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道徳武芸研究 形意燕形と陳家金剛搗堆(1)

  道徳武芸研究 形意燕形と陳家金剛搗堆(1) 形意拳の十二形拳には燕形拳があるが、その動作と陳家太極拳の金剛搗堆とが、ほぼ同じであるのはひじょうに興味深い。これは相手を引き倒す技で、投げ技の一種と解することができる。地面の上に転がされた状態で攻撃をされると、その力を逃がす場所がないので、大きなダメージを与えることができる。時にニュースなどで倒れた相手を蹴って死に至らしめたと報じられているのを耳にするが、それ程に倒れた相手への攻撃は予想外におおきなダメージを与えることになるのである。また相手を掴んでの攻撃も同様である。形意拳は基本的には相手を掴んで攻撃をする。これは古い武術では一般的に見られるものであるが、現在ではほとんどこうした「技」が套路に内包されていることを知らない人が多いようである。ちなみに太極拳で「掌」の動きがほとんどであるのも相手を掴む意図が含まれていることを知っておくと良いかもしれない。

宋常星『太上道徳経講義』(31ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(31ー6) (戦いに)勝っても良しとすることはない。勝つことを良しとする者は人を殺すことを楽しむ者である。人を殺すことを楽しむような者は、天下を治めることはできない。 優れた人物(君子)はやむを得ない時にだけ軍事を用い、それは自然な行為なので戦えば勝つ(つまり自然な常態が回復される)ことになる。しかし気持ちの上では、それを喜ばしいものとは考えない。人を殺すという悲惨さは、必ず天地の和を乱すことになる。どうしてこうした惨劇に耐えることができようか。そうであるから戦いに勝っても喜ぶことはない」のであり、そのため「勝っても良しとすることはない」とされている。現在の軍事を見てみると、ある麺ではソフト戦略として、自国をよく治めて、他国にはスパイを用いることもある。あるいはハード戦略として残虐な行為をし、多くの人を殺してしまうことがある。こうしたことは全て「勝つことを良しとする」ものである。敵に勝つことを第一として、勝つことだけを望み、人を殺すのを楽しみとしている。こうしたことは人の命を守ろうとする行為によっている。人は危機にある他人を必ず救おうとするし、自分が刑を受けたならば必ず恨みを抱くものである。人心が帰することがなければ、どうして天下を治めることができるであろうか。そうであるから「良しとする者」つまり殺人を楽しむ者は、つまりは天下を治めることはできないのである。 〈奥義伝開〉老子が軍事を好ましくないとするのは、老子の考える「自然」が、あらゆるものの成長を阻害しないことである、と考えるからである。「無為」であり、生命の「自然」の成長のままに任せる。これにより完全なる秩序である「道」が保たれるとする。そうしたものを最も阻害するのが「殺人」であり、それが最も大規模に行われるのが、軍事なのである。「人を殺すことを楽しむような者は、天下を治めることはできない」とあるのが、そうしたことは恐怖政治による統治に見られるだけではない。同様のことは、多かれ少なかれどの国においても行われている。平時には死刑で、有事には戦争で常に人々の恐怖を煽ることを「上」にある者たちは忘れない。

宋常星『太上道徳経講義』(31ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(31ー5) 軍事は「不祥の器(不幸を生み出す道具)」であり、「君子の器(優れた人物を生み出す道具)」ではない。どうしても軍事を用いなければならない時には、とらわれのない心で用いられなければならない。 優れた人物が軍事を用いる。これは普通の人のよくするところではない。それは優れた人物が「右」を尊ぶことになるのであるが、実際のところはこうした人物が喜んで軍事を用いることはない。それは軍事が「不祥の器(不幸を生み出す道具)」」であるからである。そうであるから優れた人物は軍事を用いようとは思わない。どうしても用いなければならない時には「とらわれのない心で用いられなければならない」ということになる。「とらわれのない」とは安らかで静かであるということで、それは武王が紂を討った時と等しく、苦しみの中に喘いでいた民を救うためであった。適切なところで攻撃を止めて、順々と紂を諭した。まさにこれが「とらわれのない心で(軍事を)用い」たのことの例である。どうしても軍事を用いなければならない事態であると判断して、止むを得ず用いたわけで、こうした場合でなければ「とらわれのない心」で軍事を用いることはできない。こうして用いられた軍事は、まったく「不祥の器(不幸を生み出す道具)」とは異なるものなのである。 〈奥義伝開〉現実を直視する老子は自己の唱える教えとの矛盾のあることを、なんとか解消しようとして「とらわれのない心」を持ち出す。つまり無為自然で軍事を用いるならば、それは道に順じるものであると認めることができるとするわけである。これは国王であっても同様である。人の世に争いが生まれるのは、誰かが自然でない行為をした結果である。こうした場合には仕方がないので対抗的な行為として軍事が選ばれることもあるわけである。

宋常星『太上道徳経講義』(31ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(31ー4) 優れた人物(君子)として存している者は「左」を良しとする。兵を用いる者は「右」を良しとする。 社会的な地位は仕事により決まる。修練は自己により決まる。優れた人物として存している者は、すべからく尊大であったり、自惚れたりすることがなく、常に謙遜、卑下の気持ちを有している。そうであるから「柔」であり、それを「道」としている。「和」であり、それを「徳」としている。こうしたことは全て「左」を良しとするところにある。また、兵を用いようとする道は、優れた人物の道とは異なっている。進めば、敵をして進む道を分からなくさせ、退けば、敵をして退く道を分からなくさせる。その防備の整っていない処を攻めて、整っている処を決して攻めることはない。偽りをもって勝ち、詐術を弄することに長けている。そうであるから軍事を用いる道は、「右」を尊ぶのであり、けっして「左」を尊ぶことがないのである。 〈奥義伝開〉ここで突然、「右」と「左」が出てくるが、これは後にあるように吉事は「左」、凶事は「右」とする当時の諺によるもので、左右には特別な意味はない。「左」「右」については、いろいろな説明がなされているが、ここに老子の特別な考えがあったとは認めにくい。左を良しとするのは日本でも左大臣が右大臣よりも上であった、ということもあるし、左は心臓があるのでより重要と考えることも少なくない。ただ、ここではそうした理由を考慮する必要はないであろう。一部に老子は「右」を右腕の利き腕として、そうでない「左」をあえて上位としたとの説明も見られるが、老子は使える、使えないを問題にしているのではなく、自然の理のままに動くことを大切と教えているに過ぎない。自然の理のままに動いたならば「国王」であっても、それは道に順じていることになるのである(第二十五章)。

