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道徳武芸研究 形意拳の五行説(1)

  道徳武芸研究 形意拳の五行説(1) 形意拳の母拳となるのが五行拳である。五行は五行説によるもので、5つの要素(木、火、土、金、水)がぞれぞれが関係をして生み出したり(相生)、破壊してしまう(相克)とする考え方である。世界の成り立ちをこのように捉えることで、この世界の実相を知ろうとしたのであり、また次に何が起こるかをも予測できるのではないかと考えた。そうであるから五行説はあらゆるものに当てはめられるようになり、それは形意拳のように身体ばかりではなく、味や季節、色などにも五行をして配されるようになった。ただこうした傾向は夏は「火」であり、苦味も「火」であるから夏には苦いものを食べると良いなどという迷信を生むことにもなった。五行説はあくまで季節なら季節でそれぞれの位相関係を示すものに過ぎず、それを越えて何かをいうことは適当ではない。形意拳の五行説は身体においてそれを考えているのであって、それはつまり劈拳は「金」で「肺」と関係し、讃拳は「水」で「腎」、崩拳は「木」で「肝」、砲拳は「火」で「心」、横拳は「土」で「脾」とされる。もちろんこれは劈拳を練れば肺が整うというものではない。形意拳では「拳訣」と関係して五行拳に五行を配しているのである。

宋常星『太上道徳経講義」(6ー3)

 宋 常星『太上道徳経講義」(6ー3) 綿綿、存するがごとければ、これを用いても勤(つか)れず。 最後にこの章のまとめが記される。「谷神」であるとか、「玄牝」であるとか、「天地の根」であるとかの働きは、無為にして為されるのであり、あえて陰陽が円満に交わる機を探るようなことがなくても、自然にして熟している。それは予測することもできない「玄蘊の密義」なのである。それは見ることができないので無いようであるが、実は存している。そうであるから「存するがごとければ」とある。つまり存してはいるが、何時でもそれが実感されるわけではない。そのために「綿綿として存するがごとければ」とあるのである。これは生じさせようとすることがなくも生じているのであり、その生じていないところはない、生の至(いたり)なのである。(成長変化は)化することなくして化しているのであり、あらゆるものにおいて化していないものはない。これは化の極(きわみ)である。あらゆるものが生まれ生まれて、化し化しているものの天地はそれを知ることなく、万物にあっても万物はそれを知ることがない。これを使おうとしても意図的に使うことはできず、これを用いようとしても用いることはできない。これは天地の根の立つところ、玄牝の出入りするところの門であって、谷神も死ぬことのないところでもある。もしこうした(生成変化の)意味を知ることができれば、天地も人も物も、すべて一つの理で動いていることが分かるであろう。またこの身の谷神がこれまでまったく天地の谷神と違って働くことのなかったことも知ることであろう。我が身の玄牝も、いまだかつて天地の玄牝と違って出入りすることはなかった。真の呼、真の吸は、綿綿として存するがごとくで、真の陰、真の陽はこれを用いても勤(つか)れることはない。陰陽の実理は、自ずから悠然としており、それを深く得ることは可能なのである。 〈奥義伝開〉「谷神」は虚であり、そこから「玄牝」である陰が生まれ、陽が生じる。ここから「天地」すなわち陰陽の働きによって、この世に万物が生み出される。万物の「根」はここにある。これと同じことが人体においても生じている。ために人がいろいろなものを生み出そうとするのであれば、それは「虚」によらなければならない。ただそれをどのように実現するか、が問題であったが、これは太極拳のような動きをすることで「綿綿」の呼吸

宋常星『太上道徳経講義」(6ー2)

  宋常星『太上道徳経講義」(6ー2) 谷神は死せず。 「谷」という字は、山の空虚なところ「穴」のようなところをいう。そうした中で隔絶した聖地のようなところが「谷神」とされる。「死なず」とあるのは、どういうことであろうか。およそ虚の中は何らのシンボル(象)も存してはいない。そうであるから谷神の「神」はいわゆる「神」そのものではない。これはつまりは「不死の元神」なのである。そうであるから「谷神は死せず」とされている。天地の万物は、それぞれ「谷神の妙」を有しており生成変化をしているが、すべては無の中から生まれている。つまりこれが「谷神は死せず」の秘密の意味なのである。天地にもし「谷神」が存していなければ、美しい景色も美しさの光を発することなく、また一日は順調に巡ることもない。人の体にもし「谷神」がなければ「性」は長く存することはできないし、「命」も安定して働けはしない。そうであるから天地がよく長く久しく存していられるのを「谷神は死せず」といっている。人がよく長生き(長生久視)できることも「谷神が死せず」ということのためである。「死せず」とは虚霊不昧ということで、これ視ようとしても見ることはできず、ただその働きを感得することができるに過ぎない。いろいろな物を生み出し、万物を造化する。すべては「死なず」という働きによっている。そうであるから「谷神は死なず」とあるのである。 〈奥義伝開〉生成の働きの根源を「谷神」としている。それは生成の働きの根源が「虚」であるからである。これを「性」という。「性」は人にも、天地にもある。人の「性」は亡くなるとそれで終わりであるが、天地の「性」は永遠である。そうであるから人の「性」もこうした永遠につらなっているから「死せず」とする。虚の「性」は、実際には実の「命」として成長として現れる。 これを玄牝と謂う。 先に「谷神は死せず」とあったが、これによって老子は「虚中の妙」を知らしめようとした。また「谷神」で「玄牝」ということをいおうとしていた。「玄」とはつまりは「無極」ということであり、太玄は先天の気を生み出すもとであるが、それを知ろうとしてもなんらの兆もなく、思考や記憶の及ぶところではない。「牝」とはつまり「太極」であり、「万物の母」でもある。これよりあらゆるものが生まれ、それ以外に生成は存しない。天地にあっては陰陽の昇降であり、人にあっては神

宋常星『太上道徳経講義」(6ー1)

