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常星『太上道徳経講義』(25ー5)

  常星『太上道徳経講義』(25ー5) そうであるから「道」は「大」きなものなのである。「天」も「大」きいし、「地」も「大」きい。「王」もまた「大」きい。一定のところにこの四つがあるとすれば、「王」もその「一」であることになる。 「道が万物の根元であることは既に述べられている。ここでは「道」は「大」なるものとされ、また「天」も「大」きいし、「地」も「大」きく、そして「王」もまた「大」きいとされる。これはどういったことなのであろうか。「王」を詳しく言うなら「天地の聖王」ということになろう。天も地も王もすべて大道の中に存しているわけで、そこから出ることはできない。あるいは「天」は高く遠くまで続いていてこれを「小」さいということはできない。「地」は広く果てしないとしても、「天」の極みと同様に道の範疇にあって、それは道から逸脱するものではない。道の範疇にあるとは、断絶がないということである。つまり天、地、大道は断絶することなく一体なのであり、そうでるから天下は治まっているわけである。天地の極まるところは、人倫の極まるところであり、「至理」の極まるところでもある。これを人々に教えるために、聖なる王は天の道や地の道を極め、人の道をも極めるのである。つまり道と一体となっているということである。天、地、王は道においては一つであるから、王だけが偉大であるということはない。そうであるから「『天』も『大』きいし、『地』も『大』きい。『王』もまた『大』きい。一定のところにこの四つがあるとすれば、『王』がその『一』であることになる」とされているのである。 〈奥義伝開〉「王」とは大道と一体となった聖なる王のことであるが、こうした「王」は伝説の時代以降では出現したことはない。この「王」は無為をして統治をする。「道」を教えはするが何ら強制はしない。人々はその教えに自然に教化される。それは人も王も共に大道の中にあって、そうすることが最も合理的であるからである。「王」は人々に合理的な行為は如何にあるべきかを教えるのみなのである。

宋常星『太上道徳経講義』(25ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(25ー4) 自分はその名を知ってはいないが、仮に名付けるとすると「道」と言えよう。また強いて大道を名付ければ「大」きいということができる。「大」きければその果まで「逝」くことができる。それは「逝」って「遠」くまで行ける。「遠」くまで行けばまた「返」ることになる。 混沌とした中に物質が生じる。これは視ようとしても見ることのできるものではない。これを聴こうとしても聞くことのできるものではない。これを搏(とら)えようとしても得ることはできない。先に大道は「独立」しているとあり、またそれは不可思議なことに「変化することもない」ともされていた。つまり、それが不可思議なのはいまだ「独立」しているのを見た人がいないからである。「巡り巡って不安定な(殆)ところがなく」とは、その巡る運動が不可思議であることをいっている。つまり運動そのものをいまだ見他人はいないということである。ここで大道を「大」をして形容するとしても、そこに天下を乗せているからではない。「小」をもって形容するとしても、そこに天下を乗せられないということではない。「遠」といっても、その遠さは計り知れないものであるし、近いといっても、その近さも思いも及ばないものである。「有」るといってもその有ることを計測できないし、無いといってもこれも計測して無いのではない。内外は一貫しており、混沌から物質の生まれるプロセスを知ることはできない。上下は円滑に通じていているもののそれがどのように観応しているのかを知ることはできない。本当に神妙であり、不可思議なのである。強いてこれに名を付けようとするとしても、考えも及ばない。ただ大道と物質とは常に考えも及ばないような関係性の中にあって、永遠に留まることがない。そこでこれを「道」とあえて呼ぶことにする。「道」とはあえて付した名であるから、「道」という語を通じてその実態を知ることはできない。あるいはあえて「大」と形容するとしても、「大」ということで大道を言うことはできない。あるいはまた強いて「逝(い)」くと言っても、これが大道をよく形容しているのではない。さらには「遠」いとしても、これがよく大道を表現するものではない。さらには「返」るであっても、これは無窮、無尽であることをあえて言っているに過ぎないのであって、これも大道を適切に示してはいない。要は始まりの根元に「

宋常星『太上道徳経講義』(25ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(25ー3) 静か(寂)で、広々として(寥)おり、独立して変化をすることもない。巡り巡って不安定な(殆)ところがなく、天下の母ともいうべきである。 静かで音もしていなのがが「寂」である。遠くてよく形が見えないのが「寥」である。静かで音もなくとは、そうした環境において求めるべきこと、つまり影も形もないものを得ることを言っている。遠くてよく形が見えないのは、その始まりも分からないということであり、その終わりも知ることがないということである。その始めも分からず、その終わりも知ることがないのは。あまりに広大であらゆるところにそれが及んでいるからである。音の無いところに求めるべき、形のないところに得られるべきは、平穏で(湛然)、清らかで、静かなところである。つまり、こうした状態にあって物質は、有るということもできないし、無いということもできない。有るとしてもそれを捉えることはできないし、物質としてそれを認めることもできない。あるいは無であるといっても存在していないのではない。まったくの非存在に留まるといったものではないのである。それはあまりに微妙で不可思議である。それを「静か(寂)で、広々として(寥)おり」と表現している。また大道は動かそうとしても動かすことはできない。陰陽は変換しようとしても変換することはできない。常に変わることなく動いており、独立して天地の「先」にあって、不壊、不滅でもある。また常に天地の「後」にも存してもいる。例え天地が変化をしたとしても、大道が変わることはない。そうであるから「独立して変化をすることもない」とされている。大道は陰陽そのものではないが、まったく陰陽において働らいていないところはない。有無、動静そのものではないが、まったく動静において働いていないところはない。存しないところはないし、それを有していないものもない。万物の生を助けてあらゆる物に及び、あらゆる物の形を変化させて尽きることがない。そうであるから五行はそれぞれ性質を異にしているのであり、四時(四季)にはそれぞれ違った感じがあるわけである。天地はその働きが違っているし、万物はそれぞれの形を有している。こうした不思議さは尽きることはない。そうであるから「巡り巡って不安定な(殆)ところがなく」とあるわけである。「殆」とは適切ではない、ということで、陽であるべきは

