宋常星『太上道徳経講義』(31ー6)

 宋常星『太上道徳経講義』(31ー6)

(戦いに)勝っても良しとすることはない。勝つことを良しとする者は人を殺すことを楽しむ者である。人を殺すことを楽しむような者は、天下を治めることはできない。

優れた人物(君子)はやむを得ない時にだけ軍事を用い、それは自然な行為なので戦えば勝つ(つまり自然な常態が回復される)ことになる。しかし気持ちの上では、それを喜ばしいものとは考えない。人を殺すという悲惨さは、必ず天地の和を乱すことになる。どうしてこうした惨劇に耐えることができようか。そうであるから戦いに勝っても喜ぶことはない」のであり、そのため「勝っても良しとすることはない」とされている。現在の軍事を見てみると、ある麺ではソフト戦略として、自国をよく治めて、他国にはスパイを用いることもある。あるいはハード戦略として残虐な行為をし、多くの人を殺してしまうことがある。こうしたことは全て「勝つことを良しとする」ものである。敵に勝つことを第一として、勝つことだけを望み、人を殺すのを楽しみとしている。こうしたことは人の命を守ろうとする行為によっている。人は危機にある他人を必ず救おうとするし、自分が刑を受けたならば必ず恨みを抱くものである。人心が帰することがなければ、どうして天下を治めることができるであろうか。そうであるから「良しとする者」つまり殺人を楽しむ者は、つまりは天下を治めることはできないのである。


〈奥義伝開〉老子が軍事を好ましくないとするのは、老子の考える「自然」が、あらゆるものの成長を阻害しないことである、と考えるからである。「無為」であり、生命の「自然」の成長のままに任せる。これにより完全なる秩序である「道」が保たれるとする。そうしたものを最も阻害するのが「殺人」であり、それが最も大規模に行われるのが、軍事なのである。「人を殺すことを楽しむような者は、天下を治めることはできない」とあるのが、そうしたことは恐怖政治による統治に見られるだけではない。同様のことは、多かれ少なかれどの国においても行われている。平時には死刑で、有事には戦争で常に人々の恐怖を煽ることを「上」にある者たちは忘れない。


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