  宋常星『太上道徳経講義」(6ー1) 空であって物が無く、虚であって神が有る、無象であるが実象でもあり、神ではなく、神が存在しているのでもない。それが「谷神」と謂われていると教えられた。ただ「谷神」は虚霊ではあるがその存在は明らかであるので「谷神は死せず」とされている。これが玄牝においては陰陽が寂滅している、つまりは「天地の根」となる。それは門でもあって、ここに「出入の妙理」も存している。これが「玄牝の門」とされる。この門の妙は、それを悟ったならばあらゆる法がすべてここから出ていることが分かるのであり、これに迷ってしまうとあらゆるものが分からなくなってしまう。修道の人が、よく虚静の境地に安んじることができれば、まさに「始め無き始め」と出会うことになろう。また神ならざるの神の存在に出会って「天地の根」は(ただ働きとしてあるだけで、何か)天地の根といったものが存在しているのではないことを知ることができるではなかろうか。これは昔の聖人であっても、 その働きを体験して、それを悟る以外にはなかった。天の彼方の神仙であっても、それを得るには、働きを知る他になかった。天下の道を学ぼうとする者の悟るところは、それをそれとして悟る以外にはない。こうして修行をするにしても、(テクニックを用いる)有為の修行でも、(ただ坐るだけの)無為の修行であっても、すべては働きを知るところから入ることになる。こうして修行をすれば、聖人であっても、凡人であっても変わりなく、有為でも、無為でも、「無名の道」に入ることができるのである。つまり聖人でも、凡人でも等しく、「玄牝の門」に入ることができるわけである。そうであるから老子は「谷神は死せず」という奥義を述べておられる。「玄牝の門」とされているのは、聖人でも、凡人でもそれを悟ることができるし、道と徳とを実践するそのすべての真伝がここにある。 この章では老子は「天地の根」のあることを指摘され、これがつまりは「虚中の妙」であるとされる。道を学ぶ者は「虚中」つまり「天地の根」に自分が立っていることを知らなければならない。 〈奥義伝開〉「谷神」でも「天地の根」「玄牝の門」でも、これらはすべれ「働き」をいうもので、谷神という神が居るわけでも、天地の根という根があるわけでみ、玄牝の門という門がわるわけでもない。これらは等しく生成の根源をいうもので、生命力の働きそのも

道徳武芸研究 八卦掌と暗器(8)

  道徳武芸研究 八卦掌と暗器(8) 私見によれば塚原卜伝の「一の太刀」が、新陰流の「浮舟」と同様の技法ではなかったかと思っている。「一の太刀」は卜伝が鹿島神宮に参籠して授かったものとされていて、卜伝は鹿島新当流を伝えてはいるが、その中には「一の太刀」はない。そうしてみると「一の太刀」は攻防の技法ではなく、太刀を投げるというひとつの口伝のようなものではなかったかと思われるのである。間合いをはかれば、どの形においても「一の太刀」を使うことは可能であり、ある意味で必勝の口伝とすることができよう。こうした遠い間合いの両手で使う方法から、近い間合いの棟に手を当てて使う方法、そしてごく近い間合いで刀を投げるといった方法への変化は武器の「暗器」化と捉えることができるのかもしれない。つまり「暗器」化とは必勝へのあくなき追究の過程で生まれたものと考えられるのである。ちなみに「一」という形が刀を投げた形に似ていることも、「浮舟」が「一の太刀」説の幻想を補強するものと考えている。

道徳武芸研究 八卦掌と暗器(7)

  道徳武芸研究 八卦掌と暗器(7) 武器を投げるという行為は現在はあまり行われないが、中国武術の槍や棍の伝書を見ると短刀を投げるという教えが随所に見られる。最初に短刀を投げて怯んだところを攻撃したり、相手が槍や棍を受けて膠着状態になった時にこうした古小型の武器を投げて使うと教えている。これからは宮本武蔵と同様な「持っている武器はあますところなく使いたい」という考えを見ることができる。また新陰流の燕飛(えんぴ)と称する一連の形の中に「浮舟」という技があって、これは太刀を相手に向かって投げている。その前提となるのが刀の棟に手を添える操法である。通常、日本刀は両手で柄を持つのであるが、片手で柄を持って、もう一方の手で棟を抑えて使う方法もあり、これは大体が江戸時代以前の剣術で多く用いられていたようである。こうした操法は短い間合いで刀を使うためのもので、甲冑を着た相手の甲冑の隙間を正確に狙って斬るための方法とされている。またこの間合いは短刀などと同じ間合いといえる。この操法の時に刀を水平に構えて投げるのが「浮舟」である。形ではいきなり刀を投げつけて来るのをこちらは切り落とすという展開になる。他に新陰流では足を斬るのに対処する特別の形があったりして面白い。新陰流では他流派の珍しい技の対策を多くしてくれたおかげて、当時の思いもよらない技法を知ることができる。

道徳武芸研究 八卦掌と暗器(6)

  道徳武芸研究 八卦掌と暗器(6) 「暗器」には相手を引き倒す他に「手裏剣」としての用法も重視されている。手裏剣は数メートルが射程範囲であるが、「暗器」の場合にはごく近い距離で投げて一定のダメージを与えることを目的とする。特に点穴針などは手裏剣そのものということができるであろう。点穴針は腰帯などに忍ばせておいて入身で相手の死角に入ったら下から上方向へ円を描くようにして相手に投げつける。さらに近くの密着したような状態であればそのまま刺せば良いし、反対の尖っていない方で打つことも可能である。このような変化に富んだ用法を確保することが「暗器」には必要なのであるが、一般に見られるような「鉄の指輪」のついている点穴針では使い物にならない。これは演武において点華針を回してその存在をアピールするためのもので、ただ点穴針を持っていたのでは見え難いためである。回転させてその武器のあることを演武を見ている人に知らしめるためであって、実戦からすればまったく逆の効果しかないことになる。また「指輪」があると点穴針が受ける衝撃が一本に指に集中してしまうことになりきわめて危険でもある。

道徳武芸研究 八卦掌と暗器(5)

  道徳武芸研究 八卦掌と暗器(5) 鈎はどうして日月弧形剣として「暗器」化したのか。それは「暗器」に相手を引き倒すという効果が期待されているからである。特に徒手の攻防においては相手を引き倒すことが大前提であり、最も深く研究されていた。蟷螂拳でも秘宗拳でも鷹爪拳でも相手を引き倒す方法が前提となってシステムが構築されている。ちなみに太極拳や八卦掌などでは相手を大きく崩す必要はないと考えて、「如何に掴むか」ではなく粘りを作る方法が模索されたのである。この方法では技は微細な反応を使うので難しくなるが、返し技を使われる危険が少ないという利点もある。現在はいろいろな競技試合が広く人々の眼にされるようになって、相手を引き倒す、という行為がまったく顧みられなくなって来ているようである。相手を引き倒しての攻撃はダメージがひじょうに大きいために競技試合では使われることがないが、それは反対から考えれば、優れた有効な方法であるということでもある。

宋常星『太上道徳経講義」(5−3)

