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宋常星『太上道徳経講義』(29ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(29ー2) 天下を取ろうとしても、それは自分ではどうにもならないことであると分かる。 正しい考え方を持たない者が、いろいろと妄想してもそれが実現することはあるまい。ましてや天下を取ろうとするような大きなことはできるはずもないし、またそうしたことは自分がどうこうしようとしてできるものでもない。そうであるべきことではないのである。古えの聖人を見てみるのに、聖人はやむを得ないことだけをしていた。どうしてもしなければならないことだけをしたのであるから、例え名誉が得られてとしても、当然のことをしたまでと思っていたので、そうしたことにこだわることもなかった。例え名誉が与えられたとしても、それに左右されることはなかったわけである。時によっては良い時もあるし、悪い時もある。事によってはその変化によって、やらなければならなくなる事もある。例えば舜が天下を守り、周の武王が殷を討って天下を取ったようなこともある。知っておかなければならないのは、これらは舜や武王が求めて行ったことではないということである。やったことは違っていても、その「道」とするところに違いはなかったのであり、これらはすべてどうしてもしなければならないことがなされたのである。取ろうとして取ったのではないし、行おうとして行ったのでもないことを見るべきである。老子には過去を手本として今を批判する意図がある。そうであるから「天下を取ろうとしても、それは自分ではどうにもならないことであると分かる」としているのである。 〈奥義伝開〉「天下を取る」ということで表現される「統治」は「無為」において為されるべきと老子は教えている。かつての聖なる王は、どうしてもやらなけばならないからあえて「統治」をしたのであって、その根本には無為があった。自己が意図したのではなく「自然」に行うべきことをやった、それを行った結果が「統治」となったわけである。このように無為自然とは何もしないことではなく、行うべきことを行うことにある。現在、多くの人は行うべきことを行わず、行わなくても良いことを熱心にしている。そうであるから、こうした中に社会の矛盾が生まれるのである。

道徳巫覡研究 「武」と「舞」の身体文化(4)

  道徳巫覡研究 「武」と「舞」の身体文化(4) 王子和は高弟の鄧時海が太極拳を練習する時に音楽を流すのをひどく嫌っていたという。しかし鄧時海は何人かが同時に太極拳を練習するにはテープから流れる音楽に合わせた方が普及には便利であると考えたのであるが、王子和は太極拳はあくまで個々人の内的な衝動によって動くべきものであるとする本来の考え方にこだわっていた。太極拳は例え抽象化された動きではあっても、実戦が想定されていて、その心身の変化の「衝動」によって動きは導かれるべきとされている。これは気の変化の機会ということで「気機」ともいわれる套路を練ることで生起された心身の変化に応じて動きはなされなければならない。太極拳の心のあり方としては攻防の形を相手を想定して練るのではなく、ただ無心に練ることが求められる。そのためには套路そのものに攻防の気機が含まれていなければならない。そうであるからゆっくり動けば太極拳になる、というものではないわけである。そうして適切な変化を行うことのできる心身を修練して実戦に臨むわけである。これは太極拳ばかりではない武術全般にいえることでもある。そしてこうした中に「機能美」としての芸術性が育まれる。こうしたことが分かれば大陸で盛んな「表演」武術の無意味さも理解されることであろう。

道徳巫覡研究 「武」と「舞」の身体文化(3)

  道徳巫覡研究 「武」と「舞」の身体文化(3) すでに見てきたように「地域の身体文化」として「舞」と「武」に共通するものを見出すことは可能であるのであるが、こうした認識が持たれるようになったのは近代以降で、その根底には文化的に「舞」の方が「武」よりも高いとする考え方がある。そのため現代では武術家が音楽などに合わせてパフォーマンスをすることもあるが、そこに「芸術性」を見ることは難しい。それは武術の形が全くの実用によるのであり、その「芸術性」もそこに起因しているからである。そうしたところに何らかの(例えば音楽のような)装飾的な要素が入ると、それはむしろ武術の「芸術性」を高めるのではなく、武術の持つ「機能美」を損なってしまうことになるわけである。つまり舞踊と武術では、その芸術表現の基盤が全く違っているわけであるから、武術を舞踊的に演ずることに何らの意味もないわけである。

道徳巫覡研究 「武」と「舞」の身体文化(2)

  道徳巫覡研究 「武」と「舞」の身体文化(2) 本部御殿手では「舞」と「武」の共通性を説いているが、そこで示されているのは実質的はに八光流の合気の手であり、琉球舞踊と直接的な動きの関連性を見ることは難しい。ただ地域や時代の身体文化ということであれば舞踊と武術は、ひとつのカテゴリーに入るものであるので、そこに類似を見ることは可能であろう。とりわけ交通、情報の流通が盛んでなかった時代には地域ごとに特色のある生活形態が維持されていた。そうした中に身体文化というべき「所作」も独特のものが育まれていたのであった。例えば心眼流には「ムクリ」という相手を一回転させる技法があるが、これと共通する身体文化には岩手に伝わる鬼剣舞(おにけんばい)にカニムクリという舞がある。これも相手の体を一回転させる動作で、背中合わせの二人が回転を続けるものである。心眼流は仙台藩を中心に伝承されたようであるが、ムクリといった東北に伝承された身体文化の中にそれはあったわけである。つまり「武」と「舞」との共通性をいうならば身体文化というかなり広い視野に立たなければならないのであって、「舞」を練習しているから「武」も使えるといったレベルではないことは明らかである。

道徳巫覡研究 「武」と「舞」の身体文化(1)

