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第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(12)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(12) 形意拳の半歩崩拳も単換掌も共に中段の構えをベースとする技である。中段の構えが重要とされるのはあらゆる変化が可能であるからに他ならない。そしてこれらに歩法が加わることで半歩崩拳や単換掌は絶招となったのである。半歩崩拳は「直」の歩法であり、単換掌は「斜」である。いづれも入身の歩法であることに変わりはない。合気道的にいうなら形意拳は「表」の入身であり、八卦掌は「裏」の入身を使っていることになろう。そうであるので単換掌では相手の背後に回り込むことになっている。この入身は基本的には八卦掌の全てにおいて理想とされている。そしてこれを完成させるためには「斜」の歩法がなければならない。そうでなければ二打目に完全な死角に入ることはできないのである。こうした死角に入る歩法は特に暗腿と称される。単換掌に続くのが双換掌でこれは主として上下の変化が加わる。単換掌を使った時にそれが成立しない状況になったならば、そのまま上下の変化の双換掌に移るのである。もし双換掌で対したならば、たとえ金剛搗堆で単換掌を対されてもそれを破ることが可能であったことであろう。このような変化のタイミング(機)を知るには修練を積むより他にない。

第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(11)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(11) 八卦掌の絶招・単換掌を破った人物がいる。それは陳発科であるとされている。単換掌を打たれた陳発科は金剛搗堆で対した。単換掌で打ってくる手を受ければ必ず中段を打たれてしまう。瞬時にそれを知った発科は身を沈めて攻撃をかわし、攻防において絶招の成立を阻止したのである。単換掌は上段の攻撃であるから、金剛搗堆で対することはこれを下段の攻防に持ち込むことを意味している。このように絶招であっても、その前提となるシチュエーションを成立させなくしてしまえばそれを封じることは可能となる。ちなみのこれは李剣華という発科の八卦掌の弟子との間の攻防であったともされている。発科は肩による靠で相手を彼方に飛ばしたという。これを八卦掌の側からいえば、第一にはどうしても攻撃を受けざるを得ないような間合いで第一撃を放たなければならなかった。そのためには「髄」のレベルの鍛錬が必要であった。触れること無く相手の未発の動きを知った発科は「髄」のレベルに到達しており、単換掌に導くことのできなかった八卦掌側はいまだ「髄」に至っていなかったと解することができる。つまり絶招は封じることはできでも破ることはできないのである。

第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(10)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(10) 現代の多くの八卦掌諸派に身られるこうした「錯誤」はひとつのシステムにおいて「暗」のみではそれを完結させることのできないことを示している。つまり八卦掌においても、一度は「明」の心身の使い方を知っておかなければならないのである。八卦拳は清朝末期に世に出た拳で北京で董海川が八卦拳を教えた相手は既に一流の武術の達人たちであった。そこでは八卦拳の「明」を練る「拳」の部分は必要なく、専ら「暗」を練る「掌」をのみ教えれば良かったのであった。また世に広まった天津派の八卦掌は張占魁や李存義という形意拳家によるものであり、ここでも「明」は形意拳によって充分に鍛錬されていた。その上で八卦掌は「暗」を担うことで、ひとつのシステムの完成を促すことが可能となったのである。つまりひとつのシステムとしては形意拳からすれば八卦掌の修練により「暗」の勁の使い方(滾勁)を知ることが容易になったのであるし、八卦掌からすれば形意拳を練ることで「明」の勁の運用を知ることが可能となるのである。形意拳も八卦掌も中段の構えを基本としているので、これら二つのシステムはより密接に、強固に結びつくことが可能であった。ちなみに形意拳の中段の構えは正面を向いているが、八卦掌は横を向いている。これは「明」と「暗」の勁の使い方を明確に示すものである。身体の構造上、「明」の力を有効に使うためには正面(直)でなければならないし、、入身を使うには横向き(斜)である必要があるのである。

第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(9)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(9) 八卦掌では「暗」が基本であるので、機械で計測できるようなパワーを攻撃に求めてもそれを得ることはできない。そうしたところから八卦掌を投げ技として理解しようとする傾向が生じたうようである。これは八卦掌が「掌だけを用いて攻防を行う」などと喧伝されるようになったことも原因しているのかもしれない。こうした誤りが生まれるのは八卦拳が既に説明したように「拳」の系統と「掌」の系統の二つの体系によって構成されていて、八卦掌は専らその「掌」の系統によっているということが原因しているであろう。本来は成立することのない「掌」のみのシステムである八卦掌をそれだけでひとつの完成したシステムとして見ようとしたところに、こうした錯誤が生まれたものと思われる。また八卦掌を暗器などの小型の武器を使う術ではないかとする誤解も見受けられる。そうした説を唱えている人から火箸ほどもあるような点穴針を使う演武を見せられると苦笑を禁じ得ない。暗器は門派に関係なく使われるもので、掌の中に納まるくらいの大きさが基本である。相手に見えないので「暗」とされる。相手に見えてしまっては暗器を使う意味がない。またこれは八卦掌が「暗」勁を使うということから、「暗」に共通するイメージとしての「暗」器との関連が考えらたとも考えれれるが、当を得たものでない。

