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道徳武芸研究 七星歩と玉環歩〜形意劈拳小考〜(3)

  道徳武芸研究 七星歩と玉環歩〜形意劈拳小考〜(3) 七星歩の入身が広く行われていることでも分かるように、七星歩は最も古い形であると見なすことができる。相手の攻撃を横に避けて攻撃をするというパターンの発見はただ力やスピードに優る者が攻防を制するというのではない、技術によって優位を得ようとする「武術」の確立の第一歩をなすものというべき技術革新であった。こうした入身を合気道では「表」としている。一方「裏」は左構えであれば右足を引くことで、結果として「表」と同じ位置関係を作ろうとする。相手の攻撃の踏み込みが大きくなると、前に出ての入身は難しいため、右足を更に後ろに移すことで入身の形を作るわけである。こうした「裏」の入身は中国武術では太極拳の四隅推手(大リ)において見ることができる。結果として前に出ている足は右足を斜め後ろに引くことで擺歩の形となるので、入身の歩形としては玉環歩と同じになる。ちなみに玉環歩が相手の中に入るのに対して、合気道の「裏」が相手を迎え入れるところは同じではない。おもしろいことに太極拳の四隅推は合気道の一ケ条の「裏」とほぼ同じであり、最後に相手の腕を抑える動作までも共通している。ただ合気道での基本とされるのは「表」の一ケ条であるのでこれは太極拳と若干の違いを見せているが、この問題についてはまた機会をみて述べたいとおもう。

道徳武芸研究 七星歩と玉環歩〜形意劈拳小考〜(2)

  道徳武芸研究 七星歩と玉環歩〜形意劈拳小考〜(2) 形意拳の歩法を考える上で興味深いのは形意拳の劈拳(河北派)が二動作で構成されている点である。始めの動作は左構えであれば、左足を擺歩で踏み出し、次いで右足を一歩出して掌で打つ形となる。形意五行拳の他の讃、崩、砲、横は全て擺歩のない一動作で構成されているのに何故か劈拳だけは二動作になっている。劈拳を他の派で見るなら戴氏心意拳でも山西派でも劈拳は一歩踏み出して拳を打ち下ろすという一動作となっている。こうして見ると河北派で擺歩が入っているのは後に加えられたものと考えなければならなくなる。この擺歩の動作の部分は形意拳では特に「鷹捉」として入身で相手を補足する最も重要な動きと見なされている。擺歩の「鷹捉」が何時、劈拳に加えられたのはは分からないが、形式的にいうなら形意拳’(河北派)を始めた李能然からと考えるのが妥当であろう。この方法(鷹捉)はひじょうに優れた技法で、直線的な動きで力を発することをよく極めていた心意拳に巧妙な入身の動きを加えてより実戦的に高度なレベルに心意拳を押し上げたということができるであろう。このようにして天下の名拳とも称される形意拳が成立したのである。

道徳武芸研究 七星歩と玉環歩〜形意劈拳小考〜(1)

  道徳武芸研究 七星歩と玉環歩〜形意劈拳小考〜(1) 今回は形意五行拳の劈拳がなぜ他の五行拳と違って二動作で構成されているのかの解明を通して、中国武術における入身の歩法を七星歩と玉環歩に代表させて、入身の歩法がどのように形成されて行ったのかを考察をしてみたいと考えている。七星歩も玉環歩も共に入身の歩法である。七星歩は中国武術では広く知られた歩法で、多くの少林拳の門派でも練習されている。形意五行拳では砲拳にそれを見ることができる。具体的な方法としては左構えであれば、左足を半歩、斜め前に踏み出して相手の攻撃を避け、次に右足を相手の方に踏み出して入身を行い攻撃をする、というパターンである。一方、玉環歩は左構えで左足を一歩踏み出す。この時、つま先は開き(擺歩)、次いで左足を一歩踏み出して相手の背後に回り込むようにする。これは完全に後ろをとるのが理想であるが、なかなかそこまで深くは入れないことも多いので、実際は相手の斜め後方の死角に入ることができれば良いとする。こうした歩法は八卦掌の特徴とするものである。要するに七星歩は直線的な動きの入身の歩法であり、玉環歩は曲線的なそれであるということができるわけである。

宋常星『太上道徳経講義』(16ー8)

  宋常星『太上道徳経講義』(16ー8) 受け入れることができる(容)のは他に対して閉じていない立場にある(公)からである。 「性」は天地と同じである。「徳」は鬼神と一体である。「心」によれば万物を認識することができる。「性」の本体は無欲であり無為であって、何事にもこだわることがなく(端然)て清浄でもあり、天下を自分自身のように見ている。万物を自分と一体として見て、特定のものに執着することがないし、特定のものを嫌うこともない。物に執着したり、物によって自分の価値を考えることもない。まったく偏った思いを持つことがないのであり、広い心を持っていて小さな自分の考えにとらわれることもない。そうした人は、広く閉じていない立場にある(大公)といえるであろう。ここでは以上のようなことが述べられいる。 〈奥義伝開〉太極・陰陽観は、あらゆるものを受け入れることができる。そうした考え方を老子は「公」と称する。これは「私」に対する語で、あらゆるところに開かれている開放システムをいっている。「私」は「男=陽」か「女=陰」であり、こうした陽や陰の一方に偏するのは「私」であり、陰陽が共にあるのが「公」なのである。老子は太極・陰陽観が「常」なるものであり「公」なるものであるとする。いうならば時間的に開放システムであることを「常」として、空間的な開放システムであることを「公」という語で表現しているのである。つまり太極・陰陽観は時間、空間にわたって普遍的なシステム観であると老子は考えていたのである。

