宋常星『太上道徳経講義』(31ー2)

 宋常星『太上道徳経講義』(31ー2)

軍事を好む者は「不祥の器(不幸を生み出す道具)」である。

太古の聖なる王は「礼」を考案した。「右」を上として、「左」を下とした。「右」を上とするとは、勝つということである。「左」を下とするのは、謙遜をいうものである。勝つためには、「右」に関係することを重視しなければならない。それは「凶」を主とすることでもある。謙遜とは、「左」を尊ぶことである。これは「吉」である。「軍事を好む」とは軍事を良しとして、それを用いることを楽しむ者のことである。これは必ず物を損ない、命を失わせることになる。天地の和を乱し、国や民を危うくさせる。それはまた(天地の和を乱しているので)災害を招くことにもなりかねない。こうしたことをここでは「軍事を好む者は『不祥の器(不幸を生み出す道具)』である」としている。


〈奥義伝開〉ここは「兵は不祥の器」としてよく知られている一節である。「不祥」とは「不幸」ということであり、あらゆる災厄を意味する。「軍事=兵」はあらゆる災厄を生む元凶であると老子は認識している。しかし、それを持たないでは人は生きていけないものであることも老子は直視する。およそ人にあって、あらゆる「不幸」を招く軍事をなくすことはできない、この矛盾を老子は結局のところ「専守防衛」のレベルで解決しようとする。これは現代でもそれ以上の解決策はないので、およそ人類においてはこのあたりが限界なのかもしれない。ただ「専守防衛」は実際に発動した時にどのような形になるのかは今もって分からない。


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