  宋常星『太上道徳経講義」(5−3) 多言は数を窮(きわ)む。中を守るにしかず。 これは老子が「多言」を譬えとして使って、まさに「守中」の意味を示しているのである。言語の妙は適切であるところにあるのであり、ただ多く言うことが貴ばれることはない。一言をもって大悟させることができるし、半句をして玄に通じさせることも可能である。しかしあまりに多言を費やすと、理を窮めることもできず、言葉が適切に使われることもない。すべては「守中」でなければならず、あまりに過ぎてはならないし、足りなくてもよくない。そして適切な時を得て話をする。そうであれば間違いはない。言葉が過ぎることはなく、ここに「守中の妙」を知ることになろう。性命の道を修するとはどういったことであろうか。それは「守中」であるに過ぎない。眼は多く見ることがなければ、その魂が動き過ぎりことはない。その意が脾にあれば、五神は自ずからよく守中に納まっている。五気は自然に集まり、その精は自然に化して気となり、その気は自然に化して神となって、その神は自然に還虚する。『道書全集』には「神が外に遊ぶことがなければ精の漏れることはない。気を集めるには特別な秘訣はない。もしよく四象が中宮に入れば、霊丹が自ずから結ばれる」とある。これが修行というものである。守中の妙、つまり天地は虚の中に妙があるということである。その理は一つであり、それを一語でいうなら「中」の一字となる。天地にあっては(すべてのものに対して不仁で公平である)「廓然の大公」が行われているのであり、これは至誠、無息の実理でもある。人にあっては虚中の静一で、「谷神は死せず」といわれる先天の神気なのである。この先天の気は形もなく始まりも終わりもない。間断することもなく、天地万物の先に存しているわけでもない。先天の中気の妙は、こうしたものである。つまりは天地万物の生まれた後の先天の気の妙なのである。またそうであるから乾坤の枢紐、元化の本根、万物の総持(中心)、性命の機要となっているのである。もしこの先天の中気の理を知ることができれば、天道についての悟りを得ることができる。この先天の中気の気を運ぶことができれば、自然に性と命は円やかに交わることになる。 〈奥義伝開〉「谷神」とは老子の第六章に出てくる太古の時代の神である。老子はこれを「天地の根(根源)」の象徴であると考え、それは「綿綿」

宋常星『太上道徳経講義」(5−2)

  宋常星『太上道徳経講義」(5−2) 天地の間、それなおタクヤクの如きか。 天地は無私であり、そこに仁を認めることはできない。虚の中にあって無心である。「間」の一字があるが、そこで天と地の先天の気がひとつになっている。このことを知らなければならない。万物の徳は等しく、人の心は天地の理と合っている。それは存することもないし、存しないこともない。無の妙、有の妙があって、造化はここに始まり、ここに終わっている。物の理はここにより生まれている。そうであるから「タクヤク」をして譬えているわけである。底がないのをタクヤクとしている。穴があいているのをタクヤクとしている。それは風を起こすことができるということである。つまりこれは虚中の妙であって、動けばすなわりち風を生じ、静かであれば風は止む。動けば動くほど風は生まれ、風が生まれれば生まれるほどそこに動きが生じる。そうであるから一日働いており、これにより万物が生じている。すべては天地のタクヤクから出ているのである。人はよく虚の中にあるのであるから、身の中のタクヤクとはつまりは天地のタクヤクなのである。天地と我とは異なることがないのである。 〈奥義伝開〉天地は呼吸をしており(風)、人も呼吸をしている。これを鞴(ふいご)つまり「タクヤク」に譬えている。こうしたこともありあらゆる神秘的な修行法では呼吸が重視されている。多くの呼吸法も考案されているが、意図的な呼吸法は用いるべきではない。あくまで無為自然でなければならない。 虚にして屈せず。動にしていよいよ出る。 「虚」はその「中」が「虚」であるということである。「屈せず」とは気が往来して出入りしているということで、屈することなくして伸びることはない。これは「虚中の妙」である。一来一往、一消一息の動静は止むことなく、出入りは途切れることがない。上下に流通して、終始にわたって絶えることがない。その妙用の機軸は、屈することなければ伸びることはないというところにある。この機軸の運動は、動くことなくして出ることはないのであるから、屈することのできない不虚においては働くことがないわけである。こうした動は、始めから出ることはないわけである。つまり出入りの運動の妙を得るのは虚中の妙ということになる。陰陽は故によく動き、静かであって、五行はよく変化をする。そうであるから天地はその位置を得て、万物はよく生

宋常星『太上道徳経講義」(5−1)

  宋常星『太上道徳経講義」(5−1) 天地には天地の先天の中気があるとの教えがある。また人身には人身の先天の中気があるとされる。天地の先天の中気は万物の母であり、人身の先天の中気は性命の元である。これは「玄」から出ており、(五行の「木」で「春」を表す)「青」に入っているとされる。人身のそれは「玄米(玄の粒)」から出て、「牝」に入っている。もし天地において先天の中気が働くことがなかったならば、旱魃や洪水が起こり、風雨が時を得ることなく、冬に寒くならず、夏に霜が降るようになる。山は崩れ地は裂けて、川は枯れてしまう。種々の異変が起こるのであるが、これらはすべて天地の先天の中気が適切に働いていないためである。人身において先天の中気が適切に働いていなければ、普通に暮らしていたとしても、必ず気血の停滞を招き、百病の生じることになる。もし修行者であれば、身中の剛柔はバランスを欠いて、陰陽は調和することなく、五行の気は中宮に入りまとまることができない。四象は戊己(つなり土の兄、土の弟で「土」の中心)に帰することができず、火候は(心と体である)龍虎を制御することができなくなる。さらには陰は火の勢いを衰えさせ、不幸が続いて起こることになろう。この章では始めに天地のことから述べて、つぎにはフイゴ(ホキ)の例えを出している。そして最後には「守中」の語が示されて、「守中」の道が教えられる。「守中」となれば国を治めることもできるし、家を斉(ととの)えることも、身を修めることも可能である。聖人は人をして中道にて立たしめることを教える。それは堯が舜に命じたことと同じで、それは「中」を執ることであったのである。舜が禹に命じたのもまた「中」を執ることであったとされる。これは修道においても重要であるだけではなく、あらゆることにおいて、「守中」の道は守られなければならないことなのである。 この章で述べられている「守中」は、およそ気の及ぶところで、天より大きいものはないし、およそ形あるものでは地より大きいものはない。天地には本来、心というものはなく、無心の心があるだけであり、それはつまりは天地は不仁の仁を有しているといえる。もしこの不仁の仁が何であるかを知って、それを修することができれば、体内の河車は少しも止まることなく、性命の機は円(まどか)となり、至らないところはないようになる。そして天地の間にある「

