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道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(5)

  道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(5) 蟷螂拳には分身八肘とされる秘伝套路がある。これは肘での攻撃を主としているが、あるいは八卦拳の影響がそこにはあるのではないかと思う。宮宝田が清朝の崩壊と共に北京から故郷の山東省に帰ってから、その地域にあった蟷螂拳との争いが生じることになる。こうした過程で八卦拳にも蟷螂拳の影響と見られる動き(掃腿など)が取り入れられたし、おそらく蟷螂拳でも同様に八卦拳の動きを参考にした部分があったのではないかと思われる。それが分身八肘である。この「分身」という名称からは両儀、四象、八卦と体を細分化して捉える八卦拳の視点が伺えるし、そうした細分化が具体的には「肘」の使い方によってなされること、また八肘という数も八卦との関連をイメージさせる。

宋常星『太上道徳経講義』(36ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(36ー6) こうしたことを「微明」という。 この一節では、これまでのことが総括されている。これまで例えとして収斂や拡散、弱いことや強いこと、衰退や興隆、奪うことや与えることといった事例が挙げれて来ており、そこでの「理」も明らかにされていた。しかし、そこで相反することがどのような関係にあるのか、については必ずしも明らかとは言えなかった。分かりにくかった。つまり、それは結局のところ吉と凶、小さい大きのい、成る成らない、有る無いが、どのような関係にあるのかが不明確であったのである。およそ聖人はこうした「理」の働きを、大いなる道によるものとして、無為自然のままとしている。しかし、一般には私欲をして、これらに存している反対の「理」は「順」において、一方だけに偏って用いられる。つまり一つの方だけを起こそうとするのが「私欲」によるものなのである。しかし、大いなる道においては、必ず「逆」のことが起きて来る。「逆」のことが起きて来るからこそ、大いなる道といえるのである。そうした「順」「逆」の観点からすれば大いなる道の「理」も明らかとなろう。その変化の機も理解されよう。つまり、こうしたことを「微明」と言っているのである。老子はここで大いなる道が「微明」であることを教えている。とにもかくにも、この「微明」ということを悟ったならば、全てが明らかになり、収斂、拡散、弱い強い、衰退、興隆、奪ったり与えたりといったことにとらわれることもなくなるのである。 〈奥義伝開〉あらゆる物事には相反するものが含まれている、という老子の思想は「微明」なることの悟りによって得られたのであろう。強いものも見方を変えれば弱くなる、というのが老子の見出した「微明」である。それは一見しては知ることのできない反対のことを見ることの出来る視点でもある。この反対なるものの存在が時間を経ることで現れるという循環の視点は宋常星も示しているが「微明」という語からすれば、これは「同時」に起こっていることとするべきである。それは微かであるという意の「微明」の語が使われているように「認識」において生じていることなのである。「認識」を変えれば強いものも弱いものとして捉えることが可能となる。

宋常星『太上道徳経講義』(36ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(36ー5) もし奪うことを知ろうとするならば、必ず与えることが前提とされ(固)なければならない。 大いなる道の「理」とは「清浄無為」にあるのであるから、そこには本来的に奪うとか与えるとかいったものは存していない。しかし、一般には得ていないとか、持っていないといったことが重視される。人は、こうしたことの「順」の「理」は分かっているものの「逆」を知ることはない(つまり持っていなければ、それだけで完結して〈順〉そこに反対の持っているという状態が含まれている〈逆〉ことを知らない)。そうなると与えるにしても、奪うにしても、そこに害が生じることになる。つまり聖人のみが奪うべき時にはただ奪い、与えるべき時にはただは与えることができるのである。奪う時に奪うのであるから、それは奪うことで終わるのではない。奪うことの後には与えることになる。つまり奪うのは一時のことであって、最後には与えようとするわけである。例えば困難や困苦を奪って、後にゆとりや充分なものを与えるわけである。そうであるから、それは最後には与えるということになる。それを「もし奪うことを知ろうとするならば、必ず与えることが前提とされ(固)なければならない」と言っている。道を修する人は、よく与奪の「理」を知っておかなければならない。それは反対のことが起きるということである。今日、奪ったならば、必ず先には与えることが出来る。そうでなくただ奪うだけで与えることがないと思うならば、本当の意味で与えることの「理」が分かっていないということになる。 〈奥義伝開〉与奪の「理」は自然の「理」、大いなる道の「理」であるから人がそれを意識、意図することがなくても起こってしまう。人類の歴史においてあらゆる国家が滅びて来たのは、国家とはすなわち収奪のシステムであるからに他ならない。奪うことを主体とするシステムは自然に与えることを主体とするシステムへと移ろうとする。しかし、国家というシステムが、与えることを主として運営されたことはなかった。本来、国家はそうしたシステムを有していないからである。そこで奪う一方で与えることをも含むシステムが考えられて国家の延命がはかられたのが近代以降のことである。