宋常星『太上道徳経講義』(16ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(16ー7) 「常」を知れば何でも受け入れる(容)ことができる。 「常」とは天地に先立つものであり、始まりを持たない。天地の最後にあるものであり、終わりを持つことがない。つまりそれは変化をしないのである。滅び終わることがないのである。はたしてどれくらいの人がこのことを知っているであろうか。天地は大きいといっても、それは我々の「認識(性)」の範囲の中において捉えられ得るものでしかない。鬼神はあるかないか分からないような存在であるが、我々が感応しようとしてできないものではない。万物は多いといっても、我々の生活の中にしか存しないものである。こうしたことが分かれば、太虚と一体となって、あらゆるものを受け入れることができるようになる。どんなものでも自分のものとすることができるのであり、それを「『常』を知れば何でも受け入れる(容)ことができる」としているのである。 〈奥義伝開〉あらゆる存在は我々の認識の中にある、と老子は教えている。認識できないものは例えそれが存在していても、我々はそれを知ることができないのであるから無いのと同じであろう。「常」とは太極・陰陽の世界観のことで、こうした世界観が永遠普遍のものであると老子は考えていた。あらゆる存在はこの太極・陰陽の世界の中から出るものではないと考えていたのである。そうであるから絶対神のようなものは、我々が認識できないのであるから無いとして良いということになる。我々が生きているのはあくまで相対的な世界、太極・陰陽の世界なのであるからそれ以上のことは考えても仕方がないわけである。

宋常星『太上道徳経講義』(16ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(16ー6) 「常」を知らなければ、分別を失い(妄)良くないこと(凶)が起こる。 前の文は「常」を得た状態のことを述べていたが、ここでは反対に「常」を失った状態を述べている。もし「真常」を悟ることがなければ「帰根の理」を窮めることはできない。そうなって「復命の要」を究めることができないとすれば、それはあるべき形を見失うことになる。「動」けば「妄動」となり、正しさが失われてただ邪なるものが求められるだけになってしまう。行うべきでないことを行い、結局は災いを招いてしまう。自分が良かれと思うことをすることが災いを眼ねく原因となってしまうのであり、こうしたことが起こるのは「常」を知らないからに他ならならず、結果として「分別を失い(妄)良くないこと(凶)が起こることになる」わけなのである。 〈奥義伝開〉「帰根の理」とは根本においては表面とは反対のものがあるとする太極・陰陽による考え方を立脚点としている。また、これは普遍の道理つまり「常」とされている。あるいはこれは「道」ということもできるであろう。こうした世の道理を知らなければ、生き方を誤ってしまうと老子は教えている。例えば事業を行うにしても、良い時があれば必ず悪い時が来ることを考えていなければならない。そうしないと事業そのものが成り立たなくなる。老子はシステムの完全崩壊を回避するには、必ず今とは反対のことを念頭に置いておかなければならないとする。

道徳武芸研究 ブルース・リーのワンインチパンチと椅子(4)

  道徳武芸研究 ブルース・リーのワンインチパンチと椅子(4) 寸勁を打って相手が混乱している時に、二打目を打つことは極意として口伝により教えられる。拳で寸勁を打って肘打ちを入れたり、太極拳では体当たり(靠)を入れたりする。このように寸勁は短い距離でインパクトを生じさせる技術(戦術)と、それに続く攻撃とを組み合わせる(戦略)ことによって成り立っているのであり、ブルース・リーが椅子を用いてワンインチパンチを打つのは戦術に加えての「戦略」によるものなのである。結果としてブルース・リーの「寸勁の演武」は、従来のただ押すだけのようなものよりもさらに優れたものとすることも可能であろう。これは合気も同様で、佐川幸義が「合気だけでは成り立たない」と言っていたのは、合気という「戦術」だけでは攻防を適切に行うことはできないのであって、柔術という「戦略」があってこそ武術としての攻防が成立し得ることを言うものなのである。ちなみに伝統的な演武で「戦略」を合わせて示さないのは、それを秘密にしていた方が有利であるからに他ならない。

道徳武芸研究 ブルース・リーのワンインチパンチと椅子(3)

  道徳武芸研究 ブルース・リーのワンインチパンチと椅子(3) どの国においても軍の関係部署では「兵員が足りない、武器も足りない」と言って軍費の増額を求めるが、それが妥当であるのか否かを判断するにはその前提なとなる戦術と戦略が明らかにされなければならない。しかし、そうしたことの多くは「軍事機密」と処されて明かされることがない。つまり兵員、武器がもたらす「威力」がどのように構築されるのかを判断するには、戦術と戦略が共に明らかにされる必要があるのである。寸勁は特殊な体の使い方をして短い距離で加速をつけることによって「インパクト」を生じさせることを主目的とする。これは膝の後ろを急に押された時にいっきにバランスを失うのと同じで効果をねらっている。大きくはなくても「突然の衝撃」が与えられると、人はそれを理解することができず、体勢を立て直すことがすぐにはできない。この時にさらに攻撃を加えるとそれは非常に有効なものとなる。ブルース・リーは寸勁を打ってからもさらに拳で相手を押している。実はこれは寸勁の使い方としてはまったく正しいのである。一般的な寸勁の演武ではインパクトを与えるだけにしているが、それは相手の体勢が大きく崩れることによって生じる危険を回避するためであるが、ブルース・リーの二度押しはワンインチパンチの「威力」を大きく見せることに効果があるだけではなく、寸勁の使い方を示すものとして極意にわたるものを示す演武となってもいるわけなのである。

道徳武芸研究 ブルース・リーのワンインチパンチと椅子(2)

