道竅談 李涵虚(145)第十六章 先天とは何か

 道竅談 李涵虚(145)第十六章 先天とは何か

子供は大切に育てられ大人になって行くが、その内に識神(感情や思考の働き)は浪費され、情欲は盛んになり、元気は日に滅びてしまう。これと同時に呼吸の「気」は休むことなく息をして、次第に成長を促し、十五歳を過ぎるころになると陽が極まって陰が生じるようになる。そして陰が育って陽は消えてしまう。そして陰が増えるようになれば「気」は変化をして交感の情となる。「交感」とは交わって感じるということであり、ここには「精」が存している。もし交わることも感じることもなければ、また「精」も存することはない。つまり、ここでの「精」は欲念によって生まれるもので、気血の変化したものに過ぎない。また夢で感じて夢で交わるということもある。ここでも「精」がかかわることになるが、この場合に気血は「精」として充分な形をとることはなく、(意図的に)腎の中に留めておくことはできないが、これも交感の「精」ではある。

〈補注〉ここでは性欲の目覚めについて述べる。夢云々は夢精のことをいっている。ここでの「精」は肉体的な要求であり、「情欲」は感情的な欲望である。発情期を持たない人は往々にして情欲が「精」をリードする。何らかの性的なイメージ(情欲)がなけれが肉体(精)を動かすことはできない。こうしたところには体と心との分離が生じやすい。肉体が要求していないのに情欲が過剰となることが起こりやすいわけである。そうなると精、気、神のバランスが崩れしまう。こうしたこともあって神秘行においては性的な問題が「イメージ」をベースとしておおきく扱われなければならなくなっている。

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