  道徳巫覡研究 「武」と「舞」の身体文化(1) 「武」は「舞」であるとしたのは、八光流の奥山龍龍が初めではないかと思う。これを受けて本部御殿手の上原清吉が「武」と「舞」との関係を「奥伝」として体系的に伝えるようになる。本来、琉球では芸能は武士の修めるべきこととされていた。十七世紀に羽根地朝秀が王府の改革を行い能吏を起用することを目指したが、その時にも「算術」や「馬術」に並んで「謡」や「唐楽」などが武士の修めるべきこととして挙げられている。琉球王府において芸能は外交接待の場で役に立つものであった。ただ日本では江戸時代までは「武」とは「弓馬の道」であり、弓術や馬術がその中心であった。そのため「武」がすなわち「舞」であるとする発想そのものが生まれる土壌がなかったのである。確かに柳生宗矩などは能をひじょうに好んだとされる。また能や謡は多くの武士の間で嗜まれたのも事実ではあるが、それが武術と関係付けられるということはなかったのである。ちなみに囲碁も武士の教養のひとつとして人気であり、兵略を考える助けとなるなどと言われることもあったが、囲碁そのものが兵法と等しく見なされることはなかった。

宋常星『太上道徳経講義』(29ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(29ー1) 自然の道は、これを守ることは重要であるし、これを行うことで利を得ることができる。また、これを守るとは天の徳を自分が有するということでもある。そうなると無欲、無為であるので失敗をする心配もない。そうであるから道を守ることは極めて重要なのである。「自然の道」を行うとは、つまり道を実践するということである。いろいろと思いをめぐらすこともなく道を実践すれば利を得られないことなどない。老子は「神」と「気」をいう。これはつまり「天地」が「自然」であるので、形を持つものと気とが(神を介して)感応するということである。こうした不可思議なことはあらゆる物事において存している。「日月」は「自然」であるので、陰陽の二気によって生を養い、神光が輝いている。聖なる帝と優れた王は、自然をして道として実践していた。天の道をして天下を治めていたのである。文武の重臣も自然をして道として国政を行い国を安定させていた。「自然の道」はつまり、天下の「神器」なのである。修行者ははたしてよく天然自然のままで居ることができているであろうか。自分ひとりで自然を楽しみ、自然の妙を得ているであろうか。こうした境地は鬼神も知ることはできないし、世俗の人は見ることもない。自然は近くは心身や(本来の自己の心と体の働きである)性命にあり、遠くは天地、万物として現れているのであるって、あらゆるとことで自然でないところはない。この章では上にある者が有為をして事を行うことを深く戒めている。「神器」を妄りに使えば、つまりは失敗をして多くの害を生むこととなるのである。 〈奥義伝開〉老子は「天下」は「神器」であるとする。本来「器」とは何らかの有用性を持つもので、それは自然のそのままではない有為の存在である。「天下」も人間社会が作り出した統治形態であるからこれは有為のものであるのであるが、老子はそうした統治形態を限りなく自然に近づけようとして「天下」は「神器」であるとする考え方を出している。「天下」は「神器」であり、「自然」に限りなく近いものであるから、それは無為をして統治されなければならない。こうした無為の統治は太古の聖なる王の時代にはあったが現在は失われてしまったと老子はしている。つまり現実の統治者には何ら神聖なる権威などは無いのであり、それをあたかも有するように見せているだけであると教えてい

宋常星『太上道徳経講義』(28ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(28ー5) 「撲」が分けられれば「器」となる。聖人はそれを使うと国家のリーダーとなる。つまり「大いなる制度は分けることはできない」ということである。 先に挙げられていた「雌雄」「黒白」「栄辱」は大道の「機」と「用」をであり、それはあらゆるところに現れている。また潜んでいる。つまりあらゆるところに「雌雄」「黒白」「栄辱」があるのであり、これが世に用いられるのは「『撲』が分けられれば『器』となる」のと同じである。「撲」とは混沌たるこの世の本源のことである。「撲」が「撲」のままである時には、大きくても小さくても、曲がっていても真っ直ぐであっても、長くても短くても、四角でも円でも、どこにでもそれは存している。しかし「撲」が分けられてしまうと(用途を持つ形である)「器」となってしまい、それが大きければ、小さくあることはできないし、それが小さければ、大きくあることはできない。それが曲がっていれば、真っ直ぐである事はできないし、それが真っ直ぐであれば曲げることはできない。それが長ければ短くすることはできないし、それが短ければ長くすることはできない。それが円であれば四角とすることはできないし、四角であれば円にするとすることはできない。またそれが分かれる前の「撲」に戻ろうとしてもけっして戻ることはできない。大道が廃れて仁義が現れてくるようなもので、ここでは「撲」がそのままであることが、大道を保つことであることを言っている。そうすることで天下を純朴、素朴な本来の状態へと返すことが可能となるとする深い意味がここでは込められている。そうであるから「『撲』が分けられれば『器』となる」とあるのである。およそ天下にあって有為でなされるものは「器」でないものはない。先に老子が述べていた「雌雄」「黒白「栄辱」も、これらは天下の「用」である。つまり「器」なのである。しかし、もし聖人がそれを用いたならばそれは「器」とはならない。そうであるからそれを「国家のリーダー」としている。「国家のリーダー」とは公にあって私を持たない。これは国に仕える者であり、あらゆることにおいて中心となるのがリーダーであるから「国家のリーダー」とは天下において「至公」たる公的な存在なのである。天下にこうした存在があれば、天下はよく治まる。聖人は大道をして「国家のリーダー」のベースとする。「雌雄」「黒白

