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道徳武芸研究 形意拳・劈拳で合気上げを練る(4)

  道徳武芸研究 形意拳・劈拳で合気上げを練る(4) 合気道の呼吸法では息を吸って相手との馴染を感じ(植芝盛平は「引力」という)、相手の力の流れをよく導いて吐く息において相手を投げる。こうした動きと息とのタイミングを微細なところまで一致させるのが呼吸法の鍛錬といえよう。劈拳を見ると腕をねじりながら上げて、相手の力との馴染を得る段階(合気上げ)と、掌で打つ段階(呼吸力)があることが分かる。ここに「合気上げ」と「呼吸法」を劈拳を通して見ると、大東流が崩しに重点があるのに対して、合気道は投げがより重んじられていることが分かる。つまり、これは相手の制する力からの離脱を主眼としていた大東流から相手を投げることを重視した合気道への変化であり、また剣術に付属する柔術技法から柔術そのものへの変化でもあった。この変化の中で「呼吸力」が強調されたのも(合気道では呼吸投げは多いが、合気投げについては実態さえも明確ではない)、離脱法(合気)から攻撃法(呼吸力)への変容が生ずることになった。ここに思想的には「馴染」つまり「合気」のイメージを残しながら、実際の技では「呼吸」という攻撃型の動きが主眼であるという現在の合気道の矛盾が構造的に生まれることになっている。それはともかく形意拳の立場からすれば、合気上げを一人で練るには劈拳を練れば良いと言える。それは内的な感覚を育てて自身の力点の移動を細かに知ることで相手の力点の移動をも知ることが可能となるからである。

道徳武芸研究 形意拳・劈拳で合気上げを練る(3)

  道徳武芸研究 形意拳・劈拳で合気上げを練る(3) 大東流の合気上げは、合気道では「呼吸(力養成)法」とされるようになる。ここでおもしろいのは劈拳が、五行の「金」に属している点である。つまり「肺」に当たるわけで、これは「呼吸」ということになる。つまり劈拳を通して見ると大東流(合気上げ)と合気道(呼吸法)とがひとつのものとして理解できるようになるのである。実際の劈拳では腕をねじりながら拳を上げる時に息を吸って(起)、掌で打ち下ろす時に吐く(落)のであるが、これを繰り返すことで呼吸を練るとされている。ちなみに「起落」は形意拳の最もベースとなる動きである。合気道でも腕をあげて相手を制して、投げる時には腕を下げる。相手を投げる時の呼吸は吐いている。つまり腕を上げて相手を崩している時に息を吸って、投げる時に吐く、これが呼吸法で大東流のような力の作用点をずらすよりも、大きく呼吸の流れに乗せて相手を制投げようとするように合気道は変化して行っている。この変化は合気上げと呼吸法の始まる位置にも見ることができる。合気上げは膝のあたりで相手の手首を強く抑え付けているが、呼吸法では胸のあたりでやや高く、抑える力そのものも強くはしない。それは腕を上げるということから、呼吸を練ることに稽古の主眼が移っているためである。

道徳武芸研究 形意拳・劈拳で合気上げを練る(2)

  道徳武芸研究 形意拳・劈拳で合気上げを練る(2) 形意拳の五行拳の最初は劈拳である。これは両腕をねじりながら拳を突き上げる。やってみれば分かるが、両手を取らせてこの動きをすると、合気上げと同様なことが可能となる。それは腕をねじりながら上げているからで、しかもねじりの度合いは合気上げより遥かに大きい。合気上げは上下のねじりだけであるが、劈拳では完全に回転をさせている。合気上げが上下の動きだけであるのは、抜刀が目的であったそもそもの成り立ちに深く関係している。刀を離すことなく、抑えてくる相手を制しなければならなかったのである。相手の力の作用点をずらすということからすれば、腕を上下だけではなく回転をさせた方が簡単なのであるが、それができない理由が歴史的にあったわけである。同じような腕の回転は呉家太極拳でも顕著に見ることができる。楊家は掌で相手の動きを導くが、呉家では拳にしてそれを行う。それは拳にした方が腕を丸く使うことができて、引く力も同時に作ることができるからである。腕の張りを使って相手を誘導することが容易であるのは拳にした方が良い。こうした手法は合気道では砂泊諴秀が用いている。

道徳武芸研究 形意拳・劈拳で合気上げを練る(1)

  道徳武芸研究 形意拳・劈拳で合気上げを練る(1) 大東流の「合気上げ」は、手の操作で抑えている相手の腕を上げて、その重心を奪うものであるが、それが可能であるのは、相手の力の利いている点をずらすことに依る。そうして、こちらへの作用を小さくさせるのである。この時に重要なことは、握っているどこに力の中心点があるのかを明確に知ることに他ならない。それが分かると、次にはその作用点をコントロールする技術を習得する。こうした段階を太極拳では「覚勁」「トウ(忄に董)勁」といしている。実際には腕をねじることで、相手の力の作用点をずらすのであるが、「合気上げ」で指先を上に向けるのには、そういった意味がある。また指の形を大東流などでは「朝顔」のようにすると教えているのも、腕の回転を円滑にするためである。また「玉」や「円」をイメージすることも同様である。要は「合気上げ」のベースは、腕を上下に回すということに尽きるわけである。こうした相手の力の作用点をずらすことは当然、力の働いている状況であれば、肩でも、頭でも、胸でも、どこでも可能なのであるが、こうした部位では作用点が腕ほどは明確ではない。つまりホールドが弱いので、それをずらすことによる効果も限定されたものとなってしまう。こうした「体の合気」は稽古としてはおもしろいが、実戦では相手の力のあり方が変化しやすい(ホールドが弱い)ので使うことは困難である。

