」を見ると、眼の前の事象は全て「天の道」の現れであることが分かる。「性」と「理」はつまりは「乾」と「坤」であり、あらゆるところにあるのであるから、どうしてそれを知るために遠くに求める必要があるであろうか。広く古今東西の一切は「真名」を持つことは無く(注 「道」のレベルでは個々の物が区別されて「名」を持つことはない。つまり「真名」という「名」は具体的には存在しない)、ただ「自然」があるだけなのである。心に円明なる道の眼を有していれば、「自然」を深

宋常星『太上道徳経講義』(47ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(47ー3) 遠くに求めれば求める程、知ることは少なくなってしまう。 天下の事象は多いが、その「理」はひとつである。本当の「知見」を求めようとするならば、それを外に求めても得ることはできない。もし、外にそうしたものを求めたならば、結果としては徒労に終わることになろう。つまり外に「知見」を求めようとする者は、単に事象の表面を知るだけに留まるのであり、そうした人はけっして「衆妙の門(注 第一章に出てくる。要するに「道」の意)」に入ることはできないのである。それは外に求めれば求める程、その心は迷ってしまうからである。そうしたことを「遠くに求めれば求める程、知ることは少なくなってしまう」としている。世間の事象はいろいろとあるが、その「道」はひとつである。ここに「知見」を外に求めることの不適切であることが分かったからには、どうして不十分な耳目に頼り、真の見聞を得ることを妨げることがあろうか。遠く外に求めるのは、内的な「性」への沈黙に向かうものではない。そうしたもので「知見」の本質が得られないことを知るべきである。見るのは遠くを見てはならない。ありのままを見るには微細な感覚がなければならないのであり、大きな世界の全てをカバーするには、自己の「性」を見つめるより他にないのである。道を修する者は、遠くを捨てて近くを求めることがなければならない。 〈奥義伝開〉仙道では「練己」を第一とする。自己を練ることが始めであり、最重要であるとされるわけである。そして、これはまた「還虚合道」であるともいう。仙道の第一段階である「練己」と最終段階の「還虚合道」は共に「虚」の感得であるからそこに深浅の違いはあっても等しいものとするわけである。つまり「虚」のあることを感じて修行は始まるわけであり、それをより深く体得することが最終的な目的とされているのである。老子が外に向けての探求が無意味であるというのも、外に向けて「実」の知を得ることだけでは本当のことを知ることはできないからであり、「虚」である思索の知が兼ね備わらなければならないのである。

道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(8)

  道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(8) 一部に「投げ技は受け身が取られれば利かない」とする見方もあるが、実際は受け身が取れるように投げる方が難しいともいえる。弾力のある柔道場のようなところでも、ある程度のダメージはあるし、板の上や地面、あるいは障害物が置いてあるようなところで投げられるのはひじょうに危険である。ただ相手を投げることは関節技ほどではないが簡単ではない。そこで植芝盛平の言うように「当身」が重視されることになるのであるが、それはここでは触れないこととする(ちなみに盛平のいう「当身」は拳などによる当ての他に「間合い」という意味もある)。一方で大東流の「合気」の投技への展開は、一部にカルト的な「迷信」の世界に入って行くことにもなっている。こうした大東流の変遷についてはまた稿を改めて考察したいと思っているが、大東流の本来の形を知るメルクマールになるのは八光流であろう。「愛の武道」としての合気道の矛盾を解消するためには「合気」はあくまで前段階として「愛」で和して、その悪しき攻撃して来る相手の「穢(けがれ)」を「呼吸力」によって「禊(みそぐ)」という図式によるしかあるまい。こうして見ると植芝盛平はなんと用意周到にいろいろな概念を残していたものであると驚くばかりである。

道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(7)