  道徳武芸研究 ブルース・リーのワンインチパンチと椅子(2) ブルース・リーの寸勁(ワンインチパンチ)の演武で相手が大きく倒れ込むことが多いのは椅子を使うことによっていることについては前回でも触れた。本来ならばバランスを崩して後ろに数歩下がるだけで、一般的には体勢を立て直すことが可能であるが、そこに椅子があると、それがバランスを立て直す動きの障害となって、更に大きな崩れを招き倒れ込むことになる。こうした他では見ることのできない寸勁・ワンインチパンチの演出であるが、どうも当初はブルース・リーは板を割っていたようなのである。これは空手にヒントを得たものと思われる。しかし、ただ一枚の板を割るだけになってしまうので、これでは威力をあまり明確に示すことができない。実際のところ寸勁は通常の打ち方である尺勁に比べて打撃力に劣る。空手のような尺勁の打ち方であれば数枚の板を割ることも可能であるが、寸勁ではそうはならない。よほど近い距離で打つことの意味を説明しておかない限り、一般にはワンインチパンチの意義は理解されないことであろう。人の受けるインパクトは「理」によるものよりも「情」によるものの方が遥かに大きい。そのことを考えれば、説明をして板を割って見せるよりは、椅子に相手を大きく倒す方が適切であることは明白であろう。こうしたブルース・リーの演武は一見すると誤魔化しのように思われるかもしれないが、そうとも言い切れない部分がある。それは武術における「威力」は戦術(術)と戦略(理)によって成り立つからである。

道徳武芸研究 ブルース・リーのワンインチパンチと椅子(1)

  道徳武芸研究 ブルース・リーのワンインチパンチと椅子(1) ブルース・リーはよくデモンストレーションで「ワンインチパンチ」を行っている。「ワンインチパンチ」は中国武術では「寸勁」「寸拳」などと称されるもので、一寸(3センチくらい)の距離から拳を打って相手に一定程度のダメージを与え得るとするテクニックである。当然、拳打は適度な距離から打つことで、その威力が得られるわけなのであるが、ワンインチパンチはそのセオリーの中にはない。ために、それは見る者をして不可思議な感じを抱かせることになる。人は経験のない行為を見せられるとそれを理解することが難しい。そうした理解不能な部分が「不可思議」なる印象として残るわけである。一般的な寸勁の演武はただ相手がバランスを崩すことを見せるだけであるが、ブルース・リーの場合には相手が大きく倒れ込むことが多い。それはバランスを崩したところに「椅子」という障害物が置かれているためである。そうするとこの「椅子」は単に「ワンインチパンチ」を派手に見せるためだけの演出の小道具であったのか、という疑問も生まれてくる。

宋常星『太上道徳経講義』(16ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(16ー5) 「常」を知ることを「明」という。 真の「常」なる道とは「天地の心」であり「造化の本」でもある、もし「復命・真常」の奥義が分かったならば、「天地の微」に通じることができるであろう。生死の意味を知ることができるであろう。そうなれば「人」というものの存在の意義が分かる。そうでなければ、一切の衆生が「真常の性」を有していても迷いに陥ってしまうのであり、そのことを忘れるてしまうことになっている。そうなると完全に迷いの世界に入ってしまい、どうにもならない。こうなるとどうして「明」を得ているということが理解できるであろうか。ここに「常を知ることを『明』という」とあるのは、つまりは自らが「真常の性」を有していることが分かっていることを「明」としているのである。 〈奥義伝開〉ここで宋星常は「性」を出している。先に「命」に触れたので、次に「性」がなければ静坐で重視される「性命双修」が成り立たないからであろう。老子は「命は永遠である(常)」ことを明らかに知ることができたのを「明」としている。「命」は永遠ではないが、永遠でない「命」の根源には陰陽論からして「永遠なるもの」がなければならないとするのが老子の考え方である。そしてこうした陰陽観を理解するのが「明」となる。この世は男女、上下、昼夜など対立するもので成り立っている。これが「太極」であり「陰陽」なのであるが、こうした世界観を認識することで、世の中をよく理解することができると老子は考えたのである。

宋常星『太上道徳経講義』(16ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(16ー4) 命に復することを「常」という。 「天命を完全に備えている」ことは「復」することによってなされる。先の文では太極の働きについて述べていた。つまり「命」の働きをいっていたわけである。万物がもし「命」に「復」する(本来の生命活動そのままとなる)ことがなければ、そこに太極の理を完全に備えることはできない。太極の理が完全に備わっていなければ、けっして「命」の根が安定することもない。人が若くして亡くなるのは、その通常は有している「命」の根を失ったからであり、「命」を保つことができなくなったからに他ならない。これを接ぎ木をする二人に例えてみよう。その一人は唐梨(からなし)の木の枝を折って、これを山梨(やまなし)に接いだとすればそれは接ぐことができるであろう。唐梨も山梨も同じ梨の木であるからである。そうであるから継ぐことができる。またもう一人が唐梨の枝を折って、棗(なつめ)の木に接いだとしたら、それは接ぐことができない。どうして接ぐことができないのか。それは梨と棗は別の木であるからに他ならない。まったく違うものであり、類を同じくしてないものはどうしてもひとつにすることができようか。つまり「帰根復命」の道も(その「根」や「命」はどこか自分より他のところにあるのではなく自分自身の内に帰り復するのであることは)明らかである。 〈奥義伝開〉本来の生命活動に戻ることを「命」に復するという。一方、「性」は人が本来有している精神活動のことで、これも後天的な欲望などによって働きが本来のものから外れていれば、これも復することが必要となる。ここには「人は本来完全である」とする見方がある。そうであるから神仏の助けを必要とすることなく自分の努力によってあるべき状態になることができると老子は教えている。それはまた自分で何かをやらなければ何も改善されないということでもあるが、その「やるべきこと」は自ずから決まっている。自ずから現れて来るとされる。それを知るには自らは「静」で居てよく観察をしなければならない。そうして見えてきたものを実践するのが「無為」の行となる。