第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(8)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(8) 日本に「髄」(意識・呼吸)の優れた鍛錬法が伝えられているのは日本の文化そのものが呼吸、間合いを重視したものであったということにも関係していよう。つまりに日本人の持つ文化土壌がそうしたものを基盤としているので、武術においても優れた呼吸の鍛錬法が確立されたということなのであろう。ちなみに合気道の呼吸投げの練習が呼吸を会得するのに優れた方法であることを述べたが一旦、「呼吸」のタイミングを会得したなら、それを日本刀の素振りで練ることが可能である。合気道が剣術から生まれたとされるのは、おそらくは「呼吸」の共通性をいっているものと思われる。かつては「合気道は剣の動きから生まれた」とされるので、合気道の源流となった大東流を伝えた武田惣角の修行した小野派一刀流を研究する人も居たが、技術上に目立った合気道との共通点を見出すことは出来なかったようである。それは個々の刀法の身法や歩法に「源流」があるのではなく、日本刀を使う「呼吸」が共通しているからであった。

第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(7)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(7) 適切に相手の反応を得るように鍛錬をするのが「筋」の練習である。そして「化」では「髄」(意識)を使うことになる。「化」のレベルでは意識の死角ともいうべきものを使うわけである。これは太極拳では凌空勁などと称する。相手に直接に触れることがなく、その反応を導き出すことができるためである。日本ではこれを「呼吸」「間合い」などと称する。合気道の呼吸投げはその優れた鍛錬法といえよう。八卦掌や太極拳、形意拳などでも「呼吸」の鍛錬をするが実感としては呼吸投げのように相手を投げてしまうまで一連の動作を行うと呼吸と動きの関連がよく見えてくるように思われる。中国武術では相手が崩れた時点で止めてしまうので、なかなか呼吸と動きの関係が分かりにくい。相手を投げるところまで動作を続ければ息を吸って吐き切るところまで行く。これが呼吸の鍛錬として分かりやすい部分でもある。

第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(6)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(6) 相手の反応を誘う攻撃は日本の柔術の当身と同じである。当身には本当(ほんあて)と仮当(かりあて)、あるいは当(あて)と砕(くだき)があるとされているが、単換掌の第一撃は「仮当・当」であり、第二撃が「本当・砕」となる。こうした当身の奥義は天神真流など当身で知られた流派では存していたらしいが現在は既に失伝しているようである。一方、植芝盛平や塩田剛三は独自にその方法を会得していたと思われる。一般的な突きと当身の違いはおおまかにいうなら前足の膝の抜けを使うか否かにある。一般的な突きは後足の踏み込みの力と腰の回転を使うが、八卦掌や形意拳、柔術の当身は前膝の抜けを使う。これは沈身と称される。前膝の抜けを使うには入身で移動をしながら当身を打つためである。

第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(5)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(5) さて絶招としての単換掌であるが、これは右構えであれば初めに右掌で相手を攻撃する。相手はそれを受ける。そうなると相手の右の中段が空くので、こちらは左手で攻撃をする。これが絶招としての単換掌の仕組みである。これは死角からの攻撃であり八卦掌の特徴であって「暗」勁・陰打と称せられる。とりわけ八卦掌では「暗」の攻撃がその特徴と見なされている。中国武術には攻防の方法を「明」「暗」「化」によって区別する。またこれは「骨」「筋」「髄」に対応してもいる。つまり「明」は「骨」を練ることによって得られるもので「骨」とは体の構造のことをいう。足の位置や手の位置を適切なところに置くよう修練することで有効に体の力を出すことを学ぶわけである。つぎに「暗」は「筋」つまり触れた時の反応を使う修練となる。単換掌は相手に先に攻撃をすることで相手の反応を導き出す。こうした攻撃はどのようにして威力が発せられるのか見えないために「暗」といわれるのである。