  道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(7) もし合気道が「合気」だけを使って単に相手の攻撃から離脱するだけであったならば、「愛の武術」ということもそのままに成り立つのであるが、むしろ門弟たちが求めたのは「呼吸力」で相手を投げる方であったのであり、ここに合気道の構造的な矛盾が生ずることになる。合気道というけれど、実際に使っているのは「呼吸力」であり、「合気」はそれを成功させるための導入に過ぎないことになっているからである。近代以降、柔道が盛んになると柔道のような威力のある投技への要求は大東流においても看過し得ないものとなる。しかし大東流の「合気」は実戦では使えない。相手の中心軸を操作する稽古法としては優れているが、それをそのまま実戦で用いることはできない。もし実戦でもそのままの「合気」が使えるならば柔道を相手に絶対的な優位が示せるはずであるが、そうした事例は全く無い。植芝盛平が大東流の「合気」を取らなかったことや北海道を離れてからは武田惣角の教えを受けることを避けていたのは、大東流の「合気」やそれに付随する複雑な固技が使えないと思っていたからであろう。「愛の武道」と言いつつも盛平は生涯、攻防の強さを求めていたのであり、それは超能力のような迷信にまで及んで貪欲であった。

道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(6)

  道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(6) 近代になって武田惣角が出てから大東流は柔術的な要素を強めることになる。つまり「離脱」から「攻撃=投げ」へのシフトを余儀なくされるようになる。ここに合気道では「呼吸」という概念が加えられる。「合気」は相手の力の状況を細かく判断して、それをずらすことでその状況から離脱しようとする技術である。植芝盛平が「合気道は引力の稽古」と言うのは、まさにそうした「合気」のことである。太極拳では「粘」などと称される。こうした相手の体勢を崩して、投げる時に用いられるのが「呼吸力」である。実際に「合気」では息を吸うし、投げる時には吐くものである。つまり息を吐く時に生まれる力が「呼吸力」ということになる。これを円滑に行うために中国武術は「フン」であるとか「ハー」であるという気合を入れることがあるが、盛平も晩年は気合を使うことがあったようで、晩年の技を受け継ぐ斉藤守弘などは盛んに気合を使っている。

道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(5)

  道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(5) 合気道において「呼吸」ということが見出されたのは本来、大東流が剣術に付属する柔術であったことに由来する。多くの剣術には柔術が付属しているが、それには殿中など刀を抜けない場所で狼藉者を制するための心得としての柔術と、抜刀をするための柔術がある。大東流のベースは抜刀をするための柔術であり、それ故に徒手の攻防では一般的でない「両手を制せられる」という形が前提となっている。相手は絶対的に不利になる刀を使わせないようにこちらの両手を抑えて来る。それから脱するために柔術が用いられるわけである。そうであるから大東流の柔術は相手を制するためのものではなく、相手から離脱するためのものであった。このことは近代以降に徒手武術として展開して行った初期の大東流の間合いにも見ることは可能で、それが投げた相手を足で固めるという流れに現れている。柔道や後の大東流のように相手を遠くに投げたのでは、そのまま固め技に入ることはできない。植芝盛平は複雑な大東流の固め技を採ることはなかったが、それは技のシステムが離脱から投げへと変容して行ったことに所以(ゆえん)している。

宋常星『太上道徳経講義』(47ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(47ー2) ドアを開けて外に出なくても、天下のことを知ることはできる。窓を開けなくても、天下のことを見ることはできる。 ドアとは外に出入りするところである。窓は外を見ることのできるところである。見るとは見てその様子を知ることである。ドアを出て知る、ということを考えてみるのに、その知ることのできることには限界のあることが分かろう。窓を通して見ることのできる範囲も、それは限られたものに過ぎまい。天下に生じていることは実に多い。天の道の理も精妙を極めている。そうであるから「天下」のことをよく知るのは容易ではない。ただ見ることのできる範囲だけをして「天下」を知ったことにはならない。およそ凡俗の人は、すべからく自分の知ることのできたことが全てであると思っている。見ることのできる範囲のものが全てであると思ってしまっている。そうであるからそうした人たちは、見ることのできたことが全てであると勘違いして、それ以上のことのあることを知ろうしはしない。一方、真に知ることのできる人は門戸を出ることはないし、真に見ることのできる者は窓を開くことはない。真に知ることのできる人とは、天下の「理」を知ることのできる人なのであり、真に見ることのできる者とは、物事の本質(性)を見ることのできる人なのである。「理」をして「性」を知ろうとするのであれば、いろいろな起こっている事柄の中に共に働いている「理」を通して知ることは可能であろう。「性」をして世間を見れば、天の道の微細な働きの全てをその本質(性)において見ることができよう。これが「ドアを開けて外に出なくても、天下のことを知ることはできる。窓を開けなくても、天下のことを見ることはできる」である。こうした視点からすれば、聖人が天下を知るというのは、天下の事事の全てを知っているというのではないのであって、世間の「理」を知っていることが分かる。また天地を見るにしても天の道を見るのではなく、その「性」を見るのである。聖人の行為における「理」は天下に働いている「理」と同じである。また天下に働いている「理」は、聖人もそれによっている。つまり天下に君臣、父子が存しているのと同じく、聖人にも君臣、父子の「理」が存している。天下には吉凶や盛衰があるが、聖人もそうした「理」によっている。天下で起きる事には、いろいろと予測できないようなこともあ