宋常星『太上道徳経講義』(16ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(16ー3) 物質は絶えることなく生み出されており、あらゆるものが存在の根源から生まれている。存在の根源に帰るには「静」でなければならないとされる。つまり「静」であることにより「命の根源に復する」ことができるのである。 ここでは、天地には「虚」や「静」へと返る(自然の)働き(復返虚静)があることが述べられている。そうであるなら万物においてもこうした働きがあるのは当然のことである。万物は、それぞれが違った形をしているが、それぞれにおいてその生まれる働きは絶えることがない。あらゆる生成は「無」によっている。あらゆる存在はその「根」に帰することになる。「根」とは生成の根源である。物があるのは「根」があるからに他ならない。「根」に帰するとは、つまり「根」である「虚」や「静」に帰することなのである。「虚」や「静」にあらゆるものが帰するとは、あらゆるものが等しくその「命」に復するということでもある。「命」はあらゆるものに働いてる「太極」のことである。万物の帰する「根」とは、万物が「静」に帰するということでもある。もし万物が「静」に帰することがなければ、(生成の働きも無くなるので)「命」に復することもできないことになる。「命」に復するとは「生命力の復活(一陽来復)」ということでもある。こうしたことを「存在の根源に帰るのは『静』でなければならないとされる。つまり『静』であることにより『命の根源に復する』ことができるのである」と述べているのである。「帰根復命」の意味を細かに考えれば、本来的には万物を育てる「太極」の働きということに尽きよう。育てることができるのは、気が集まるからである。気が集まれば「静」に復することになる。「静」であれば、よく「動」くことができる。「動」けば形を持つものが交わる。形あるものが交われば、気が復する(新しい生命が生まれる)ことになる。気が働くようになれば、人も物も生まれ出る。こうしたところからすれば、万物は「静」によってこそ「動」くことが可能となることが理解されよう。そうして「動」けばまた「静」へと返る。こうした(生死の)循環が続いているのであるが、これらはすべて「虚」や「静」の霊妙な働きによっている。そうであるから「帰根」とはつまりは「復命」のことなのであり、太極の根本において形を受けることなのである。「復命」とはつまり「帰根

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(16)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(16) それでは実際のところ柔道、剣道、坐禅はどのようにひとつのものとして練習し得るのか。それは丸い動きとしての八卦掌、直線的な動きとしての形意拳、そして静かに動く太極拳として始めて可能となると考えられる。こうした三拳の融合の流れは中国でも近現代において始めて見ることのできる現象であった。武術史を知ることは人々が日々の実戦や稽古を通して得て来た成果を知ることであり、それは表面的な思考による理論を超えた心身の声の発露でもあった。自ずからそのような結論となる、そうした類のものであった。そのために一見して八卦掌、形意拳、太極拳と柔道、剣道、坐禅は関係ないようであっても、その根底には必然ともいうべきものが存していることが分かったわけである。

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(15)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(15) 先に見たように「正座」を核とする柔術、剣術の体系を模索することはおもしろいのであるが、実際に練習をしようとする場合にはなかなか容易ではない問題が少なくないし、正座そのものも瞑想法として必ずしも完璧といえない部分がある。日本においてその武術史の最後である「今」にあって見えてきたのは柔道・柔術に存している丸い動きと、剣道・剣術にある直線の動きが欠くべからざるものであり、また心身の調整として瞑想、坐禅も実践されるのが好ましいとするひとつの「結論」であった。そうした中で「正座」が鍵となって柔術、剣術の融合が見えつつあったことも指摘しておいた。しかし結局、正座が瞑想法として大きく打ち出されても、武術における融合が生じなかったのは、柔術や剣術がそこまで抽象化されたものでなかったことが原因であることにも言及した。事実、正座との融合が見られたのは膝行という一人で行う鍛錬法であるし、また居合というこれも一人で練る体系においてであった。そして最後まで膝行も居合も柔術、剣術において中心的な練習法として認められることはなかったし、そうしたものとしての展開が進められることもなかったのである。

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(14)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(14) 柔術の基本としての「正座」、剣術・居合術の基本としての「正座」、心身を整える基本としての「正座」があるとして、この「正座」を中心とする体系を考えたならば、日本的な鍛錬法が確立できていたかもしれない。「正座」は柔術としては膝行から相手を付けての技として展開され、剣術では居合から相手を付けての技として展開させることができる。このような大きな可能性を持った体系が構築され得る可能性はあったのである。また現在でもそれは不可能ではないが、実質的には正座による瞑想は瞑想法としてはあまりやり安いものではない。ヨーガにも正座に似た坐法(金剛坐)があるが瞑想時に使われるのは一般的ではないようで、やはり結跏趺坐(蓮華坐)がもっぱら用いられる。また膝行を鍛錬として行おうとするなら畳の上でなくてはならず場所の制限もある。居合についても同様で基本的には畳の上でなければ練習できない(現在、居合は剣道場で練習しなければ場所が多いので板の上で練習することになるが、その場合には膝パットがなければ膝を炒めてしまう)。このように「正座』自体が鍛錬法として必ずしも扱い安いものではないところに大きな問題がある。

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(13)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(13) 徳川慶喜は健康法として膝行をしていたという(『徳川慶喜の子供部屋』)。また福沢諭吉は居合を抜いていたらしい(『福翁自伝』)。これらに共通するのは「正座」である。これまで居合が正座からの抜刀を取り入れて、本来の抜刀術から心身の鍛錬法としての色合いを強くして行く傾向が見受けられるようになることを指摘しておいた。現在、膝行は合気道でよく練習されているが、これは神道祭祀などでも基本的な身法であり、かつては日常的なものであった。これが柔術でも基本となり、居合に取り入れられて剣術でも基本となったわけである。また正座は岡田虎次郎によって健康法としての瞑想法が提唱された。これは戦前ひろく社会に受け入れられて今日でも一部に信奉者がいる。しかし正座法は岡田の急逝により短期間でブームは収束してしまうのであるが、もしこれが長く続いて坐禅と換わるものとして武術との関係が深められれば、日本の禅としてのおもしろい展開があったのかもしれない。