第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(4)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(4) 複雑になるので八卦「拳」の系統についての理論的な説明はここではしないが、こうして見ても明らかなように八卦拳においては、八卦「掌」の系統のシステムと八卦「拳」の系統のシステムの二つがあることが認められ、後に形意拳などでは専ら八卦「掌」の系統のシステムのみが「八卦掌」として取り入れられる。これはまた八卦拳の持つ理論体系からして決しておかしなことではない。形意拳においては八卦「拳」の部分が形意「拳」に置き換えられているからである。八卦拳では八卦「拳」の套路を羅漢「拳」によって編んでいる。羅漢拳は中国でも古い門派で羅漢拳を称する拳法は北方でも南方でも存していて、そろぞれ独特な套路を有している。ある意味において中国武術で最高レベルに属する形意拳をして八卦「拳」の部分に置き換えたことは八卦拳が「拳」と「掌」の二大系統を有することからすれば可能なことであり、結果としてかえって意義のあることとなったといえる。同様にこの八卦拳の理論によって高義盛は「掌」の系統の先天八卦(円周上を回る)と「拳」の系統の後天八卦六十四掌(突きや蹴りの形)を有するシステムを構築している。

第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(3)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(3) 八掌式で換掌に属するのは単換掌式と双換掌式だけであり、これが両儀と四象であることは既に述べた。そうであるから八掌式で単換、双換に続く蛇形掌式や合掌式などはすべて八卦の表現ということになる。よく言われる千変万化の動きの特徴を有するものとすることができるわけである。八掌式の残りの六つの掌式が八卦に相当するのであれば、八つの動きが示されなければならないと考えるかもしれないが、八卦はあくまで変化の象徴であるので「兌卦がこれ」「震卦がこれ」というように固定してしまうと本来的な変化の意義が失われることになる。また乾卦、坤卦は純陽、純陰でこれは変化の根幹にあるもの、つまり先天に属するものとして残りの六つの卦が後天の変化を示していると解することも可能であろう。これらは八卦拳における八卦「掌」の系統のシステムに属するものであるが、八卦拳にはもう一つの大きなシステムである八卦「拳」の系統がある。それに属する套路には両儀之術、四象拳、八掌拳(八卦掌)がある。

第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(2)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(2) 単換とは変化が一度しかないものをいう。これは前後(あるいは左右ということもできる)の変化である。それにより走圏で左転をしていれば単換掌を経て右転へと移行することが可能となる。これに対して双換掌式は二度の変化を有している。単換掌の左右(あるいは前後)に加えてもう一度、変化が加わることになる。もう一つの変化とはは上下の変化である。これは単換掌が陰と陽の「両儀」の変化であるのに対して、双換掌が陰陽と陰から陽、陽から陰の「四象」の変化となるからである。つまり左右の変化をつなぐものとして下から上、上から下への動きが加えられることになっている。ちなみに八卦拳では双換掌がないといったが実質的には変換式である下穿掌、側掌、換掌四式が双換掌式の動きとして示されている。下穿掌は上下の動きを最も端的に示すものであり、それを丸い動きで表現しようとすると側掌になる。一方の換掌四式は四つ動作からなるやや複雑なものであり、劉雲樵はこれを小開門としてひとつの独立した套路のようにして教えていた。八卦拳では換掌四式を双換掌式の最も完璧な套路とする見方もある。

第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(1)