宋常星『太上道徳経講義』(47ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(47ー1) 天下において大いなるものは、この「一なる身(注 「一」は「道」で「一なる身」とは「道」と一体化した「身」のこと。本来の「身」の意)」以外にはない。天の道の微細なことは「一なる心(注 「道」と一体化した本来の「心」)」以外にはない。心と体が虚にして明(きよらか)であれば、つまりは天の理がそこに現れる。事にあっては、正しきが行われるので、つまりは天下は安らかで静かになる。こうしたことから道は人の「身」に備わっていることが分かるであろう。「身」の外に向かって道を求めようとしても、それは遠く的外れで得ることはできない。徳も、それは「心」にあるのであり、それを外に向かって求めても得ることは出来まい。ここで学ぶべき深い教えは、道や徳が聖人といった人にある、ということである。もし、道や徳を養って不純であったり、ああるいは不十分であるのは「身」の外にそうしたものを求めるからに他ならない。そうであるから大いなる聖者や大いなる賢者は「修己」の功を行うのである。もとより道は、それ自体を見たり聞いたりすることはできないが、「修己」の徳をやしなって心の根源である奥深い「性」の働きを知ることができたならば道も徳も完全なものとなる。古今東西の「造化」の働きをよく悟り、天下の難事も、それが生じる前に、明らかに知ることができるようになる。また物事の軽重や物事の成否が分かり、人事の禍福も知ることができる。陰陽、吉凶の起こり、古今の盛衰、治乱も明らかとなる。それは天下に一貫した道があるからで、それは顕界や幽界にも等しく働いている。もし道を悟れば、世の微細なことまで分かるようになって、あらゆることの始まりも終わりも知ることができるようになる。それは、しかし知識による知見ではなく、外に出なくても外の様子が分かったり、窓から覗かなくても自然に外のことが分かるような道による「知見」なのである。この章では道と我が身とが一体であることが述べられている。 〈奥義伝開〉ここでは「知」の形はひとつではないことが述べられている。それは「広さ」と「深さ」である。孔子もこれについては『論語』で「学びて思わざれば」あるいは「思いて学ばざれば」として注意を促している(為政第二)。孔子は、学ぶだけ(広さ)で考える(深さ)ことがなければ理解が浅くなってしまう(「罔」くらい)とし、考えるだけで知