宋常星『太上道徳経講義』(16ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(16ー2) 虚の極みに達して、静をよく得てそれを離れることがない。(そうすることで自らは)万物と一体となって、自らもその本来の形に復するのを観察する。 「達して」とは存在の究極に至ることである。それは全くの「空」であり、なんらの形も存することがない。つまり「虚」なのである。「虚」であって、その「極」みに達しているので「極みに達して」とする。そうした感覚がこの身に常に存していることを「離れることがない(守)」という。「静」とは寂然不動であることで、それによって「虚」「一」を深く体現し得ていることを「静をよく得ている」とする。「虚」を得るのは天の道であり、「静」を守るのは地の道である。天の道がもし「虚」でなければ、存在の究極において、万物の存在の成り立つことはない。地の道がもし「静」でなければ、その究極の存在において、万物の生まれることはない。ここに万物の生まれることがないのは、「虚」が万物の造化の中核であるからである。「静」もあらゆる存在の根本である。天地に「虚」や「静」があるので、日月星辰は天にあることができているのであり、水火土石は地において形をなしているわけである。日月星辰が天にあることで、(全体のバランスが保たれて)地において万物が生まれる。物質存在が地にあって交わることで、万物が生まれる。つまり「虚」や「静」の霊妙な働きを受けていないものなどないのである。存在において「虚」や「静」と関係していなければ「出入」「陰陽」「昇降」「造化」といったものも存することがない。つまり万物が存在しているのは、全て「虚」や「静」の霊妙な働きによっているのである。しかし、これを(一方的に)「有」としてとらえるべきではないし、「無」とするべきでもない。「有」ではあるが「有」に限るものではない。「有」の一方に限ってしまえば「陰陽」は成り立たない。「無」であるが「無」に限るものでもない。それは、あらゆる存在と一体なのである。こうした「無」を知ろうとするならば、それはそこに「有」を見なければならないであろう。もし「復する」ということを知ろうとするならば、この「復」とは「命に復して根に帰する」ということになる。万物の始まりと終わり。陰陽の働き、冬至の月、これらは一年の「復」である。夜の「静」は子の刻(午前零時)に極まる。これはまた一日の「復」である。喜怒哀楽

宋常星『太上道徳経講義』(16ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(16ー1) この章では「根に帰り命に復する」という教えについて述べられている。これはつまりは「道」の根本となるものであり、修行の正道でもある。これに含まれる深い意味としては、つまりこれは「天地の運行は、天地はそれを知ってはいない」ということであり、「鬼神の変化は、鬼神はそれがどうなるかを予め分かって行っているわけではない」ということとなる。古にも存しておらず、今もない。生ずることもなく、滅することもない。こうしたすべてのことが「道」の根本となっている。聖なるものは真なるものである。これもまた「道」の根本である。天地にあっては、つまり「道」は天地の性命である。万物にあっては「道」は万物の性命である。鬼神にあっては、「道」は鬼神の性命である。(生成の根源としての)「帝」なるシンボルの先にあるものであり、あらゆる教えの奥義はここに起因している(衆妙の門)。すべてのことは「道」によっているのであり、日常のことにおいてもそれから外れるものはない。自分に関係する全てのことは「道」によっている。修行をしている人は、よく「意」は浄(きよ)らかで、「心」は空であることができているであろうか。悟りを得れば自然とそうしたものを得ることができる。こうしたことはことさらにここで述べられていないが、隠された教えとして読み取ることができるものである。 この章の眼目は「根に帰り命に復する」にある。天地、陰陽、三才、万物は、全て「太極」の変化である。「太極」とは造化の働きであり、あらゆるものの根底でもある。まさに「道」の根本はここにあるといえよう。 〈奥義伝開〉この章では静坐の実質的な秘訣である「虚」と「静」について述べられている。「虚」と「静」は同じ感覚を別の言葉で表現したものに過ぎない。老子はこうした感覚があらゆる存在の生成の根源にあるとして、これを「命(生成)」の「根(根源)」であるとする。ただこうしたものが本当に万物の生成の根源にあるかどうかは分からない。しかし老子が静坐において「虚」や「静」の感覚をそうしたものとして受け取っていたことはここに述べらていることからしても明確であろう。

宋常星『太上道徳経講義』(15ー12)

  宋常星『太上道徳経講義』(15ー12) この道を保とうとするのであれば、完成を求めてはならない。ただ完成をさえ求めなければ、新たな弊害の生まれることもない。 ここで「道」とあるのは、この章の核心がここで述べられていることを示しているのであり、ただ単にこれまで述べてきたことの続きで、この一節が出されているのではないことを表すものである。古の修行者は「道」の奥義に通じていることを「玄通」といったが、それは「虚心」が開かれているということでもある。「虚心」が開かれているから「道」の奥義にまでよく通じる(玄通)ことができている。心を「虚」にして川を渡り、心を「虚」にして周りを恐れ、心を「虚」にして賓客を迎える。心が「虚」であれば、それは氷が溶けるような自由が得られるのであり、生まれたままのように生き生きとしており、谷のように全てを受け入れることもできるが、これは清濁を区別しないということもでもある。これらは全て「虚心」ということを表している。そこには「完成」ということはないのであり「虚心」にあっては「完成」して終わるということがない。これが大道の奥義である。つまりあえて「完成」しないことで、かえって自在でいることができるのであるし、行くことも退くことも思いのままとなる。また「弊害」の生まれる道理を知って、けっしてあえて新しいことをしようとはしない。「弊害」とは「失敗」につながるものである。「遺棄」すべきものでもある。つまり「道」を守るということは「弊害」を「遺棄」するということでもあるのである。また、その才能を隠して行為へのこだわりを持つことがない。「虚心」であれば自然にそうなる。こうしたことを「新たな弊害の生まれることはない」としている。もしこれから何かを始めて功名が得られるとしても、あるいは栄誉が得られるとしても、それらは全て「新た」になされることである。ここで述べられていることからすれば「道」を保つには「完成」を求めてはならないことになる。つまり、絶対に新たに何かを行って「完成」という終わりを求めようとしてはならないのである。そうでなければ「新たな弊害の生まれることはない」ということにはならない。新しいことをしようと思って「弊害」を生み出してしまうのは、人情の常でもある。だいたいにおいて人は新しいことを争って始めようとするものである。そして「完成」にこだわり、強い