宋常星『太上道徳経講義』(28ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(28ー4) その「栄(ほまれ)」を知って、その「辱(はじ)」を守るのは「天下の谷」である。「天下の谷」であれば、常なる徳は十全となり、また「撲」へと帰ることになる。 「栄」「辱」の一方に執することがない。たとえば草木の茂るのが「栄」であり、草木の枯れて行くのが「辱」である。また富貴であるのは「栄」で、貧賤であるのが「辱」である。ただこれらに限ることなく、およそあらゆる物で(大道の)「理」のままであれば「栄」であり、そうでなければ「辱」ということになる。ただ「栄」は人の好むところであって、「辱」は人の嫌うものである。そのように好悪は違っているのであるが、もし、その「理」を得ることができたならば、「辱」の中に「栄」を見出すことができるが、もし「理」を得ていなければ、「栄」は「辱」と等しいものとなってしまう。そうであるから聖人は「理」を尊ぶのであり、「栄」と「辱」そのものを比べることはない。もし「栄」と「辱」の理を知ったならば、それらは自分の外で起こるものであり、本来の自己である「性」に発する自分自分のことではないことが分かる。そうであるからどちらを取って、どちらを捨てようと思う心が生じることもないし、どちらかを好み嫌うこともない。生死も富貴もその心を動かすに足ることはなく、名誉や利得、金銭欲も、その気持ちを乱すに充分ではない。もし天下が栄えれば、栄えていると思うだけである。そうであるからその繁栄を保つことが可能なのである。世の中が恥ずべき状態(辱)となれば、その「辱」を守っている。そうであるから天下は「辱」に陥ることはないのである。こうしたことを「その『栄』を知って、その『辱』を守る」としている。よく「栄」を知って、「辱」を守ることを考えてみると、「知」るとは人々の好むところを「知」るわけで、「守」るのは人々の嫌うところを「守」るのであるが、聖人はそれを嫌うことはないのである。好むことも、嫌うこともない。虚心をして世の中に対する。つまり「虚」と「谷」とは同じなのであって、「虚なる谷の神」となれば物事に適切に応じることができる。そうした聖人の心はあらゆるものを受け入れるが、それにとらわれることはなく、またもし「栄」や「辱」に出会ったとしても、そうしたことに心がとらわれることはない。そうであるから「天下の谷」となるのである。谷神は常に円満であり

道徳武芸研究 八卦掌における定・活・変と腿法(4)

  道徳武芸研究 八卦掌における定・活・変と腿法(4) 龍形八卦掌では他の伝承には見られ無い足を浮かせる姿勢を取るが、これは扣歩、擺歩のところに截腿や暗腿が含まれていることを示すためである。本来の八卦掌では基本である扣歩、擺歩をしっかり鍛錬して内夾勁(内股の力)を養わなければならない(定架子)。一般的に龍形八卦掌はこうした足をあげる活架子・截腿や変架子・暗腿の「変化」のみが示されていて、定架子が練られることはない。龍形八卦掌は形意拳の龍形拳の変化として位置付けられている。龍形にある狸猫倒上樹は採腿を示すが、これは截腿、暗腿の基本である。採腿で前に踏み出すのは相手の動きを止める截腿であり、そこからいろいろな蹴りに変化をすると暗腿となる。形意拳の五行拳で崩拳の回身式だけが猫狸倒上樹をとるのはあえて截腿、暗腿を入れるためであり、龍形八卦掌の足を浮かせる動作も原理としては同じく截腿、暗腿を含んでいる。

道徳武芸研究 八卦掌における定・活・変と腿法(3)

  道徳武芸研究 八卦掌における定・活・変と腿法(3) 八卦掌には暗腿や截腿といった腿法がある。それらは六十四とか七十二などがあるとされる(七十二暗腿など)。どうして伝承者によってこうしか数の違いが生まれているかというと、それはあくまで八を基本として、偶数である「八」を陰、奇数である「九」を陽として陰陽を合わせ持つということで、たとえば七十二であれば「八」と「九」とで七十二を得ているからである。六十四は「八」に陰の八と陽の八があるとして、これを重ねてこれも陰陽を備えるという意味がある。して使う腿法として展開される。回して使う分脚は相手の足を刈るように用いられる。これら七十二截腿あるいは暗腿の「七十二」の陰陽(八と九)であることは既に述べたが、これらは具体的には「扣歩と擺歩」である。要するに八卦掌の腿法の全ては扣歩と擺歩で成り立っていることをこれは表している。それをそのままに練るのが定架子である(扣歩、擺歩を練る)。

道徳武芸研究 八卦掌における定・活・変と腿法(2)

  道徳武芸研究 八卦掌における定・活・変と腿法(2) 中国武術を代表するということもできる「七星歩」と「玉環歩」であるが、これは形意拳と八卦掌の歩法の特徴をいうものとすることもできる。形意拳・五行拳では砲拳にこの歩法が使われている(五行拳の応用変化ともいうべき十二形では多用される)。また横拳は古い形では「七星歩」に近いが、新しい形は「玉環歩」に近い歩法となる。こうした変化はおそらくは八卦掌の影響であろう。「七星歩」の良いところは直線で相手に対するので強い反撃をすることができるところである。一方「玉環歩」は相手の背後にまで回り込むことができるものの相手は自分の横に位置することになる。ために打撃力はやや落ちる。ただ相手の背後という完全に無防備なところから攻撃できるのは効果の点では「七星歩」と比べて何ら遜色のあるものとはならない。ちなみに形意拳の横拳は体当たりを主目的とする。現在の「試合」では体当たりを見ることはほぼ無いが、昔は竹刀剣道でも体当たりはよく行われていた。体当たりはうまく当たれば意外に効果は大きい。

道徳武芸研究 八卦掌における定・活・変と腿法(1)

  道徳武芸研究 八卦掌における定・活・変と腿法(1) 八卦掌には定架子、活架子、変架子の三つがある。これらについてはいろいろな説明がなされているが、極論をするならこれは「歩法・腿法」の違いをいうものであるとすることができよう。八卦掌における歩法は単に「歩き方」ではなく、歩法が身法を導き、身法が歩法生み出すものであって、歩法と身法は一体であるとされる。そのため単なる歩き方と区別する意味で「腿法」と称することもある。中国武術では歩法は特に重視されており、有名なものに「七星歩」や「玉環歩」などがある。これらは共に「入身」の歩法で、横に移動して相手の攻撃をかわして反撃することを可能とする。「七星歩」は全体として直線的な移動であるのに対して「玉環歩」は回り込む歩法となる。歩法における連環性が、よりよく工夫されているのが「玉環歩」ということになる。

