道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(1)

 道徳武芸研究 矛盾する「愛の武道」としての合気道(1)

合気道開祖の植芝盛平は「合気道は愛の武道である」と言っていた。また「和合の道」であるとも説いていた。しかし、合気道で行われているのは、攻撃して来る相手を投げたり、固めたりするもので、一般的な格闘術と何らの違いを見出すことはできない。また「友達になるのが合気道の極意」という著名な合気道家は、武道の経験のない相手にも躊躇(ちゅうちょ)なく当身を入れている。これは一般的な武術家以上に「ひどい!」対応である、とも見えよう。そもそも「愛の武道」というフレーズそのものが矛盾しているのであって「愛」と「武道」は両極にあるものである。もちろん「武道は単に相手を殺傷する格闘術ではない」とする考え方もあるであろう。それが武術(格闘術)から武道へと昇華して行ったと考えることもできよう。つまり「相手を傷つけることなく制するための技術」が「武道」であるとするわけなのであるが、そこにあえて「愛」の要素も含まれている、とまでするのは、大いに無理があると言えよう。つまり、相手の攻撃を止める、避ける段階で終われば、そこに「愛」つまり「許し」を見ることは可能であろうが、相手を投げたり、固めたりして苦痛を与えるところまで行ってしまうと、それは「制圧」であって、決して「許し」ではなかろう。


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