宋常星『太上道徳経講義』(46ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(46ー3) 天下に道が行われていなければ、兵馬が郊外で戦いに備えて養われるようになる。 天下に道が行われていない時に人々は安らかに暮らして行くことはできない。また物も安定して流通することがない。世情は安寧を欠いて、至るところで争いが起こる。こうした時には、いざという時に備えて郊外では兵馬が育成されるようになる。千百もの馬が揃えられて、壮麗な様相が呈される。そうしたことが街の近くでなされるようになったなら、それは「行き過ぎた行為」ということになろうし、そうなるとただでは済まないことでもあろう。またこうしたことは(戦争への不安をかき立てて)民を治めるための弊害となることであろう。そうしたことを「天下に道が行われていなければ、兵馬が郊外で戦いに備えて養われるようになる」としている。もし修行者が無為を守ることがなければ、清静であることはできないであろう。もし貪欲なる思いが生じたならば、あるいは名や利を得て栄ることを求めようとするならば、心には(他人を害する)「刀」や「兵」が続出することになろう。性の中には「軍馬」が限りなく生まれることになろう。そのような考えにあって途切れることなく「是非」や「我彼」といった対立に執着して、日々止むこともない。全身全霊ことごとく「魔軍」の徒となってしまう。全身は「戦場」と化し、神(意識)は一時も落ち着いていられない。心もリラックスを得ることがなく、その心身はまったく道の行われていない天下と同じような状態となる。性命の長からんことを求めても、その手立てさえもなくなる。 〈奥義伝開〉大いなる道が行われているのが「太極」の状態である。陰陽といった対立するものが、互いに関係しあって安定を保って働いている。これが壊れるとただ対立だけが残り、争いが生まれる。かつて太極図は陰と陽とが互いに半分記されているだけであった。これは天と地、男と女といった相対するものによってこの世は構成されているとする考えを示すものである。一方、太極拳の双魚太極図は陰と陽が互いに動いて交わろうとしている。つまり天と地は「水」を介して交わることができるのであり、男と女は「情」を通じて交わることができることが見出されたわけである。太極拳では敵と自分は「神(意識)」を通して交わることができるとする。相手の争おうとする意識を感じて、それをそらせるわけである。こ

宋常星『太上道徳経講義』(46ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(46ー2) 天下に道が行われていれば、優れた馬も兵馬とならず、その糞が肥として使われるだけである。 修身の理ということをよく考えてみると、それは天下を治める道と同じであることが分かる。実際の行動は違っていても、理においては同じなのであり、それは無為自然の道をして人を養うというところにある。つまり天下を治めるにあっては、無欲自然をして民に向き合わなければならない。それはよく走る馬のようで、それを有効に使おうとするなら国境で国を護るために使われるであろう。つまり兵馬として敵を打つために使われるわけである。また伝令として使われることもあろうが、けっして優れた馬が肥料を得るためのものとして使われることはないのである。しかし、道が実践されていたならば、国は乱れることなく、民も安らかである。社会の上下に矛盾はなく、共にあるがままで居ることができている。優れた馬が肥料を得るだけの働きをするようになっているのは、まさに無欲、無為の極みの統治が行われているからに他ならない。それを「天下に道が行われていれば、優れた馬も兵馬とならず、その糞が肥として使われるだけになる」と言っている。道の修行をする人は、妄念によって行動することなく、邪な思いや偏った考えを持ってはならない。つまり中正の道を行動の指針として、和し穏やかな気で身を養い、自然で清浄、無事であるようにする。こうしたことは天下を治める道と何ら「理」における違いはないと言える。 〈奥義伝開〉老子は「兵は不祥の器」(第三十一章)としている。あらゆる不幸が生じる元であるというのである。優れた馬もそれが兵馬として使われるようになっている世は「道」が失われていると考える。これは馬だけではなく、戦時には優れた人も兵士として徴用される。才能が身を滅ぼすということもあるのである。そうであるから老子は「樸」(第十五、十九、二十八、三十二、三十七章)であることを推奨する。それは「生まれたまま」ということである。人は生まれてからいろいろなことを学ぶがそれは抑制的でなければならないし、自己の才能が他人に悪用されないように気をつけなければならない。特に国家によって悪用される場合には人々の称賛をもって悪用されるので、なかなか逃れにくいものでもある。軍事においてはなおさらである。

宋常星『太上道徳経講義』(46ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(46ー1) 「心」は体全体の中心であるとされている。そして「心」の形而上的な働きは「性」とすることができる。また形而下的な働きは「情」として現れるといえよう。そして「性」は「静」を、「情」は「動」を主とする。そして体にあっては、この動静があらゆるものを生み出している。善もそうであるし、悪もそうである。結果として「動」において善が働くと、天の理そのものの働きとなるので、ここに体の内外ともに天の徳が完全に備わることとなる。それは天秤が釣り合っているようなものであり、(「性」がそのまま「情」として欲望のバイアスが掛からないで表現されるので)鑑が曇りなく姿を写しているのと等しい。そこには妄念の入る余地はなく、私欲の生ずることもない。ここで中心となるのは善であって、それが働きとして現れれば、あらゆるところに善を見ることになる。もし、それが不善であったら、邪悪な思いが噴出して、妄念が湧き出し、心は欲望のままに振り回されることなのであろう。そしてあらゆる行動が欲得のみで為されることになる。治そうとする気のない人の病を治すのは難しい。それは自制する気持ちがないからである。これはまた東に流れている川の中に入って、流れのことは考えないで自分の思うままに行こうとするようなものである。こうした道理を弁えない心では、偏ることのない天の理そのままの体の働きも、汚れたところに迷い行ってしまうものである。こうした少しの思いの違いによって、このように体は害を受けたり、滅んだりするものであるが、往々にして人は心を改めようとはしない。少しの誤りが、家を傾かせ、財産を失っても、それがどうしてか気づこうともしない。つまりは、そうなのである。こうしたところからすれば「理」と「欲」との違いの判断は、それが行動として現れることのない前にあるということが分かる。これをよく知っておかなければならない。また文中では足るを知るよう戒められてもいる。知足ということが、この章の主題であり、それは無為、無欲の自然の道をして、天下を治めるということでもある。 〈奥義伝開〉ここで老子が述べている「知足」は単に現状に満足するというのではなく、最後に「常足」であるとするように「常」つまり「大いなる道」と一体となった「足(た)」るなのである。それは行為において過不足がないということである。やり過ぎることもな

