宋常星『太上道徳経講義』(25ー2)

 宋常星『太上道徳経講義』(25ー2)

物質は混沌とした中から生じたのであり、混沌は天地より先に生まれていた。

この章では無極や太極の奥義に言及していて大道の妙義が示されている。「物質は混沌とした中から生じたのであり、混沌は天地より先に生まれてlた」とある「物質」は無極や太極のレベルにあるもので、結局のところ物質の存在の様態を極めれば、こうした「理」に行き着くことになる。もちろん「物質」というのは仮りの言い方で、これは存在全般を指している。つまり形而下的な物質だけに留まるものではないわけである。そして、そこには見えはしないが「理」が働いている。そうであるから、こうした「理」を語ろうとすれば「物質」の様態を通して、それを言うより他にない。こうした物質に先んじてあるのが「道」である。物質があれば「理」がある。心があればその本質である「性」がある。このように物質と「理」、心と性を分けていうこともできるが、それらは区別することのできないものでもある。つまりあらゆる存在は一つのこと(理、大道)に帰せられる(万法帰一)のであり、全く例外とすべきものはない。そうであるから有、無を分けることなく、不可思議な存在の固定と変化を分けることもない。その根本は無の中にあり、それが五大(地、水、火、風、空)の初めとなっている。その混沌から「物質」が生まれることの妙は、天に先立ち、地に先立つの「先」に生じているところにある。そのため「物質は混沌とした中から生じたのであり、混沌は天地より先に生まれていた」とされている。無極と太極は二つのものではない。無極がすなわち太極なのである。太極がすなわち無極なのである。もし無極だけあって太極がなかったならば、物質の「理」は働くところがなくなってしまう。天や地、人や物は、その変化ができなくなってしまうのである。また太極だけあって無極がなかったならば、物質の「理」はただ個々の物質に固定されることとなり、陰陽や造化が適切な変化をすることができなくなってしまう。さらに無極にして太極であることを細かに考えて見ると、太極とは物質における変化(陰陽)の実際的な働きであるということになる。陰陽の変化は物質に見ることができるが、太極は物質そのものではない。無極とは純粋な「理」である。「理」だけでそれが働くことはないが、無極は実際のところ働いていないわけではない。こうしたところから、無極とは太極の物質存在を考えない純粋なる「理」なのであるということが分かるし、太極とはつまり無極の純粋な「理」が物質において働いているところということが分かる。成長や変化(生成化育)は、混沌とした中でひとつになっている。まず始めに混沌があって、その後に五大が生まれる。五大とは「理」だけがあっていまだ「物質」化していない状態で、これを「太易(変化の根元)」という。混沌としたエネルギーだけがあって形をなしていないわけであるので、これを「太始(おおいなる始原)」ということもある。物質存在としての概念はあるが実質的には存在していない。これを「太素(おおいなる素因)」という。「理」やエネルギーがあって物質としての形を完全に有しているのが「太極」である。太極にあってはエネルギーが充実しているが天地はいまだ分かれていない。エネルギーは広がり、それを計ることもできない。その働きは盛んで、その運用は規則正しい。その動きは滞りなく三百六十五度の周天の四分の一(一日の内の六時間)において、大道は天を左周りに行き、日月は右周りに進む。一昼夜、日が進むのは一度で(360火にして365度の円を一周する)、月は三度に及ぶことはない。つまり十九度で進んで、七ヶ月にして一周する(冬至から夏至、夏至から冬至でそれぞれ一周天する。つまり一年に月は二周天する)。これらの「一周天」が、太極の円の上を変化しながら運行している(陰陽運行)。それは人の計り知れない規則である。そうであるからこうした太極があって、その後に天地が生まれたのであり、天地があって、その後に万物が生まれたのである。物質が天地より先に生まれているというのは、天地の根本、万物の枢軸が先にあったことをいっている。修行者は、自分の「性」の中の五行の働きの先にある根本を知っているであろうか。父母が生まれる前に存していた「理」が、それであり、つまりは混沌から物質を生んでいる変化の分かれ目なのである。このことを、よく自得するべきであろう。


〈奥義伝開〉天地や物質のような形而下的なものに先んじて「理」があったとする。これは思いがなければ何も実現されない、というところからの発想である。「空を飛ぼう」という思いは神話の頃からあったが、それが実現するのは近代になってからに過ぎない。「柔」の動きの重要性は日本でも中国でも分かっていたし、それが「静」と関係するところまでは日本でも知られていて禅との関係が盛んに模索された。一方で中国ではゆっくり動くという方法が張三豊によって開かれて始めて武術における「柔」の展開が太極拳によってなされた。武術における「柔」は太極拳の出現を待ってシステムとして本格的に確立されることとなったのである。このように思想と実現にはかなりのギャップがある。中国では占いなどは結局は実際に用いることができず、方法として間違いであることがかなり前から知られていて、戦争などでは単なる民衆の扇動手段とされている。


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