道徳武芸研究 易と太極拳(4)

  道徳武芸研究 易と太極拳(4) 太極拳つまり張三豊の創始した十三勢の根本は「静」にある。これを王宗岳は言いたかったのであろう。十三勢はただ十三の動き「ホウ、リ、擠、按、採、肘、レツ、靠、中定、進、退、右眄、左顧」が並列的にあるのではなく、それらは全て「静」によって生み出されている。そうであるから太極拳はゆっくりした動きで練るのであり、この点が他の武術と大きく相違するところなのである。一方で陳家砲捶は速く動くことを修練しようとする。これは王宗岳の考えた太極拳とは全く違っている。そこで陳キンは「螺旋」ということに目を付けた。そして螺旋の動きは、その中心は動きが少ないので、これを「極陰(陰陰陰 陰陰陰)」として、次第に渦が広がるにつれて運動が活発化して行くとして、それを易の次第に陽が生まれていく過程と等しいとする。そうして易は陳家砲捶の纏絲勁を表していると証明しようとしたわけである。

道徳武芸研究 易と太極拳(3)

  道徳武芸研究 易と太極拳(3) 王宗岳が張三豊の十三勢に太極の理を見出したのは十三勢の「ホウ、リ、擠、按、採、肘、レツ、靠、中定、進、退、右眄、左顧」の中で特に囲繞の変転を見出したからなのであろうか。ベースとなる四正の「ホウ、リ、擠、按」を見てみると、「ホウ」は上への崩し、「リ」は下への崩し、「擠」は前に押す、「按」は下に押す、であるから「上、下」「前、下」となり「擠、按」は対の関係にはなっていないことが分かる。動きが太極の理そのものであれば「按」は後ろに押すというものでなくてはならず、これでは武術としての動きは成り立たない。また四正の応用とされる四隅の「採、肘、レツ、靠」に至っては全く対の関係つまり太極の理を見ることはできないのである。ただ王宗岳の太極拳論を見ると、王は「動」と「静」を「陽」「陰」としてそこに太極の理があることを考えていたと思われる。そうなるとあらゆる武術は太極拳となってしまうが、おそらく王は太極拳における「静」を強調するために十三勢を太極拳と称することを提唱したものと思われるのである。

道徳武芸研究 易と太極拳(2)

  道徳武芸研究 易と太極拳(2) 陳キンは陳家砲捶の核心である「纏絲勁」を「螺旋」の動きと規定して、その動きが易を表現しているとしている。そうであるから陳家砲捶は太極拳と称することが可能であというわけである。『陳家太極拳図説』はまさにそれを証明しようとしたものであり、纏絲勁が「螺旋」の動きであるとする考え方もここから来ている。しかし、ここで問題となるのは易は螺旋を表現してはいないということである。本来、易は単に陰陽をいうのみでその変転はあっても、円環する動きを示すものではない。しかし、後には円をして八卦が示されるようになり(『易経』の頃には見られない)、陰陽の消長を天における日月星辰の動きである周天と等しいものと見るようになって行くのである。しかし、この段階でも周天はあくまで円周の軌跡における変化であって、螺旋の動きではない。それを螺旋にまで繋いで行くところに陳キンの苦心があった。ただ太極拳では楊家を見ても分かるように「螺旋」の動きをベースとしてはいない。ただ円の動きであるに過ぎない。実は陳キンが太極拳の核心として見出そうとしていた「螺旋」は、王宗岳が十三勢を太極拳として認めた時の陰陽観とは別の視点に立っていたのである。

道徳武芸研究 易と太極拳(1)

  道徳武芸研究 易と太極拳(1) 陳キンの『陳氏太極拳図説』は、その初めのかなりの部分を使って「易」の解説をしている。これを奇異に思う人も多いが、人々の関心は主としてそれに続く技術解説の方にあって、徳には「易」の解説が注目されることはないようである。しかし、陳キンがここで述べたかったのは実に「易」の部分にこそあったのである。それは「陳家砲捶」を「陳家太極拳」にするための理論構築をここで行っておきたかったからである。太極拳は本来は張三豊かにより創始された「十三勢」が元なのであるが、後に王宗岳が出てこれを太極拳と称するようになる。それはまた蒋発によって陳家溝に伝えられ、その教えが陳長興を通して楊露禅に学ばれ、北京で太極拳として知られるようになるのである。そうした経緯により陳キンは「太極拳」の源流としての「陳家砲捶」を「太極拳」として位置付けることができると考えたのであろう。そしてその鍵となったのは「螺旋」の動きつまり「纏絲勁」であった。

宋常星『太上道徳経講義』(25ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(25ー2) 物質は混沌とした中から生じたのであり、混沌は天地より先に生まれていた。 この章では無極や太極の奥義に言及していて大道の妙義が示されている。「物質は混沌とした中から生じたのであり、混沌は天地より先に生まれてlた」とある「物質」は無極や太極のレベルにあるもので、結局のところ物質の存在の様態を極めれば、こうした「理」に行き着くことになる。もちろん「物質」というのは仮りの言い方で、これは存在全般を指している。つまり形而下的な物質だけに留まるものではないわけである。そして、そこには見えはしないが「理」が働いている。そうであるから、こうした「理」を語ろうとすれば「物質」の様態を通して、それを言うより他にない。こうした物質に先んじてあるのが「道」である。物質があれば「理」がある。心があればその本質である「性」がある。このように物質と「理」、心と性を分けていうこともできるが、それらは区別することのできないものでもある。つまりあらゆる存在は一つのこと(理、大道)に帰せられる(万法帰一)のであり、全く例外とすべきものはない。そうであるから有、無を分けることなく、不可思議な存在の固定と変化を分けることもない。その根本は無の中にあり、それが五大(地、水、火、風、空)の初めとなっている。その混沌から「物質」が生まれることの妙は、天に先立ち、地に先立つの「先」に生じているところにある。そのため「物質は混沌とした中から生じたのであり、混沌は天地より先に生まれていた」とされている。無極と太極は二つのものではない。無極がすなわち太極なのである。太極がすなわち無極なのである。もし無極だけあって太極がなかったならば、物質の「理」は働くところがなくなってしまう。天や地、人や物は、その変化ができなくなってしまうのである。また太極だけあって無極がなかったならば、物質の「理」はただ個々の物質に固定されることとなり、陰陽や造化が適切な変化をすることができなくなってしまう。さらに無極にして太極であることを細かに考えて見ると、太極とは物質における変化(陰陽)の実際的な働きであるということになる。陰陽の変化は物質に見ることができるが、太極は物質そのものではない。無極とは純粋な「理」である。「理」だけでそれが働くことはないが、無極は実際のところ働いていないわけではない。こうしたと