道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(8)

  道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(8) 気合ひとつで相手を倒すパフォーマンスで話題であった武術ではかつて「武道史は終わった」とする考え方が示されていた。つまりその武術は武術として最高のシステムで、それを越えるものは出現し得ないというのであった。それはそのままに認めることはできないが、しかし別の意味でこの言葉は正しいと考えている。つまり触れないで倒す「技」を技として取り入れた時点でそのシステムは武術として「終わっている=崩壊している」ということである。電波系は日本の「力のぶつからない」ことを理想とする武術の考え方(柔)が、「力を使わない」ことと誤解されたところに生まれたものである。それはある意味で「柔(やわら)」の歴史の原理的な終着点であったとすることもできるのかもしれない。そうであるから極点まで達した「柔」は、新たなものを生み出す起爆剤になる可能性があるかもしれない。この点は大いに期待したいところである。

道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(7)

  道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(7) ちなみに前回に説明した入身投げの「前」(相手)と「横」(自分)の力の使い方は、植芝盛平の「十字」と表現されるものである。こうした形が最も力の拮抗を避けられるものなのであり、それを実現させるためには「合気」(合気道では実質的には「呼吸力」)が充分に会得されていなければならない。それはともかく何時の時代でも、お花畑系や電波系の武術が一部に歓迎されるのは、ここでも触れたような術理をよく理解、体得しようと努力することなく安直に、どのようにしたらより早く、楽に上達することができるか、と考えるためであろう。その中に、如何にも「使えそう」なお花畑系の派手な技や、もはや苦労をして技を習得することのない電波系が歓迎されることになるわけである。勿論、上達法の可能性を模索するのは悪いことではないが、新しい上達法を受け入れるには一定の慎重さも必要であろう。

道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(6)

  道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(6) お花畑系や電波系の「合気道」が生まれるのは、「高度な技」についての認識が曖昧であることによっていることはすでに触れた。合気道では「相手と争わない」ことを前提とする。これは相手の攻撃する力と直接にぶつからない、という意味である。これをモデルとして示すならば、相手が前に進んで突いて来る(前への力)。こちらはそれを避けて踏み込んで腕を横に伸ばす(横への力)。そうすると相手は途中で前に進む勢いを遮られるので後ろに転倒する。これが入身投げの仕組みである。こちらは相手の「前」への力に直接、働きかけをするのではなく、ただ腕を伸ばして「横」への力を生じさせて、相手を転倒させしてしまう、といった間合いで技を行うところに、争わない合気道の理があるのであり、触れないで倒すようなことを言っているのではない。ただ触れないで倒す「技」があると考えた時点でその人には武術的なセンスが無いことは明らかである。

道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(5)

道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(5) 「力を使わない」ことを「高級」とする誤解は「合気」の世界で、悪い意味での「華拳繍腿」を生むことになった。これを私は「お花畑系」と「電波系」とがあると考えている。お花畑系はハプキドーに近いもので、およそ合気などは念頭に無い関節技で、ただただ派手に相手を投げることに終始する。電波系は触れないで倒すような系統である。これはそもそも武術として成立していない。これらは共に合気道が形稽古であるから成り立っているといえよう。つまり投げられる方が、どのような状態であっても投げられる用意があれば、どのような「技」も成立し得るわけである。形稽古の難しさは、それが往々にして「殺陣」になってしまうところにある。それを防止するために乱取りがある。良い技であると思っても、乱取りで試してみると、全く使えないことが分かるものもある。そうした技は稽古の中から消えていくことになる。そうして本当に使えるシステムとしての「形稽古」が、まとめられて来たのである。

宋常星『太上道徳経講義』(31ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(31ー3) 物事において好ましくない物があるとすれば、道を得た者はそうした物には関わらない。 「軍事を好む」ということを、よく考えてみるに、それが「不祥の器(不幸を生み出す道具)」であることは明らかである。もし、これを用いるならば、敵味方が戦うことになり、騒乱状態が生まれ、人々の暮らしは不安定なものとなり、生きとし生けるものはひじょうな苦しみを受けることとなる。飛ぶ鳥は彼方に去り、走る獣も行方をくらましてしまうであろう。「物事において好ましくない物がある」とは、誰にあってもそうであろう。そうであるから「道を得た人」は決して「不幸を生み出す道具である軍事を好む者」を用いることはない。道徳をして民を教化するのであって、無為をして民を服さしめ、征服をせずと も自ずから慕い寄ってくるようにさせる。戦うことなく服さしめるのである。そうしたところで、どうして「軍事を好む者」を用いる必要があろうか。「物事において好ましくない物があるとすれば、道を得た者はそうした物には関わらない。」とは、こうしたことを述べているのである。 〈奥義伝開〉道を得ている人であれば、自然に軍事に関わることはない、と老子は教えている。中国の武術は導引から生まれたとされる。それを象徴するのが少林寺の五獣拳である。五獣拳は「龍、蛇、虎、鶴、豹、猴」などから五つが選ばれているようであるが、本来が伝説であるので、それを細かに考察する必要もあるまい。こうした動物の動きを真似て活力を得ようとすることは古代の名医とされた華陀の五禽戯などにも見ることができる。動物の動きを模倣するシステムにおいては個々の動物の持つ「性」と「能」とを学ぶものとされる。これが少林寺の「洗髄」「易筋」の易筋にあたる修練となる。「性」は獰猛であるとか敏捷、巧妙などの性質を学ぶもので、これにより活力が得られる。「能」は跳躍力、柔軟性、敏捷性などで、これにより合理的な心身の使い方が会得される。こうした「性」や「能」を動物の動きを真似することで得ようとしたのであり、それが後には武術として展開されることになったというのが少林拳伝説である。ちなみに「洗髄」は「性」や「能」として具体的に現れたもののその奥にある「善」なる心身の働きを静坐によって悟ろうとするものである。