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)

  道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4) こうした「表」と「裏」の入身は、形意拳では五行拳と十二形拳として区別されている。もともと形意拳は三体式から派生したとされるが、これは右の手で相手の構えを崩して、左の掌で攻撃をするもの(その反対もある)で、これは全く八卦拳の挑打(単換掌式)と同じである。こうした五行拳を基本として、応用として十二形拳では「裏」である相手の攻撃を右で受けて、さらに左で横に送って入身をして、攻撃をする、というパターンが出来た。形意拳をある程度、学んでいて実戦で失敗するのは、形意拳の入身をよく体得できていない場合である。そうなると形意拳は動きが単純なので、相手にうまく間合いをとられてしまう。また八極拳の六大開は「表」であり、八大招は「裏」とすることができるが、八極拳においても、伝承者によって実際の動き(技)には異同がある。それは、ここに述べたように、それらが依拠しているのが「単換掌式」や「双換掌式」のような理論であること、またそうした理論がよく理解されていないことに原因しているようである。練習と理論の二つが完備されなければ適切に武術の稽古を積み上げて行くことはできない。

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(3)

  道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(3) 合気道の「表」と「裏」で、分かりやすいのは「裏」で、相手の攻撃を受け流して技を仕掛けるものである。これは一般的な合気道のイメージ(争わない、力を使わない)にも近い。これに対して「表」は正面から相手を崩して技を仕掛けて行っているので、やや強引な感じもある。ここで問題なのは、現在の合気道では「表」も「裏」も共に「相手の攻撃を受けて」からの対応となっている点であろう。これを八卦拳の「単換掌式」と「双換掌式」の考え方からすれば、「単換掌式」はこちらから仕掛けて行くものであり、「双換掌式」は相手の攻撃を受けての対応となる。単換掌式の実戦的な動きとして(八卦)羅漢拳に見ることができるのが「挑打」で、これは右拳で相手の構えを打ち破り、左拳で突く形になっている。日本の柔術で言えば「当身」を当てて、攻撃を入れる、という展開である。合気道の「表」も、原理的にはこちから仕掛けて行くものと見るのが妥当であろう。相手が手刀で打って来るのを手刀で受け止めて技を行うのではなく、こちらが手刀で打って、相手に受けさせることで技を行うタイミングを作る、と理解するのが「表」の原理として妥当と考えられるわけである。

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(2)

  道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(2) 八卦掌の「単換掌」や「双換掌」は、八卦拳では「単換掌式」「双換掌式」という実戦の理論によるものであり、八卦拳ではそうした理論を固定した「技」として示すことは重視していない。「単換掌式」とすることのできる「技」は多くあるということである。これを一定の「技」としての展開させたのは八卦掌においてである。本来的に八卦拳では「変」を重視する。そのために一定の形にこだわることがない。動きを学ぶ段階では一定の形を練習する(定)が、実戦では自在に動くこと(変)が強調されていて、そこには一定の形がないと考えるからである。八卦掌は、八卦拳の「変」の考え方ではなく、一般の拳術のような「定」を基本とする考え方に依っているので、それぞれの伝承者が適切と考えた動き(定)を単換掌式や双換掌式に当てはまるようにして形作って行ったものが、現在に見ることができる単換掌であり、双換掌なのである。そのため伝承者によって動きが違うのも共通しているのは、あくまで「理論」であって、実際の動きではないからである。

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(1)

  道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(1) 八卦拳には単換掌式と双換掌式とがあり、合気道には「表」と「裏」がある。これは簡単に言えば「表の入身」と「裏の入身」である。ただ、これらの区別は修行者において必ずしも明確に意識されていないようである。八卦拳から派生した八卦掌では、系統によっていろいろな「技」があるが、どれにあっても必ずと言って良い程、見ることができるのは「単換掌」と「双換掌」であろう。しかし、実際の動きにおいては、必ずしもこれらに同一性が認められるものでもない。ただ、そうした中にあって「単換掌」「双換掌」といった名称が普遍的に残されているのは、それが八卦拳において最重要なものであったことを示していよう。一方、合気道のもとになった大東流でも目録においては「表」と「裏」という概念が明確に示されている。個々の技の名称もないのにも係わらず、目録では「表」「裏」という明確な区別において技が記されているのである。これは大東流において「表」「裏」が技法全体を貫く重要な構成概念であったことを示しているということができるであろう。