  第九十七話 絶招研究・八卦掌篇(1) 八卦掌では「単換掌」が絶招とされている。八卦掌の各派には他の門派と異なり、それぞれにかなりの差異を有する套路があると見なされているが、そうした中にあっても単換掌と双換掌だけはほぼ共通してその動きのあることが認められる。一方で興味深いことに八卦掌の源流である八卦拳には単換掌はあっても双換掌は存していない。しかし双換掌式はある。八卦拳では「掌式」とされるものが八種類あり、その中に単換掌式、双換掌式があるのである。「掌式」とは八卦拳の「原理」をいうもので単換掌式の「原理」に基づいて単換掌が編まれることになる。そうであるから八卦掌諸派によって同じ単換掌でもその動きにかなりの違いがあるのは本来的に八卦拳・八卦掌がそうした形のシステムによっているからに他ならない。よく、八卦掌の套路は様々であることに疑問が持たれるが、それもここで述べているように八卦掌も八掌式の原理によって動きを編んでいくというシステムに起因しているためなのである。そうであるから八掌式をもとに八卦掌諸派の動きを見ればその基づく原理が分かるのであり、一見して異なるように見える套路も実は共通の原理を有していることを知ることが可能となるのである。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(12)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(12) ひるがえって半歩崩拳であるが、これは従来の順歩と後のヨウ歩の中間にあるものである。それはまた順歩、ヨウ歩のいづれにも変化をし得るものであるとすることが可能である。そうしたところに半歩崩拳の絶招としての可能性があったのであろう。そしてそれは形意拳に八卦掌やさらには太極拳が取り入れられるようになり太極拳の抽絲勁をも含むヨウ歩崩拳として発展をして行った。この時点で半歩崩拳はヨウ歩崩拳の中へと解消的な統合をされてしまうことになる。ヨウ歩崩拳において触れれば即ち力を発することが可能となり、その力の統合の方向性(順歩)も、短い時間(半歩)での攻撃も考慮する必要がなくなったのである。結果としてのヨウ歩を重視しても良いが、順歩、ヨウ歩を共に含むものとして半歩を練るのも味わいの深いことであろう。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(11)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(11) 車毅斎の形意拳は山西派と称され、この派には孫禄堂によって八卦掌がもたらされた。車が郭雲深の後ろに回り込むことができたのは滾勁を会得していただけではなく八卦掌の歩法を修練していたことも関係しているのではなかろうか。また既に述べたようにヨウ歩の崩拳は太極拳によるものである、それは太極拳の抽絲勁を練るための方法となっている。抽絲勁は大きなガラスの板を高いところから地面に落した時にその破片が八方に飛び散るような力であると説明される。こうした力を練るためにヨウ歩の崩拳は考案されたのである。これを形意拳のベースとなる身法である「束身」をして使おうとする。形意拳では束身で力を溜めて発する練習に震身法がある。これは体を震わせるようにして四方、八方に力を発する方法である。套路としては取り入れられていなかったが、形意拳には抽絲勁と同じ練法が存していたわけである。それを母拳(基本拳)の中に組み込んだのがヨウ歩崩拳であった。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(10)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(10) ただ私見によれば郭雲深も滾勁を会得していたのではないかと思われる。半歩崩拳が有利であったのはひとつには中国における試合の形式にもよっている。中国の試合は右手を掛け合わせて始める。こうした近い間合いで試合をするのは、大きな攻撃力を発揮させないためである。ボクシングや空手の自由組手のような充分な間合いをとっての攻防であれば、その力が存分に発揮されてしまいダメージも大きくなる。そこで、あえて近い間合いでの試合をするわけである。こうした形での試合で半歩崩拳を使えば触れ合っている腕を落とし押し込んで、触れたまま相手の構えを崩して拳を打つことが可能となる。しかし、一般的に考えればそれでは力の強い相手には往々にして跳ね返されしまうのではないかと危惧されよう。そこで小さく巻き込むような動きである滾勁を加えることで反撃を許さない状態を作り出すのである。またこうした動作は小さな巻き込みなので見ても分からないし、巧みに相手の反応を誘い出すわけであるから防ぐことが実に難しいわけである。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(9)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(9) 攻防の形として有効な順歩や半歩を捨ててなぜヨウ歩の崩拳を練るようになったのであろうか。これは形意拳における滾勁との関係があるためである。形意拳の基本である半身の構えが攻防において最も有利な構えであることを発見したのが岳飛である。次に槍の操法を持ち込んだのが姫際可であった。これにより崩拳に見られるような直線での攻撃が可能となった。そして滾勁を取り入れたのが李能然であり、そのあたりのことが伺える興味深いエピソードがある。 「半歩崩拳、遍く天下を打つ」と賞された郭雲深は意気揚々と師の李能然の下に帰って来た。その時に李は車毅斎のところを訪ねるように促した。半歩崩拳をもって猛攻をする郭雲深は車毅斎を壁際まで追い詰めたが車はそれをかわして郭の後ろに回り込んだ。これは郭の崩拳を滾勁をして巻き込むように受け流したためでる。半歩崩拳は半身のままで左右が変わることがないので、その勢いを化することができれば後ろに回り込むことは難しくはない。このエピソードは李能然が形意拳の技術の革新を進めていたことを示していよう。車毅斎の伝えた山西派の崩拳は上下に腕を回すように動かして相手の攻撃をたぐるように受ける。こうした滾勁の動きにより、半歩崩拳の猛攻をかわすことができたのである。ちなみの八極拳の李書文の「絶招」の猛虎硬爬山もその眼目は両手で相手の攻撃をかき落とすような動きにある。李の攻撃により相手の頭部が体にめり込んだなどとする伝説があるのはその動きが上から下へとかき落とすようなものであったことを表していよう。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(8)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(8) ヨウ歩の崩拳は太極拳の進歩搬ラン捶そのものである。楊家ではあまり明確ではないが呉家では両足のラインが強調される。形意拳でも足のラインは強調されるがそれは一般的には前足のラインが主となる。そのために半身をとるわけである。一方、ヨウ歩では前足と反対の後足のラインが用いられる。後足のラインを用いるために呉家では両足を平行にして、後足も前への勢いを生むことができるようにしている。呉家の進歩搬ラン捶は勢いとしてはヨウ歩の崩拳そのものである。また形意拳ではヨウ歩の攻撃を連続して行うために崩拳では一旦、体の中間まで拳を移動させてから突いている。そうであるから突きは真っすぐではなく斜めに突き出されることになる。こうした突きは攻撃法としては一般的ではない。崩拳や半歩崩拳のように真っすぐ突く方が合理的であろう。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(7)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(7) 武術のシステムにあっては、そこにおける変化の不利と有利とのバランスを考えて相手に対する態勢が選ばれることになる。