宋常星『太上道徳経講義』(46ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(46ー7) つまりは「知足」の「足」るとは「常足(道と一体となって不足を感じない)」ということなのである。 これまでに「欲」と「足るを知らない」「得ようと思う」ことについて述べられていたが、これらは全て「貪(むさぼり)」ということに尽きる。もとより「貪」の種は「欲」にある。あらゆるところに「貪」が広がると、あらゆるところで「知足」が満たされることはない。あらゆるところに「貪」がなければ、あらゆるところで「知足」が得られる。道を学ぼうとする人は、はたしてよく「天の理」の正しさと完全なる合一を得ているであろうか。古人は、欲望を有することがなければ「万物の理の全てが自らの内に備わることになる」「天地の徳も、全て我が身に帰することになる」と教えている。妄想を抱くことがなければ、「不足」を感じることもないであろう。そうならなければ安らかな気持ちでいることもできまい。そうであるから「つまりは『知足』の『足』るとは『常足(道と一体となって不足を感じない)』ということなのである」とされている。ただ道理の分かる人であればそれが正しいと理解できるであろう。優れた教えであると分かるであろう。それは我が身の外に求められるべきものではない。またその「理」は一つだけでもある。もし、これをよく体現することができれば、それを修して深めるべきである。そして天下を正すべきである。 〈奥義伝開〉最後に「常足」という語をして、「足」るという感覚が、「大いなる道」と一体となったところから得られるものであることが示される。それは単に現状を肯定するものではない。また世間の常識や価値観からも超然としたものでもある。重要なことはそうした感覚を育てることで、それには自己の本来の心のあり方である「性」が開かれなければならない。そのためには「静」を得る必要がある。濁った水も静かにしていれば自ずから濁りは下に沈むように「静」を実践していると、自ずから後天的な欲へのとらわれは希薄になって行って「大いなる道」「天の理」を知ることができるようになる。ちなみにこうした「静」の状況、静坐の境地を「樸」という(第十五章)。

道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(4)

  道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(4) 合気道では「合気」の他に「呼吸」という概念が新たに生み出された。これは大東流では全く見ることのできない。また呼吸投げとされる技も多くある。一方で合気投げとされる技は、あるのか無いのかも判然としない。「これが合気投げ」と称される技もあるが、特段に呼吸投げや他の関節技との違いを見出すのは困難である。ちなみに触れないで倒すような技が「合気投げ」ではないかとする見方もあるが、そうした「技」はファンタジーを演じてくれる相手以外には使えないので、技の普遍性という観点からして除外してよかろう。この「呼吸(力)」という言い方は、合気道においては大東流の「合気上げ」とする掴ませた両手を上げる練習にも使われていて、これを「呼吸(力養成)法」と称している。本来「呼吸力」を大きく捉えれば、それは「合気」を含むものとすることもできようが、実質的には「合気」は「引き」の働きで、「呼吸力」は「投げ」とすることができるので、合気道のように「合気上げ」を「呼吸法」としてしまうのは容易に混乱を招きかねないであろう。

道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(3)

  道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(3) 「気形」として最も純粋な演武を行ったのは植芝吉祥丸であろう。それは実にうまく武術的な攻防の間合いを回避した演武であった。しかし後の世代になると、再び合気道は「攻防」の動きとして捉えられるようになり、関節技として、より激しい動きが求められるようになって来る。しかし、これはかえって武術的な攻防、実戦的な術理からは外れて行くことになる。実際の攻防では関節技はほぼ掛けられない。相手がある程度ダメージを負っていないと、手や腕を十分にホールドする余裕はないからである。そして、そうした余裕がある程に相手がダメージを受けているのであれば、実戦であれば逃げた方が良い。それをあえて関節技で制しなければならない場合は捕獲の必要のある場合、つまり逮捕術として使う時くらいに限られる。中国で関節技の名手であった韓慶堂がその技術を紹介した本を『警察応用技能』としたのは、こうした意味合いの下であったわけである。

道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(2)

  道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(2) 武術、武道についての論議は、武術には「相手を傷つけない」といった配慮が皆無であるが「武道」には幾分かはそれが含まれ、単に相手を殺傷するのではなく、動きを制するためのテクニックが重視されるようになり、その術を使う方にも精神的な高さが求められるようになった、と考える。しかし柔道でも柔術でも空手でも、そうした「配慮」「許し」の部分を「術」として表現する場合には「殺傷に至るまえに止める」という形以外では表現できていない。それは合気道も同様である。それを植芝盛平は特に「愛の武道」と称したのであるが、重要なことはただ盛平はそれを「空言」として言っていたのではない、という点である。つまり「術」としては合気道の形を「攻防の形」ではなく「気形」と規定した上での発言であったのである。それは「言霊」「山彦の道」と称されるように相手の気持ちの動きの響きを感じて自ずからの動きが導き出されるというものであった。相手が突こうと思って突いて来る。その心の動きの響きを感じて自らは響きのままに動いている。これが「気形」としての合気道の動きの原則であった。ここにおいて合気道の動きは「攻防」という枠組みから理論上は完全に脱することになる。つまり「武術」「武道」と「愛」という矛盾から離脱することが可能となったわけである。