宋常星『太上道徳経講義』(31ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(31ー2) 軍事を好む者は「不祥の器(不幸を生み出す道具)」である。 太古の聖なる王は「礼」を考案した。「右」を上として、「左」を下とした。「右」を上とするとは、勝つということである。「左」を下とするのは、謙遜をいうものである。勝つためには、「右」に関係することを重視しなければならない。それは「凶」を主とすることでもある。謙遜とは、「左」を尊ぶことである。これは「吉」である。「軍事を好む」とは軍事を良しとして、それを用いることを楽しむ者のことである。これは必ず物を損ない、命を失わせることになる。天地の和を乱し、国や民を危うくさせる。それはまた(天地の和を乱しているので)災害を招くことにもなりかねない。こうしたことをここでは「軍事を好む者は『不祥の器(不幸を生み出す道具)』である」としている。 〈奥義伝開〉ここは「兵は不祥の器」としてよく知られている一節である。「不祥」とは「不幸」ということであり、あらゆる災厄を意味する。「軍事=兵」はあらゆる災厄を生む元凶であると老子は認識している。しかし、それを持たないでは人は生きていけないものであることも老子は直視する。およそ人にあって、あらゆる「不幸」を招く軍事をなくすことはできない、この矛盾を老子は結局のところ「専守防衛」のレベルで解決しようとする。これは現代でもそれ以上の解決策はないので、およそ人類においてはこのあたりが限界なのかもしれない。ただ「専守防衛」は実際に発動した時にどのような形になるのかは今もって分からない。

宋常星『太上道徳経講義』(31ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(31ー1) 世を治めるのには、道の徳によって人々を導くべきであり、力をして治めるべきではない。社会に道の徳を行き渡らせれば、謙譲の気風が醸成される。人の本来の心の働きである「性」は「善」なるものであり、それによって人の心は成り立っている。力で治めようとすると、不正が横行するようになる。略奪が常態化して、戦乱が生じることになる。よく「不祥の器」である軍隊を持って、自らの行為を誤り、相手を打ち負かしてしまおうとするが、軍隊を持つことが争いの始まりであることを知らない。争いによって得られた利は、そこから害を生むものである。争いによって得られた名誉は、それは本当の誉れとはならいないものである。そうであるから適切に軍事を用いようとするならば、利益や名誉のためではなく、ただ無欲で統制をするだけにする。これは道を知り徳を行う人でなければ、どうして為すことができるであろうか。特に思うのは、この世にある一切の物、一切の人には尊卑や上下があるということである。全てに陰陽、左右がある。全てに吉凶、美醜がある。卑下をするのは吉事であり、それは左の陽位を尊ぶことであるとされる。そうであるから君子は謙譲をする。無欲で兵を使い、戦いに勝っても、それを良しとはしない。また勝てないような相手に勝つことができたとしても、それは無理なことをして勝ってしまったことになるので、これらはすべて凶事となり、右の陰位に配されることになる。こうした陰陽、左右の位置に居るものもそれぞれが慎みを持たなければならない。 〈奥義伝開〉ここで老子は徹底して戦争を批判する。戦争はただ人命を失わせたり、建物などを壊したりするだけではなく、人心に深い傷を与えることになる。そうなると、その悪影響は生活全般に及ぶことになる。また戦争に関して専守防衛やシビリアンコントロールの重要性、それに戦没者の慰霊のあり方についても言及している。こうしたことは現代においてもきわめて見るべき教えであるといえるであろう。

道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(4)

  道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(4) 日本人が古くから良しとしたのは「和」であった。十七条の憲法でも「和」を貴いものとして重視している。現在は「和」は「わ」と読ませるが古い仮名では「やわらかき」とある。つまり「柔」ということである。それが後には柔術となって具体化して行った。これは現在は「力を使わない」と誤解されているが、正しくは「力がぶつからない」とした方が良かろう。こうした「柔」の流れの中から必然的ともいうべくして生まれてたのが近現代の「合気」である。つまり現在の「合気」は日本の文化史的な必然として現れているのであるが、そこには誤解も含まれていた。攻防において「力のぶつかりあいを避ける」のではなく「力を使わない」といった方向が生まれてしまったのである。ただ武術的な観点からすれば力を使って相手を制しようが、力をあまり使わないで制しようが、それは等しい価値を持つものであることを忘れてはなるまい。無闇な「力」の否定は武術を誤った方向に導くことになる。

道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(3)

  道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(3) 「合気」は今日、合気道や大東流だけではなく、いろいろなところで使われている。特に動画サイトなどでは、ちょっと触れただけでおおげさに飛ばされるような仕組みを「合気」と称していることが多いようである。ただ、そうした場合に何をして「合気」としているのかはパフォーマンスを行っている本人も全く分からないようで、なんとなく力を使わないで、相手を操る不可思議な「技法」のことを「合気」としているようである。日本では「力を使わないで相手を制する」ことが武術として高級であるとの認識がある。それは実は古代からの日本人特有の考え方でもあった。相撲で「しこ」を踏むということがあるが、これは元は「醜」であった。相撲取りの名の「しこ名」も「醜名」であった。つまり力の強さが表に出る状態を「見にくい」「好ましくない」とする考え方が古くからあったのである。