宋常星『太上道徳経講義』(25ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(25ー1) 大道は、万物の祖であると同時に祖でなく、万物の宗であると同時に宗ではない、というところに真実があるとされている。大道は、五大(地、水、火、風、空)に先立って存しているが、それは古今といった時間をいうものではない。三才(天、人、地)より後に生まれたのであるが、それは前後を言うものではない。その不可思議なことは言おうとして言うことのできるものではなく、言語を絶している。そうであるが大道が存在しないというのでもない。大道は形而下的存在であるが物質だけに留まるのではなく、時間の中にあるが時間の成約を受けてもいない。大道はそれを視ようとしても見ることはできず、その存在を聴こうとしても聞くことはできない。その妙は自然の機にあり、あらゆるところに存在してもいる。もし、大道が存在しているというならば、その存在はいまだかつて確認されたことのない存在である。とらえどころがなく(空空洞洞)、その兆しさえ捕まえることはできない。常に運動している(混混淪淪)ので、それが大道であると固定的に指し示すことはできない。万物が自然であることを助ける。こうした自然の中に隠れている不可思議な働きが大道なのである。これは意識(神)を通して知ることはできるものの言語をして伝えることはできない。天地の大本として立っており、その大本は実際に働いている「理」でもある。つまりあらゆる存在には「理」が働いているのであるが、「理」そのものを見ることはできない。そうであるから「理」は乾坤、内外の大いなる主宰者であり、存在の働きであり、物が生まれ育つ「道理=道」でもあるわけである。あらゆる世界において、まったく破綻することのない大根本であり、欠けているところも、余分であるところもないのが「道」である。この「道」は自分の体の中にも存しているが、捉えることのできない「真機」でもある。大道と知らない内に一体となって存しているが、「これ」として捉えることのできない「実理」でもある。つまりそれは無の中に「自然の空ならざる空を得る」ということである。有の中に「自然の色ならざる色を得る」ということである。それが天地のレベルであれば、空も色も共に忘れられる。そして我と大道とは一体となる。ここでは先天と後天のことが述べられているが、あらゆる存在は自然であるということである。 〈奥義伝開〉ここでは大道

宋常星『太上道徳経講義』(24ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(24ー7) これらはつまり合理的(道)ということである。つまり「食べる物が余ればむだが出るが、それは『余った物』が好ましくない」と言われているのと同じである。そのため合理的(道)な思考の身についている人はそうしたことはしないのである。 ここでは「自分を正しいと思う人」や「自分で自分を誇って」いる人があげられていたが、それらは全て世の人がどうして行ってしまうような類の迷いでもある。それは心の迷いであり、感情の偏り、誤った理解でもある。そうであるからこうしたことは「病気」ということができるであろう。こうした状態は長く続くことはないし、常に行うべきものでもない。誤った妄想によるものであり、つまりは「余った食べ物」と同じなのである。「余った食べ物」が生まれるのは飲食をする時に人は大体おいて満腹になりたいと思うからである。そして満腹を感じてもさらに食べようとするからである。どのようにおいしいものであっても、満腹になればそれを食べたいとは思わないであろう。また「むだ」なものを持っていても体が健康であればそれで良いはずであろう。もし首に瘤ができたり、指が多かったりしても、生きていく上では何の障害もないが、人はこれをどうにかして取りたいと思う(これは「余り物」を嫌う気持ちと同じであろう)。「食べる物が余ればむだが出る」ようなことをあえてする「病」は、自分がそれを好ましいと思わないだけではなく、結果として捨てなければならない「物」が出てしまうと、それの処理にも苦慮することになる。そうしたいろいろなことも含めて合理的な思考のできる人は、常に合理的思考に基づいてあらゆる行動する(抱道養徳)。それが及ぶのは自分だけに限りはしない。そうであるから独りよがりになることはないし、自分が優位に立とうとすることも、誇ったり、奢ったりすることもない。それは天高くあがった太陽のようで、世間の人の触れることのできるものではない(超俗的な境地なのである)。天や地は自分というものを持たないで(無為自然のままに)働いている。こうしたことも、普通の人も真似のできることではなかろう。その性質は「中」であり、澄んだ水、曇りのない鏡のようにあるがままを写すだけである。何も求めるものはなく、どこにも留まることはない。「食べる物が余ればむだが出る」ようなところに存しているわけはないのである。こ

道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(8)