道徳武芸研究 八卦掌と暗器(4)

  道徳武芸研究 八卦掌と暗器(4) 八卦掌の「暗器」としては日月弧形剣や子母鴛鴦鉞、点穴針などが知られている。ただ日月弧形剣と子母鴛鴦鉞はどちらも区別されることがなく「半円形を組み合わせたもの」と見なされることが多いようであるが、これらは本来は「剣」と「鉞(おの)」であるから全くことなる武器である。形の上からしても「剣」は長いが、「鉞」は短い。ではこうした混同はどうして生じたのであろうか。日月弧形剣は「鈎」から生まれた武器と思われ、簡単にいえば「鈎」が小さくなったものと考えることができる。「鈎」の系統の武器には「相手を引っ掛ける」という特徴がある。攻防においては相手の体勢を崩すだけでも有効であるし、相手を斬るような時でも体勢が崩れていれば大きなダメージを与えることができる。また本来の「鈎」は馬に乗っている相手を引き落とすことも目的にしていた。先の曲がっているところは馬の足を刈るものともされている。劉雲樵は双鈎を八卦拳の八掌拳が原形と思われる動きで使っている。そうしたことが可能となるのは、日月弧形剣と双鈎が同じ系統の武器であるからである。ただ「暗器」としての日月弧形剣にはいろいろな形がある。半円(弧形)に大小があるもの、あるいは半円の「刃」の前が長く、後ろが短くなっているなどいろいろな工夫がなされている。このように形が特殊であるのはもし武器を落としても相手が使えないようにするためである。たとえば日本刀であれば、相手の刀を奪って使うことは容易であるが、日月弧形剣のような独特の形のものはそれをそのままに使うことはできない。

道徳武芸研究 八卦掌と暗器(3)

  道徳武芸研究 八卦掌と暗器(3) これは暗器ではないが、最古の柔術ともされる竹内流では最後に短刀で相手を刺す動きが付属している場合がある。実はこうした用法は八卦掌の暗器と同じ使い方なのである。日本では短刀のような小さな武器を常に携帯してるライフスタイルが確立されていたが、中国ではそうではないので、小さな武器を持とうとすると、どうしても暗器を持たなければならなくなってしまう。こうして見ると八卦掌が投げ技の体系として一部に認識されているのも、八卦掌の持つ間合いそのものが柔術に近いものであったということも原因としてあると考えられよう。ちなみに八卦拳では基本姿勢において相手を横にすることはない。基本の姿勢を作る練習においても八卦掌のような横向きではなく正面を向いている(含機歩)。こうしたこともあって八卦拳では暗器を使うことはないのである。これは先に説明した扣歩と擺歩の使い方によるもので擺歩の独特な使い方が八卦拳では秘伝とされている。もちろん八卦掌においても形意拳と共に練習することで斜身の問題は解決できるのであり、そのヒントは龍形八卦掌の八仙過海に見ることができるのであるが、これについてはまた機会を見て論じよう。

道徳武芸研究 八卦掌と暗器(2)

  道徳武芸研究 八卦掌と暗器(2) 暗器の套路を作ってしまうと、体が武器の間合いでそれを使うように認識してしまう。そうなってしまうと暗器で相手の武器を受けようと試みが如くのことも生じたりする。暗器のような小さなもので剣や刀あるいは槍や棍などのような大きな武器を受けることはもちろんできないのであるが、さばくことであっても容易ではない。たとえ一時的にはさばくことができたとしても、いまだ長い武器の間合いは保たれているので、返し技を受けてしまうことになる。そうであるから暗器は徒手の間合いで使われるべきもので、相手が攻撃して来た時には入身で相手の内に入ってから使うことになる。八卦掌で暗器が使われるようになったのは、ひとつには八卦掌が入身を基本とするシステムであることがある。またその際に八卦掌の基本的な構えを見れば分かるように、相手は自分の横に居ることになる。通常、相手が自分の前に居れば、強い力を発して攻撃することができるが、八卦掌では相手は横に来てしまっている。このため強く打つことができないこともあって暗器の出てくる必然性が生まれることにもなるのである。

道徳武芸研究 八卦掌と暗器(1)

  道徳武芸研究 八卦掌と暗器(1) 何故か八卦掌には「暗器」のイメージを持たれることが多い。一般的に中国武術では剣、刀、槍、棍が四大兵器(武器)とされるが、その中でも剣は最も霊妙であり、槍はその変化の多いことから兵器の王とされる。ただ近代までは剣の武器としての伝承は絶えていて、もっぱら道教の儀式で使われるのみであったという。これを武器として復活させたのは李景林の武当剣であるとされているが、太極拳でも「拳」の套路は楊、呉、武、孫でほぼ共通しているものの「剣」はまったくといって良いほど違っている。これは古い時代には「剣」の套路はなく、近代になってそれぞれの門派に別れて後にそうしたものが考案されていったことを証すものといえよう。一方、暗器は特定の門派に限って使われるのではなく、それが必要と考える人が使っていたのであり、定まった形というものもない。また套路なども存していない。最近の八卦掌では暗器の套路が編まれたりしているが、暗器に套路を作ってはならないことがまったく理解されていないようである。それは暗器が徒手の間合いで使われるものであるからに他ならない。

宋常星『太上道徳経講義」(4−3)

  宋常星『太上道徳経講義」(4−3) その光は和され、 和光の妙を知らなければ、紛れるを解くことは難しいであろう。「和光」とは、その心の徳の光を和するということである。一切の有情、無情はいろいろな形をしており、名や形がそれぞれ違っているが、すべてそこには光が有されている。わたしはよくこの光と和することができるのであり、つまりは我が心の徳の光は、天地に通っていて、万物と交わっている。和光の妙は、例えば水を水の中に投じるようなもので、そうした時に水を区別することはできない。また火の中に火を投じても、その火は同じく輝いていて区別することはできない。あるいは百千万の灯を一室に置いたとしたら、部屋の中で光の無い暗いところができることも、明るすぎるところが生じることもない。どの灯から明かりが発せられているのかを区別することもできない。和光の妙はまさにここにある。そうであるから「その光を和し」とあるのである。 その塵は同じくされる。 すでによくその光を和することができていれば、必ずよく塵と一体化することができる。塵と一体化することの妙は、物と我とが共にその存在を忘れるところにある。心が清く意が定まっていなければ、自分を捨てることもできず、物へのこだわりも捨てられない。よく悪しきを化して喜びとするのであるが、それは強いて愛するのではなく、自ずから人を愛しているといったことである。汚れた俗界を観ても、そこは清浄な瑠璃浄界と観ることができる。すべてが一体となり等しいものとして万物を見る。それは光と光が共に照らし合っているようで、そこには異なる色のあることなく、心が生じ滅することもない。意(こころ)には悪しき感情も愛する感情も生ずることはない。つまり「同塵」の妙はこうしたところにあるのである。 湛たるや存するがごとくして、吾、誰の子か知らざるは、帝に先んずるが象(ごと)し。 道を修行する人は、既に「大道の冲用」について知っていることであろう。そこでは「性」の海は虚霊であり、「心」の淵は湛寂である。これらを一つに融合すれば、妙に入ることができる。あらゆる「理」をして「元」へと帰ることができる。天外の無極は、広々としており妨げるものもない。世間の限り有る生の凡人の感情も、本来はまったく明朗で、自然であり清く澄んでいて(湛湛清清)。個々人の有している虚霊は円妙で、ひとつにまとまっており(渾渾