道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(2)

  道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(2) 好ましくない意味での「華拳繍腿」の「合気」ではハプキドーなどがイメージされる。ハプキドーには相手と同調する「合気」を見ることはできない。ハプキドーは武田惣角からの伝承であるともされているが、それはそのまま信じることは難しいかもしれないものの、惣角の初期の頃の古い時代の大東流を受け継いでいると考えられないでもない部分がある。それはかつての「合気」は「相手の手首を極める関節技」に過ぎなかったからである。ある方法で相手の手首を極めると全身を制御することができる。これは私見によれば「御信用之手」であり、現在の「合気上げ」である。後に「御信用ノ手」が「合気上げ」と称されるようになると「合気」の語から「感覚」によって相手をコントロールするものと考えられるようになる。そして惣角の弟子の頃になると相手の「気=意識」をコントロールするものと見なされるようになる。つまり単なる有効な崩しの方法であった「御信用ノ手」が、「合気」と呼ばれるようになって、摩訶不思議な「感覚技法」の幻想世界へと飛翔してしまうことになるのである。

道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(1)

  道徳武芸研究 「華拳繍腿」の合気とは?(1) 「華拳繍腿」は中国武術で使われる言葉で、それは良い意味でも悪い意味でも使われるが、要するに華麗であるということである。ただ派手な動きで踊りのようであるとする意味では悪い評価となるが、機能美の極みであるとするならば良い評価とされよう。中国相撲(シュツ角)の名人・常東昇は「花胡蝶」と賞されたがこれは良い意味である。常は強引に技を掛けることなく、うまくいかない時にはすぐに別の技で相手を翻弄していた。それが花の周りを舞う蝶のようとされたのであった。モハメド・アリの「蝶のように舞い、蜂のように刺す」というのと同様で、アリは常に死角に自分を置いて相手の攻撃を避け、またパンチを繰り出していた。常東昇も常に死角を攻めていた。また常は独自の見解による太極拳、常式太極拳も伝えており、そこには多くもシュツ角の秘訣が含まれているという。

宋常星『太上道徳経講義』(30ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(30ー5) 物が「壮」にあるのに「老」へと至っている。これは「不道」と謂われる。「不道」とは「早(すみやか)」であるために言われているのである。 兵は強いて用いてはならない。物も盛んに用いられて(壮)はならない。天地の間にあって、一切の万物には、「生」があれば必ず「死」があるものである。「少」(年)があれば「壮」(年)が存することになる。「壮」(年)があれば「老」(年)も有るわけである。これらは物理の常といえよう。物の理とは、おおよそにおいてそうしたものである。そうであるから兵を用いることにおいても同様である。兵を用いる時には、敵味方が対陣をして、生死存亡をかけて争うが、ここにあって両者の関係は密接であるともいえる。もし「矜(おごる)」ことがなければ、つまりは自分も相手も「伐(そこなう)」ことはなくなる。結果として「矜(おごり)」をして相手を「伐(そこなう)」ことを思い、「驕(あざむく)」ことをして相手をだまそうとしようとする。強いて天下に兵を用いて、その勢いが頂点にまで行くと反動が生まれ、あまりにそれが過ぎると反対に自分を傷つけることにもなる。勝っても、その状態を維持することのできないようになるのである。強さとは、それを長く維持することはできない。つまり「物が『壮』であるのに『老』へと至っている」ということである。ここにおける「理」と物事の変化をする「勢」とは同時である。「これは『不道』と謂われている。『不道』とは『早(すみやか)』であるということである」とあるが、つまりは古より、聖人は道をして兵を用いていた。そうして天下に兵を用いたのである。いまだかつて「壮」は存したことはなく、いまだかつて「老」の存したこともない。そうであるからいまだかつて終わりというものもなかった。もしそうでなければ、「壮」を過ぎれば「老」へと至ることになる。それはどうしようもないことである。そうであるから老子はこうした超越した状態を「誠」としている。「不道」の兵とは、戒められるべきではあるが、世の人は「不道」をよく為すものである。これも戒められるべきであろう。加えて人のように肉身を持つ存在は、この世にあってはうたかたのようなものなのであり、長い人生の旅路も一瞬で終わってしまう。まだまだと思っていても、すぐにこの世を離れることになる。父母に別れを告げて、妻子との

宋常星『太上道徳経講義』(30ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(30ー4) こうして「善」なるものへ戻るわけである。自然においては、あえて「強」さを発揮することは必要ない。つまりは「矜(おごる)」ことなく、つまりは「伐(そこなう)」ことなく。つまりは「驕(あざむく)」ことなく、つまりは「やむを得ざる」ことだけを行う。これらが、つまりは「強」いることがないということである。 軍隊を用いることを考えるに、天下に軍事を用いることは少なくないものである。そして、そこにあるのは「善」であるか「不善」であるかだけである。「善」なる軍事は止む終えざる時に、そうした事態を受けて用いられるものである。こうした時の軍事は「善」でありる。つまりは強いて用いるものではない、巧みな使い方をするわけである。「つまりは」というのは、「結果として」強いてはしないということである。全体を俯瞰してそうせざるを得ない時にそうするということである。これを「つまりは」といっている。例えばろくでもない者が、君子に反乱を起こすと、民や国は害を受ける。行われるべきではないことが為されたからである。こうした状態にあることが「つまりは=結果として」である。このような場合には軍事によって、こうした者を打たなければならなくなる。しかし、こちらの兵が強くても、あえて相手を制圧しようとしてはならない。こちらが強ければ相手を制圧することはできるが、そうしたことをあえてしないのである。こうして止む終えないことだけに軍事を用いるのは、まさに天下の動きに応じて用いるのであり、天下を軍事をして治めようとするものではない。軍事的な強さによって戒められるのは天下ではなく軍事を用いる者でなければならない。そうであるからここに「善」なるものとして「つまりは『やむを得ざる』もの」とあるのである。そうであるから「善」く軍事を用いる者は、あえて強さを求めてはならない。そしてやむを得ざる時だけに一つの方法として軍事を用いる。そうした時にも一には「矜(おごる)」ことがなく、二には「伐(そこなう)」ことがなく、三には「驕(あざむく)」ことがなく、四には「やむを得ざる」時だけに軍事を用いるのである。「つまりは『矜(おごる)』ことなく」とは、自分を低く考えて兵を用いることである。あえて自らの軍隊を誇って相手を見下すようなことがあってはならないのである。「つまりは「伐(そこなう)」ことなく」と