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(12)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(12) なぜ日本においては武術技法の抽象化の現象が見られなかったのか。ただまったく日本では抽象化が生まれなかったのかというとそうでもない。それは居合において生じていた。居合が剣術と柔術をつなぐ「曖昧な」一人形のシステムとなって行ったわけである。本来、居合は「抜刀術」であり、長い太刀を如何に早く抜くか、という問題を解決しようとして考案された。中国でも倭寇の使う武術があまりに優れているために倭寇(日本人)が使う太刀を使おうとして套路も考案された(苗刀)が、その場合、刀を抜くには一旦、腕の長さまで抜いて、更に刀を持ち直して完全に抜く、という形になっている。この時には刃の部分に触れることになるので危険でもあるし、すぐに抜刀をすることもできない。日本では近世あたりからは腕の長さくらいの刀がほとんどになるので、抜刀術は実質的には必要のないものとなるが、一方で対柔術(抜刀できないように腕を抑えられた時に対応するための技)であるとか鍛錬法として発展することになる。鍛錬法としての居合の有する特徴は「座ってからの抜刀」がそれである。剣術の形を見れば分かるように剣術は立った状態で対するのが普通であるので、座った状態での抜刀をわざわざ稽古することはないのであるが、刀を抜くことそれ自体の意味を失った抜刀術が居合術として心身の鍛錬という新たな道が模索される中で剣術においての存在意義を獲得して、本来は居合をしていなかった新陰流などにも制剛流の居合が取り入れらることになるのである。

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(11)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(11) 柔道・柔術的な丸い動き、それと剣道・剣術的な直線の動き、これらが共にあることで身体的な動きの鍛錬としては完璧なものとなることが歴史を通じて分かってきたことが武術史を通して知ることができる。かつて柔術や剣術は各地の藩校などでも共に師範が居て教えられていたが、それらが「ひとつのもの」として認識されることはなかったようで、剣術をベースに柔術がそのシステムの中に統合されることもなかったし、また柔術の中に剣術が同じ理論の中において教授、練習されることもなかったのである。それは日本においては柔術にしろ剣術にしても共に相手を付けての稽古であったことが大きく原因していると思われる。つまり抽象化が進んでいなかったので、違うシステムとの融合が生じにくかったわけである。これが中国武術のように一人での形の稽古が主体であれば、攻防の動きは抽象化され、それが突きの技としても、投げの技としても解釈できるようになる。実際に套路は「打、拿、シュツ(手偏に率)」と変化するといわれる。つまり套路にある一つの動きは「突き蹴り(打)」として使えるのに加えて「逆手・関節技(拿)」や「投げ技(シュツ)」として展開することも可能である。こうした「曖昧さ」が一人形の套路にはあるので、丸い動きの八卦掌と直線の動きの形意拳があたかもひとつのシステムであるかのように練習することが可能となっているのである。

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(10)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(10) 現在の禅宗は慧能が伝えた南宗禅による。よく知られているのは神秀と慧能の悟りを表した詩の応酬でこれにより慧能が正式な弟子と認められたと慧能は伝えている。この系統を南宗禅として、神秀の北宗禅と区別をするのであるが、神秀のその時の詩で問題となったのは「時々はよく磨いて、塵のつかないようにしなければならない(時時勤拂拭 莫使有塵埃)」という一節で、これに対して絵能は「本来的にすべては無なのであるから、どこに塵がつくところがあろ(本清淨 何處染塵埃)」とした。常に心身のメンテナンスをしておかなければならないという立場からは易筋経の存在を前提とすることがあったとも考えら得る。慧能は寺では米搗きの仕事をしており修行僧ではなかったために易筋経や洗髄経のことを知らなかったのではなかろうか。後に北宗禅は滅んでしまうが、最近では敦煌文書などに北宗禅関係の史料が見受けられることも報告されているので、北宗に易筋経や洗髄経が伝わっていたとする視点から改めて史料を読み直すと新たな発見があるかもしれない。

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(9)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(9) 少林拳が禅寺である少林寺から生まれたとされるように本来的に中国武術と静坐や坐禅といった「瞑想」は深い関係にあった。伝えるところではダルマは易筋経と洗髄経を教えたのであり、洗髄経は坐禅で、易筋経は導引とされる。そしてこの導引から少林拳が生まれたのである。この洗髄経の坐禅と、易筋経の導引の組み合わせはハタ・ヨーガにも見られる。瞑想法と体位法との組み合わせである。釈迦の時代の仏教では体位法が取り入れられることはなかったが、もしかしたらある時代にそうしたものが取り入れられてそれをダルマが伝えたのかもしれない。実際のところ白隠が坐禅だけを熱心に修行して心身の不調をきたしたように坐禅だけでは心と身のバランスを取りにくい場合が多い。今ではダルマが易筋経を伝えたとされる説はまったく荒唐無稽とされるがあながちそうとも言えない部分もあるかもしれない。