宋常星『太上道徳経講義」(4−2)

  宋常星『太上道徳経講義」(4−2) その鋭は挫かれ、 ここまでで老子は既に大道冲用のことを述べている。「鋭」のは尖った刃のようなものである。「挫」かれれば研いだりして刃を整えなければならない。例えば人の聞いたり、見たりする知覚作用は、それが聡明な才知であれば、つまりは鋭い刃の先に例えられることが多い。しかし、もし、そうした才能も磨くことがなければ、(刃もその鋭さを失ってしまうように)現状に満足してしまい次第にそうした才能も失われてしまうことになるであろう。そうであるから急いで神を収斂して静を得て、よけいなことを考えることなくあるがままにしているべきである。そうすれば鋭い才能も表に現れることなく、その鋭さが損なわれることもないであろう。もし知性があったとしてもそれを表立って使うことがないようにする。才能があってもそれを用いることがない。ただ「一」である(渾沌、渾元の状態にある)のみで、「素」を抱えて、「拙」を養うようになれば、すでに鋭さを挫くの功は成就したといえよう。その道は自ずから冲(やわ)らかに用いられることになる。そうであるから「その鋭を挫き」とされている。 〈奥義伝開〉ここからは「秩序」から「渾沌」へと向かう流れが示される。人は人体の「秩序」が保たれている間は生きていることができるが、これが「渾沌」へ入ってしまうと体を維持できなくなる。鋭いものも次第に鈍化して行く。これが自然の姿と老子は教えている。 その紛(みだ)れるは解かれ、 鋭さを挫く方法は、この紛れるを解くことと同じである。紛れるを解くことができなければ、鋭さも挫くこともできはしない。これは天下の物事の理である。堅く織った布は解くことが難しい。堅く固まったものは解すことが難しい。大道冲用の人はそうした状況にあって、心を知り性を悟って、是非を争うようなことはしない。まったく糸を解そうとすることなく、利益を求めて感情的になることもない。何か生じれば、それを迎えて刃で両断する。いろいろに変じることに対応することが多いとしても、その心はただ寂としており不動である。老子はそうした状態であれば「その紛(みだ)れるは解かれ」るのであるとしている。つまりはこういうことなのである。 〈奥義伝開〉この「秩序」から「渾沌」へと向かう自然の流れを教える部分は「鋭きを挫き」「紛れるを解き」と能動的な働きとして読まれることがあ

宋常星『太上道徳経講義」(4−1)

  宋常星『太上道徳経講義」(4−1) 大道の本体の働きは、大天下(大宇宙)に収まり切ることのないと同時に、小天下(地球)にもよく収まってしまうものでもある。その働きは留まることなく、あらゆるところに及び、そこには音も匂いもない。限りに開く空空としており、何らのその存在を示す兆しをも見ることはできない。影も形もないが、理があり気がある。天地の間で留まることなく円転している。この章ではまさに大道、冲用の妙義が述べられている。もし、よくこの冲用の機を知ることができたならば、その一身において常に冲が動き、円滑に働くようになる。ここに「春」の生じないところはなく、陰陽は我が手の中にある。造化は我が身の中にある。我が身は未だかつて「象帝の先」と共にあったことはない。我が身と「象帝の先」の身とは一体となっているのである。この身を体認することができれば、冲用の意味を悟ることができるであろう。「道」「冲」を用いるとは、つまりは自然でありそのままであるということの妙であるというになる。聖人の徳は、光を和して塵と同じく(和光同塵)なっており、またここには虚心、自然の妙もある。虚心とはつまりは冲を用ることであり、冲を用いるとはつまりは盈(みつ)ることがないということである。冲を用いて盈ることがないのは、つまりはそれが無極であり太極であるからである。二五(陰陽)の妙はこれを合わせて本根となるところにある。もしよくこの意味を理解することができれば、つまりは「万物の宗」を得ることができよう。 道は冲(やわ)らかにしてこれを用いるも、或いは盈(み)ちず。 「冲」とは和ら(やわ)かということである。「盈ちず」とはそのままで盈ることがないということである。虚をして体としている大道の用は和らかに用いられる。虚をして体とするとは、体が静かであるということである。和をして用となすとは、これを用いるのに和らかであるためである。そうであるから冲を用いるのは、天地がいかに大きくても、天地に数しれない程の物があるとしても、それがそのすべてを知ることなどできない程であるとしても、こうした人知を越えたところに、冲を用いることの妙があるのである。ただそれを見ようとしてもその形を見ることはできない。その音を聞こうとしても聞くことはできない。虚であり虚でなく、実であり実ではない。これを取っても得ることはできず、これを捨てよ

道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(4)

  道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(4) どうして八卦掌にかかわると、”熱”を帯びてしまうのか。王樹金にしても劉雲樵にしても必要とも思われない套路を多く考案している。またかつての新公園では八卦掌”熱”があったがそれも長く続くことはなく、現在にその技法を受け継ぐ人の知られていないことは始めにも指摘しておいた。こうした”熱”は、八卦掌でよく知られる武器である暗器にも見ることができる。あるいは暗器の套路なるものが作られたり、巨大化した「暗器」を振り回すという笑うに笑えないこともよく見受けられる。暗器は手の中に収まるくらいの小さなもので、基本的には相手にそれを持っていることを知られないのが前提となる。八卦掌の”熱”とは「走圏の解けない謎」にあるとわたしは考えている。八卦掌で最も重要とされるのが走圏であるが、それがどのような武術的な意味を持つのかが分からないからである。そのため「八卦掌の真伝を得ることはきわめて困難である」とも言われるのである。八卦掌の走圏は「入身」の稽古である。相手の死角に入ることを八卦掌では第一とする。そして基本的には相手を倒すことより逃げることを優先する。一般的に武術は相手を倒すための攻撃力を高めることが重視されるが、八卦掌はそうした部分を捨てても逃げることに特化したシステムを構築している。このため攻撃力の不足を補うために暗器を用いることもあるわけである。走圏・入身は套路を増やしても解決することはできない。これは走圏が入身であることが理解できない限り永遠に解けない謎なのである。