宋常星『太上道徳経講義』(30ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(30ー3) 軍団の居るところでは、土地が荒れて茨が生えて来る。大きな戦いの後では、必ず良くないことがある 「軍事」とは「不幸の機関(不祥の器)」である(第三十一章)とされている。古より聖人は道をして為政者を助けて来たのであり、軍事力を用いることを厳に戒めたのであった。もし、そうしたことがなければ、軍隊は盛んに活動をし、庶民は戦乱に巻き込まれることになって、農家は必ず被害を受け、田畑は荒れてしまうことになろう。つまり、土地が荒れて茨が生えて来ることのないところはないということになるのである。そうであるから「土地が荒れて茨が生えて来る」とあるわけである。軍隊における集団を「軍団」という。軍馬が来ればその土地では、獣は驚いてそれぞれが走り迷う。飛ぶ鳥も地に降りることはない。鋤は用いられることなく、土地は荒れて茨が生えて来る。つまり大軍隊が動いた後には、必ず不作という良くないことが起こるのである。こうした年には疫病が流行し、害虫が野に満ちて、庶民が飢える。盗賊が群生して、街角では暮らして行けず病気でもないのに自殺をして死んでしまう人が出る。考えられないような災いが各地に発生する。こうしたことは全て「良くないこと」の実際である、そして正しい天の道の当然もたらされるべきことでもある。そうであるからここで、大軍を動かした後には、必ず良くないことの起こる年となるとされているのである。もし、日常的に正しい道を修することがどういったものかを理解することがなければ、どのような「小さな土地」も荒れて茨の生えないところはないということになる。心の中では「武器=欲望」が使われ、思いは日々に心を煩わせることになり、魂魄(心身)は時を追って安定を失う。上丹田、中丹田、下丹田はこうして荒れてしまい、血気の働きはこうして衰えてしまう。これは体の中の「良くないこと」ということになる。必ず慎まなければならない。 〈奥義伝開〉老子は軍事そのものが「元凶」の根元であるとして、実質的な被害の他にも天変地異のようなことも引き起こす可能性のあることを指摘する。それは軍隊が自然に反するものであるからである。自然に反する行為はそれが為された分だけは、再び自然な状態にもどろうとする自然の働きがある。これはつまりは「道」である。軍事行為が為されれば必ずその反動があることになる。こうしたことは軍

道徳武芸研究 合気道の実戦技法(8)

  道徳武芸研究 合気道の実戦技法(8) 「気型」の稽古をしていれば、実戦では自由に動けばベストなパフォーマンスが可能となるのであるが、これを可能にするには関節技へのこだわりを一旦は捨てる必要がある。つまり「気型」の稽古とは心身のエネルギーの集中、拡散、安定の三つを適切に練ることにあるわけである。これは植芝盛平も気づいていて、△、○、□の記号を示してそのイメージを表そうとしていた。そして、それは合気道の「気型」を適切に稽古する方法として△は松竹梅の剣、○は正勝棒術、そして□は祈りとして個々に探求は進められていたのであるが、そのシステムとしての完成を見ることはなかった。理想的には次の世代に受け継がれて体系化されて行けば良かったのであるが、剣や棒(杖)は体術の別伝のようなものとされ、祈りは神道的な色彩があるということで廃されてしまった。こうしたエネルギーのパターンを練ることの重要性は中国では△は形意拳、○は八卦掌、□は太極拳として定着しつつあるし、八卦拳では△は羅漢拳、○は八母掌、□は静坐としてひとつのシステムの中でも体系としてのまとまりを持って修練されていた。合気道の実戦技法はそれが自由に動く「技」のないものであっても、幾つかの技(突き蹴り投げ)を考案されるにしても基本となるのは△、○、□の力の使い方、あり方であることは忘れてはならないであろう。

道徳武芸研究 合気道の実戦技法(7)

  道徳武芸研究 合気道の実戦技法(7) もちろん「気型」の稽古をしていれば、入身をして相手の攻撃を回避した「後」の技を展開することも不可能ではない。「気型」で相手との間合い、攻防の呼吸を会得していれば、それによって自由に動けば相手を制する技を展開することは理論上は可能である。それをシステムとして実践しているのが意拳で、意拳でまさに気功そのものといっていいような「気型」が全てのベースとなっている。そうして気を練って心身が安定した状態になれば攻防においてもベストなパフォーマンスが出来ると意拳では教えている。合気道でも「気型」としての関節技を使うという考え方から離れて、自由に打ち合う稽古をすればあえて実戦用の技を用意しなくても自然に体が動いて技となるのである。

道徳武芸研究 合気道の実戦技法(6)