宋常星『太上道徳経講義』(45ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(45ー7) 動いていれば寒さを感じることもない。静かにしていれば暑さを感じることもない。清く静かであることが、この世にあっての正しいあり方なのである。  ここで述べられているのは、正しきを得ることのないことの例えであり、それは一方に偏ることである、とされている。「清静の道」の詳細を述べれば、あまりに過度であってはならず、あまりに不足してもいけないのであり、そうしてあらゆるところに及んでいて、自然にしてそうなっている、といったものになる。それはまた常に清く、常に静かである。こうしたことが道の根本となる。そしてそれを働かせれば「理」が現れて来る。それはまったく正しいものであって、それは物事について見ることができる。正しく存在し得ていない物事はないのであって、それは心も同じである。心は全く正しく働いているが、それを陰陽でいうと、陰陽の正しい理を得ているということになる。また寒暑でいうならば寒暑の正気ということになるが、果たしてよく修行者はそれを感得しているであろうか。動いていれば熱くなく、静かにしていれば寒くないのは、中正自然の道である。そうであるから「大成、大盈、大直、大巧、大弁」とされているものは全て清静の正きを得ているのである。もし、そうでなければ、欠けていることが完成されたものより勝れいているとしたり、冲(むなしい)をして盈(みつる)ことに勝るとしたり、屈することをして直なるものに勝るとしたり、拙なることをして巧みなることに勝るとしたり、朴訥であることをして弁舌に勝るとしたりしてしまう。こしした一方が勝るとするのは、動いていれば寒さに勝てるとか、静かにしていれば暑さに勝てるというのと同じである。つまり冬の頃で、極めて冷えている時には満天に霜や雪が降り、冷たい氷が地を覆っている時でも、汗だくで路を行く人も居るが、それは動くことが寒さに勝っているわけである。あるいは夏の頃の極めて暑い時には、熱風が吹いてあらゆる物を熱してしまうが、こうした暑気に遭った人も、静坐をしていれば、暑さを感じることもない。これがまさに静かにしていれば暑さに勝てる、ということである。ただ静坐をしていても、完全に体が動かないということはないので、まったくそこに熱を感じないということもあり得ない。こうして見ると「動いていれば寒さに勝てる、静かにしていれば暑さに勝てる」と

宋常星『太上道徳経講義』(45ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(45ー6) 大弁には、訥々とした感じがある。 大いなる道の妙は、「大巧」は「拙」劣であるように見えることもあるというだけではなく、「大弁」にあっても、あたかも朴「訥」であるかのように見えてしまうところにある。「弁」とは言葉をして述べることである。「訥」とはあまり流麗に言葉が発せられないことである。これは言うなれば「天の道」であり、また陰陽であり、造化の妙そのものでもある。また風や雷をして万物の生成の「機」を発動させるのが「地の道」である。貞(ただしさ)や静をして万物の形を成し、柔や順をして万物の「性」を和する。これらは全て天地の「大弁」の妙処といえる。天地にはこうした「大弁」があるとはいえ、それが未だに人々の耳に達したことはない。たとえ人々の耳に達することがないとしも、四季は巡って、語られることはなくても万物は生まれ来ている。つまり「大弁」とは何かを語ることではない。そうであるから「訥」であるよう、とされている。つまりは「大弁には、訥々とした感じがある」ということなのである。古(いにしえ)の聖人は、何も語ることがなくして、天下を教え導いていた。つまり「天地は語ることはない」のであるが、よく万物の妙に応じて滞りなく働いている。そうであっても、何も語られることはないのである。言わねばならないということでは、こうした天地、人、物の「理」をどうすることもできはしない(注 天地、人、物はすべて無為によって動いている。それを有為である「言う」ことによって動かさそうとしても、そこに「理」はない)。言うことなく教える、というのは、天下でも国家でも、大いなる道から外れているものは無いからである。そうであるから天地の万物は、誰が語らなくてもその「理」を有して働いているわけである。そうであるからことさらに聖人が教えを垂れることがなくても万物は生成されている。聖人の教えとは、語ることがなくしてそのままで道が実践されている、というところにある。何も語ることがなくても、その徳が自ずから現れているわけである。こうしたところに語ることはない(訥)、ということの意味があるわけである。それはあたかも流麗な弁舌のようには見えないかもしれないが、そこでは「真に語るべきこと」が語られてい無いというのではない。それが「大弁」の妙なのである。そして、そこにあるのは「善応(善なる感覚

宋常星『太上道徳経講義』(45ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(45ー5) 大巧は、拙いように見えるものである。 大いなる道の妙は、「大直」と「曲」において見られるだけではなく、「大巧」と「拙」においてもそれを知ることができる。「巧」とは巧妙であるということである。「拙」とは拙劣であるということである。天地の間にあって、あらゆる物は、形を有して存在している。それは丸かったり、四角であったり、曲がっていたり、真っ直ぐであったりもする。それぞれがそれぞれの形を有していて、長短、大小がある。こうした形の差異はあまりに多く言い尽くせるものでもない。また全てを絵に描くこともではしない。あらゆる物は、大いなる道が巧妙に生み出したものである。ただこうした巧妙さがあったとしても、いろいろな形の物、あらゆる優れた物は、全てが無為の中で生み出されれている。生まれるべくして生まれている。そうして生み出された自然の物は、それがそのまま役に立つわけではないので、これを「拙い」としている。しかし、こうした自然の物も加工をすれば、使い方も決まって「拙い」という状況ではなくなってしまう。つまりこの世に存しているもので「拙い」状態のままで完結し得ているものはないとも言えよう。そうであるから「大巧」のように聖人の有する「巧みさ」は、普通の人の「巧みさ」と同じではない。普通の人の「巧みさ」は、ただ巧みであるだけに留まっている。しかし、聖人の「巧みさ」の中には「拙さ」が含まれているのである。「巧み」であって、あえて「拙い」くある、というのは普通の人でもできるかもしれない。あえて、そうしようとすれば可能であろう。ただこうした「巧み」さは「大巧」とは見なされない。「拙い」ことが「巧み」であるようなことが、意図しなくてもできている、無為にして自ずから可能となる、ここにおいてこそ「巧みさ」の実際の働きも無限となるのである。つまり「巧みさ」の「原理」には具体的な形はないのであり(注 自然の形から有効な物となる決まったプロセスはない)、天地の働く中にあって、万物が生み出されている。こうしたことは全て「大巧」ということができる。聖人の「巧みさ」ということができるであろう。ただ普通の人はこれを見ることもできないし、知ることもない。ところで道の修行をしている人は、あらゆる場面ではたしてよく無為を自らに守ることができているであろうか。恣意的な行為は安定した行

