道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(8)

 道徳武芸研究 武術とファンタジー〜植芝盛平、銃弾をかわす〜(8)

実際には相手を殺傷することのない武術稽古の世界はある意味でファンタジーの世界でもあり得るわけであるが、これが行き過ぎて、現実の技との混同が生まれるようになると我が身を滅ぼすことにもなりかねない。宮本武蔵はなぜ負けることがなかったのか。これは武蔵自身もよく分からないと述べているが、要するに自分と相手の実力をよく見極めることができたからに他なるまい。武蔵はなんとか勝つことのできる最高レベルの相手をよく選んで試合をして行ったわけである。これが余裕で勝つことのできる無名の相手であれば、名人として名を残すことはできないし、自分より実力が上の武術家と試合をして負けてしまえばこれも名を残すことはできない。なんとか勝てるギリギリの相手を選ぶことが重要であったわけである。武術の修行の第一は孫子も言うように、相手と自分の実力を知ることが、最も重要でなのである。それは自分を深くを知ることで、相手をも深く知ることができるようになる。そして第二は攻防の力をつけることである。ただこの力はいくら練習をしてもきりがなく、やり過ぎると心身をかえって痛めることにもなるので注意を要する。ファンタジーと現実との混同は、自分を知ることにおいておおいに弊害となるものであるので注意を要する。


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