  道徳武芸研究 合気道の実戦技法(6) 「気型」としての合気道を習得して相手の死角に入身で入れたとして、それから展開する「後」の技を合気道は持ち得ないし、また合気道を関節技としてとらえたならば、その「前」にあるべき突き蹴りや投げなどの「技」が必要となる。つまり合気道の実戦技法を考える場合には、「気型」と「関節技」の二つの解釈があるわけである。それでは何故「気型」では入身の「後」の技が無いのか。それは実戦においては暴漢からの攻撃は「回避」できれば良いからで、あえてそれを取り押さえたり、さらなる攻撃を加える必要はないからである。つまりある意味では合気道において実戦での攻防は「後」の技が無くても完結しているわけなのである。当然のことに実戦において例え暴漢であっても必要以上のダメージを与えることは後々に禍根を残す元にもなる。つまり実戦では相手の攻撃を回避して逃げることができれば充分なのであり、それが可能であれば実戦での危機管理は完璧であると言うこともできるわけである。競技試合にしろ真剣勝負にしろ、そうしたシーンは一般的な実戦、護身とはかけ離れた部分のあることを知っておくべきであろう。

道徳武芸研究 合気道の実戦技法(5)

  道徳武芸研究 合気道の実戦技法(5) 「合気道は気型である」と晩年の植芝盛平は言っていたわけであるが、多くの弟子は合気道の関節技がそのままに実戦の「技」であると理解したようである。これは韓国で発達したハプキドーに典型的に見ることができる。ハプキドーがどのように由来したのかは定かではないが、大東流に淵源を持つとされている。ハプキドーでは「大東流」を関節技のシステムとして捉えそれを実戦の場で使えるように様ざなま工夫を凝らした。突きや蹴りを取りれたり激しく巻き込むような動きにすることで掛けることが難しい関節技をなんとが現実に使えるものとしようとしたのである。現在の一部の合気道の指導者の中にはこうした傾向が見られる。これはつまりは合気道の関節技を「気型」ではなく「技」と誤解したためである。また合気道が「気型」であるとは、合気道の中には実戦の「技」そのものは無いということでもある。特に晩年の盛平はオカルト的なところに深く入り込んで自分で合気道の神・天の叢雲九鬼さむはら龍王を感得するなどしていた。こうした盛平にとって攻防の「技」への執着は薄いものとなって行っていたことと、戦争の直後で多くの人に「争い」そのものが忌避される心情の生まれていた時代であったこととも、こうしたことと関係していよう。

宋常星『太上道徳経講義』(30ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(30ー2) 「道」によって為政者を助けるのは、強い軍事力ではない。それは(自然に)還ることを良しとすることである。 これは、まさに当時、老子が兵を用いることが道に反していると、天下を戒めたものとすることができる。「為政者」は実際に政治を取る者であるが、また個人にあっては「心」がそれであるとすることができる。国には「君」があるように、人には「心」がある。そうであるから「君」が正しくあれば国は治まるし、「心」が正しくあれば身を修めることができるであろう。これは自然の理でもある。「君」が正しいのはそれが道にあるからである。「心」が正しいのもそれが道にあるからである。そうであるからよく為政者を助けるものは、道であることが分かる。つまり道こそが為政者を助けるものなのである。そうなれば天下は泰平で、人には戦争による死傷の憂いもなくなる。およそ天下に存するものにあって道へと帰一しないものなどはない。もし強い軍事力で天下に臨むならば、おおいに天地の和が失われてしまうことであろう。民は塗炭の苦しみにあえぐことであろうし、天下は乱れることになろう。天の道にあって軍事力がそれを補完することは決してない。「還ることを良しとする」とあるが、それにはそのための適切な還るべき理がある。「還ることを良しとする」とは、もし自分が軍事的な力で相手に対したならば、相手もまた軍事的な力で対抗して来るであろう。こうしたこともまた自然な帰結であるので、これもまた「還ることを良しとする」ということになる。つまり「『道』によって為政者を助けるのは、強い軍事力ではない。それは(自然に)還ることを良しとすることである。」ということなのである。道を修する者は、あるいは情欲をして「性」という天下を乱すことになる。無明をして心に「武器」を持つことになる。これがつまりは「助けるのは、強い軍事力」ということなのである。つまり、このような「軍事力=欲望や無明」をしては「為政者=自分自身」を助けることなどできないわけである。認識作用が正しく働かなければ、あらゆる「悪魔=正しくない認識」が襲来することとなる。本来あるべき自分の心の働きである「性」という天下は、一日も安静では居られない。心にある主人は、一時も自在であることはかなわない。これではどうして「還るを良しとする」ということになろうか。要するに「道

宋常星『太上道徳経講義』(30ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(30ー1) 三皇(伏羲、女媧、神農)の栄えた時代には、道をして民を教化していた。徳をもって治めていて天下に軍事を用いることの必要を無からしめた。策謀をめぐらす知恵を用いることなく、君主は君主の道を尽くし、臣下は臣下としての道を尽くしていた。父子、兄弟、夫婦、朋友、それぞれがそれぞれの道を尽くしていたのである。そして天下は「道」へと帰していて、人々は平和で楽しく暮らしていた。統治にあっては上下ともに無為であって、これも一なる「道」へと帰していた。つまり天下が一なる心でまとまっていたわけである。天下が一なる心でまとまっていれば、軍事の影を見ることもないし、そうであるから生活にも余裕が生まれる。戦争で名誉を得ることのない軍人は戦うことなくして、そのままで最強といえよう。こうした観点からすれば、戦わないでいられるのが、負けることのない最も強い軍隊ということになる。ここでは「不道」ということが言われている。例えば秦や漢、以来、統治と兵乱、得ることと失うことは同じではなくなった。それは全て「不道」によっているからである。「不道」とは力で他人に勝とうとするもので、天の道にも、人の道にも反している。そうなると強い者が弱い者を害することになる。こうしたところでは太古の純朴な気風に帰ることが求められるのであるが、それが実現されることはない。この章では「強い軍事力をして天下に臨まない」ということが重要であるとされている。もし強い軍事力をして天下に臨んだならば、これは「道」のよっているとはいえない。 〈奥義伝開〉老子は「力」によって拙速に物事を進めることを戒めている。そしてそこには奢りがあるとする。こうしたやり方の最たるものが戦争である。争って相手を制圧して思い通りに事を行おうとする。それは自然に反する行為であり、そこには矛盾が生まれる。そして矛盾を解消するためにまた武力が用いられる。つまり武力を持っている限りは永遠に戦争は終わらないわけである。老子は戦争を「不道」であるとする。つまり道理が分かっていないから戦争をしてしまう、という。もし人類の霊的進化というものがあって、さらに人々が「道=道理」を理解し、戦争の無意味さを知ったならば、その時にはあらゆる軍事行為は終息してしまうのかもしれない。