道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(3)

  道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(3) 他に日本では武壇の系統の八卦掌を練習する人も居る。これは劉雲樵が宮宝田から教えを受けた八卦拳がベースになってはいるが、劉は独自にシステムを整えているので本来の八卦拳と同じではない。劉は台湾社会が経済的な発展j期に入ろうとする頃(ブルース・リー以前)、中国武術を習おうとする人が少なく、その伝承に危機感を抱いており、自らが武壇というグループを組織して、伝承が絶えようとしている自分が学んだ以外の中国武術各派(蟷螂拳、陳家太極拳など)をも武壇で若者に伝授することで、その伝承を守ろうとしたのであった。その形式は講道館を習ったものとされ、大学のサークルが中心となっていたようである。当初は武壇雑誌という機関誌も出ており松田隆智も日本の静嘉堂文庫の所蔵する中国武術文献について紹介する一文を寄せている。劉雲樵が八卦拳を再編成しようとしていた頃は文献としては、香港における八卦掌の伝承を紹介した韓寿堂の『八卦拳』、形意拳家の姜容樵が書いた『八卦掌』、同じく形意拳家の孫禄堂の『八卦拳学』それに閻徳華の『八卦掌使用法図説』(原題は『少林破壁』)、孫錫コンの『八卦拳真伝』、伝承は不明であるが倪清和の『内家八卦掌』などが有るに過ぎなかった。劉がこうした文献をも参考にしていたことは基本の構えを「倚馬問路」と称する姜容樵派の特殊な呼称を使っていることでも分かる。また六十四掌変化掌は陳ハン嶺の伝えた龍形八卦掌そのものである。王樹金にしても龍雲樵にしても、既に多くの教えるべき套路を持っているのにあえて八卦掌の套路を作って行ったのは、やはり「八卦掌の解けない謎」に原因がありそうである。

道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(2)

  道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(2) 日本に八卦掌を伝えたのは王樹金で、これは陳ハン嶺に学んだものである。王は八卦掌に興味を示して弟子の張一中からも張が習得していた八卦掌を弟子に学ばせ、そうしたものを自分も参考にして新たな八卦掌の套路を多く編んだ。張一中は一時期、日本にも居たが、この時に澤井健一が試合を求めて来たと聞いたことがある。ただ張はその必要を認めなかったらしいが、張の劫は深く、軽く掌で相手を打つとアザになる程であったという。ただその伝承は明らかではなく、後には王との仲も疎遠となった。また張俊峰が台湾で教えたものは台湾人である洪懿祥の系統が日本にも伝えられている。張俊峰は高義盛から八卦掌を得たが、これは現在は易宗八卦掌(他に太極拳、形意拳も含めて易宗拳と称される)として台湾に伝承があり潘岳がよく知らている。潘岳は欠けていた後天八卦六十四掌のいくつかの套路を大陸に行って学んでおり、早くから大陸の八卦掌を広く研究していた。潘岳とは台湾在住の時に出会ったことがある。中正紀念堂の公園で練習をしていると「八卦をやっているの」と声を掛けてきた。「誰から習っているの」などと聞かれて「套路をやっても使えない。先天勁が出るようにならなければならない」「若いころはケンカばかりしていた」などと言われていた。そして「機会があったら来なさい」と名刺をくれたが、それは名前の文字の部分が盛り上がっている凝ったものであった。

道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(1)

  道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(1) もう半世紀ほども前になろうか台北の新公園(現二二八公園)には、八卦掌”熱”があった。宮廷八卦掌を称する人に多くの人が学んだのである。その”老師”は拝師(入門式)を行っており、多くの人が弟子となった。かつてビデオで演じられているその「八卦掌」を見ることができたが、深い功を有しているとも思えなかった。大体のところ中国人は「宮廷」であるとか「府内(太極拳)」「大内(八極拳)」など皇帝周辺で教えられていた武術に「秘められた価値」を見出そうとする傾向があるようである。八卦掌は董海川の頃から粛親王府との関係がいわれており、後には尹福、都宝田が宮廷の護衛官となるなど「宮廷」との縁は浅くはない。一方でかつて大陸では、宦官であった董海川は太平天国の乱を支援するためにあえて宦官となって宮廷に入って情報を取ろうとしていたとする説が唱えられたこともあった。太平天国という「人民の革命」を助けたという「神話」が共産圏では求められたのである。それはともかく当時の台湾では八卦拳を専門とするのは宮宝斎(わたしの師爺・先代の師匠)で、ほかには形意拳家の伝える系統が多かった(陳ハン嶺、張俊峰など)。また八極拳の劉雲樵も宮宝田から学んだ八卦掌を伝えていた。他に王明渠も宮宝田の系統の八卦掌を伝えていた。また一時期、孫錫コンも台湾に来ていたがすぐになくなったのでその伝承はないようである。こうした中にあって「宮廷八卦掌」のみが大いに関心を持たれたのは「宮廷」に伝承されたいたのであれば、なにかそこに八卦掌の秘密を解く鍵があるのではないか、との期待があったためと思われる。ただその期待は成就されることなく程なくしてこの”熱”は消えてしまい、現在では伝承者の居ることを知らない。

宋常星『太上道徳経講義」(3−3)