道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(1)

  道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(1) 合気道開祖の植芝盛平は「合気道は愛の武道である」と言っていた。また「和合の道」であるとも説いていた。しかし、合気道で行われているのは、攻撃して来る相手を投げたり、固めたりするもので、一般的な格闘術と何らの違いを見出すことはできない。また「友達になるのが合気道の極意」という著名な合気道家は、武道の経験のない相手にも躊躇(ちゅうちょ)なく当身を入れている。これは一般的な武術家以上に「ひどい!」対応である、とも見えよう。そもそも「愛の武道」というフレーズそのものが矛盾しているのであって「愛」と「武道」は両極にあるものである。もちろん「武道は単に相手を殺傷する格闘術ではない」とする考え方もあるであろう。それが武術(格闘術)から武道へと昇華して行ったと考えることもできよう。つまり「相手を傷つけることなく制するための技術」が「武道」であるとするわけなのであるが、そこにあえて「愛」の要素も含まれている、とまでするのは、大いに無理があると言えよう。つまり、相手の攻撃を止める、避ける段階で終われば、そこに「愛」つまり「許し」を見ることは可能であろうが、相手を投げたり、固めたりして苦痛を与えるところまで行ってしまうと、それは「制圧」であって、決して「許し」ではなかろう。

宋常星『太上道徳経講義』(46ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(46ー6) およそ咎(とが)として「得ようと思う」ことほど大きなものはない。 ただ「禍(わざわい)」が「足るを知らない」ところから起こるだけではなく、「咎」もまた「得ようと思う」ところから生ずるものである。それは「理」に背いているからであり、それによる「咎」なのである。そうであるから、その「咎」は自分で求めたものということになる。それで「得ようと思う」とされている。強く「得ようと思う」心があると、それが実現するか否かは別として、実質的には大きな害が発生する。それは飢えている時に食べ物のことを考えるようなもので、そうした時には食べ物のことばかりを考えてしまって他に考えが及ぶことはないであろう。気落ちが一方に向かうのを、どうすることもできなくなる。もし礼儀や恥のことが気になっても、どうすることもできない。親戚や友人が相手であっても、飢えている時に食べ物を求める気落ちを制することは不可能である。そして少しでも食べ物が得られると思えば、それを争ってでも得ようとする心が起こって来る。その悪辣さは狼や虎の如くで、獲物を前にすれば貪りの心が生まれてしまうのである。またその狡猾であることは蛇やサソリのようでもある。どうしても食べ物を手にしようと計略を巡らせるような者は、兎を見つけたら鷹を放って兎を得させようとすることであろう。また他人をして(殺生をさせて)己が利を得ようとするならば、網を投げさせて魚を採るということもあろう。また近隣の人たちから、利を得ようとするなら、そうした人たちの了解を取ることなく勝手な振る舞いをすることもあろう。天下国家を得ようとするなら、天下国家において何らかの噂のないところで、憎しみを生み出すことはできないので、そうした社会不安を煽って、天下を得ようとする。限りない恨みも、世の噂から生まれるものである。およそ(こうして社会を不安に陥れて天下を得ようとする)これほど大きな「咎」はないであろう。そうなれば身を滅ぼし、命を失うことになろうし、国も失われ、家も立ち行かなくなるであろう。これらも、すべては一念の「欲」から生まれて、大きなことになっているのである。そうであるから「およそ咎(とが)として『得ようと思う』ことほど大きなものはない」とある。修行者は、まさに心を浄化し、淫らな考えを持たないようにしなければならない。欲を去り、貪りか