こうした発想の違いは日露戦争の時の日本海海戦でも見ることができた。ロシアのバルチック艦隊は定法通りに船首を前に進んで来た(形意拳と同じく前進のみ)。これは相手から攻撃を受ける船体の面積をもっとも小さくするためである。しかし戦艦の前後についている艦砲は前だけしか使えない。一方、日本は艦を横にしてバルチック艦隊に対した(太極拳と同じ)。これは攻撃される面積は大きくなるが前後の艦砲すべてを同時に使うことができる。いうならば日本のとった戦法は太極拳的なものであったわけである。攻防において重要なことは不利と有利のコントロールにある。これが成功したのは遠くから来たバルチック艦隊の整備が充分ではなくスピードが出ない状態であることを日本側が察知していたためとされている。つまり形意拳のように前に出る勢いのあるシステムであれば「前」のみの方法が充分に有利に働くということでもある。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(6)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(6) 形意拳は半身(子午トウ 右足が前であれば右手が前になる)を構えの基本とするがヨウ歩の崩拳ではその姿勢が崩れてしまう。それは逆突き(ヨウ歩)であると相手と向き合うような態勢となるからである。このような態勢を取るのは太極拳の特徴でもあり、推手などでは完全に向き合う形で練習をする。こうした方法をとるのは前後左右に自在に変化をするためである。半身であれば変化は限られたものとなる。しかし、一方で自分の体の全体を相手にさらすことはそれだけ攻撃の部位を広くすることで不利にはなる(単純にいえば半身の倍の危険を持つことになる)。太極拳ではその変化五歩(中、前、後、右転、左転)をして示している。ただ立っている状態である「中」は前、後、右転、左転への変化が未発である状態であり、「前、後、右転、左転」への変化は中が既発となった状態とする。これに対して半身の形意拳は「前」のみの変化となる。形意拳では歩法を変化させないことで一気に相手を制圧しようとする。こうした方法を「硬打」という。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(5)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(5) また応用としては斜めの歩法である十字の崩拳もある。これはヨウ歩の崩拳を斜めの歩法でつないで行くもので、十字崩拳は砲拳と同じ斜めからの入身の歩法である。順歩、半歩の崩拳は形意拳が槍の技法から生まれたとされるように、直線的な槍の歩法そのものである。これらでは運動線を変えることなく拳を突き出すので勢いに乗ることができる。それに対して十字崩拳では突きを出す時に斜めになるので前に進む勢いは、それを利用して拳を打つためというよりも、入り身を行うために用いられる。一般的な武術の技法とすれば順歩、半歩の崩拳の方が全く自然であり、十字崩拳は砲拳と同じく応用的な歩法の使い方をしていると見なすのが妥当であろう。また陳ハン峰の伝えたヨウ歩崩拳が体の中心で力を溜めて斜めに拳を突き出すような形となっているのは呉家の太極拳の影響によるものと思われる。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(4)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(4) 崩拳は形意拳の五行拳に属している。日本で普及している五行拳の崩拳はヨウ歩(逆突き)であるが、一般的な形意拳では順歩を用いる。初めに後足を前足のすぐ横まで寄せて、前足を一歩踏み出すと同時に拳で突くのである。足を寄せることで力を蓄える「束身」となって一歩おおきく踏み出すことで力を発揮する。この時に初めに後足を寄せた時に右足であれば右拳も前に進める形になるがこれは相手を掴む意味を持っている。間合いを詰めて相手を掴んで一気に突き込むのである。五行拳のほかの技でも相手を掴んでから攻撃をする。古い時代の武術は相手を補足して固定をしてから攻撃をする場合が多い。それが極めて有利であるからである。これに対して半歩崩拳は後足を半分ほどまでしか寄せない。出す足も半歩だけとなる。そして拳はヨウ歩から順歩へと連続して突く形となる。まさに半歩の特徴はこうした連続する攻撃が可能である点にある。これらに対してヨウ歩崩拳はヨウ歩であるから当然であるが進む足と打つ拳とは反対になる。これは腰の動きをよく使うことができるが、前に進む勢いを使うという形意拳の本来のセオリーからすればやや外れることにもなる。ヨウ歩についての考察は後に行うとして、形意拳の崩拳の変遷を考えるとすれば、それは順歩から半歩、そしてヨウ歩へと変わって行ったとすることができる。順歩の崩拳は劈拳などと動きの呼吸に変わりはない。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(3)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(3) さて形意拳篇で「絶招」として取り上げようとするのは半歩崩拳である。半歩崩拳は一般的には形意拳のシステムにおける絶招とは見なされてはいない。半歩崩拳は郭雲深の絶招であり「あまねく天下を打つ」と賞された。中国各地を巡ってただ半歩崩拳をして無敵であったというのである。相手は郭雲深が半歩崩拳を使うことを知っていてもそれを防ぐことができなかったとされている。崩拳は単純な中段突きである。ただ中段突きは競技試合などでは最も有効な技法とされる。顔面など上段はうまく決まれば有効であるが、なかなか適切に攻撃部位をとらえることが難しい。上段への攻撃は対象となる部位も小さいので避けられてしまうことが多くなってしまう。一方、中段への攻撃は胴体への攻撃であるから対象部位はかなり広くなる。しかし、手が最も効率的に働く範囲でもあるので防御を受けて攻撃が失敗してしまう可能性も大きくなる。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(2)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(2) 一方で「個人に帰する技」つまり「得意技」は実際に柔道や空手、ボクシングあるいは野球などでも喧伝されている。柔道であれば「伝家の宝刀、背負い投げ」であるとか、野球では「決め球のストレート」などということを耳にする。柔道では有名選手の得意技を集めて紹介した本もある。これなどは昔の武術であれば「秘伝」ということになろう。ただこうしたものは、あくまでこのように使えば有利であるということに過ぎず、必勝、不敗となれるいうわけではない。以上に述べたようなあたりが「絶招」の現実である。ただここで改めて「絶招」を研究してみようとするのはそれが心身の構造についての興味深い考察を含んでいるからに他ならない。また優位に立てるということは重要なことでもある。攻防に際しては少しでも勝つことのできる可能性が徹底的に模索される。一見して不利と思われる体が小さいとか、力が弱いということも使い方によってはそれを有利なものとすることが可能となるからである。こうしたことはルールのある試合では限定した動きしかできないのでなかなか実際に用いることが考え難い。よく試合を禁止する流派があるのはそれが自由な発想を得る妨げとなるから、ということもあるのである。試合があれば人はどうしても試合に勝ちたくなる。そうなると心身のパフォーマンスが限定されたものに終始してしまうことにもなりかねない。