  道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(8) 形意拳は何故、八卦拳(八卦掌)と取りれたのか。それは三体式(鷹捉)をより緻密に行うための滾勁を練るためであり、また相手の攻撃を待つのではなく、積極的に相手の間合いに入る身法、歩法を身につけるためでもあった。こうした間合いは八卦拳の挑打を通して見るとよく分かる。形意拳の三体式と八卦拳の挑打は基本的な身法はひじょうに類似している。そうしたこともあって形意拳では八卦拳の一部を八卦掌として取り入れることが容易であったわけである。ただ、現在は往々にして形意拳の八卦掌は投げ技と理解される傾向にあるのは、ひとつの重要な点での不理解があるようで、八卦掌はあくまで入身の視点から捉えられることが形意拳の修行においても大きな役割が期待できるのである。ただこれらも基本的には「七星歩」という三角の歩法(相手の攻撃を外に避けて踏み込んで攻撃をする)と変わりはない。それを少し変化させただけなのであるが、この「少し」が重要なのであって、これを見逃したのでは幾つかの門派を共に修練する意義がなくなってしまう。
  道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(7) 投技の誤解として「投げても相手は受け身をとるのでダメージを与えることはできない」ということがある。よほど畳の上など条件の良いところに投げられればそうしたこともあるかもしればないが、フローリングの床などであれば相当なダメージを受けるし、ましてや屋外のような何があるか分からないようなところであれば、大きなダメージを受ける恐れは更に大きくなる。また太極拳の推手でも、「ただ押し飛ばしただけではダメージを与えられない」などといわれたが、これも同様でダメージを与えられるようなところに飛ばせば良いわけである。呉家太極拳の王倍生は推手の時に「物」の置いてある方向に飛ばす、といわれていた。おそらく自然にそのように体が動くのであろう。呉鑑泉の家は父親の全佑と常に推手の稽古をしていたので家具はことごとく壊れていたとも伝えられている。

道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(6)

  道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(6) 擒拿術に長じていた韓慶堂はその技法を『警察応用技能』とする書名において公開している。つまり逆手や投げは相手を取り押さえる必要のある「警察」などの特殊な場合に限って用いられるもので、一般の護身においては相手を取り押さえなくても、逃げればことは済むわけである。実際のところ投げたり、関節を制したりすることは相手が強く抵抗するとひじょうに困難であり、合気道で「試合」ができないのは、こうした理由もある。富木流を見ても分かるように試合で相手を投げようとするとどうしても柔道的な技を使うしなくなってしまうわけで、同様なことは「王者の座」という植芝盛平のフィルムで、巨漢の欧米人に対して藤平光一がなかなか合気道の技を掛けられず、最後には柔道の技でなんとか投げている様子を見ても分かる。また名人であった中国相撲の常東昇の演武でも時に技が掛からず、別の技に切り替えているシーンは多くある。つまり投げや関節技はこれ程に扱いが難しいのであり、そうであるから特に相手を取り押さえる「警察」のような立場になければ、それを第一義的に使うことは考えられないことになるわけである。

道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(5)

  道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(5) 合気道などは八卦掌と同様に相手の背後に回り込むような入身が顕著であるといえる。ちなみに大東流の合気は相手をその場に留め、崩すもので、これは相手の背後に入るような柔術的な入身ではなく、剣術的なものとすることができる。つまり腰に刀を指していれば相手の後ろに回るような大きな動きはとり難いし、基本的に大東流の合気は相手からの離脱を主として考案されたものであって、必ずしも合気をして相手を制することを意図してはいないということもある。大東流の合気は抜刀をしようとした時に抑えられた場合の離脱を基本としている。しかし近代になって、刀を持つことがなくなると、柔術的な相手を投げることが第一と考えられるようになる。そうして大東流も柔術に特化するようになって次第に柔術的な間合いをとるようになり、合気道では完全にそうした入身が主となって行ったわけである。そうなると「合気上げ」と投げを主体とする展開との齟齬が生まれることになる。佐川幸義なども投げを中心に技法を展開していたようであるが、そうであるから新たに何「元」とする段階分けをした技法の大系を組み直さなければならなかったともいえよう。

常星『太上道徳経講義』(24ー6)

常星『太上道徳経講義』(24ー6) 自分で矜(ほこ)っても、長く続くことはない。 世には自分で自分が偉いと言う者も居る。誇大なことを言って相手より優位に立とうとするのである。これが「自分で矜(ほこ)って」である。こうした人は他人が自分の良いところを見てくれていないのではないかと心配して一喜一憂する。そして常に他人の上に立とうと思う。少しばかり物事が分かり、多少は他人の知らないようなことを知ることができるようになると、どうにかして相手を陥れようと考える。そして時にそれを実行して、偽りを行い、あたかも自分が大きな存在であるかの如くに見せかけたがるが、結局はそうしたことは破綻をしてしまう。そうであるから「長く続くことはない」とされている。古の聖賢は物事の「理」を常に考えており、あるべき行いというものをも認識していた。そうした思考を深く養って、ただ天の理のままに行動することを考えていたのであって、他人から褒められたりすることは眼中になかった。人は「名声」というものが長続きしないことを理解できていない。そうであるから、ここまでに述べて来た「自分のことがよく分かっていると思う人は、よく分かってはいない」「自分で正しいと思っているようなことは、かえってよくない」「自分で誇っても、それが他人から功績として認められることはない」といったことの意味を解することができないのである。またこれらは「爪先立って(跂)いては足を上がげることはできないし、大股で歩いた(跨)からといって目的地までの距離が縮まるわけではない」で示された「理」と同じこと(である合理的な道理)を述べたものでもある。 〈奥義伝開〉ここも「自ずから矜(つつし)んでても、尊ばれることはない」と読むのが適当であろう。「矜」には「つつしむ」、「長」には「尊とぶ」の意があるのでそちらを取った。敬(つつしみ)は無為自然にあって基本となるべきものであるが、そうした態度は他人に気付かれることも少ないので評価されることも多くはない。また、これが自然な行動であるから余計に他人が気づくことがない、ということもある。儒教では「慎独」というが、これはこうした行動原則を教えているものである。他人の評価で左右されるのではなく独(ひとり)で「つつしむ(慎)」ことが重要なのであり、また「つつしむ」とは他人に左右されない超越的な視点を養うことでもある。シュタ

