第九十六話 絶招研究・形意拳篇(2)

 第九十六話 絶招研究・形意拳篇(2)

一方で「個人に帰する技」つまり「得意技」は実際に柔道や空手、ボクシングあるいは野球などでも喧伝されている。柔道であれば「伝家の宝刀、背負い投げ」であるとか、野球では「決め球のストレート」などということを耳にする。柔道では有名選手の得意技を集めて紹介した本もある。これなどは昔の武術であれば「秘伝」ということになろう。ただこうしたものは、あくまでこのように使えば有利であるということに過ぎず、必勝、不敗となれるいうわけではない。以上に述べたようなあたりが「絶招」の現実である。ただここで改めて「絶招」を研究してみようとするのはそれが心身の構造についての興味深い考察を含んでいるからに他ならない。また優位に立てるということは重要なことでもある。攻防に際しては少しでも勝つことのできる可能性が徹底的に模索される。一見して不利と思われる体が小さいとか、力が弱いということも使い方によってはそれを有利なものとすることが可能となるからである。こうしたことはルールのある試合では限定した動きしかできないのでなかなか実際に用いることが考え難い。よく試合を禁止する流派があるのはそれが自由な発想を得る妨げとなるから、ということもあるのである。試合があれば人はどうしても試合に勝ちたくなる。そうなると心身のパフォーマンスが限定されたものに終始してしまうことにもなりかねない。

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