第九十六話 絶招研究・形意拳篇(1)

  第九十六話 絶招研究・形意拳篇(1) 中国武術には「絶招」と称される技がある。絶招とは「必勝、不敗の技」を意味する。これには二つあって、個人に帰する技と、システムに帰する技とがある。「個人に帰する技」はいうならば得意技である。その人が使った場合には「絶招」となるが他の人ではそうはならない技である。これに対して「システムに帰する技」は特別な技法であり、これはそれを知っていれば知らない人に対しては必ず勝てるとされている。通常「絶招」としてイメージされるのは後者の「システムに帰する技」であろう。このような秘伝技を会得すれば絶対的な優位に立てることが夢想される。ただ実際は特別な技を知ったからといって必勝、不敗となれるわけではない。こうした「絶招」の世界は小説や映画などで楽しむことができるが、中国や欧米では「絶招」を知るという知的優位にあることをかなり重視する傾向があるようであるが、日本では鍛錬の方を重んじるので秘伝技を知っただけではそれを習得したことにはならないと考える。ただ「絶招」だけを知っても役に立たないとするわけである。宮本武蔵も最大の見せ場である佐々木小次郎との試合では二刀を使っていない。武蔵が苦労をして編み出した二刀の奥義(絶招)をして、最強の小次郎に勝つという図式は必ずしも求められていない。     当然のことに「システムに帰する技」は必勝の技であるから秘伝とされる。そしてそれは「最後の一手」などと称され、往々にして「最後の一手を留める」といわれることもある。なかなか伝授されないものといわれるわけである。それは最後の一手を教えることで師は弟子よりも優位を保つことができなくなるとされるからに他ならない。そこでこのような話が聞かれたりする。 最後の一手を知ることを熱望する高弟は師に真剣勝負を求める。最後の一手を除いては全ての技の伝授を受けているのであるから、もし師が勝って生き残ろうとするなら最後の一手を使わざるを得ない。そこで高弟は真剣勝負を求め師はそれを受けた。立ち合いの時、高弟が全ての技に習熟していることを悟った師は最後の一手を使う。それを受けて薄れ行く意識の中で、最後の一手を知った喜びに高弟の死に顔は微笑んでいるようであった・・・・。 という話になるかどうか。ただ実際には「システムに帰する技」としての絶招の存在は疑わしいものとされる。それは最後の一手の他の