宋常星『太上道徳経講義』(24ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(24ー5) 自分で誇っても、それが他人から功績として認められることはない。 世の中にはただ一人でなにかを為した人は居る。また他人の功績を自分がなしたことのように言う人も居る。ある時にはこうした偽りを言う人が称賛をされたりもしている。大体において、自分で誇って功績を認めさせようとするのは、とにかく自分の「功績」を失いたくない人である。こうした人は、結局のところいろいろな才能があったとしても、はたしてよく国を治めることができるであろうか。民の暮らしを豊かにすることができるであろうか。本当の意味で、功績を認めさせようとするのであれば、老子は「功績」を求めないことでこそそれがよく果たされるとする。つまり聖賢は長き世にわたってその「功績」を称賛されているが、それは自分はそうした「功績」にはこだわらないからである。そうなると古今東西の人々はことごとくその「功績」を、為した聖賢のもとのして認めることとなる。聖賢は「功績」を認めさせようとはしない。そうであるからこそ「功績」は正しく認められることになるわけである。一方で「自分で自分で誇る」ような人は、かえってそれが認められないのである。 〈奥義伝開〉ここも「自ら行ったことは、それが他人から功績として認められることはない」と読むべきと考える。無為自然で行ったことはあまりに「自然」なので他人が気づかないからである。例えば仕事や生活の都合など何でもないことで引っ越しをしたら、前に澄んでいt地域がおおきな災害に見舞われた、というようなことである。これは周囲からすれば何でもない日常的なことが起こっているに過ぎない。決して占いや予言によって引っ越しをしたわけではないからである。しかし、こうしたことを適切に行うには「無為自然」の「良知」を得ていなければならない。それを占いや霊言などの迷信によって行おうとしてもできるものではない。またそうした行為は生活にいろいろな「弊害」を生んでしまうことになる。

宋常星『太上道徳経講義』(24ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(24ー4) 自分で正しいと思っているようなことは、かえってよくない。 認められるべきは認められるようになるものであるが、それは意図的に自分の正しさを認めさせようとすることと、「認められる」という点において違いはない。つまり、これらは「認められる」という一点において区別することはできない。しかし、これらはそれぞれ違ったプロセスを経るものであり、互いにどちらかが良いとすることもできないであろう。天、地、人のどこにあっても、そこに「理」が働いていることは言うまでもなく明らかであり、鬼神でも、あの世でもこの世でも、その「理」の意味するところは明確である。ここに「自分で正しいと思っているようなこと」とあるのは、自分自身で自分を肯定している人のことである。自分の考えを固く持って、他人と対立し、常に自分を正しいと考え、相手を打ち負かそうとしている人のことである。そして他人もまた自己のみを正しいとして、常に自分に勝とうとしていると思っている。そうであるから他人を信じることはなく、最終的には自分の小賢しさにとらわれて、天下や後世に認められることがない。そうなればその人は「かえってよくない」ということになるわけである。聖賢は正しいことは正しいとし、正しくないことは正しくないとする。それは五行が移り変わり、四時が巡るようなもので、周囲も自分も認めることのできる「理」こそが天地が正しいとするところのものなのである。生まれるべきは生まれ、成るべきは成る。こうしたことこそが万物において正しいとされるところのものなのである。そうであるからこうした判断ができなければ正しい理解とは言えないのであり、そうした判断がなされなければ、本当にそれが正しいかどうかは分からないわけである。 〈奥義伝開〉ここは「自ずから正しいことは、一般にはよく彰(あきら)かではない」と読むべきであろう。これも合理的思考によって何が正しいか、が分かるようになる、とする教えである。「正しさ」は時代や地域によっても同じではないが、そうした中でおおよそ普遍的な「正しさ」であろうものの一つに「人権」がある。「人権」はいろいろな人が合理的思考を経て見出して来たものである。しかし、このように合理的思考により社会の矛盾などが分かっても、一般に人は「あたりまえ」として受け入れらないことが多いわけである。「人権」に関

道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(4)

  道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(4) 形意拳における八卦掌は往々にしてその存在意義が見失われているが、それでも練習をしているとシステムとして形意拳との「違和感」のあることは感じられるようで、結果として形意拳が打ち合うのであれば、八卦掌は投げとして使うものではないかと思われるようになってくる。特に関節技や投げ技を重視する傾向はけ現代では顕著であるようで、日本少林寺拳法では早くから剛法を突き蹴り、柔法を投げや逆を取るとものとしてシステムの中に組み込んでいた。八卦掌が投げ技として理解される原因としては入身の深さがある。先にも紹介したように八卦拳ではこちらが攻撃をしてそれを相手に受けさせる、というのが基本であり、形意拳のように相手の攻撃を待つことはない。つまり入身がより深く入ることになって、結果としては相手の体に密着する程、接近することが可能となる。このような間合いは投げを可能とする間合いでもある。

道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(3)

  道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(3) これまで見てきたように形意拳の三体式と八卦拳の挑打は、防御で始まるか攻撃であ始まるかの大きな違いがあるが、形意拳で八卦拳を取り入れたのは、攻撃からでも攻防を展開できるようにするという目的があったためと思われる。武術における「秘伝」にはこうした基本とは反対の教えが含まれていることが少なくない。あえて基本原理と異なるものを練習することは、基本を学ぶ段階では適当ではない。そのために「秘伝」とされるわけである。しかし、一つのシステムにある程度習熟した段階で他の原理の動きを学ぶことは「幅」を広げることにもなるし、これまで学んだことを違った角度から見ることで新たな発見や理解を深めることにも役立つものである。本来、形意拳における八卦掌はそうしたものであったのであるが、それが次第に忘れられて形意拳の理論に近づく、同化することになる。そうなると八卦掌そのものの理論も分からなくなり、形意拳における八卦掌の存在意味が見失われてしまうことになる。

道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(2)