宋常星『太上道徳経講義』(29ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(29ー5) つまり聖人は極端なことを排し、奢りを捨てて、自分を見失うようなこともない。 ここに挙げられている甚だしいことを排して、奢りを捨て、自分を見失うようなことにもとらわれないというのは、誤った考えによる誤った行動は「自然の道」ではないからである。つまり「自然の道」に外れたことを甚だしいというのであり、それは真の誠の実践されていない、節操のないことである。節操の無いのを奢りというのであって、自分というものの範疇に安住することがない。そうしたことを自分を見失うというのであって、聖人はこのような自分に甘く対し過ぎることはないし、厳しく接し過ぎることもない。慎みをして良しとしており、よけいなことを語ることもない。つまり、これが甚だしいことを排するということなのである。至誠を守り、浮ついたことを望むことなく、真の道のままに欲望にとらわれることがない。これがつまりは奢りを捨てるということである。行動は穏当で、発言も穏やかで、天の命の理のままで、人情に違うことなく、自分を見失うようなことはないということである。聖人はこうした極端であったり、奢っていたり、自分を見失ったりすることはない。先ずは自己を修練して、そして天下を治める。そうであるから天下の統治は、それが意図したとらわれによって行われるのではない。自然の道に順じて、天下は自ずからその道へと帰することになる。特に天下を取ろうとも思わないし、統治をしようともしない。そうであるから失敗をする憂いも全くないのである。 〈奥義伝開〉最後に「自然の道」とは過度に渡らない行動を取ることであると老子は教えている。適切と言っても何が適切か、判断が難しいが、そのひとつの基準となるのが過度に渡らない、ということである。少し足りないくらいが丁度良い、というわけである。どのようなことも、それを求めすぎてはならない。

道徳武芸研究 合気道の実戦技法(4)

  道徳武芸研究 合気道の実戦技法(4) 植芝盛平は「合気道は気型である」としていた。それは「合気道は当身が七分」というのと同じで、合気道とは「入身の間合いを練るシステムである」ということである。「合気道は愛の武道である」とされるのも同様で、先ずは相手の動きに合わせることから始めるわけである。そして相手の動きを掴んでからは、それより少し速く自分が動く(勝速日)ことで、入身をして相手をコントロールする(転換)のである。あるいは「合気道は争わないと言っているのに、相手を投げたり抑えたりしている」ことに疑問を持つこともあるかもしれないが、合気道でいう「争わない」は攻防をしないということではない。始めに相手の動きと同調することを言っているに過ぎない。これを拡大して全てのシーンで「争わない」ことと解釈してしまうと実際との矛盾が生まれてしまう。加えて「合気道の稽古は引力の稽古」とされるのも「争わない」ということの真義を知るに役に立つもので、つまりは相手の動きを導くために相手の動きと同調するところから始めるという意味なのである。

道徳武芸研究 合気道の実戦技法(3)

  道徳武芸研究 合気道の実戦技法(3) 武術というシステムにおいて関節技は「相手を取り押さえる」ためのものであった。そうであるから富木流を初めとする自由に技を掛け合う状況では関節技はほとんど使えず、柔道的な投げ技を主体とする攻防が中心とならざるを得ない。また日本少林寺拳法でも関節技は多用されるが、これも自由な打ち合いでは、突き蹴りが主体で関節技が有効な技として用いられることはないようである。つまり関節技そのものは攻防において使うべき技ではない、ということである。それは相手に一定のダメージを与えた後に取り押さえる方法として有効なのである。つまり実戦では関節技には「前」の段階があるわけで、もし関節技を攻防に使うのであれば、その「前」である突き蹴りや投げが必要となる。この部分が合気道ではシステムとして存在していないわけである。そうであるから合気道の技そのものを攻防に使うことは極めて困難となるのである。

道徳武芸研究 合気道の実戦技法(2)

  道徳武芸研究 合気道の実戦技法(2) 実戦の場における関節技への疑問は日本でも持たれている。突き蹴りを入れて相手が倒れたならば、あえて関節技を掛ける必要はないのではないかというもので、関節技は「死体処理」などといわれることもある。日本の柔術で関節技が発達したのは、武士の心得として殿中などで狼藉者を取り抑えるためであった。一方で投げ技は相撲に起源を持つものであるが、近代では刀を有していない人がそれに対抗するための技法として工夫が加えられた。例えば一本背負いなどは上段から斬りつけられた相手を投げる技法である。大東流に「殿中武術」とされる口伝(御式内という意味不明の語を殿中での技と解する)があるのも、その体系が関節技であることからしてうなずける部分はある。時に大東流では五人が一人の上になって、両足、両手と首を抑えるのを跳ね返して投げる、という演武を見ることができる。これと同様の技は古い柔術の伝書にもある。しかし、その場合は「抑える」方法として載せられているのであって、それを破る技として示されているのではない。因みにこうした場合は相手をうつ伏せに抑えている。大東流のように仰向けで抑えるから破ることができるのであって、うつ伏せに抑えられてしまうと動くこともままならない。こうして見ると大東流の「殿中武術」伝説はあくまで伝説であることが分かる。仰向けで抑えられるような技は実戦上は存在し得ない。仰向けという容易に逃げられる状態で五人もの相手に抑えられるのを待っている人も居ないであろう。