宋常星『太上道徳経講義』(36ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(36ー4) もし衰退を知ろうとするならば、必ず興隆が前提とされ(固)なければならない。 天下のあらゆる事物は廃れることがあれば、必ず興ることがある。興ることがあれば、必ず廃れることがある。「興隆」それは「衰退」の始まりなのである。「衰退」とは「興隆」の兆しと言える。こうした「理」は循環しており、そこでは必ず次のものが生じることになる。聖人はこうした「理」をよく知っていて、勢いのあるところは必ず廃れることになることが分かっている。「強」さのないところで「興隆」は始まる。何事も起こらない「衰退」しているところは、次には反対に「興隆」が生まれる。「衰退」しているのは一時のことに過ぎない。また「興隆」が長く続いているところは、ここに「もし衰退を知ろうとするならば、必ず興隆が前提とされ(固)なければならない」とあるように、反対に「衰退」することになるものである。道を修しようとする人は、ここに述べられている興廃のように、次には反対のことが生じるという「理」をよく知らなければならない。現在「衰退」しているところは、将来には必ず「興隆」する。そうでないと考えるならば、興廃の「理」が分かっていないということになる。「興隆」には必ず「衰退」がつきものなのである。 〈奥義伝開〉ここも先と同じことを「衰退」と「興隆」において述べている。人は誰でも「興隆」を長く続けたいと思うものであるが、それは不可能なのである。あえて不可能を可能としようと無理をすると矛盾が生まれて、それが「衰退」を招くことになる。そして最後には大いなる破局に至り「革命」が起こされる。つまり「革命」とは「興隆」のことである。

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(4)

  道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(4) 八卦拳では「龍身(龍形)」を得ることで相手の変化に付いて行って攻撃ができるようになる。相手が右に避けたらそれを追いかけて攻撃ができるようになるのである。勿論、こうした攻撃は直線の軌跡によらないので、多少の力のロスは生じる。しかし、そうであっても当たらないよりは、当てる方が遥かに有効であると形意拳や八卦拳では考えるわけである。どのような威力のある攻撃でも当たらなければ全く意味がない。こうした身法は八卦拳では易に習って「体を分割する」ことで得られると教える。両儀(陰陽)から四象そして八卦となる易の理は、この世を分割して捉えようとするものである。八卦拳でも身体を「分割」することで、体の動きをより詳細に把握、操作できると考えている。

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(3)

  道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(3) 八卦拳では肘、膝を使うことができるようになって初めて「活」の段階に入ることができるとする。「活」とは実戦に使えるということである。またこの段階になると肘や膝も攻撃に有効に使えるようになる。これを八卦拳では十二転肘という。十二とは八方と上下、前後である。要するにあらゆる方向に肘を使うことができるわけである。ただ八卦拳では特に肘打を行うものとして肘を重視しているのではない。あくまで手首と肩に肘を加えることで、それを変化のポイントとさせることを意図している。つまり肘を使うことでネジリの動きが可能となるわけである。通常の手首と肩とでの攻撃は腕を一本の直線として使う。直線とすることで体から発する力を最も有効に拳へと伝えようとするわけである。しかし、こうした攻撃は一端、始まるとその軌跡を変えることはできない。そこで二打目を如何に早く出すかの工夫がなされることになる。また形意拳では梢節(手首)、中節(肘)、根節(肩)の三点を使えるようにすることで龍身が得られるとする秘訣がある。龍身とはこれら三節で折れている(分割されている)身体のことである。それは形意拳や八卦拳の構えを見れば如実に分かることでもある。

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(2)