  宋常星『太上道徳経講義」(3−3) これをもって聖人の治は、その心を虚とし、 虚心とは、いうならばその様子を見ることもなく、それを良しとすることもなく、誇ることもないし、驕ることもない、こうした心がつまりは虚心といえるのである。その心を見ようとしても自分で見ることはできないし、その心を良しと認めようとしても認めることはできない。自らを誇ろうとしても誇ることはできない。自らを奢ろうとしても驕ることはできない。そうであるから聖人の心とされるのである。捉えどころが無く(虚霊)不可思議(妙)で、滞ることなく働いてはいるが、何らの存在を示すこともない。これまで一度たりとも物的なものとして表れたことはなく、何らの価値をも持ったこともない。また欲望に乱された魔境にあっては虚心の不可思議(妙)の働きを知ることはない。そうであるから「その心を虚にし」とあるのである。 その腹を実(み)たし、 実腹とは、意識が清らかで気が体に満ちている状態のことである。天地の理にかない、道と完全に一体化している。つまりこれが実腹ということである。聖人の腹の中には、天地が含まれており、そこでは万物が育まれている。これが道であり、万物を育む究極の養いなのである。そこでは徳が厚く積まれているが、ただ一点そこに実腹の人を欠くことはできない。そうであるから「その腹を実たし」とあるのである。 〈奥義伝開〉「道」を実践すると「徳」として現れる。それを行うのは人であり、そうした人は実腹を有している。孟子でいうなら浩然の気に満ちているとすることができよう。養生の秘訣も実は「徳」の実践にあるのである。 その志を弱(やわら)かにし、 弱志は、例えるならば雄を知り雌を守るということになる。白を知り黒を守り、栄(ほま)れを知り辱しさを守ることである。つまりこれが弱志の意味なのである。これは赤子の無心と同じであり、知ることもなく、意識することもない。神は定まり、気は和している。行うこと、止めること、語ること、黙ること、一言一行、すべてがあえて自ら誇り、自ら驕る思いを持つことはない。そうして家を整え、国を治めて、天下を平和にする。またあえて天下の先となることもなく、道は柔らかきにあり、徳は順なるにある。よくその志を弱(やわら)かにすれば、道徳は自ずから我に帰することになる。そうであるから「その志を柔かにし」とあるのである。 その

宋常星『太上道徳経講義」(3−2)

  宋常星『太上道徳経講義」(3−2) 得難きの貨を貴ばざれば、民をして盗をなさざらしめず。 「得難きの貨」とは必ずしも金や玉(ぎょく)のような宝物に限るものではない。およそ世間で価値あると思われている一切の「貴重品」が、すべて得ることの難しい「貨(もの)」なのである。もし「上」の者にそうしたものを好む心があれば、「下」の者は必ず誤ってそうしたものが価値あると思い込んで、それを得たいと思うようになる。こうなるとどうしても貪りの心が生まれてしまうので、盗もうとする者も出てくるであろう。例えば財産家の人が居て、高い塀を巡らした家に暮らし、家来に見回りをさせて、弓矢で武装をしていたとする。また自分の傍らには刀を置いて、日夜警戒を怠らないようであったならば、その人は終日休むこともできず、本当は盗賊が襲おうとはしていなくても、自分で自分の心に恐怖の思いを常に作り出してしまうことになる。これはすべて「得難きの貨」を貴んでいるためである。そうであるから盗賊を過度に恐れてしまうようになる。こうして見ると「得難きの貨」が盗賊の妄想を生み出す根となっていることが分かるのであり、また実際に盗賊を呼び込むことにもなろう。そうであるから「得難きの貨を貴ばざれば」「民をして盗をなさざらしむ」とあるのである。 〈奥義伝開〉「得難の貨」の価値は社会的に作られたもので、それは大体にして得る必要のないものである。 欲すべきを見ざれば、心をして乱れざらしむ。 世の思い込みには欲望によるものが多いが、もしよく深くその心を見通すことができたなら、そこには何らのこだわりもなく、物に執着することもないことが分かるであろう。ただ心は道を見ているのであり、そこには何ら執着を覚えるような「貨」は存してはいないし、そうであるから欲すべき「貨」などあるわけはないのである。もう欲すべき何物もないとすれば、心は自然に安らかとなり、それが欲しいなどといった思い込みがどうして生まれることがあるであろうか。道を学ぶ人は、欲望などといった思いは本来、存してはいない(空)ことを知っている、心は静を求めなくても自ずから静かであることを知っている。心が清く静かであれば、どうして乱されることがあ」であるであろうか。そうであるから「欲すべきを見ざれば」「心をして乱れざらしむ」とあるのである。 〈奥義伝開〉人の心の本体を「性」という。「性」は「

宋常星『太上道徳経講義」(3−1)

  宋常星『太上道徳経講義」(3−1) 聖人は天地の元気が集まって生まれたものと聞いている。そうであるから完全な善を有している。完全なる徳が身に備わっており、無私であり、無我でもある。過ぎたところも欠けたところもなく、親しすぎることも疎遠すぎることもない。分類したり区別をすることもなく、あらゆる存在の力になろうとする世を憂える気持ちが強い。天地は雄大であるが、聖人の徳はそれとならぶ程である。たとえどれほど人が多いとしても、聖人の心はあらゆる人の心に寄り添っている。また聖人はその優れた才知を世のために意図的に使おうとはしない。人を惑わすようなことをすることもない。もしわずかに心を用いる(有為)ことがあるとすれば、それは聡明な才知を用いることであり、賢者の能力を貴ぶこととなる。こうして少しでも自然ではないことが為されるとすれば、それは有欲であり、有為、不善において為されている。これらの為すところ、その功績が世に高く評価された者はいまだ一人もいない。卓越した徳を持っていると高く評価された者もいまだ一人もいはしない。永遠に人々に記憶される者も存してはいない。この老子の文章を読む人はこうしたことが真実かどうかをよく考えてもらいたい。 この章では「民の争い」について詳しい考察が加えられている。それは欲があるから争いが生まれるわけで、民が盗みを働くのも、欲があって行われるのである。民の心が乱れれば、欲も乱れて統御を失う。争い、それが広がり、乱れる、これらはそれぞれ違ったものであるかのように見えるかもしれないが、それが徳を失い、(人間の本来の性質である善なる)性を失っての害であることに変わりはない。全く同じものなのである。そうであるから最後に「無為にして治まらざるは無し」としている。すべては「(本来あるべき道理である)無妄の実理」に帰せられるということである。 賢を尚(とうとば)ざれば、民をして争わざらしむ。 「賢」についていうならば、聖賢は確かに賢者ではあるが、自分を賢いとは思っていない。「尚」とは自分を尊大なものと思うことである。自分が他人にどう見られているのかといった感情の交わりを断つことができないのは、自他を分別する思いがいまだ存しているからである。こうしたところにはすべからく争いの根が潜んでいる。不平の声があがる発端となる。そうであるから統治をする人がもし聡明、才知をして

道徳武芸研究 発勁と呼吸(4)