道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(8)

  道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(8) 実際には相手を殺傷することのない武術稽古の世界はある意味でファンタジーの世界でもあり得るわけであるが、これが行き過ぎて、現実の技との混同が生まれるようになると我が身を滅ぼすことにもなりかねない。宮本武蔵はなぜ負けることがなかったのか。これは武蔵自身もよく分からないと述べているが、要するに自分と相手の実力をよく見極めることができたからに他なるまい。武蔵はなんとか勝つことのできる最高レベルの相手をよく選んで試合をして行ったわけである。これが余裕で勝つことのできる無名の相手であれば、名人として名を残すことはできないし、自分より実力が上の武術家と試合をして負けてしまえばこれも名を残すことはできない。なんとか勝てるギリギリの相手を選ぶことが重要であったわけである。武術の修行の第一は孫子も言うように、相手と自分の実力を知ることが、最も重要でなのである。それは自分を深くを知ることで、相手をも深く知ることができるようになる。そして第二は攻防の力をつけることである。ただこの力はいくら練習をしてもきりがなく、やり過ぎると心身をかえって痛めることにもなるので注意を要する。ファンタジーと現実との混同は、自分を知ることにおいておおいに弊害となるものであるので注意を要する。

道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(7)

  道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(7) またある時には「飛脚は江戸がら京までを三日で走った」ということもいわれていたが、これは何人かがリレーのようにして送って行ったもので、一人が江戸と京の間を走ったのではない。こうした形式であればとくに驚く程の体力は必要ない。ただ、そうしたリレーを可能にした当時の通信網の整備状況は驚嘆に値しよう。また近世には為替なども盛んに使われていた。重要なことは人間の体の働きには限度があるということで、そうした中で驚異的な結果を出すには、何らかの工夫が必要であり、武術におけるファンタジーともいえるようなエピソードから、もし学ぶものがあるとするならば、そこから読み取れる合理的な教えであって、けっして荒唐無稽な夢物語ではないはずである。

道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(6)

  道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(6) 先に見たように、弾丸を避けるというのは真実ではないが、そこには学ぶべき教えが象徴的に組み込まれていた。それでは、かつてよく知られていた「五俵を担ぐ女性の写真」はどうであろうか。これは既に、近代になって外国人向けに作られた土産物用のフェイク写真であることが明らかになっている。超絶技工の粋を凝らした焼き物の眞葛焼などもそうであるが、近代の初めにはこうした特異なものが外貨の獲得のためにいろいろと制作されたようである。そうした中で「五俵を担ぐ」写真のような「おもしろ写真」も作成されたようである。他にも現在、河童や人魚のミイラとされるものも、この頃に作られたものが多い。ただ。こうした中には近世に涵養されていた日本人の優れたテクニックを見ることができる。他には根付けや自在置物なども超絶技法で作られていて、最近では美術館などで展覧会も開かれている。

道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(5)

  道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(5) 弾丸を避けたとされるエピソードは、この話しが本当かとうかといえば、それは当然のことながら真実ではない。しかし、この話しには合気道における心身のあり方を教える重要な教えが含まれてもいる。つまり合気道では攻撃までのプロセスを、 1、相手が攻撃しようとする意志を固める(攻撃部位の特定)。 2、それに従って体が動き始める。 3、攻撃が完成する。 の三段階において捉えている。しかし、一般的な武術では「2」から攻撃が始まるとする。合気道では通常の武術よりも、できるだけ早い段階で相手の攻撃の起こりを捉えようとするわけである。つまり合気道では「1」の実際には動きの始まらない意識が動いた段階で攻撃が開始されたと見なして、対応する動きに出るわけである。これを盛平は「勝速日(かちはやひ)」とも言っていて、これが合気道修行の核心であるともしている。ちなみに太極拳では「相手が動かなければ、こちらも動かない。相手が動くならば、それより先にこちらは動く」とする拳訣があるが、これを実現させるためには合気道と同じく「1」で動きを始めなければならない。

宋常星『太上道徳経講義』(45ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(45ー4) 大直であるものは、曲がっているようにも見える。 大いなる道の妙は、大盈に冲(むな)しさが見られるだけではなく、また「大直であるものは、曲がっているように見える」ものでもある。道から物は生まれる。それは、道が生み出そうとして生み出しているのではない。上下がひとつとなり、本末が一体となっている、これがつまりは大いなる道というものなのである。あるいはそれは虚であっても、あらゆるものを包含することができる。あるべき姿のままであり、争うこともない。これがつまりは「曲がっているよう」ということでもある(注 「直」とは存在そのもののあり方で老子はこれを「僕」ともいう。また「曲」は加工されていない自然の状態で、この状態では何かに使うことはできないので「曲」となる。それはまた他の物と価値を競うこともない無為な状態でもある)。道を学ぼうとする人は、はたしてよく「直」を基本として、「曲」を働きとすることができているであろうか。こうした基本と応用においては、つまりは「曲」にその理がある。「曲」っているものは、そうでなければ「直」でしかあり得ない。つまり「直」であるということは、それだけで完結しているのではないのである(注 「曲」があるので「直」が認識できる)。つまり「直」が「直」として完結しているのであれば、「曲」がっているものは「曲」がったままで完結しているということにもなろう。そうなると「直」と「曲」との実際のあり方とは齟齬が生まれてしまう(注 「直」が単独では「直」と認識できない。「曲」があるから「直」と分かることが説明できない)。そうであるから「大いに直であるものは、曲がっているように見える」とされている。ここで述べられているのは、既に述べたように「直」と「曲」とは等しく存在価値があるのであり、「曲」が「直」のように使えないということはない。詳しく「直」ということを考えて見るに、それは「原理」としての潜在的な価値をいうものであり、「曲」は「実際」としては価値を有してはないが、それを用いることのできる場合(注 装飾的な部分や燃料として)には価値を有しているとすることができる。「原理」的な価値において「直」は「直」として有用であり、「実際」にあっても「曲」は「曲」として有用なのである。つまり「曲」の価値とは実際への「応用」において「直」と同等で