宋常星『太上道徳経講義』(28ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(28ー3) その「白」を知って、その「黒」を守るのは、天下の式である。天下の式とは常の徳そのままであり、無極へと帰ることでもある。 この世のあらゆるものには、全て「白」と「黒」といった理に分けることができる。ただ「白」「黒」といっても、白色や黒色に限っていうものではない。それは天に属することであれば「昼」と「夜」であり、例えば「昼」は「白」であり、「夜」は「黒」とすることができる。地に属することで「金」と「水」であれば、「金」は「白」で「水」は「黒」とすることもできる。物事には「明」と「暗」がある。「明」は「白」で「暗」は「黒」とすることができよう。また出来事には「善」と「悪」とがあるが、「善」は「白」で「悪」は「黒」とすることができる。これらは全て「白」と「黒」の理をいうものなのであって、白色や黒色に限ることではない。老子はここで「白」と「黒」を言っているが、それについての「知」と「守」の奥義をよく知らなければならない。つまり「白」を知るのは簡単であるが、「黒」を守るのは難しいのである。もし「黒」を守ることができなければ、「黒」の中に「白」を得ることはできない。「黒」を守ることがなければ、「黒」をして「白」に還元することはできない。これを老子は「その『白』を知って、その『黒』を守る」と言っている。それはまさに「黒」の中に「白」を生ずるということである。これは「黒」の本源である「白」に返って「白」に帰するということの奥義でもある。こうした奥義は、天にあっては月を見ても知ることができる。月の「魄」は本来「黒」いのであるが、もし日中に「魂」の「白」を得ることがなければ、夜に月の光は「白」く輝くことはないのである。月の「魄」の輝くことはないのである。そうして三十日目には晦(みそか)と朔(ついたち)の間、新月から新しく月が出る間に、月と日がひとつになって、新たに「白」い月の部分が生まれて来る。晦と朔の間は「虚」が極まっているところであり、魂魄が混沌としていて、天地の元気の存しているところなのである。つまり月の「魄」は自然の内に日中に「魂」を得ているのであり、日中に「魂=白」を得ていれば、自然に月の「黒」の中に「白」を生ずるのである。(さまざまな)「情」が(本来の心の働きである)「性」へと帰する。これが初めの三日である。この時、月は西から出てくる

宋常星『太上道徳経講義』(28ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(28ー2) その「雄」を知って、その「雌」を守ることができるのが「天下の渓」である。「天下の渓」となれば、常なる徳と離れることがなく、また「嬰児」に帰ることができる。 「雄」と「雌」は、そのどちらかが重要であるということはない。この世の万物にはすべて「雄」と「雌」の「理」があるものである。それは、この世の万物にはすべて「雄」と「雌」との「道」があるということでもある。「雌」とは陰である。「雄」は陽である。陰は静を陽は動を主とする。その「雄」を知ることができるとは、その「動」を知ることができるということになる。その「雌」を守るとは、その「静」を守るということになる。「雄」を知って「雌」を守る。つまりその「動」を知ってはいるが、無闇に動くことなく「静」を守るということである。こうした中にこそ「静」における優れた「動」の働きが生まれるのである。この機微の詳細を考えて見ると、それはただ「守」というところにある。もし「知」って「守」ることがなければ、これは無闇に動くことになってしまう。「静」を守ってはいるが「動」を知ることがなければ、これは何らの役にも立たない「守」りである。聖人は「雄」を知って「雌」を守っているので「動」と「静」とが適切であり、「陰」と「陽」とが和合している。あらゆることにおいて大道の「理」そのままであり、あらゆることが滞りなく行われている。物事に応じて大道の「理」を理解して、適切に対応をしている。天下の徳でここに帰しないものはない。そうであるから「その『雄』を知って、その『雌」を守れば」、天下の徳は、ついには自分に帰することになるのである。つまり「自分の徳」は「天下の渓谷」と同じとなるのである。それはいろいろな流れが自ずから集まって「自分」へと帰するようなものである。そうであるから「天下の渓」としているのであり、多くの流れが自分へと帰して、つまりは「自分の徳」と「物事の徳」とが一体であるということになるのである。そうであるから自分と他人とは一体であり、そうであるから他人も等しく「徳」と有していることになる。つまり徳と天下は離れることのないものなのである。それを「天下の渓は、常なる徳と離れることがなく」とする。常なる徳が天下と一体で離れることがなければ、天下の民もそれぞれに徳を持っているということになる。そうであるから全ての人は

宋常星『太上道徳経講義』(28ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(28ー1) 無の中の有は、大道の基本であるとされている。有の中の無は、大道の応用である。基本ということで言うなら、無の中に有があるわけではあるが、それは有として何か特定のものが存在していることをいっているのではない。また有の中の無とは、それは何も無いということではない。つまりこれらは大道の基本や大道の応用を言おうとするものに過ぎない。つまり、大道の基本も応用も、これらは共に「無」によって求められなければならない、ということなのである。終始「無」を基本としているわけである。「無」であるからそのもの自体を求めることはできないとしても、大道が実際に働いていることの事実において「実理」は求め得ないものではない。それは確かにそれ自体を見ることはできないが、それは造化の働として現れている。つまり生成の様子は見ることができても、そこに働いている「実理」そのものを見ることはできない、ということである。そうであるから聖人は、大道が実際に行われているところをよく極めて「道」そのものを知ったのである。つまり実在するもの(有)を通して、そこに働く「無」を探ったわけである。大道の基本も応用も自然に現前している。大道の有も無も自然に現れている。この章では「天下の渓」(あらゆるものが集まるところ)を「天下の式」(あるべきあり方)とする、とあるが、天下の「谷=渓」には、つまり有(いろいろな事象)を通して無(実理=大道)を求め得るという深い意味が込められているのであり、これは「理」を極めて「道」を知るということでもある。かつて老子はよく道を知る人として「上士」という語を出していたが、「上士」だけが本当に道を悟れるのであろうか。果たして「上士」だけが万法帰一の法則をよく理解し得るのであろうか。また虚霊の本当の信義に達しているのであろうか。「常なる徳」は「自然」である。ただそれだけであり、「常なる徳」が「自然」であること以外のことはない。「常なる徳」と「自然」とはいつも一体なのである。この章で老子は己を修めて、他者との適切な関係を得ることの方法としての道を説いている。 〈奥義伝開〉老子は第四十一章で「上士」の語を出して、「上士」は道を聴いたならばすぐに実践する、としている。また人々の中には「中士」「下士」が居て、これらは道を知ってもたいして重んじることがなかったり、まったく

