宋常星『太上道徳経講義』(16ー6)

 宋常星『太上道徳経講義』(16ー6)

「常」を知らなければ、分別を失い(妄)良くないこと(凶)が起こる。

前の文は「常」を得た状態のことを述べていたが、ここでは反対に「常」を失った状態を述べている。もし「真常」を悟ることがなければ「帰根の理」を窮めることはできない。そうなって「復命の要」を究めることができないとすれば、それはあるべき形を見失うことになる。「動」けば「妄動」となり、正しさが失われてただ邪なるものが求められるだけになってしまう。行うべきでないことを行い、結局は災いを招いてしまう。自分が良かれと思うことをすることが災いを眼ねく原因となってしまうのであり、こうしたことが起こるのは「常」を知らないからに他ならならず、結果として「分別を失い(妄)良くないこと(凶)が起こることになる」わけなのである。


〈奥義伝開〉「帰根の理」とは根本においては表面とは反対のものがあるとする太極・陰陽による考え方を立脚点としている。また、これは普遍の道理つまり「常」とされている。あるいはこれは「道」ということもできるであろう。こうした世の道理を知らなければ、生き方を誤ってしまうと老子は教えている。例えば事業を行うにしても、良い時があれば必ず悪い時が来ることを考えていなければならない。そうしないと事業そのものが成り立たなくなる。老子はシステムの完全崩壊を回避するには、必ず今とは反対のことを念頭に置いておかなければならないとする。


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