宋常星『太上道徳経講義』(45ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(45ー3) 大盈(えい)ているとは、冲(むな)しいところがあるように見えるもので、そうであるからそれを用いて限りがないのである。 大いなる道の妙としては、大成は欠けたところがあっても大成であるように、大盈も冲しいところがあって大盈なのである。「盈」とは満ることで、「冲」は虚しいということである。大いなる道の本来的な様相をいうならば、そこには欠けているところもないし、余っているところもない。円満具足していて、その大きなことはこの世の果てにまで及び、小さなことはきめて微小なところにまで至っている。あらゆるところに遍満していて、あらゆる物の中に入り込んでいる。こうしたことが、大いに盈(みち)ている状態である。その円満であることは欠けることなく、あらゆるものが含まれる。その思いも及ばないことは、どこにも塞がっているところもなければ、破綻しているところもないのであるが、それは虚霊なる一定の形を持たないものであるから、それを表現することもできない。それは存するというのでもないし、存しないということでもない。神妙で計り知れないものであって、至神、至霊、至虚、至妙である。こうしたとらえどころのない状態が冲(むな)しいとされている。つまりこうしたところが、大盈であって冲しい、というところの妙があるわけである(注 大いなる道があらゆる物に及んでいるのが「盈」であり、道そのものを見ることはできない、ということが「冲」である)。そうであるから、これを天において用いると、天の道は滞りなく働き、地に用いれば、地の道の働きの窮まるところがない。これを人に用いれば、人の道において行き詰まることもない。これを物に用いたならば、物の道は窮まることない。その実際のあり様を見るに、あるいは道があるようにも見えるし、無いようでもある。動であるようでもあり、静であるようでもある。小さいようでもあり、大きいようでもある。その働きが明らかであるようでもあるし、よく見えないようでもある。しかし、道はあらゆるところに及んでいて「大盈」でないところはない。しかし、それはまた全て冲しい存在でもあることによって、働きを有してもいる。つまり、大いなる道はあらゆるところに盈ち盈ちて及んでいて、あらゆるところで働いているのである。そうであるから「限りがない」とされている。つまり「大いなる用は冲しきが

宋常星『太上道徳経講義』(45ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(45ー2) 大成しているものは、缺(か)けているところがあるように見えるもので、そうでなければ円滑に運用することはできない。 万物の生成にあっては、あらゆるものが生成されるのであり、生成されないものはない。これが天地の生成の妙処である。ただそれを視ようとしても視ることはできず、これを聴こうとしても聴くことはできない。そこには音もないし、匂いもない。形もないし、影もない。そうであるから万物の生成は天地における欠けることのない妙処なのである。動静は滞ることなく、往来は止まることがない。長くあるべきは長く、久しくあるべきは久しく、有るべきは有り、無かるべきは無い。これが天地の欠けることのない妙処なのである。「缺ける」とは不適切になるということである。聖人は天地の大いなる「体」を得て、天地の大いなる「用」を働かせている。そうであるから大成して欠けることがないのであり、その働きにおいても円滑を欠くことはない。それは聖人がそうであるばかりではなく、天下の事物には全てこうした「体」と「用」が備わっているのであって、全てあるべきようにして存しているわけである。ただ事の生成にあっては、欠けるところがあるように見えることがある。それは新たに物が生まれる前には、必ず死滅すること、つまり欠けることがあるものである。物が生まれたり、生まれなかったり、欠けたところがあったり、無かったりするのは、その「用」においてである。どうしてか。物事が適切に「用」いられれば、そうしたことはないのであるが、それが適切でなければ欠けているところ(注 天地の造化の働きが円滑に行かないところ)が出てしまう。ただ「用」が適切であれば滞りなく新しい物が生まれるし、そうでなければ生成の働きは円滑を欠いてしまうものとなる。こうした「理」を既に知っていれば、どのような事が成るか成らないか、それが事前に既に失敗してしまっていることが分かるものである。そうなるのは大いなる道の「体」を知らず、大いなる道の「用」が明らかになっていないからである。そうであるから何かを成そうとしても、働かせようとしても欠点ばかりになってしまうのである。ただ聖人は性情(注 物が本来有している働きの傾向)の正理、大いなる道の機微を体得している。そこでは「動」があれば「静」もあるし、「静」があれば「動」もあるのであって静動は一つ

道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(4)

  道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(4) ただファンタジーといっても、そうした逸話が全く価値の無いものか、というとそうでもない。例えば、植芝盛平の銃弾をかわす、といったエピソードで示されているのは、合気道の核心とも言える部分でもある。伝えられているところによれば、植芝盛平は銃弾をよけた時のことを「白い玉のようなものが先に飛んで来るので、それをよければ銃弾も簡単によけられる」と言っていたらしい。また、それを体験した時も、出口王仁三郎と蒙古に入って、そこに大本教の占領地のようなものを作って、予言にある「地上天国を実現しようとしていた時に、モーゼル銃から放たれた銃弾をかわした、というパターンと、東京の日本軍の施設で実験として行った、というパターンがある。これらは「現実性」という視点からすれば、おそらく蒙古での体験がこの伝説のベースであろうと思われ、それが軍での話しに拡大したのではないかと推測される。およそ日本の軍隊はまったくの官僚組織で、面白半分に民間人を的に射撃を行うことはあり得ない。言うならば「銃弾が避けられる」という「おかしな武術家」の鼻をあかすために、自分の軍でのエリートとしてのキャリアを捨てることなどあり得ないということである。盛平には蒙古で銃が放たれた時、それをかわしたと思える体験があったのであろう。実際にその銃弾はかわさなければ当たるものであったかどうかは分からないが。