  道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(2) 八卦拳の挑打は一般には知られていない。これは羅漢拳に属する動きであるからである。しかしこれは単換掌式(単換掌の原理)そのものの身法でもあるから八母掌の単換掌の動きと等しい。単換掌は柔術でいう当身のように右拳で相手の上段を打って、先ずは相手にそれを受けさせる。そうなると中段が空くのでそこを攻撃する。この時、同一線上を大きく踏み出すのは相手の後ろまで入身をしようとするためである。形意拳では三体式で、こうした動きをするが、それは「鷹捉」と称されることもある。つまり形意拳では相手の攻撃を受けるところから始まることになる。右拳で引っ掛けるようにして攻撃を受けて下へと導く。これが「起落」である。次に一歩踏み込んで出す左手が掌になっているのは、この手も添えて相手を引き崩すためとされている。ただ山西派などの一部で、劈拳を掌にしないで拳で打つ場合がある。これは「鷹捉」としての三体式と五行拳の劈拳との違いを明確にするためであろ。孫派では手刀のような用法も示されている。このように劈拳では「鷹捉」は右拳だけで行い、左掌は顔面を打つと解する場合も多く見られる。これは太極拳の撲面掌と同じである。太極拳では転身擺蓮の転身をしながら横に大きく蹴るような技を行う時には、相手の顔面を掌で打って目くらましをして行う。

道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(1)

  道徳武芸研究 八卦拳と形意拳〜挑打と三体式〜(1) 興味深いことに形意拳の基本である三体式と八卦拳の基本である挑打とは極めて類似した動きをしている。ちなみに挑戦は八卦拳の羅漢拳に属するものではあるが、その動きは単換掌式と等しい。これらは共に右の擺歩で出た場合は右拳を出し、そして左足を踏み込んで左手を出す形になっている。このように形意拳と八卦拳で基本の動きは似ているのであるが、違いもある。形意拳の場合には右足、左足はそのまま前に出すだけで、両足の間隔は二本の平行線の上を、それぞれ歩むことになる。一方、八卦拳では右足と同じラインの上に左足を踏み出すので、一本の線の上を歩くことになる。そうであるから最後、体は横向きとなる。身法としても形意拳は右手で受けて左手で制するが、八卦拳では右手で攻撃をして相手の側面から回り込む形になる。八卦拳では右拳を相手に受けさせて空いた中段から入身をしようとする。

宋常星『太上道徳経講義』(24ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(24ー3) 自分のことがよく分かっていると思う人は、よく分かってはいない。 「自分のことがよく分かっていると思う人」とは、私だけを見て、公を見ないということである。こうした人を「自分のことがよく分かっていると思う人」としている。こうした人は自分の利益だけを考えて物事を見ているわけで、天の理があまねく働いていることを見ようとはしない。あるいは悪知恵を働かせて、何でもかすめ取ろうとする。または自分勝手なことをする。これは始めだけを考えて、終わりがどうなるかを見ようとしてないからである。行為の本質を見ようとしていないのであり、真実のあるべきを見ようとはしない。物欲はとらわれやすいものであるが、それを明らかに自覚しようとする人はなかなか居ないものである。ただ無私、無我、無為、無欲であれば、自己にそうした欲望のあることが明らかに見えてくる。大きく見れば社会のどこにでもそうした欲はあるし、小さく見れば身の回りのそこここにあるのを見るであろう。「自分のことがよく分かっていると思う」ような人物では、こうした正しい見解を抱くことはできない。 〈奥義伝開〉これよりの四例は「自」をどのように読むか、が問題となる。一般的には「自らは」として、冒頭にあげたような解釈とする。しかし、わたしは「自ずから」として「自から見えてくるものは、他人にはそれが明らかではない」と読む。そうであるから以下の四つは「無為自然で得たものは、一般には認められない」ことを述べているとする。老子は第四十一章でも一般の物事をよく理解できない人は、道のことを聞いても笑うだけである、としている。こうした無理解のことがここでも述べられている。よく「あの考えは時代の二歩も三歩も先を行っていた」と後になって評価されるものの多いことは歴史に明らかであり、そうしたものが発表当時には理解されることがなかったことの多くあるのも事実なのである。老子はこうした世に受け入れられなくい考えを持つことも自由であるとする。

宋常星『太上道徳経講義』(24ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(24ー2) 爪先立って(跂)いては足を上がげることはできないし、大股で歩いた(跨)からといって目的地までの距離が縮まるわけではない。 爪先立っていれば安定していないので、足を挙げたりして動かすことができない。それが「跂」である。大股で歩くのが「跨」である。元々「自然」とは、全く意図的なものの入らないことをいうのであり、少しでもそうしたものが入ってしまえば、これを「自然」とすることはできない。ここに「爪先立って(跂)いては足を上がげることはできないし、大股で歩いた(跨)からといって目的地までの距離が縮まるわけではない」とあるのも当たり前のことを言っているだけであるが、世間の人を見ると、おかしなことを盲信していたり、誤った考え方にとらわれたりしていることが多い。間違いを正しいものと思い込んだり、邪なことをあえて行ったりもしている。それは大道自然の理を悟ることなく、正しく判断することができていないからである。つまりは「爪先立って(跂)いては足を上がげることはできないし、大股で歩いた(跨)からといって目的地までの距離が縮まるわけではない」ということに尽きるのである。ここではこうしたことを教えようとしている。 〈奥義伝開〉この部分は「這っている(跂)ものは立ち上がることはできないし、大股で歩いた(跨)からといって目的地までの距離が縮まるわけではない」と読まれるべきであろう。初めの「跂者不立」の「跂」を「爪先立つ」と解して、爪先立っていては足を挙げることはできない、あるいは立つことができない、とする解釈が多いが、宋常星は単に「立つ」だけであると爪先立っている状態も立っていることには変わりないので、それから足を挙げることが難しいとしている。ただここは合理的な考え方をいうところであるから「這っている(跂)ものは立ち上がることはできない」と読まれるべきである。つまり「立つ」には「這っている」状態を止めなければならないからで、「這う」ことと「立つ」ことは両立させることができない。この二つを共に行おうとすると「矛盾」が生じる。ここでは合理的な思考を巡らせることで見えてくる道理があることを老子は教えている。

