道竅談 李涵虚(146)第十六章 先天とは何か

 道竅談 李涵虚(146)第十六章 先天とは何か

願わくば修行者は、先天を用いて、後天を用いないで頂きたい。つまり上薬を得るべきなのである。また築基、煉己においてはあえて特別なものを求めるのではない。また必ず元精を煉って元気に変化させ、元気を煉って真鉛を産むことが大切であり、それは後天の先天を使うということになる。「わずか」の後天を用いることで、無上の先天を得ることができるのである。

〈補注〉元精(先天)を練るには精(後天)を練らなければならない。これは肉体の制御(浄化)による。それを果たせば先天の真鉛が開かれる。真鉛は「性」を象徴している。「性」とは人の持っている本来の心の働きである(良知良能)。神仙道においては後天も先天も過度に否定されることも肯定されることもない。適度なバランスを持って偏重を避けることが重要としている。

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