道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(8)

  道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(8) 中国では四庫全書という知の集大成ともいうべき本の収集事業が清の時代に為されたが、そこではあえて最先端の軍事技術書は入れなかったという。それは全書という形で多くの人の眼に触れて使われることを危惧したためとされる。優れた軍事技術とはいうならば大量殺戮の技術である。そうしたものは例え「善」のためでも、使われない方が良いと考えたわけである。歴史を重んじる中国では「善」「悪」が時代によって簡単に変わってしまうものであることを知っていた。一方で人を殺すことはいうならば絶対の「悪」である。人類の絶対悪ともいうべき殺人の前には相対的な善悪観などは無視して否定がなされても構わないと考えたのであろう。武術はあくまで殺人に係るものであるから、それを競技化して、巧みな殺人技術を競うことはけっして好ましいことではない。オリンピックも国を単位として争うことは国家意識の高まりを促すもので、世界の人々が等しく和合する道からは外れている。そうでなくても人と人が集えば争いは生まれるものである。それをあえて運動の場面まで持ち込むことは必要ないのではなかろうか。

道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(7)

  道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(7) 実戦は勝つことを前提として始めることはできない。必ず負けることを視野に入れておかなければならない。そのためには「攻防の能力を高めすぎない」ことも重要である。人は「力」を持てばそれを使いたくなる。それはどのような「力」でも同じで、政治的な力でも金銭的な力でも、暴力的な力でも、ひとたび他人に優越した「力」を持ったならばそれを使いたくなるものである。そうであるから自分で抑制出来る範囲で、そうした「力」を持つべきであって、それを過度に追い求めてはならないわけである。この意味では太極拳や合気道はひじょうに好ましいといえる。これらは実戦とある意味で「一定の距離」を置いている。そうであるからに実戦に全く不安がない、といった類の「幻想」を抱かなくても済むのである。しかし実際の攻防になると未修練の人よりは遥かに優れた働きが可能であることもまた事実である。中国で一人形の武術が多く練られる原因のひとつが実はこうしたところにある。それは「泳ぎに長じた者は溺れて亡くなり、武術に長じた者は打たれて亡くなる」とする諺のあることでも分かろう。すべからく欲望というものは追究し過ぎてはかえって身を滅ぼすことになるのである。

道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(6)

  道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(6) 実勢の場において瞬時に的確な判断をするためには、そうした状況に身を置く訓練をしていなければならない。それが形稽古である。形稽古の第一は実戦の場合に冷静であることができるようになることにあり、第二として技を取得して攻防においてそれを優位に展開できるようになることを目的とする。勿論、こうした技術を使うにしても冷静であることが大切であるのは言うまでもなかろう。つまり、勝つことだけを考える競技試合を前提とするスポーツ武道と実戦を大前提とする武術とではそのシステムが全く異なっていることを忘れてはならない。つまり競技試合を前提とするスポーツ武道では、勝つことだけを考えて対戦をしても、互いに安全が保たれるように工夫がなされている、そのようにシステムが構築されているのである。そしてそれらは競技試合の場に限定しての比較であるならば、当然のことにスポーツ武道の方が実戦武術よりも有利であることも間違いのないことなのである。しかしそれを以てスポーツ武道の優位さを説くことは不適当であり、あまりに一面的な見方であるといわねばなるまい。

道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(5)

  道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(5) 日本の武術の多くの流派において特徴的なことに「残心」の重視がある。日本の武術は静かに始まり、静かに終わる。今でも柔道の試合などでは所謂「ガッツ・ポーズ」は好ましくないとされることが多く、最低でも互いの礼が終わって、試合の場を離れてからが許容されるとする雰囲気は今も残っているのではなかろうか。こうしたことからも伺えるように、日本の武術では攻防の場において心を落ち着かせることを第一と考えていたわけである。これは戦いの場において勝つことを第一とするシステムとは全く異なるものであることを忘れてはなるまい。実戦の場で最も重要なことは、勝つことではない。実戦では実力如何にかかわらず勝つ場合もあるし、負ける場合もある。競技試合なら自分が劣っていると分かっていてもベストを尽くして勝つべく努めれば、勝てる可能性もないわけではないので、それを目指すことがむしろ求められる。しかし実戦で負けることは、死を意味している。それで全ては終りとなるのである。こうした状況でとにかく戦うことを選択する人はあるまい。可能であれば勝てない相手からは逃げることを考えるであろう。つまり実戦において最も重要なことは冷静になって「戦うべきかどうか」「戦って勝つことができるかどうか」などを瞬時に的確に判断することなのである。

宋常星『太上道徳経講義』(27ー10)

