道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(1)

 道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(1)

もう半世紀ほども前になろうか台北の新公園(現二二八公園)には、八卦掌”熱”があった。宮廷八卦掌を称する人に多くの人が学んだのである。その”老師”は拝師(入門式)を行っており、多くの人が弟子となった。かつてビデオで演じられているその「八卦掌」を見ることができたが、深い功を有しているとも思えなかった。大体のところ中国人は「宮廷」であるとか「府内(太極拳)」「大内(八極拳)」など皇帝周辺で教えられていた武術に「秘められた価値」を見出そうとする傾向があるようである。八卦掌は董海川の頃から粛親王府との関係がいわれており、後には尹福、都宝田が宮廷の護衛官となるなど「宮廷」との縁は浅くはない。一方でかつて大陸では、宦官であった董海川は太平天国の乱を支援するためにあえて宦官となって宮廷に入って情報を取ろうとしていたとする説が唱えられたこともあった。太平天国という「人民の革命」を助けたという「神話」が共産圏では求められたのである。それはともかく当時の台湾では八卦拳を専門とするのは宮宝斎(わたしの師爺・先代の師匠)で、ほかには形意拳家の伝える系統が多かった(陳ハン嶺、張俊峰など)。また八極拳の劉雲樵も宮宝田から学んだ八卦掌を伝えていた。他に王明渠も宮宝田の系統の八卦掌を伝えていた。また一時期、孫錫コンも台湾に来ていたがすぐになくなったのでその伝承はないようである。こうした中にあって「宮廷八卦掌」のみが大いに関心を持たれたのは「宮廷」に伝承されたいたのであれば、なにかそこに八卦掌の秘密を解く鍵があるのではないか、との期待があったためと思われる。ただその期待は成就されることなく程なくしてこの”熱”は消えてしまい、現在では伝承者の居ることを知らない。


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