道竅談 李涵虚(146)第十六章 先天とは何か

  道竅談 李涵虚(146)第十六章 先天とは何か 願わくば修行者は、先天を用いて、後天を用いないで頂きたい。つまり上薬を得るべきなのである。また築基、煉己においてはあえて特別なものを求めるのではない。また必ず元精を煉って元気に変化させ、元気を煉って真鉛を産むことが大切であり、それは後天の先天を使うということになる。「わずか」の後天を用いることで、無上の先天を得ることができるのである。 〈補注〉元精(先天)を練るには精(後天)を練らなければならない。これは肉体の制御(浄化)による。それを果たせば先天の真鉛が開かれる。真鉛は「性」を象徴している。「性」とは人の持っている本来の心の働きである(良知良能)。神仙道においては後天も先天も過度に否定されることも肯定されることもない。適度なバランスを持って偏重を避けることが重要としている。

道竅談 李涵虚(145)第十六章 先天とは何か

  道竅談 李涵虚(145)第十六章 先天とは何か 子供は大切に育てられ大人になって行くが、その内に識神(感情や思考の働き)は浪費され、情欲は盛んになり、元気は日に滅びてしまう。これと同時に呼吸の「気」は休むことなく息をして、次第に成長を促し、十五歳を過ぎるころになると陽が極まって陰が生じるようになる。そして陰が育って陽は消えてしまう。そして陰が増えるようになれば「気」は変化をして交感の情となる。「交感」とは交わって感じるということであり、ここには「精」が存している。もし交わることも感じることもなければ、また「精」も存することはない。つまり、ここでの「精」は欲念によって生まれるもので、気血の変化したものに過ぎない。また夢で感じて夢で交わるということもある。ここでも「精」がかかわることになるが、この場合に気血は「精」として充分な形をとることはなく、(意図的に)腎の中に留めておくことはできないが、これも交感の「精」ではある。 〈補注〉ここでは性欲の目覚めについて述べる。夢云々は夢精のことをいっている。ここでの「精」は肉体的な要求であり、「情欲」は感情的な欲望である。発情期を持たない人は往々にして情欲が「精」をリードする。何らかの性的なイメージ(情欲)がなけれが肉体(精)を動かすことはできない。こうしたところには体と心との分離が生じやすい。肉体が要求していないのに情欲が過剰となることが起こりやすいわけである。そうなると精、気、神のバランスが崩れしまう。こうしたこともあって神秘行においては性的な問題が「イメージ」をベースとしておおきく扱われなければならなくなっている。

道竅談 李涵虚(144)第十六章 先天とは何か

  道竅談 李涵虚(144)第十六章 先天とは何か およそ人は胞衣に包まれている時にはただ一点の元気であるに過ぎない。この時には呼吸の「気」は存していない。十か月して胎児が育つと、母体から離れることになる。そして口や鼻の「竅(あな)」が開かれる。これによって外には天地と和合をするようになる。これが呼吸の始まりとなる。この段階では思慮の「神」はこの「気」によって育てられる。「神」は「気」を仮屋として住んでその家を奪ってしまうのである。こうして「神」は永遠なる輪廻の種となる。この種は生まれる時にはその前にやって来ており、亡くなる時にはその前に体を離れてしまう。古い家を捨てて新しい家を求めて少しも休むことがない。赤子は地を踏む前から泣いている。それはおそらくはもう既に輪廻の苦しみを知っているからであろう。 〈補注〉赤ちゃんが泣くのは何故か。それは輪廻の苦しみを知っているからである、とする考え方はおもしろい。これからは埴谷雄高の『死霊』が思い出される。『死霊』では赤ちゃんは生まれた直後から「自同律の不快」を感じて泣くとする。「自同律の不快」とは自分が自分であるとの思いと現実とが一致しないことの不快である。仏教でいう「苦」に違いものとすることができるであろう。