  宋常星『太上道徳経講義』(27ー10) その師を尊ぶことなく、その資(たすけ)を重視することもない。ここに大いなる迷いを知る。これが「要妙」といわれることである。 人はよくその師を貴ぶものである。その資(たすけ)を重視するものである。そこには「襲明」の深い意味が表されている。もし五つの「善」を完全に行うことができないのであれば、それは人の行うべきものとすることはできない。人の師とはなり得ない。これが「師を尊ぶことなく」ということである。不「善」の行いとは、それをして我が行いを諫めるものとなるのであり、物事に対して慎重にならしめるものである。そうであるからつまりは自分の資となるわけである。もし、それで戒めとするに足りないのであれば、どうして自分の行為が相手に不適切であったかどうかを知ることができるであろうか。そのように不「善」なる行為を使わないと自分で資を棄てることになる。そうしたことは本当に無知な人のやることである。今、物事を知っている人が、その師を尊ぶこともなく、その資を重視することもなければ、何を知っているといえようか。それは大いに迷っているといえないであろうか。もし(「善」への悟りを受け継ぐ)「襲明」が自分において明らかであったならば、また人においても(「善」への悟りが)明らかであったならば、この二つの「明」は共につながり(襲)、このことの深い「善」への教えを理解することになるであろう。深い教えとは「善」は無窮であるということである。また至善(善悪の善ではない)ということでもある。こうした奥深い教えのことを「要妙」という。この章では「襲明」の教えが述べられているが、およそ有為の行為は、すべて「善」とすることはできない。そのため既に述べられた五つの「善」は無為によって行われており、そうであるから人や物を救うことができるのであり、師となり、資ともなることが可能なのである。あらゆるところで「善」なることが守られている。人はそれを知ることができるであろう。 〈奥義伝開〉最後はこれも老子の時代の常用語と思われる「要妙」が「善」の実践をいう語であるとされる。「要妙」とは「妙を要(もと)む」であり、「妙」は「巧妙」といった意味である。おそらく「要妙」は「(行動は)巧妙でなければならない」といった教えであったのであろう。何事をするにも、高度な技術や方法があればそれを求めて

宋常星『太上道徳経講義』(27ー9)

  宋常星『太上道徳経講義』(27ー9) 不「善」の人は「善」なる人の資(たす)けとなる。 不善の人にはけっして五つの「善」は備わっていない。そうであるからその行為は適正ではあり得ない。「善」なる人は不「善」なる人を見て、いよいよ慎み、注意をして、努め励むようになる。ただ不「善」であることを恐れて、細かなとことまで気を使う。そうしてあらゆるものを助けて益をもたらすわけである。そうであるから「不『善』の人は『善』なる人の資(たす)けとなる」とされている。 『奥義伝開〉これも先と同様で次にあるように「その資を重視することもない」とされる。「善」は「不善」と対することで明らかになるようなものではない。そうであるから「善」を行わない人の行為そのものは、ただ自然のままである「善」の実践に参考になることはなない。それは「不善」が「悪」ではないということでもある。「不善」はただ「善」が為されていない状態に過ぎない。老子においてあらゆるものは十全に自然の働きを体現しているか、時にはそれが不十分な状態にあるものもある。そうであるから「不善」は撲滅すべき「敵」などではなく、改められるべきものに過ぎないのである。

宋常星『太上道徳経講義』(27ー8)

  宋常星『太上道徳経講義』(27ー8) そうであるから「善」なる人は不「善」なる人の師となる。 「『善』なる人」とは、これまで述べられた五つの「善」を備えている人である。己において「善」である人は、他人へも「善」をして対さないということはない。一方、不「善」の人は「善」なる人の有する「善」がどのような効果をもたらしているかを見ている。そうなると不「善」の人も教化されて「善」を行うようになる。そうであるから「『善』なる人は不『善』なる人の師となる」とされているわけである。 〈奥義伝開〉注意しなければならないのは、これでこの文章が終わっているわけではない、という点である。この文章だけであると、「善」を実践する人は、不善なる人の手本(師)となるとされているように見えるが、これは後に「師を貴ぶことはなく」と記される。つまり「善」を行うという行為そのものにおいては見習うべきであるが、「善」行う「人」やその行為は見習う必要はない、というわけである。「善」なる行為は、ただ当たり前のことをしているだけなのであるから、行為そのものは尊ぶことも見習う必要もないのである。

道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(4)

  道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(4) 形における「幻想の技」の拡大とは、受け手が一定の動きに合わせてしまうと、どのような「技」でも成り立ってしまう、という問題点である。もちろん形の稽古は一定の条件の下に行うので、形稽古における条件付けは必要ではあるが、それが適切に行われているのか、どうかはよく考えてみなければならない。およそ物理の法則を超越したような「技」やあまりに華麗であるような「形」(殺陣というべきレベル)は武術的な観点からすれば稽古するに価値しないし、そうした「形」を稽古することは、実戦での動きのセンスを狂わせてしまうことになるので充分に注意しなければならない。こうしたことは少し自由な打ち合いをしていれば、触れないで倒すような技が全く使えないことは容易に明らかとなる。かつて合気会の演武で触れないで倒す技が披露されると会場が大爆笑となり、古武道大会でも数人で担ぎ上げられた状態でそれを一気に潰す技が行わた時も、会場は笑いに包まれた。一方、学者を集めた会場で気合で相手を倒すとおおいに関心され不思議がられたことがあった。これは日々武術の修行をしている人にはこうした無意味な技を膚感覚として見抜くことができることを表している。このように適切な修練を日々に行うことで正しい判断能力を養うことが可能となるのである。しかし、おかしな「技」や「形」にとらわれてしまうと、そうした感覚を養うことができなくなってしまう。その弊害は限りなく大きいといわねばならない。

道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(3)

  道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(3) また古い時代の実戦を想定した武術で競技試合を行わないのは、それが技術においても実戦において有害となることが多いためである。競技試合であっても練習試合でも、常に試合を行うためには一定の安全性が確保されていなければならない。それはつまり日々、実戦とはかけ離れたことを練習してしまうことになるわけである。実戦に「近い」ことは実戦「そのまま」ではない。例えば寸止めであれば、常におおきなダメージを与える攻撃より後一歩の踏み込みを欠く動きを日々の稽古で身に付けてしまうことになる。一見して実戦的な練習と思えるものが、実は実戦から遠ざかって行くものであることがあり得るのである。形稽古は間合いにおいては実戦そのままであるので、これを適宜にある程度、自由な動きの練習と組み合わせることで実戦を想定した理想的な稽古となるであろう。またこうした稽古は形における無闇な「幻想」の混入を防ぐことにもなる。