宋常星『太上道徳経講義』(15ー11)

  宋常星『太上道徳経講義』(15ー11) どうやれば濁りを止めることができるであろうか。それは静かにして徐々に清らかになるのを待つのである。どうして長く安らかにしていて(新たな)動きが徐々に生まれて来ないなどということがあるであろうか。 これは前に述べたことを更に明らかにしようとしている。「混じりあっている(渾)」とは、迷いの中にある人たちの中に共にいて、それはあたかも混濁の中に共にあるような状態に居ることなのであるが、古の善を実践する修行者の心は常に「清」や「静」から離れることはなかったのである。そうであるから「渾」や「濁」は、善を実践していた修行者にあっては心を用いた時にそう見えるというだけのことといえる。人の情は「善清」だけではない。「悪濁」でもある。もし「清」を知ることがなければ「情」を浄化することなどできはしない。「静」が久しければ、情の「濁」りは自然に「清」くなる。人の情にあっては、心を「安」らかにしていれば「清」への「動」きを得ることは簡単である。しかし、多くの人は混濁した心の働いている「動」にあって、浄化への「動」を得ようとして、それが不可能であることを知らない。心が「安」らかであること久しければ浄化への「動」は自然に生まれて来る。そうであるから善を行う修行者は、必ずしも「清」を求めることはない。もし心が「濁」っていても、そのままにして久しく居れば、心は自ずから「清」らかになることを知っているのである。人と共に居ても、あえて自分との違いを際立たせることはなく、一般の人と同じく居て、その「長」を示すこともない。自分はただ「静」にあるだけである。そうするだけで自然に徐々に「清」らかさは生じて来る。けっしてむやみに他人と清濁を区別するうようなことに「動」くことなく、「安」らかに久しくただあるだけなのである。そうであるから他人と自分との違いが目立つようなことは無い。そうであるから普通にしていても、自然にその浄化の働きが生じて自らの「長」が示されることとなる。そうなると、自分の足りないところも補われる。それは自分はただ「安」らかにしていて自らを養っていれば、自然に徐々に浄化への「動」きが生じるからである。これが「濁りにあって清らかさの生まれる」時を知るということである。「安」らかであれば「動」きが生まれる。それは動静・陰陽が循環しているからでもある。人の心の

宋常星『太上道徳経講義』(15ー10)

  宋常星『太上道徳経講義』(15ー10) それは「混じりあっている(渾)」のであり、あたかも濁っているかのようでもある。 これは和光同塵のことを、強いて形容している。古の善を実践した修行者は、心は虚明であり、本来の心の状態である「性」は明らかな悟りを得ていた。訳のわからないところに迷い込むことはなく、生き方において正しさを失うことはなかった。そうであるが、外には「聖」なるものを見せることなく、あくまで平凡にしていて、その「光」を表すことはなかった。親しい人でも、疎遠な人であっても変わりなく対して違いのあることがなかった。民が憂えれば自分も憂え、民が喜べば自分も喜ぶ。その全く「混じりあっている(渾)」様子は、民と一体であるかのようにも見えた。そうであるから善を行う修行者も、一般の人たちも違いがないように見られたのである。こうしたことを「混じりあっている(渾)のは、あたかも迷いの中にいる人たちと混じって、共に混濁の中にあるかのよう」とされている。 〈奥義伝開〉老子は、愚かな人は「道」の教えを聞くと笑い出す(第四十一章)と述べている。「道」とはあるいは当たり前のことであるから、それをありがたく思わないし、あるいは常識を逸脱するものであることもあるから、そうなると取るに足りない、と思ってしまうのであろう。老子はさらに愚かな人々が笑わないようでは「道」とするには足りない、とまで言っている。こうした言い方は神秘主義者によくある「知の優越」の現れでもあるが、神秘主義は、もともと通俗の知をこえるためにあるのであるから、こうした感覚の生まれるのは当然といえば当然でもある。よく老子は「負けるが勝ち」のような敗北主義的な立場の人と誤解されているが、そうではない。老子の思考の背景には自らが「知の接待的な優越者」としての自信があることを忘れてはならない。

宋常星『太上道徳経講義』(15ー9)

  宋常星『太上道徳経講義』(15ー9) それは「むなしい(曠)」のであり、あたかも「谷」のようである。 これは空間があってものを入れることのできるところであることを、強いて形容している。古の善を実践した修行者は、心の徳は虚であり、それは「これ」として特定できるものではないことを知っていた。人の本来の心のあり方である「性」は、基本的には「空」であって、特定のものとして存在してはいない。つまり「虚」であり、非存在なのである。こうしたものであるから事に応じて働いても、それが窮まるということがない。空であり非存在であるので、あらゆるものを受け入れる。それは大きな空間を持つ谷のようでもある。気がここに入っても、みつることはなく、気が出て行っても涸れることもない。すべては「空」なのであって、太虚が形として存在しないのと同じである。昔から今に至るまで、太虚は一定の形を持つことなく万物と一体となっている。それは「むなしい(曠)」ようでもあるし「むなしい(曠)」ことのないようでもある。あらゆるものを受け入れる「谷」のようでもあるし、まったくそうしたものに関わらないようでもある。太虚にあって、その「むなしい(曠)」ことの実際は知ることができないし、「谷」がどのようであるのかも分からない。そうしたことを「むなしい(曠)のは谷のようである」としているのである。 〈奥義伝開〉心が虚であることを「谷」のイメージで表現しようとする。老子は大道を「谷神」とも言っている(第十六章)。日本でもこうした「谷」のような地形は「やと(谷戸)」といって特殊な地域と考えられていた。そこには「やと神」が住むとされていて「常陸国風土記」には「夜刀神(やとのかみ)」が居たと記してある。またこれを蛇神であるともしている。森閑とした静寂の中に潜む生き物の気配、そうした雰囲気の中に太古の人たちは生命力の不思議を感じたのであろうし、また静坐においても静寂の中で開かれる生命力を「谷」のイメージとしてとらえたのであろう。これを中国的にいえば「静が極まって動が生じる」ということになろうし、ヨーガであれば「ムラダーラ・チャクラに眠るクンダリニー・シャクティが覚醒する」と表現できるものでもあろう。ここで重要なことは「虚」つまり「静」をよく極めることである。

