道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(3)

 道徳武芸研究 台湾における八卦掌”熱”(3)

他に日本では武壇の系統の八卦掌を練習する人も居る。これは劉雲樵が宮宝田から教えを受けた八卦拳がベースになってはいるが、劉は独自にシステムを整えているので本来の八卦拳と同じではない。劉は台湾社会が経済的な発展j期に入ろうとする頃(ブルース・リー以前)、中国武術を習おうとする人が少なく、その伝承に危機感を抱いており、自らが武壇というグループを組織して、伝承が絶えようとしている自分が学んだ以外の中国武術各派(蟷螂拳、陳家太極拳など)をも武壇で若者に伝授することで、その伝承を守ろうとしたのであった。その形式は講道館を習ったものとされ、大学のサークルが中心となっていたようである。当初は武壇雑誌という機関誌も出ており松田隆智も日本の静嘉堂文庫の所蔵する中国武術文献について紹介する一文を寄せている。劉雲樵が八卦拳を再編成しようとしていた頃は文献としては、香港における八卦掌の伝承を紹介した韓寿堂の『八卦拳』、形意拳家の姜容樵が書いた『八卦掌』、同じく形意拳家の孫禄堂の『八卦拳学』それに閻徳華の『八卦掌使用法図説』(原題は『少林破壁』)、孫錫コンの『八卦拳真伝』、伝承は不明であるが倪清和の『内家八卦掌』などが有るに過ぎなかった。劉がこうした文献をも参考にしていたことは基本の構えを「倚馬問路」と称する姜容樵派の特殊な呼称を使っていることでも分かる。また六十四掌変化掌は陳ハン嶺の伝えた龍形八卦掌そのものである。王樹金にしても龍雲樵にしても、既に多くの教えるべき套路を持っているのにあえて八卦掌の套路を作って行ったのは、やはり「八卦掌の解けない謎」に原因がありそうである。


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