道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(2)

  道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(2) 強い「国民」とはつまりは強い「兵士」に象徴されるのであるが、それを育成する上で競技試合の果たす役割は大きいということができるであろう。つまり「国民」を育てるには「価値観の統一」「意識の統一」が前提となるのである。一つの基準によって争われなければ順位を決めるトーナメントを実施することはできない。個人的な技の探求としての試合は、あくまでその主体が「自分」「個人」にある。しかし競技試合では判定はルールと審判によってなされるのであり、「自分」が主体となることはない。「国民」という国家という幻想のベールの中の収奪者に都合よく仕えさせるための「道具=国民」を育成するにはその価値基準はあくまで与えられるものでなければならないのである。戦争をする、しないを個々人がかってに決められては国家の上層に居る収奪者にとってははなはだ都合が悪いことになろう。そうであるからかつての武術家は「国家」において常に危険視される存在でもあったわけで、武器の保持や武術の練習が禁止されることも往々にしてあった。

道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(1)

  道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(1) 本来、日本の武術には一位、二位などの序列を決める競技試合は存在していなかった。もちろん試合そのものが無かったわけではなく、それはあくまで個人の技の探求においてなされるものであり、順位を争うものではなかったのである。順位を争う競技としての試合が武術に取り入れられたのは柔道が始めである。柔道は柔術を西洋スポーツの観点から捉え直して国民体育として広めることを意図して作られた。国民体育とは国家に奉仕できる国民を育成するということであり、それは優秀な兵士を育てることを第一義としていたといっても過言ではあるまい。こうした考え方は「教育勅語」などにも明瞭に現れている。中国では極東の小さ国・日本が大清国、大ロシアと互角に戦うことができたことの背景に柔道教育があったことに気づいていて「強種強民」をスローガンに各地に「国術館」を作って日本と同様、武術による「国民」の育成を考えた。しかし、その政策は戦争により十分な完成を見ることはなかった。

宋常星『太上道徳経講義』(27ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(27ー7) そうであるから人は常に「善」であれば(常善)、人を救うことができるのであって、救えない人はない。常に「善」であれば物を救えるので、救えない物もない。こうしたことを「襲明」という。 これまでは五つの「善」の奥義が述べられて来た。それは五つではあるが、聖人は常にそれらを「一」なる道としている。それはまた人にあっては離れることのない「善」であり、生まれながらに有してる「徳」でもある。あるいは物質にあっては「当然の理」ということになろう。聖人は離れることのない「善」をして人を救い、物を救うのである。そこにはきまった教えとしての「徳」があるわけではなく、その時その時の適切な「徳」をして人を救うのである。つまり「当然の理」をして物を救うわけである。君臣、父子、夫婦の間を正しくし(三綱)、仁、義、礼、智、信の五常をして天の秩序を明らかにしする。人々に欲にとらわれないことを教えて、天の理に戻らしめるならば、欲望にとらわれるようなこともなくなる。これがつまり離れることのない「善」が人を救うということなのである。変化の理により陰陽は働き、調和によって気は秩序を得る。そうなれば天地の災いは転じられて害の生まれることもない。寒暑の時期を違えて不作となることもない。そうなって万物は始めてそれぞれのあるべき姿となることができるのであり、それぞれの生を全うできるのである。害虫の被害にあったり、作物が途中で枯れてしまうこともない。これが何時も働いている「善」をして物を救うということである。そうであるからこれに漏れる物はないのである。聖人はまたよく「善」をして人を救う。また天下、後世に「善」を受け継がせる(襲明)。有無を極めて「善」をして救いをなす。聖人には「善」によって救われない人はなく、「善」によって救われない物もない。よくこれまでに述べられたような五つの「善」を行い、人々の生をつなぎ、物のあるを継続させる。先の聖人が「善」による救いは、必ず後の聖人もそれを受け継ぐし、先の聖人の「善」の継続(襲明)は、必ず後の聖人もそれを受け継ぐものである。「善」は明らかに受け「襲(つ)」がれるものであり、「善」による救いを行うものでもある。どんな時代にあっても、あらゆるものを救うことが可能で、そは明らかに受け「襲」ぐということでもある。「襲」とは途切れなく継続されると

宋常星『太上道徳経講義』(27ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(27ー6) 「善」をして結ぶとは、縄を結ばなければ解けることはないということである。 天下の人々は、空しく愁いて妄りに思いを巡らせて、心身を疲労させている。それは縄を結ぶのと似ている。精神をやたらと費やすと、ついには幻を見るようにもなる。そうなると「善く結ぶ」ことなどできるはずもない。「善く結ぶ」とは、実査は縄を結ぶことをしなくても結ぶことのできることであり、それは「聖」なる者も知ることはなく、「神」なる者も分からない、天地の精を結ぶからである。よく造化の根本(理数の造化)を結ぶからである。王道の根本(王道の紀綱)を結ぶからである。聖賢のみが行うことのできることにおいて結ぶからである。天地の精神を結ぶには、修身をもってして、立命をしなければならない。そうして造化の根本を結ぶことができれば、吉凶を知り、変化を知ることが可能となる。王道の根本を結ぶことができれば、国の興廃を明らかにし、存亡を知ることができる。聖賢のみが行うことのできることと結ぶことができれば、家や国を治めることができるし、天下を平らかにすることも可能となる。それは「無形」をして縄を結ぶのであるから、どのようにしてもそれを解くことはできない。鬼神もどうすることもできない。それは天地の根本を乱すことは不可能であるからである。あらゆる事がこの天地の根本によってなされており、あらゆることにおいて、この聖人がよく結ぶのと、等しいことが行われているのである。そうであるから「『善』をして結べば縄を結んで解けないということはない」とされる。どのような人であっても、昼は思いを結び、夜は夢を結んでいる。何が良いのか、どうすれば名誉や利益が得られるのかといったことのいろいろが深く心を捉えている。恩讐や好悪の思いは、呼吸を詰まらせ、その結びの解けることがない。それは絶えることなく続いて、終日終夜、体と心との結びの解かれることがない。寝ても、食べても、夢でも、誰もその結びを解くことができないで居る。こうしたことが明らかとなる日、その巧みさは拙劣さとなり、本来は解くことのできないものも解けてしまう。道を学ぼうとする人は、それを知っておくべきであろう。 〈奥義伝開〉ここでは「善」の実践が合理性をもって為されるものであることが最後に述べられている。絶対に解けない結びとは、結ばないことにある、というわけであ