道竅談 李涵虚(143)第十六章 先天とは何か

  道竅談 李涵虚(143)第十六章 先天とは何か 不「神」の「神」こそがまさに「神」なのであり、龍性とはこのことをいう。至「精」の「精」は「精」の「精」たるものであり、虎情とされるのがこれである。これが二である。真一の気が開かれるとは、了命に至ることであって、真鉛の開かれることでもある。これはつまりは龍と虎の情と性がひとつになるということなのである。これは丹母と称される。 この真一を得れば、それによって三尸や五賊はことごとく居なくなってしまう。六六(純陽)の宮の中はあまねく春を迎える。これは生を受ける時の気、精、神とまさに同じものであるが、どのように後天の気、精、神と違っているのであろうか。後天とは呼吸の「気」であり、思慮の「神」であり、交感の「精」である。これら三つの物は聞くことができるし、見ることも、イメージすることも、想像することもできるのであり、生まれてから後に用いられるものでもある。そうであるから後天と称されている。 〈補注〉老子のいう「一」は「二」を生じ、「二」は「三」を生み、「三」は万物を生じるとある「二」についてここでは龍性と虎情であるとする。そして「一」は真一の気であるという。龍性とは真神のことであり、虎情は真精のことである。これらは真一の気から生まれたとされる。神仙道の修行においては後天の精、気、神を練り(三)、先天の真神(龍性)と真精(虎情)を得る(二)。そして真一の気を開くわけである(一)。こうなると全身が陽気に満たされる。これが「六六の宮」となるとあることである。三尸は人の中に居るとされる虫のことで犯した悪行を上帝に告げて命を縮めるという。三尸、五賊はでいづれも純陽の体になると除かれるとされる。これは命を縮める陰の要素がなくなるということである。

道竅談 李涵虚(142)第十六章 先天とは何か

  道竅談 李涵虚(142)第十六章 先天とは何か また、これらを真気、真神、真精とすることもあるが、これらは自らが修丹をなす場合に「先天」となるものである。もし修行者が、真機を知ることなく段階を踏まなければ、どうしてこの至宝を求めることができるであろうか。ここで述べている「先天」はその存在を知っても使うことのできないものである。それを使っていても、その存在を知ることのできないものである。つまり丹士は致虚となり、守静をして、修真をしようとするのであるが、それは無から有を生じさせるようなものなのである。まさにこの時にである。三一の道が分かれて自然とひとつになる。「神」は「神」ではない「神」となり、「精」は至「精」の「精」となり、気は真一の「気」となるのである。これが三である。 〈補注〉元気、元神、元精は真気、真神、真精でもある。神仙道で使われるのは後天の気や神、精ではない。あくまで先天の「気、神、精」でなければならない。先天を用いるとは特別な技巧を用いないということである。意識をもって気を運んだり、特別なイメージを持つことで神を制御したり、導引などで精をコントロールしたりすることはあくまで二次的なものに過ぎない。先天を用いるには後天によるほかないが、「致虚」「守静」を守ることがなければ後天は後天のままで先天にいたることはできないのである。  

道竅談 李涵虚(141)第十六章 先天とは何か

  道竅談 李涵虚(141)第十六章 先天とは何か 父母がいまだ交わらない時に「気」は父母の「間」にある。父母がその「気」を受ける時にはこの「気」が初まりのところに下ってくる。ここに精と血が交わってひとつになり胎元ができあがる。ここでは「気」を胞として精、血、気が渾然一体となって存している。この時には「神」は無いが、「気」が「神」となるのである。この時には「精」が無いが「気」が「精」となる。「気」が固まりとなって包み固めているものが「精」となるのである。つまり、これらは元気、元精、元神なのである。人はこれらを生まれる前の先天において受けている。童子が師に出会って秘訣を授けられ、清修を守ったならば、ごく稀には無為の天仙となることができるであろう。 〈補注〉「気」と渾然一体となっている「気」「精」「神」は先天においてであるのでこれを「元気」「元精」「元神」と称している。これが後天になると個々に交わったりはするが、三つが一つに融合するようなことはない。また性的な交わりの機能が育っていない子供の頃に神仙道の修行に入ったならば、そのままで仙人となることができる可能性が示されている。西遊記の三蔵法師も同様で純陽の気に満ちているので妖怪たちはそれを食べようとする。