道竅談 李涵虚(141)第十六章 先天とは何か

 道竅談 李涵虚(141)第十六章 先天とは何か

父母がいまだ交わらない時に「気」は父母の「間」にある。父母がその「気」を受ける時にはこの「気」が初まりのところに下ってくる。ここに精と血が交わってひとつになり胎元ができあがる。ここでは「気」を胞として精、血、気が渾然一体となって存している。この時には「神」は無いが、「気」が「神」となるのである。この時には「精」が無いが「気」が「精」となる。「気」が固まりとなって包み固めているものが「精」となるのである。つまり、これらは元気、元精、元神なのである。人はこれらを生まれる前の先天において受けている。童子が師に出会って秘訣を授けられ、清修を守ったならば、ごく稀には無為の天仙となることができるであろう。

〈補注〉「気」と渾然一体となっている「気」「精」「神」は先天においてであるのでこれを「元気」「元精」「元神」と称している。これが後天になると個々に交わったりはするが、三つが一つに融合するようなことはない。また性的な交わりの機能が育っていない子供の頃に神仙道の修行に入ったならば、そのままで仙人となることができる可能性が示されている。西遊記の三蔵法師も同様で純陽の気に満ちているので妖怪たちはそれを食べようとする。

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