宋常星『太上道徳経講義』(27ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(27ー5) 「善」をして門を閉じれば、鍵を掛けなくても開けられることはない。 天地の間にある「衆妙の門」はそれが閉じられても、人は知ることができない。それが開かれても誰も分からない。そうしたところに(痕跡を残さない)「造化」の働きの奥深さがあるのであり、動静の根本(である「善」の働き)もそこにある。「衆妙の門」が閉じれるのは「門」によってではない。それが開かれるのも戸によるのではない。至聖の神人でなければ「衆妙の門」を出入りすることなどできるものではない。門の「鍵」は「関鍵」による。閂(かんぬき)を横にして門を閉じたのが「関」であり、縦にしたのが「鍵」とされる。こうして門が閉じられることは誰でも知っていようが、「善」をして閉じるということは知らないであろう。鍵を用いないでも門を閉じることができるのは「進退、消長の道」を知っているからであり、「利害、成敗の機」を悟るっているからであって、そこにこそその秘密があるのである。これは鬼神でも知ることはないことである。「閉」じるということにおける「道」とは「閉じられることのない門」にある。つまりそこには何らの開閉の区別もなく、内も外もないのである。そうしたところに戸を求めても得ることはできない。そうした開閉や内外の無いところにどうやって戸を開く方法が存しているであろうか。そうであるから「『善』をして閉じれば、鍵を掛けなくても開けられることはない」とあるのである。修行者は常によく心を動揺させないで居られるであろうか。心が乱れないままに居られるであろうか。真を守り根本を固める。性(本来の自分の心)を養って何かを意図的に行おうとはしない。主人と客の区別はなく自在であり、七情(喜、怒、哀、懼、愛、悪、欲)の働きは一日中、乱れることもない。六欲(異性への欲望)の魔もそれが生じようとして、ついにはその機会を得ることがない。そうであるから我の心の門に、どうしてあえて「鍵」を掛ける必要があろうかということになる。 〈奥義伝開〉ここでは「善」の実践においてやり過ぎは善くないことが示されている。誰も開けようとしない状態であれば、あえて鍵を掛ける必要はない。しかし、人はそうした場合でもあえて鍵を掛けようとする。そしてそうした不自然な行為はかえって自らを制限してしまうことになる。武術でも余りに防御を考えすぎると、攻撃がで

道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(8)

  道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(8) 実戦において最も重要なことは気持ちである。気持ちが萎えてしまうと動くこともできなくなる。この「気持ち」をどのように扱うかが、「間合い」「呼吸」の修練であった。ただこうしたことは道場など整った環境や一定のルールの上で行われる試合ではあまり必要のないこともである。日本で「柔」として磨かれて来た「意識の使い方」の問題を忘れては日本の文化遺産としての武術の大きな部分を取りこぼしてしまうことになるのではなかろうか。合気道で競技試合を禁じていること、あるいはかつての剣術で型稽古のみが専ら行われていたことは「魄」の武術にとらわれることなく「魂」の武術、争いを脱する武術の追究へと修行者を導くためであったように思われる。

道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(7)

  道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(7) 間合いつまり呼吸をベースに技を展開するのが合気道であることを植芝吉祥丸は「道主」として示していたのであろうが、次の植芝守央になると関節技をベースとした「実戦的」な合気道に変貌して行くことは演武を見て比べれば明らかであろう。ここに合気道の動きのベースが体の変更から関節技に移ったといえるのかもしれない。ハプキドーにおいても関節技をどのように実戦的に使うか、という疑問を解決する方法として、ベースとなった柔術から巻き込むようにして関節技を掛けたり、足や腰を投げに使ったり、あるいは突きや蹴りを取り入れるなど、より「実戦的」な工夫が凝らされたものと思われる。しかし、この方法はあくまで、植芝盛平からすれば肉体としての人体の原理をベースとする「魄」の武術に過ぎない。武術にはいろいろな考えがあるので、「魂」の武術でも、「魄」の武術でも、どちらが良いということはないが、合気道はあくまで「魂」の武術であったことを忘れてはなるまい。

道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(6)

  道徳武芸研究 ハプキドーとあいきどう〜合気道の変容〜(6) 入身は相手と接触する以前において働きを持つ技法であるから、相手と組んでから行う柔道などでは余り使うことはできない。嘉納治五郎は組んだ状態からだけではなく「離れた状態」での攻防もあることも考えていて、そこに合気道、つまり「入身」という柔道にないものを取り入れる必要を感じたのであった。こうした流れの中で三船久蔵により「空気投げ(隅落)」も考案されたことはよく知られている。この技は合気道の「入身」の身法と基本的には同じである。つまり入身で技を行うとは、体の変更によって相手を制することなのである。これが間合い、呼吸の研究の最後にたどり着いた「柔」の究極であった。もちろん体の変更だけで相手を投げたりすることはできないので、少し手による勢いの導きが行われる。こうした動きをよく示しているのが植芝吉祥丸の演武である。吉祥丸の演武は軽く相手に触れるくらいで投げてしまうが、これには「実戦的ではない」という批判もあった。しかし、呼吸(間合い)をベースとする「魂」の武術としての合気道はまさに吉祥丸の演武が「教科書的」ともいえるものなのである。他にも塩田剛三や砂泊諴秀などでも同様の身法を見ることができる。