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(8)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(8) 八卦拳には「八卦拳としての羅漢拳」と「八卦掌としての八卦掌」があるのであるが、八卦掌部分のみが形意拳に取り入れられて八卦掌として知られるようになる。そうなった理由としては形意拳にあっては「直」の技法は中国武術の最高峰ともいえる五行、十二形を既に有していたこと、また八卦拳を伝えた董海川が羅漢拳(八卦拳)を容易に伝えなかったことなどが原因していよう。董海川は静坐をよくしていたと伝えられており、ここでも「直(羅漢拳)」と「曲(八卦掌)」それに「坐禅(静坐)」の融合を見ることができる。形意拳では渾元トウから三才式などの静止した状態を保つ功法がいくつか考案されて静坐と拳術との融合が模索された。とりわけ形意拳では「道芸」として拳術である「武芸」一辺倒では形意拳は完成することはないことが強調された。こうしたことは古い時代の形意拳界の様子を記した李仲軒の『逝去的武術』でも詳しく書かれている。

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(7)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(7) 攻防の「技」ではなく体の動きとして見るならば投技は「曲」の動きであり、突き蹴りは「直」の動きである。柔道は「曲」で剣道は「直」である。形意拳は「直」で八卦掌は「曲」である。こうした視点はひとつの技や流派を投げや突き、体術と武器術といった表面的な視点ではなく、そうしたものの中に含まれる深層としての身体の動きとして見た場合に、そこに「直」と「曲」が認められることを示すものである。日本の近現代にあっては柔道が広まるにつれて「直」の動きである剣道が求められるようになった。また剣のような武器がまったく使えない時代となったことを受けて「直」の動きは空手に求められるようになる。そして「直」と「曲」とを含むものとして少林寺拳法などが提示されるようにもなったわけである。一方、中国では「直」の動きの形意拳には「曲」の八卦掌が取り入れられた。ちなみに八卦掌の源流である八卦拳には「直」の動きとして羅漢拳、「曲」としては八卦掌があったのであるが、形意拳では「曲」の八卦掌だけが取り入れられた。形意拳は天津派の李存義、張占魁によって中国全土に広まるが、それにつれて八卦掌もその存在が知られるようになる。このため八卦「拳」は八卦「掌」というやや変わった名称で知られることになった。また一部には八卦「拳」を正しい名称として使おうとする人たちもいた(孫禄堂や孫錫コンなど)。こうした武術家は何らかの経緯で「八卦拳」が本来の名称であることを知っていたのであろうが、形意拳に取り入れられた「八卦掌」が八卦「拳」の一部であることは理解していなかったようである。

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(6)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(6) 柔道と剣道を共に学ぶことで、投技と武器術を修得することができるし、空手をやれば突きや蹴りの技を知ることもできる。これらの武術とは後発の少林寺拳法では投げや突き、蹴りもシステムとして取り入れている。また剣術と禅は近世から融合が進んだが、そうした要素も少林寺拳法にはある。こうして見ると少林寺拳法には現在の武術に求められる全てが備わっているように思われるかもしれないが、状況はそれほど単純ではなく、往々にして「全てはあるが、全てが中途半端」と酷評されることもある。よく少林寺拳法と不遷流との関係が説かれる。開祖の宗道臣はまた八光流を学んだともいわれる。確かに少林寺拳法は逆手投げが多いことからも不遷流のような古流の柔術が基本であることは明らかに見て取れる。それに日本拳法のような突き蹴りが加えられたようである。ここでは少林寺拳法の歴史を述べることが目的ではないのでこれについては詳しく論ずることはしないが、ここで見るべきは突き蹴りの体系には投げが、投げの体系には突き蹴りが求められるという一種の身体的な要求を宗道臣は確実に見抜いてそれを満たすシステムとして少林寺拳法を造ったということである。

道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(5)

  道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(5) ここで重要なことのひとつに武術というシステムにおいて投技と当身がともに必要であることである。本来、柔術にも当身があった。特に天神真楊流では当身が深く研究されていたというし、心眼流は独特の当身の技法を有している。武道として柔道、剣道が広まった現代日本にあって求められたのは当身であった。その要求を満たすものとして空手や少林寺拳法などを練習する人も増えて行った。空手では和道流が逆に投技を取り入れ、少林寺拳法では投げや逆手を柔法、突きや蹴りを剛法として柔道や空手の体系において足りないところを補う形を提示した。これらは「攻防」という視点においてそれぞれが不足している部分を補完するシステムとして確立されたのであった。さらに少林寺拳法では中国の少林寺にならって禅寺というスタイルもとっている(ただ坐禅は禅寺のような本格的なものではないようであるが)。このように求めらるものを取り入れてその時々の武術としてのシステムをより優れたものとすることは大切で、このために八卦拳では八宮拳というカテゴリーが設けられていて、その時々に必要な技術を八卦拳というシステムの中に取り入れることができるようになっている。また太極拳では「長拳」とされるものがあり楊澄甫は中央国術館での韓慶堂と交流することで教門長拳の動きをそれに取り入れた。また韓慶堂は太極拳を学んで弟子に伝えもいる。