宋常星『太上道徳経講義』(46ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(46ー5) およそ禍(わざわい)として「足るを知らない」ほど大きなものはない。 「欲」は大いなる「罪」であるが、また「足るを知らない」のも大いなる「禍」ということになろう。人が天地に生まれた時、欠けることのない善を備えている。「一」なる「性」は「混沌」としており、ここにあっては何の不足も生じてはいない。しかし、物を争って得ようとする欲望が生まれると、自分と他人を区別する私意というものが出て来るようになり、真は捨てられ妄(みだ)りな思いが生まれてしまう。そうなると偽りのものを見て真と思い、賊をして親しみを覚えるようになる。そうして真性(本来、有している心)が失われてしまう。「性」の中にこそ真の楽しみのあることも知らないし、真の豊かさが心にあることも理解し得ない。そうであるから何時も不足の思いにとらわれている。まさに天地万物によると見える豊かさも、全ては心の中から生まれていることが分かっていない。「至道」「至理」は全て我が「性」の中にあるもので、それこそが真の楽しみとなるものなのである。人は自分の持っている「至道」や「至理」を捨てて、どこに楽しみを得ようとするのであろうか。自分の外に満足を求めて、自分の持っている「黄金の山」を顧みることもなく、空爆たる外界にそれを求めようとする。君主が足るを知らなければ、容易に戦争が起ころう。臣下が足るを知らなければ、自身に禍の科が下されることとなろう。一般の人たちが足るを知らなければ、貪りが横行し他人を騙して利を得ようとする者が日々続出するであろう。そうなると君主でも、臣下でも、人民でも、およそ足るを知らない者には、必ず禍が生ずることとなろう。そうであるから「およそ禍(わざわい)として『足るを知らない』ほど大きなものはない」とされている。これは戒めとするべき言葉である。 〈奥義伝開〉「足るを知らない」ことが「禍」であるとされている。つまり「欲」は完全に否定されるのではなく、必要不可欠な範囲においてはそれが働かざるを得ないことを認めている。これは儒家で言われる「中庸」も同じである。「中庸」は「半分くらい」というのではない。「あるべきバランス」ということであり、それは「自然」な状態でもある。また仏家では「中道」という語が重視されている。こうしたことを背景にして中国では次第に儒、道、仏の三教の合一が説かれるよう

宋常星『太上道徳経講義』(46ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(46ー4) およそ罪として「欲」の肯定ほど大きなものはない。 内には心身を保つことができず、外には家や国を安んじることもできない。それは「欲」を肯定してしまうからである。およそ「欲」の害はあらゆるところに存している。例えば飽食や華美贅沢などは、全て一つの思い、つまり「欲」から生まれている。また大海を埋め立てて、大邸宅を建てるといったことも、全ては一念の「欲」によるものである。そうであるから「およそ罪として『欲』の肯定ほど大きなものはない」としている。つまり、それは極めて強い弩であっても、それをうまく発するには一瞬の機によらなければならないし、天の星の「火」の兆しが現実となってこの広大な大地を焼き尽くすのと同じなのである。つまり一念は微細なものではあるが、その害するところは甚大となる、ということである。修行者は、先ずは止念ができなければならない。思いの湧き出るのを止めることができなければ、不眠不休で熱心に修行をしたとしても、ただ徒労に終わることであろう。こうした徒労を生むのは大いなる「罪」とすることができるのではなかろうか。 〈奥義伝開〉以下、知足へと議論を収斂させて行く。その第一は「欲」の肯定を問題視する。およそ無為をして得られるもの以上を望むのが「欲」であるといえよう。無為をして、というのは必然として生じたことに対処するだけの生活をして、ということであり、その中には当然であるが行うべき仕事も含まれる。無為をして発生した仕事をして得られたもの以上を得ようとすることころに「罪」が生まれる。武術であれば練習の努力をしないで、おかしな上達法に迷うのは「欲」があるからである。一回の練習には一回分の功があり、二回では二回分の功が得られれば良いのである。それを過大に得ようとすると失敗をする。