  道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(2) 形意拳の「明・暗・化」の「化」も太極拳の「神明」や八卦拳の「変」と同じく心身が統一された状態を言っている。ただこの「化」については発勁、化勁、聴勁などという場合の「化」と、「明・暗・化」という場合の「化」の違いについての誤解がまま見受けられるようである。「化勁」は相手の攻撃してくる力を受けることのできる能力のことである。また発勁は攻撃できる力を発することのできる能力のこと、聴勁は相手の動きを知ることのできる能力のことである。ほかにもいろいろな武術的な能力のことを「〜勁」と称することがある。しかし「明・暗・化」の「化」はこうした個々の能力ではなく全般的なレベルを示すもので、心身の統一された状態をいうことは既に述べた通りである。形意拳では「明」で基本的な攻防の力を養う。これは一般的な武術各派とそれ程おおきな違いはない。八卦拳ではこの段階が基本となるので「定」とする(「定」には「まとまる」「さだまる」といった意味がある)。そして「暗」ではより細密な動きを練る。ここで言う「細密」とは内三合(心、意、力)、外三合(手、肘、肩 足、膝、胯)が協調して働いている状態のことである。

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(1)

  道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(1) 八卦拳の変化の段階を示すものとして「定・活・変」があるが、これは拳そのものの深まりを言うものでもある。他には「明・暗・化」とする段階概念も功の深さのレベルを示すものとして一般に使われている。ただ後者は孫禄堂の『拳意述真』に見られるもので、もとは形意拳に由来しているようである。他に太極拳では「覚勁・トウ勁・神明」などの段階をいう。「勁」とは「武術的な力の使い方」の意であり、太極拳では太極拳独特の力の使い方に覚醒した段階を「覚勁」とする。次いでそれをより深く体得でき、より詳細、厳密に使うことができるのが「トウ勁(りっしんべんに董の字)」である。「トウ」には「分かる」という意味がある。そして最後は「神明」である。これは、動作と意識とが高度に統合されていること示すもので、完全なる心身の統一がなされた状態といえる。翻って言えば八卦拳の「変」は「神明」と同じで高度に心身が統一された状態でもあるわけである。つまり八卦拳における「変」は、心身の統合された状態で生み出されるものなのである。

宋常星『太上道徳経講義』(36ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(36ー3) あるものの弱さを知ろうとするなら、必ず強さが前提とされ(固)なければならない。 天地の道を観てみると、春や夏は「強」いとすることができる。秋や冬は「弱」いと言える。老若を観ると、若人は「強」く、老人は「弱」いと言える。人において観れば、力のある者は「強」く、無い者は「弱」いと言える。将来の「弱」さを知ろうとするならば、今は「強」さを知っておかなければならない。そうでなければ将来においての「弱」さを認識することはできない。そうであるから聖人は強弱をよく使い分けていた。人生の盛衰の理をよくわきまえていたのである。これはまさに「強」いと言うことができようが、それはあえて「強」さを用いていたというのではなく、自然とそうなったのである。聖人が自然に「強」くなっていたのは「弱」さによっているからで、つまりは「強」さを用いることができたからこそ「強」く居ることができているのである。こうした反対のものは常に現れるのであるから、「弱」い勢いであっても、それは一時のことであって、それが「強」く変じることは不変の「理」として常にあることなのである。ここで「あるものの弱さを知ろうとするなら、必ず強さが前提とされ(固)なければならない」とされているのは、こうした反対のことの生まれる理を述べたものなのである。道を修しようとする人は、強弱が反転する理をよく知って用いなければならない。今は「弱」さによっていても、先には必ず「強」くなるのである。そうでなければ、「強」さだけを好んでそれを固守しようとすることになりかない。真の「強」さを得ようとするのであれば、「弱」さを知らなければならないのである。 〈奥義伝開〉反転という現象が起こるのは周囲の環境が変化するからである。あらゆるものは変化をしている。つまり運動をしているわけで、そうであるなら変わらないものはない。変わるというのは反対のものに成って行くことである。この変化の思想は中国では普遍的にある。儒教で重視する「易」には「変化」という意味がある。革命思想もそうした中に生まれて来た。

