道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(7)

 道徳武芸研究 実戦武術と競技試合(7)

実戦は勝つことを前提として始めることはできない。必ず負けることを視野に入れておかなければならない。そのためには「攻防の能力を高めすぎない」ことも重要である。人は「力」を持てばそれを使いたくなる。それはどのような「力」でも同じで、政治的な力でも金銭的な力でも、暴力的な力でも、ひとたび他人に優越した「力」を持ったならばそれを使いたくなるものである。そうであるから自分で抑制出来る範囲で、そうした「力」を持つべきであって、それを過度に追い求めてはならないわけである。この意味では太極拳や合気道はひじょうに好ましいといえる。これらは実戦とある意味で「一定の距離」を置いている。そうであるからに実戦に全く不安がない、といった類の「幻想」を抱かなくても済むのである。しかし実際の攻防になると未修練の人よりは遥かに優れた働きが可能であることもまた事実である。中国で一人形の武術が多く練られる原因のひとつが実はこうしたところにある。それは「泳ぎに長じた者は溺れて亡くなり、武術に長じた者は打たれて亡くなる」とする諺のあることでも分かろう。すべからく欲望というものは追究し過ぎてはかえって身を滅ぼすことになるのである。


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