  道徳武芸研究 発勁と呼吸(4) それでは形意拳における「フン」と「ハッ」はどのようなものとして位置付けられているのであろうか。既に述べたように「ウン」は主として拳を使うのであり、この時に体はやや緊張するが、これは形意拳では主として五行拳で練られる。一方で「ハッ」は掌を使って体を緩めて力を発することになるが、これは主として十二形拳で用いられる。現代の形意拳家を見ても分かるが、郭雲深が雷声が失われたと嘆いたのは、特に十二形が五行拳と同じ「ウン」の呼吸において練られていることの問題を指摘していたものと思われる。これは半歩崩拳で天下無敵と称された郭雲樵が意気揚々と師の李能然のところに帰って来た時に、李能然は「車毅斎を訪ねよ」と言った、とするエピソードからも分かる。車と出会うと早速、郭は手合わせを求め猛烈な勢いの崩拳で攻め立てたが、車は左右に交わし、最後は郭の後ろに回り込んでしまった。これは車が郭の身につけていなかった五行拳つまり「フン」の系統の功夫だけではなく、「ハッ」の緩やかに体を使う系統の功夫をも身につけていたことを示している。そして別れの日には洪水で河を渡れないでいる郭を蛇形拳をして飛ばして対岸へと渡したともされている。蛇形拳は「ハッ」の呼吸の代表ともいえる拳である。こうしたことから形意拳にはシステムとして「フン」と「ハッ」の呼吸があったのであり、それを適切に練ることで形意拳としての完成が求められていたのであった。

道徳武芸研究 発勁と呼吸(3)

  道徳武芸研究 発勁と呼吸(3) 意拳の王向斉はその練習体系の中に「試声」をあげている。王向斉は本来は形意拳を修行していたが、形意拳では発声を「雷声」として重視していた。近代形意拳の名人である郭雲樵は「最近の形意拳では雷声が見られなくなった」と嘆いたとされる(姜容樵『形意母拳』)。ちなみに王向斉は「試声」で、試声は声を発することで全身の細胞を活性化するものであり、そうした状態において発せられた声は相手をして畏怖を感じさせるとする(『拳道中枢』)としている。つまり試声はただ大声を出すのではなく、内功に属するもので、これは必ずしも「フン」「ハッ」のような力のコントロールとは同じではないようである。王向斉が「試声」として武術において声を発することに特別の意義のあることを認めていたのは、形意拳においては発声を「雷声」として重視する伝統があったためと思われる。

道徳武芸研究 発勁と呼吸(2)

  道徳武芸研究 発勁と呼吸(2) 武術でいうと太極拳は「ハッ」が多様されるし、形意拳では「フン」が使われることが多いようである。それは太極拳においては掌を使うことが多く、形意拳では拳が多用されることでも象徴的に示されていると解することもできるであろう。「フン」や「ハッ」といった発声を用いて力を集中させることは日本の「古」神道では「言靈」と称されている。植芝盛平が大本教の「本部」に居た頃、大きな石を動かそうとして動かせないでいたら、出口王仁三郎が来て「植芝はん、これはウの言霊やな」と教えたので、盛平が「ウー」と発声して力を込めると動こかすことのできなかった大きな石を簡単に動かすことができたとされる。これは一般的にも力を入れる時には「ウーン」と声を発するので、何ら不可思議はない。自然に発せられる「ウーン」の中に、体内の力を呼び起こさせる要因として「ウ」という言葉に霊的な力があると考えるのが「古」神道の言霊である(これは本来の神道、古代信仰としての言霊とはまったく同じではない。「古」神道は近現代に新たに作られたものである)。このように確かに発声により力の集中をコントロールすることは可能である。

道徳武芸研究 発勁と呼吸(1)

  道徳武芸研究 発勁と呼吸(1) 中国武術の発勁には「フン(口に亨)」と「ハ(口に合)」があるとされる。これは発声による力の集中法である。また「フン」は短勁を発する時に用い、「ハッ」は長勁の時に用いられるともされる。或いは「フン」は拳で、「ハッ」は掌を多用するとされることもある。これは「フン」の方が、より体を緊張させて力を集中させるものであるとのニュアンスから来ている。またこうした呼吸の本源は「阿吽」であり、「阿」である「ハッ」は「阿」と同じく口を開いて発せられるし、「吽」である「フン」はこれも「吽」と同じで口を閉じて行われる。阿吽はインドに由来するもので、人は「阿」で生まれて息を吐き初め、最期には「吽」と息を引き取って終わるという。老子は生きるものは柔らかで、死ぬものは堅くなると教えているが、まさに「ハッ」は体を柔らかに使う時のものであるし、「ウン」は緊張を含ませて用いている。

宋常星『太上道徳経講義」(2−3)

  宋常星『太上道徳経講義」(2−3) 万物、作(な)して辞せず。 ここでは天地が万物を生成していることが言われている。千変万化は自然にし成るものである。まさになるべくしてなっているのであり、いまだかつてその活動を辞めたことはない。これを聖人が万民を教化することで考えれば、千変万化、自然にしてそうなり、まさになるべくしてなっている教えなのであり、これまで辞めようとしたこともないのである。そうであるから「万物、作して持せず」とあるのである。 生まれて有らず。 これは天地は無心をして心としていることを言っている。万物が生まれ育つのは、すべて自然にそうなるのであり、まったく意図的な「有心」の入り込む余地はない。聖人もまた「無心」をして心としており、万民を教化している、これもまた自然にそうなっていて、まったく「有心」が入り込むことはない。そうであるから「生まれて有らず」とあるのである。 為して恃(たの)まず。 これは天地は「無為」であるといっても「無為」の中に自ずから為さずして為すことの妙が含まれていることをいっている。他人に知られることを求めず、人に見てもらおうとも思わない。つまりこれが変化における巧みさ(自然さ)なのであり、まったく自分の能力を恃むことはない。天地の造化が巧みであるといっても、このような見えないところで行われることの妙があるのであり、聖人が人々を教化することを考えても「無為」の中にまた、為さずして為すことの妙があることが分かる。聖人もまた他人に知られることを求めることなく、他人に見られることを求めることもない。またまったく自分の能力を恃むこともないのである。そうであるから「為して恃まず」とあるのである。 功成りて居ることなし。 ここでは天地が万物の形を生むことについて述べている。それは万物の有する「性」によるのであって、その生成の功績は莫大であるといっても、どうしてそれが天地自身のものであるとするようなことがあろうか。聖人が万民の生き方を教えることを考えてみても、万民の「性」を開いて、人における天理の働きを完全なものとして、欠けるところがないようにするのである。そうであるから、その功績もまた莫大であるとすることができるであろう。もしこうした功績をして聖人を評価しようとしても、聖人は自分の功績を忘れてしまっている。まったくの無私であり、自らの功績に安住する