宋常星『太上道徳経講義」(6ー2)

 宋常星『太上道徳経講義」(6ー2)

谷神は死せず。

「谷」という字は、山の空虚なところ「穴」のようなところをいう。そうした中で隔絶した聖地のようなところが「谷神」とされる。「死なず」とあるのは、どういうことであろうか。およそ虚の中は何らのシンボル(象)も存してはいない。そうであるから谷神の「神」はいわゆる「神」そのものではない。これはつまりは「不死の元神」なのである。そうであるから「谷神は死せず」とされている。天地の万物は、それぞれ「谷神の妙」を有しており生成変化をしているが、すべては無の中から生まれている。つまりこれが「谷神は死せず」の秘密の意味なのである。天地にもし「谷神」が存していなければ、美しい景色も美しさの光を発することなく、また一日は順調に巡ることもない。人の体にもし「谷神」がなければ「性」は長く存することはできないし、「命」も安定して働けはしない。そうであるから天地がよく長く久しく存していられるのを「谷神は死せず」といっている。人がよく長生き(長生久視)できることも「谷神が死せず」ということのためである。「死せず」とは虚霊不昧ということで、これ視ようとしても見ることはできず、ただその働きを感得することができるに過ぎない。いろいろな物を生み出し、万物を造化する。すべては「死なず」という働きによっている。そうであるから「谷神は死なず」とあるのである。


〈奥義伝開〉生成の働きの根源を「谷神」としている。それは生成の働きの根源が「虚」であるからである。これを「性」という。「性」は人にも、天地にもある。人の「性」は亡くなるとそれで終わりであるが、天地の「性」は永遠である。そうであるから人の「性」もこうした永遠につらなっているから「死せず」とする。虚の「性」は、実際には実の「命」として成長として現れる。


これを玄牝と謂う。

先に「谷神は死せず」とあったが、これによって老子は「虚中の妙」を知らしめようとした。また「谷神」で「玄牝」ということをいおうとしていた。「玄」とはつまりは「無極」ということであり、太玄は先天の気を生み出すもとであるが、それを知ろうとしてもなんらの兆もなく、思考や記憶の及ぶところではない。「牝」とはつまり「太極」であり、「万物の母」でもある。これよりあらゆるものが生まれ、それ以外に生成は存しない。天地にあっては陰陽の昇降であり、人にあっては神と先天の気の虚霊との合一である。天地が開き閉じる機はここにある。人の心が開き閉じるの妙もここ以外には存していない。それを「これを玄牝と謂う」としているのである。


〈奥義伝開〉「谷神」も「玄牝」も太古の神であるとされている。その象徴的な意味を老子は知ることが重要と教えているのである。「玄牝」は大地母神というべきものでこうした神は世界に普遍的に存している。老子は「玄牝」の「牝」とあることに注目して、これは「谷神」の虚・性から、「玄牝」の実・命への展開と捉えている。


玄牝の門、これを天地の根と謂う。

ここでもまた「玄牝」が語られているが、そこに「門」という字が導き出されている。この「門」は門であるが門ではなく、ただ玄牝から神と化したものが出入りする機のことをいっている。そうした意味で「門」という字を用いている。細かにいえば天地が巡り交わっている働き(周天)のことであり、日月が互いに照応しあっている門で、つまりは陰陽が出入りする門でもあり、造化の変化が通る門でもある。無の妙、有の妙、その神機は測ることはできず、それは渾沌として融合して一体となっている。そうであるからこれを「玄牝の門」と謂っているのである。「天地の根」とあるのは、天地に「根」があることを強調するためである。そこから天が生まれ、地が生まれてる。「根」から出てくるのである。もし天地に「根」がなかったならば、天地が生まれ出てくるところがないことになってしまう。天地が生まれなければ万物も生まれない。「玄牝」が至幽、至顕、至無、至有でなければどうして「天地の根」とするに足りようか。こうしたことによって「玄牝の門」を「天地の根としているのである。


〈奥義伝開〉「門」「根」とあるのは先天の「虚」の「性」から、後天の「実」の「命」が生まれるということを示すためである。つまり先天と後天、性と命、虚と実は別なものではなく、本来的にはひとつの生成の働きをいっているということである。生成の働きの根源に「虚」をもってくるのは、天や地や人や物などいろいろな生成があるからで、それらはひとつひとつ生み出されるのではなく、大きな根源が変化をしてあらゆるものが生み出されているとするからである。いうならば「万能細胞」のようなものを想定しているわけである。


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