道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(3)

  道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(3) 武術におけるファンタジー的なエピソードには他にも、植芝盛平が弾丸を避けた、という話もあるし、二十年ほど前には「五俵を担ぐ女性の写真」が「昔の日本人」の優れた身体性を象徴するものと称賛されたこともあった。また江戸から京までを三、四日で走る飛脚の「驚異的な体力」に関心が集まったこともあり、特別な走法があったのではないか、とも考えられていた。こうした武術におけるファンタジーとは、ハリー・ポッターの魔法と同じく「力」への憧れがその根底にあるようである。ただ武術における最も有効な力は最も単純な形、最も普遍的な形において発揮されるという皮肉な現実もある。ただ、それだけでは納得できない部分が武術修行者にはあるようで、そうした中に安易にファンタジーの要素が入り込んでしまう。それが名人譚という空想の枠組みに留まっていれば問題はないが、何らか現実の技として展開されるようになれば、システム全体の崩壊を招くことにもなってしまう。

道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(2)

  道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(2) もう一冊は『秘伝日本柔術』であるが、ここでは大東流のところで胴上げをする数人を合気により一気に潰してしまう、とする佐川幸義の写真が出ている。この演武は武田時宗が古武道大会でも演じて会場から失笑が漏れたこともあった。写真を掲載した松田の意図は分からないが、こうした技が実際には使えないものであることも明らかである。興味深いことに、これもまた片手倒立して蹴る「技」の真似をする人が出たのと同様に、古武道大会で演武もされている。つまり、少し冷静に考えれば、こうした「技」が荒唐無稽であることは明らかなのであるが、何かしら強く心惹かれるものがある、ということなのであろう。本来的には攻防という全く現実的な世界にあるはずの「武術」ではあるが、往々にしてこうしたファンタジーの入る要素は古来からあり、そうしたことが名人譚として語り継がれて来てもいる。

道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(1)

  道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(1) 日本において中国武術と古武道の新しいページを開いたと言って良い好著に松田隆智の『図説中国武術史』と『秘伝日本柔術』がある。前者は同じく松田の『中国武術』の改訂版ともいうべきものであるが、『中国武術』は呉図南の『国術概論』の形式を踏襲したものでもあった。それはともかく興味深いのは『図説中国武術史』に出ている片手倒立をしながら蹴りをする写真である。これは蘇昱彰が演じているもので、一枚は片手で倒立をしながら左右と上に向けて足を蹴り出している写真で、もう一枚は片手で倒立をして斜め上を相手の顎のあたりに向けて蹴っているという感じの写真である。これは少し武術を練習したことがあれば、とても技として現実的に使えるものではないことは容易に分かるが、何故かこの片手倒立からの蹴りを真似する人が多かった。あるいはこうしたものが、よく実態の分からない「中国武術」なるものへの神秘的な力の憧憬を象徴するものとして関心のある人たちの琴線に触れたのかもしれない。

宋常星『太上道徳経講義』(45ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(45ー1) 日月はあらゆるところを照らし、山岳には鉱物が含まれている。天は高く明らかで、地は広く安定している。こうしたことは全て作為をもって出来ているのではない。無為にして生み出され、そうあるべきところがそうなっている。そうであるから天地の大きさ、日月の明るさ、山の安定と川の流れ、人の生成、こうしたものは全て陰陽、動静の機によっているのであり、誤ることの無い太極の理に従っている。そうであるから輝いているべきところは自然に輝いているし、広大で安定しているところは自然にそうなっている。輝くべきところは自然に輝き、流れるべきところは自然にながれている。生成されるべきところは自然に生成されているのである。これらはつまりは等しく同じ「清静の気」によって存しているものであり、その「理」によって成り立っている。ただ「清静の気」には清濁の違いがあり、また「理」においても、それが得られたり、失われたりしている。それぞれの存在には固有の天徳があると思われるかもしれないが、裏表がなく、「理」に合わないところがないのが、つまりは「聖賢」なのである。つまり「大成した人」ということである。もし「清静の正気」が損なわれたならば、そこでは「清静の気」の「理」は失われて、私意が出てしまうことになる。そして結果として生成の働きが失われてしまうことになる。これは「清静の正性」が失われているのであり、こうした人を「大成した人」とすることはできない。この章で天下の「正」とあるのは、こうした「理」が正しく実践されているという意味で使われている。またこの章では「清静」を体として、「正大」を用としているが、この体と用を知る人も少ないであろう。そこには自分が優位に立とうとする気持ちがあってはならず、一方に偏った見方をしてもよろしくない。そうしたことでは大成を期することはできないのである。 〈奥義伝開〉道と一体となった「大成(成功)」「大盈(円満)」「大直」「大巧」「大弁(雄弁)」には、それぞれ反対の「缺(欠いている)」「冲(虚しい)」「屈」「拙」「訥」といった要素が含まれているとする。そうでないものは変化に対応できないから合理的なあり方ではないと考えるのである。自然は変化をするものである。そうであるならば道=自然と一体となった真のあり方においては表面的なものと反対の要素が内包されていて

宋常星『太上道徳経講義』(44ー9)