宋常星『太上道徳経講義』(24ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(24ー1) ここでは無私無欲が聖人の心で、(自分の判断で積極的に物事を行ったり考えたりする)有機有知は普通の人の心であるとする。聖人の「性(心の本質)」は太極至誠の理によっており、天地自然の用とひとつである。それはきわめて深く養われて安らかで、青空の中、雲が山の峰にかかっているよう(な清々しさでがある)。そのように聖人の意念は無為で、天とひとつになって、その行うべきを知っている。その心の清く澄んでいるのは、水に映る明月のよう。身心が自在であるのは、虚心で物に接するから。自分が先に立って、他人を後にすることはなく、道を体していて柔軟な対処をする。自尊を避けて、卑下につくのは何時ものことで、物的なレベルで争うことはない。それは物に執着がないからである。もし、これが普通の人であれば、どうやって欲を鎮めるかを知ることなく、名声を求めようとする気持ちも無くなってはいない。ただ人を蹴落としても自分が良ければよいとして、反省することもない。これらは有機有知で心を用いているからであり、たんなる自己肯定を求めるものに過ぎない。そうなれば自分が行ったことを誇る気持ちが、あらゆるところに顕現してしまうことになる。 この章では「自分の足で歩く」ことが述べられている。日常において自己を越えたことをしすぎないことが求められている。それは危険を回避するためでもある。通常の人は道の理に逆らって生きているし、義のないことを行う人ばかりである。 〈奥義伝開〉ここで老子は、合理的思考つまり「道」を得た自己と社会との関係を説いている。多くの人は慣習や先入観による「矛盾」をあたりまえと考えているが、それらのことも合理的思考により「矛盾」を見出し正しい理解が得られる。しかし、それをそのまま多くの人に語っても受け入れられないことが多い。静坐などの神秘行によって得られた知見が「オカルト」「秘教」として隠される所以(ゆえん)がここにある。老子は社会と個人との関わりについて四つの事例をあげている。そして最後にはまた諺を引いて、ここに述べたことが老子がかってに考えたものではなく、古代から伝えられて来た教えであることを示す。

道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(8)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(8) ちなみに合気道でも当身はあるが、それは合気を用いて行うのであって、空手などとは全く原理を異にしている。そうであるから突きの練習などを行う必要はない。通常の稽古を当身として変化させることができるか、ここに真に合気を習得できているか否かの分かれ目がある(これを植芝盛平は「勝速日」の会得といっていた)。太極拳においてもゆっくりとした鍛錬を「威力」として転換させることができるかにその鍵がある。こうした力の感覚が使えるようになるのをトウ勁(勁を悟る)と称する。その前に全身の統一によって力が生まれることが分かったのが覚勁である。とにかく体の一部ではなく全身の勢いを使って力を生み出すことに太極拳の奥義あるのであって、個々の技はその場その場で適宜生み出されると考える。こうしたことも太極拳に実戦用の動きの砲捶がない理由となっている。こうした全身の勁の使い方を合気道では「腕」の操作に(呼吸法、合気上げ)より会得し、太極拳では「足」つまし採脚(分脚、トウ脚)によって開こうとするのは文化的背景の違いとしておもしろい。

道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(7)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(7) 太極拳の打法は通常の武術とは違っているので、打法そのものを練習する必要はない。ただ「靠」を練れば良いのである。しかし、なかなか力の統一の感覚が掴めない場合には「快拳」が指導されることもある。しかし、それはあくまで練習の一部であり、これをして実戦套路、砲捶とすることはできない。「快拳」は古くは呉家にもあるし、董英傑は独自に套路を編んでもいる。もちろん楊家にも「快拳」は伝えられているが、これらはすべからく力の集中のタイミングを練るもので、太極拳ではこれを「全体力」という。全身の統一によって得られる力といったくらいの意味である。こうした「力=勁」を得るには分脚で足先に力を集め、トウ脚では踵に集める鍛錬をする。採脚は通常の太極拳の套路にはないが、採脚では足先と踵に共にアクセントを置くので分脚とトウ脚を同時に行う形となっている。太極拳の套路に採脚がないのは分脚、トウ脚があるために必要がないからであるといえる。

道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(6)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(6) 時に速いスピードの「快拳」を太極拳の砲捶ではないか、と考える人も居るが、そうではない。太極拳には本来、快練と慢練がある。また慢練においても、大体は分脚やトウ脚などの蹴技は速く行う。太極拳といえばゆっくり動くというイメージがあることから蹴技もゆっくり行う風潮が広がっているが、最後の転身擺蓮は速く行わないとうまく出来ない。これは太極拳において原理的に蹴技(腿法)が速く行われるべきであることを示している。太極拳の秘訣(張三豊の「太極拳論」)には太極拳の「根」は「脚」にあって「腿」より発する、としてある。これは採脚の秘伝でもあるが、太極拳において力を発する練習は腿法において練られる。その勢いを体のいろいろなところで用いるのが「靠」であり、拳や肘、頭などで打つのも基本的には腿法と同じ原理によっている。

道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(5)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(5) 太極拳の実戦における奥義は攻撃をどのように受け、あるいは相手を打つのかにあるのではなく、相手に触れた時の一「点」をしてどのように動くかにある。そこで動きの「線」を「点」として分割し、それを細かくすることで相手が分からない程の微細なコントロールを行おうとする。この時のあらゆる動きは「点」となっているので、攻防の動きのパターンとしての「技」は既に意味を持つことがない。そうであるから特別な間合いで「速さ」や「威力」をコントロールする動きを練る必要性も無いわけである。そのため太極拳では砲捶といった特別な套路が作られることはなかったのである。

