宋常星『太上道徳経講義』(48ー3)

 宋常星『太上道徳経講義』(48ー3)

何事も損じて損ずる。そうして無為に至ることができる。

道を学ぼうとする人は多く、ある人は年老いるまでそれを続けても奥義を知ることはできない。またある人は多くの教えを得ているが、かえって本質が分からなくなっている。これらはいまだ「日に損する」の境地に入っていないからである。損するということをよく理解していないので、その境地が分かっていないのである。つまり、損するということが十分には出来ていないので、それを為すことができなわけである。また熱心さが足りないということもある(注 学ぶ段階だけに留まって、その奥にある道の修行まで入って行けていない)。初めは熱意を持っていても、最後には怠けてしまう。あるいは正しい道に出会っていても、それが正しいと認識することができないで、正しい道を捨てて邪な道に入ってしまう。また今日は損することができていても、明日にはまた益する道を取ってしまう。こうして減らしたり増やしたりを繰り返してしまう。また、これは損しても、あれは益するとなる。こうしたことをいくら繰り返しても、よく清静たり得ることはない。無為となり得ることはないのであり、道を得ることも当然ながらできない。損することをして老子は無為へのプロセスを示している。欲を損じて自分へのこだわりを損じる修行は不断に続けなければならない。それは生活の全てに渡る修行であり、あらゆるものを損じて、損ずるのである。そして何ものも損ずることのない境地へと入ることで、清静たるを守り得るのである。自然無為の道に入る得るのである。例えば「擦って模様を消して合わせ縫う」ということがある。擦って、擦って、そうして模様を消してしまう。そうなれば模様は消えてしまうので、どのような模様の生地であっても、それらを縫い合わせることができる。あるいは「草を削って根を鋤く」という。鋤いて、鋤いて、根こそぎ草を削ってしまう。そうなると鋤を使おうとしても使うところは無くなる。つまり取り去って、取り去る。棄てて、棄てて、棄て去ってしまうわけである。清静であるのにさらに清静であろうとする。無為であってもさらに無為であろうとする。そうして天地と一体となれば、欲もなくなってしまう。天の理は純粋で完全である。性の静謐であることは美しい宝石のようであり、一点の汚れもない。心の清らかなことは明らかな鏡のようで、そこに一点の塵も認めることはできない。それはそれ自体が光を放っており、真の心は自由で、そこには本来の心のあり方をうかがうことができる。無極の真人であって初めて本当の姿を見ることができるのであり、それは無為の妙ということができる。無極は無形であり、太虚は不動である。心身、内外あらゆる時、無為でないことはない。天地、万物にあって無為の道にないものはない。無為にあっては過ぎることも欠けることもなく、増えることも減ることもない。平凡なるものも聖なるものもない。有ることもなければ無いこともない。こうした境地に至ると、損して、損するべきものもなくなってしまう。益して益するべきものもなくなる。自分の「性(注 本質的なあり方)」のままに居て渾然となって(注 心身が融合する)、そこには清静なる理が働いている。天地、人、物すべては無為の道にある。そうであるから「何事も損じて損ずる。そうして無為に至ることができる」とされている。この時、老子は世の人の道への修行には個々人で差のあることを見ていた。俗塵への染まり具合にはそれぞれで違いのあることを知っていた。学を為すにしても、道を為すにしても、それぞれに浅い深いがあるのを知っていた。そうであるから一気に清静、無為の道に入ってしまうのは適当ではないと考えたのである。それで徐々に道を悟るような方法を示した。それが次第に損じて行くというものであった。道の修行をする人は、よくこの損じて損ずるの道を歩み得ているであろうか。自己の「性」は清浄、無為である。そうであるからそれは自然のままで物欲に汚染されることもない(注 あらゆる欲望を損ずることで自己の内に「性」を見出すことができる)。


〈奥義伝開〉「学」から損ずるの「道」を通して「無為」へと至ることができる。これが老子の示す修行のプロセスである。これと同じプロセスはチベット密教でもあって生起次第と究竟次第とに分かれている。これは簡単に言うと顕教と密教である。生起次第で仏教の教えを学んで、それを瞑想で「空」なるものへと還元する。古代儒教にもこうした密教的な瞑想があったことを『荘子』は伝えている。それは孔子と顔回の対話で、顔回は「仁義」を忘れ、「礼」を忘れたことを修行の進歩として孔子に報告している。つまり損ずるの道である。そして究極の損ずるの道に全てを損ずる「坐忘」のあることが示される。ただこうした密教的な教えは孔子の後に儒教の衰退が生ずると共に忘れ去られて、遥か後の宋の時代に道家の瞑想法を取り入れることで復活されるまで長い「国家儒教」ともいうべき時代があった。宋学や新儒教といわれる朱子学などが出てからは「国家儒教」と個人の人格を陶冶する本来の儒教とが並び立つことになる。


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