  宋常星『太上道徳経講義』(44ー9) そうであるから長久であることができるのである。 最後のこの一節は「知足」「知止」ということの意味をより明らかにしたものであり、人が身を有している、ということの意味について述べたものでもある。つまり、この身は四大(地、水、火、風)が一時的に結合しているものに過ぎず、いろいろな感覚も一時なものであるに過ぎない。つまり身とは水に浮かぶ泡のようなものであって、命のあるのはわずか一瞬のことなのである。百歳まで生きられる人も居るが、多くは七十まで生きられる人も稀れである。また道の修行をしている人であっても、長生きのできる人は少ない。ましてや今の人は、限り有る壊れやすい身である上に、不測の事態の起こる危険もあって気を抜くこともできないで居る。真性(心の本質)は永遠に続くが、命(身)はたちまちに終わりを迎える。こうした真霊は「殻」を投げ捨てなければ見えてくるものではない。どのような資産がであっても、高い地位にあっても、ひじょうに高い報酬を得ていても、家には比べることのできない程の価値のある珠を有していたとしても、比べることのできない程の美人を妻としていたとしても、死ねばそれらはことごとく放棄されてしまう。それは自己自身が本来、有しているものではないからである。同様に社会的な名声も、それが得られることもあれば、失うこともある。富も同様である。良い時、悪い時は浮雲のように過ぎて行く。得られたものを失ってしまう。それは稲妻のように一瞬の出来事である。つまりこれらは「長久の道」のものではないのである。もし「長久の道」を得ようとするであれば、ただ「知足」「知止」を実践すれば良い。そうすれば浮き沈みや危機に遭遇することもなく、人生の道のりを「長久」であらしめることができる。つまり「長久であることができる」ということなのである。もし「世情」というものの本質をよく見ることができたならば、「長久の道」というものも分かることであろう。それは名声や富貴を求めて人生設計を考える道ではなく、大きな仕事をして莫大な富を得る計画でもない。日々のなんでもないような行いにおいて、過度な貪りや執着を戒める道なのである。どのような行為にあっても「知足」「知止」を守って行く。そうすればどのように高い地位や、どのように大きな富でも、それを「知足」「知止」であるとして係ることができる

宋常星『太上道徳経講義』(44ー8)

  宋常星『太上道徳経講義』(44ー8) 止め時を知る(知止)と危機に陥る(殆)ことがない。 「知足」が得られれば、適当なところで止めることができよう。「止め時を知る」ことができるのは、一定の満足感を持つことができているからである。一定の満足感を持っている(知足)のは、心が満たされているからである。「知止」とは、止めることを知ることであり、それはやり過ぎて道の範囲を逸脱しないということでもある。またそれは徳の範囲に留まるということでもある。道徳や仁義を体得していれば、止め時が来ても残念に思うことはない。たまたまうまく行ったとしても、熱湯かもしれない湯に手を入れる時のように充分に注意をしながら慎重でなければならない。過度な贅沢にふけることなく、邪なことはしないと心に誓う。どのような行為についても、内に「謹つつしみ」を持って、外に「慎(つましく)」していて好悪の気持ちを持つことなく、利欲によって心が動かされることもないようにする。そうであるから、そこには正しいことや間違っていることの区別はなく、他人も自分も存してはいない。気楽くで自在であって、何らの危険も生まれることがない。これがつまりは「止め時を知る(知止)と危機に陥る(殆)ことがない」ということなのである。 〈奥義伝開〉止め時というのは最も難しいものである。誰でも自分のやって来たことを否定したくないので、決定が遅くなってしまう。そのため老子は「知足」を合わせてあげて、立ち止まることを教えている。現状を肯定する、ということは、これ以上することがない状況にある、と考えることである。状況がうまく行っていても、そうでなくても一応、現状を是認することで、立ち止まることができる。つまり「知足」「知止」は無為を実践する方途でもあるのである。

道徳武芸研究 柔術から柔道へ〜変容したシステム〜(4)

  道徳武芸研究 柔術から柔道へ〜変容したシステム〜(4) 武術の競技化は日本では空手もそれに準じることとなった。また中国でも形の演武をベースに競技化がおおいに進められた。日本でも中国武術の競技化の流れは一時期、注目された。ただそれは広く受け入れらることはなかった。この競技化は大陸において大きく進められたのであるが、かつては競技化されていない台湾の中国武術は「武術」であり、大陸のそれは「スポーツ」である、とする見方もあった。その後、大陸との交流も盛んになると民間では、競技化とは無関係なところで本格的な武術が伝承されていることも知られるようになった。また中国では表演派と武術派の間に日本で見られるような古武道と現代武道といったようなシステム上の違いを見るような捉え方はないが、それは中国の武術の根本が「攻撃型」であるためであり、日本のような古武道(防御型)と現代武道(攻撃型)といった乖離が存していないからである。

道徳武芸研究 柔術から柔道へ〜変容したシステム〜(3)

  道徳武芸研究 柔術から柔道へ〜変容したシステム〜(3) 柔道の試合ではルール上、攻撃することが促されるのも、また攻撃をしないと減点されるのも、柔道の源流である柔術が防御型であったからに他ならない。本来、試合には向いていないシステムであったわけである。日本で競技化された攻防の技術を用いるシステムとしては相撲がある。相撲は技術的には充分、武術として通用するものであるが、けっして相撲が武術とは見なされないのは、それが攻撃型のシステムであるからである。つまりそうしたシステムは日本の武術の伝統と相容れるものではなかったのである。かつての日本人は相撲に「しこ(四股)」「しこな(四股名)」というように、強さを「醜(しこ)」なるものと見なしていたのであった。つまり柔らかなるものは争いを生まない好ましいものであるが、強いものは争うを生む醜いものと認識されていたわけである。ちなみに中国で相撲は武術のひとつであり、呉家太極拳の呉家は相撲をもって清朝に仕えていたとされている。