宋常星『太上道徳経講義』(23ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(23ー7) 信ずることが足りないとは、信じないということである。 「信ずることが足りないとは」とあるのは、「上」に居る為政者のことで、「信じないということである」とは、「下」の民のことである。為政者がよく民を信じたならば、この信頼は天下に及ぶことになる。天下の民が、もし為政者を信じることがなかったならば、それはいまだ「道」「徳」「失」と一体ではないということになる。為政者も民も互いに欺き、そうなれば為政者は至誠を失い、誤った考えにとらわれ、知恵や技術で民を治めようとする。そうなれば民もまた知恵や技術でそれに応じようとする。民は為政者を信ずることなく、その顔色を見て動く。こうして為政者も民も互いに欺き合うことになる。そうなればどうして道と一体となることができるであろうか。そうなれば「自然」を語ることもできなく、人々が充分に信ずることができなくなる。それは信ずることが足りなくなるのであって、信じないということになる。老子は切にこれを戒めている。 〈奥義伝開〉最後に老子は「自然」とは合理的思考であるとする説明として信じることの足りない部分とは信じていない部分であると説明している。つまりあまり信じていない、という状態は「信じている」のと「信じていない」のとが混在している。あらゆることはこのように論理的、合理的なのである。これを易では「簡」「易」としている。人はあまりに単純であると「不安」を覚えて余計なものを足してしまう。それは不合理を生み、あらゆる矛盾が生じる原因となる。世の本当の姿、「自然」を知るにはこうした簡単な合理性、論理性を持っていれば良いわけである。

宋常星『太上道徳経講義』(23ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(23ー6) 道と一体となっていれば、道を楽しんで道を得ることができる。徳と一体となっていれば楽しんで徳を得ることができる。失うことと一体であれば、楽しんで失うことができる。 聖人は時に応じて生まれたままの気持ち(渾朴)で居ることがある。民も時に応じて、そうである。何もしないでいると時に応じて柔らかな気持ちになることがあるであろう。天下も同様で、日々安らかで何も気にすることがないのは、聖人と同様で道と同化しているのである。そうであるから「道と一体となっていれば、道を楽しんで道を得ることができる」とある。聖人は時に応じて人情に厚く誠実であるが、それは民においても違いはない。意図的なことをしなくても自然にそうした変化を知ることはできる。「天下」というものは小さなことにこだわることなく広い心を持っている。そうであるから人々は日々耕して食を摂るだけであり、それはまた聖人とその徳とひとつにしている。そうであるから「徳と一体となっていれば楽しんで徳を得ることができる」とあるのである。聖人は時に応じて衰える。世の中も衰える。そうなれば生まれたまま(渾朴)であったののが、知恵や巧みさ(知巧)を持つようになる。心の広い人も、自分のことだけを考えるようになるのである。そうなれば教えを施してその偏りを正さなければならない。法を立ててその罪を正さなければならなくなる。そうして民の心は為政者から離れてしまう。日々、礼儀や気持ちを正しくさせるような音楽によって人々を導いて行けば、日々にそれがあらゆることに浸透して行く様子を見ることができるであろう。本来的な善なる性が、また必ず回復されるであろう。為政者はそれを感じて、民はそれに応じる。そうして徳が回復されれば失っても最終的には失うことがない、ということになる。そうであるから「失うことと一体であれば、楽しんで失うことができる」としている。 〈奥義伝開〉ここでは「道」や「徳」「失」を得ることは楽しみであるとする。楽しさとは生命力が阻害されない状態において生じると老子は考える。そしてそうした状態を作り出すには合理的思考(道)によらなければならないのであり、それが実践(徳)されなければならない。そうした過程で阻害要因が無くなって行く(失)のも当然、楽しいことになる。

宋常星『太上道徳経講義』(23ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(23ー5) つまり道に従って道となるのである。特に従って徳となるのである。失うことに従って失うこととなるのである。 「道」「徳」「失」は天地に虚が満ち無くなっていくことである。「道」も「徳」も「失」も同じで、国が治まったり乱れたり、発展したり荒廃したりするのは、そうした自然な道の働きによっている。昔の聖人は天に順じ、時に応じていた。時には盛んであり、時には衰え、物事を失ったり得たりしていた。これらは全ては道と違うことがなかった。そうであるから物事においても道に従い、道を持つべき時であれば道と一体となり、徳を持つべき時であれば徳と一体となっていた。また道を失い徳を失うべき時には、ただただそれらを失っていた。これが道と一体であるということである。例えば三皇(伏羲、女媧、神農)の時には、君臣父子、ことごとく道と一体であった。天の時はもちろん道と一体であるが、人に関する事においても道に応じて動いていたのである。そうであるから聖人はその時に順じて民を教化していたので民もまた道を失うことがなかった。まさにこれが道をして天下に従っているということである。天下において道に従わないものなどありはしない。そうであるから道は全存在そのものなのである。また五帝(黄帝、顓頊せんぎょく、帝嚳ていこく、帝堯ていぎょう、帝舜ていしゅん)の時には、君臣父子もよく徳を有していた。これもまた天の時が、そうさせていたのである。人にあってもまたそうであった。聖人もまたその時に応じて、徳をして民を教化しており、民もまたそれを徳として受け入れていた。まさにこれが徳をして天下を帰せしめていた時代である。天下にあっていまだ徳に帰することのないところはなかった。そうであるから「徳と〈一体」なのである。この世の初めからずっと、気運は衰えて続けており、君臣父子にあっても、道や徳は失われて続けて来た。これもまた天の時がそうさせているわけである。人においてもまたこうした天の時に応じている。それは聖人もまた天の時に応じている。法律や刑罰をして民を治めなければならないのであれば、そうしなければなるまい。これもまた民が天の時に応じ徳を失っているからである。そうして失うべきところが失われているのも、これもまた天の時に応じてそうなっているのである。 〈奥義伝開〉あらゆるものは滅んでしまう、ということを前提