道徳武芸研究 合気道の実戦技法(1)

  道徳武芸研究 合気道の実戦技法(1) 合気道の実戦性を考える場合に重要なことは「関節技とは何か」という視点であろう。中国武術では関節技は擒拿と言われるが、この技法に関しては近現代では教門長拳の韓慶堂が有名であった。教門長拳はイスラム族の中で考案されたもので、実戦性に優れているとされる。それにはイスラム族が中国で大多数を占める漢族から常に抑圧を受けていたという背景があったようである。つまり漢族よりも更に厳しい環境に置かれていたイスラム族の間ではよりシビアに実戦性が追究されなければならなかったわけである。それはともかく韓慶堂は擒拿を紹介した著書に『警察応用技能』という名を付している。つまりそれは関節技=擒拿は本来は「警察」において用いられるものであり、拳術で使うのはその応用であるとする見方である。拳術では打ったり、蹴ったりして相手を制することができるので、あえて関節技を習得する必要はない。しかし警察のように相手を捕獲しなければならない立場であれば、関節技は必要不可欠なものとなる。

宋常星『太上道徳経講義』(29ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(29ー4) そうであるから行うべきを行い、従うべきには従い、息を吸うべき時には吐き、吐くべき時には吐く。強いて行うべき時には強いて行い、引くべき時には引き、満たすべきは満たし、損なうべきは損なうのである。 ただ天下を取るということだけではなく「自然の道」はあらゆるところに存している。そうであるから道に外れた無闇な行動をしてはならない。無理な行いをしてはならないのである。もし「自然の道」に逆らうようなことがあれば、それは我欲を行うことであり、その結果は必ず付いてくる。我欲が盛んであればそれを「吸」い、その活動が乏しい時にはそこに息を「吐」いて(吹きかけて)活性化させるであろう。また我欲をたのむところが「強」ければ、それを「引」き倒そうとする者に襲われることにもなろう。我欲が「満」たされれば、必ずそれは「損」なわれることになろう。これらは全てその勢いのなすところで免れ得ざるものである。そうであるから有為は自然の道ではないのである。ためにそれに害せれられるのである。無欲、無為で自然の道に順じる。それは吸えば必ず吐くのと同じであるし、強いたならば必ず引かなければならないのと等しい。満たされれば必ず損なわれることになるのであり、欲望によって為そうとしても、執着をしてその勢いのままにしようとしても、けっしてそれは成功することはない。また行っても、また従っても、吸っても、吐いても、強いても、引いても、満たされても、損なわれても全ては自然の道で等しいことなのである。 〈奥義伝開〉「自然の道」とは適切な行動を取ることであるとされる。それが具体的にはどのようなことなのかを知ることは難しい。その時、その時で考えて行動するより他あるまい。こうした場合に人は何らかの「規範」を求めたがるものである。それが典型的に現れている(絶対的に価値のある規範として示されている)のが宗教である。ひとつの「規範」を盲信することで心の安寧を得ようとするわけである。確かにそれはあるいは安らかに暮らすための知恵であるかもしれないが、盲信は結局は「自然の道」ではないので、最終的には破綻する以外にはない。

宋常星『太上道徳経講義』(29ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(29ー3) 天下は「神器」である。意図的に用いるべきではない。もし意図的にそれを用いれば失敗してしまうことであろう。もし意図して得ようとすれば失ってしまうであろう。 聖人がこの世にあれば、天下はすべて聖人に帰することとなろう。聖人は天下を取ろうなどとはしないが、そうなる。意図して天下を取ろうとするのは自然の道ではないし、それでは「神器」を保つことなどできはしない。「神器」とは、天子は人民を慈しむというあたりまえのあるべきことの象徴である。つまり、こうした正しいあり方を実行するように天より命じられたり、(例えば王朝の交代のように)天が実行者を改めたりする天の行いを代わって(次に予定された)天子が行う。そうしたところに「神器」の卓越した働きがある。例えば三皇(伏羲、女媧、神農)は至聖であるので、(争うことなく)天下を受け継いで聖なる統治を行ったが、それらは全て天の正しい命を受けてなされたことであった。また五帝(黄帝、顓頊、帝嚳、唐堯、虞舜)が帝位を譲り渡した賢明なる行為も全て天の命を正しく受けて行われたことなのであった。周の湯王は殷の桀王を南巣(安徽省巣県)へと追いやった。武王は紂王を朝歌(衛の首都)に討伐した。これらは全て天が命を改めたことによっている。五伯(斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉の闔閭、越の勾践)は尊い王として、その虚名をして君臨していた。そして互いに奪い争ったが、これもまた天の命を受けてのことであった。こうした天からの正しい命を受けて統治したり、それにより統治者が代わったりするのは、全て「神器」の主とするところなのである。つまり無道から有道へと帰するのもまた「神器」の優れた働きなのであって、よく人の力の及ぶところではない。そうであるから天下の「神器」は「意図的に用いるべきではない」とされている。「神器」が意図的に用いられるべきものでないなら、それは天に順じ、人に応じるものとなろう。しかし、もしそれらが意図的に為されることがあったとしたなら、それは日々にその働きを見ることができるであろう。そこには強いところや弱いところが生まれよう。そうなれば強い者は弱いものから略奪をして、強い者は弱い者を侮ることにもなろう。離合集散の生まれるのである。こうして天下を治めようとしても、失敗することは確実である。これらは全て自然の道ではない。そう