道徳武芸研究 柔術から柔道へ〜変容したシステム〜(3)

 道徳武芸研究 柔術から柔道へ〜変容したシステム〜(3)

柔道の試合ではルール上、攻撃することが促されるのも、また攻撃をしないと減点されるのも、柔道の源流である柔術が防御型であったからに他ならない。本来、試合には向いていないシステムであったわけである。日本で競技化された攻防の技術を用いるシステムとしては相撲がある。相撲は技術的には充分、武術として通用するものであるが、けっして相撲が武術とは見なされないのは、それが攻撃型のシステムであるからである。つまりそうしたシステムは日本の武術の伝統と相容れるものではなかったのである。かつての日本人は相撲に「しこ(四股)」「しこな(四股名)」というように、強さを「醜(しこ)」なるものと見なしていたのであった。つまり柔らかなるものは争いを生まない好ましいものであるが、強いものは争うを生む醜いものと認識されていたわけである。ちなみに中国で相撲は武術のひとつであり、呉家太極拳の呉家は相撲をもって清朝に仕えていたとされている。


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