道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(10)

 道徳武芸研究 柔道、剣道と坐禅〜身体的な要求とシステム〜(10)

現在の禅宗は慧能が伝えた南宗禅による。よく知られているのは神秀と慧能の悟りを表した詩の応酬でこれにより慧能が正式な弟子と認められたと慧能は伝えている。この系統を南宗禅として、神秀の北宗禅と区別をするのであるが、神秀のその時の詩で問題となったのは「時々はよく磨いて、塵のつかないようにしなければならない(時時勤拂拭 莫使有塵埃)」という一節で、これに対して絵能は「本来的にすべては無なのであるから、どこに塵がつくところがあろ(本清淨 何處染塵埃)」とした。常に心身のメンテナンスをしておかなければならないという立場からは易筋経の存在を前提とすることがあったとも考えら得る。慧能は寺では米搗きの仕事をしており修行僧ではなかったために易筋経や洗髄経のことを知らなかったのではなかろうか。後に北宗禅は滅んでしまうが、最近では敦煌文書などに北宗禅関係の史料が見受けられることも報告されているので、北宗に易筋経や洗髄経が伝わっていたとする視点から改めて史料を読み直すと新たな発見があるかもしれない。


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)