宋常星『太上道徳経講義』(36ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(36ー2) 何かを収斂(キュウ)させようとするならば、必ず拡散(張)した状態が前提とされ(固)なければならない。 物事がまだ起こっていない時、それはまさにやろうとしていた時である。つまり物事の起ころうとしていた時である。これが「前提とする(固)」と言うことである。しかし、こうした前提を聖人は求めることはない(聖人は事前に何らかの思惑を持って考えたり行動することはなく、自然の必然性に応じて動く)し、大いなる道による行為においてそうしたことが求められもしない。運命の盛衰は、それに直面をして知ることができるだけであり、それがどう動くかを知ろうとしても、その方法はない。事前に何か確かなことを前提としようとしても、それは出来ないことなのである。何が起こり、何が為されるのか。そうしたことを前もって知ることはできない。ここに「何かを収斂(キュウ)させようとするならば、必ず拡散(張)した状態が前提とされ(固)なければならない」とあるのは、ある種の行為に関して、それを普遍的な天地の道の理に照らして述べようとしているのである。天地の道にあっては、特に何かを「収斂」させようとすることはない。また「拡散」させようとすることもない。ただ「収斂」させようとすることはないが、収斂ということは生じている。それは天地の働きによって起こっているだけで、天地がそれを行おうとしたのではない。そうであるから乾(天)の道は一つではない、とされるのであり、それは坤(地)の道と通じているのである。坤の道も「収斂」を行うのではないが、乾坤の道が感応することで坤(地)において生成の機を蔵する、つまり「収斂」を行う形になる。天地がこのようであるばかりではなく、あらゆる物事においてもこうした「収斂」と「拡散」の理を見ることができる。例えば蛟龍(こうりゅう。水に住む龍)は、冬には深い沢に沈んでいるが、春分を過ぎると天に昇って変じて、尺取り虫になるという。もし尺取り虫が体を曲げることができなかったら、伸ばすこともできないであろう。つまりここにも「収斂」と「拡散」と同じ理があるわけである。そうであるから天地のあらゆるところにこの理は存している。そうであるので聖人は天の道が「拡散」するのを見れば、次には「収斂」が起こるであろうことが分かるのである。つまり「拡散」が見られれば、次にはその勢いが尽きて必

宋常星『太上道徳経講義』(36ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(36ー1) 「微明」とは、大いなる道の隠された本質をいうもので、大いなる道の理を言おうとするものである。「微明」の働きは誰でもそれを用いてはいるが、全く気づくことはないし、見ることもできない。また「微明」の理は、世界がいろいろと移り変わっても変化することはない。聖人が世に出て、大いなる道をいろいろと語ったとしても、それが「微明」であることは何ら変わることはない。「微明」を我が身に修すれば、それは修行の大本となる。これを家に用いれば、家を整えることができる。これを国に用いれば、統治のまたとない手段(利器)となる。「微明」の根本は、太虚と一体になっているところにある。そうであるからあらゆるところに「微明」は存している。「微明」の働きは、天地の働きに等しく、あらゆるところに及んでいる。無妄、無為で、余すところも、欠けているところもない。至真で至実、至中、至正であるので、無為の人がこれを修すれば言う事のない人となることができる。しかし、私欲を捨てきれない人がこれを修したならば、かえって好ましくないことにもなろう。そうであるから無為の聖人は「微明」の根本を知って、その働きを得て、天地とその理において一体となり、あらゆる変化に対応することができるのである。聖人は道を天下に優るものとして、物的なものにも、私的なことにもこだわる心を持ってはいない。その徳は古今を貫く普遍の価値を有しているが、これが徳であるとのこだわりを持つこともない。あらゆる事が、さまざまに変化をしても、心の中ではそれをよく受け止めて、全てが明らかに知っている。あらゆることの全体像を知って間違えることはない。まったく栄枯盛衰は眼中になく、強弱といったことに左右されることもない。こうした境地に至れるのは「微明」を深く体得したからである。「微明」を深く養ったならばそうした境地を得ることができるであろう。 この章では「清静無為」「不変不易」が道の根本であることが語られている。運不運や損得は一時のことに過ぎない。こうした事にはこだわってはならない。こだわらなければ、どのようなことにも煩わされることはない。こうしたところには「収斂、拡散」「強、弱」の変化の要因と等しいものがある。「興隆、衰退」「与、奪」に含まれているのと同じ理がある。重要なことはこうした相反することの一方に、いちいちこだわること

道徳武芸研究 力を使わない武術(4)

  道徳武芸研究 力を使わない武術(4) 日本では太極拳の指導において「力を抜いて」ということをよく聞くが中国では「力が入りすぎている」「リラックスして」とは指導されるものの「力を抜いて」と言われることはないようである。そもそも力を入れなければ動くこともできない。太極拳においても他の運動と等しく余計な力みを無くすことは重要であるが、力そのものを入れない、というのでは正しく太極拳を練ることはできない。楊澄甫や呉鑑泉の写真を見ても実に立派な体躯をしており、体からは力のみなぎりを感じさせる。こうした体躯がただ脱力をして得られるものではないことは明らかであろう。確かに少林拳などは全身に如何に力を込めるかを練習する。これが易筋経である。易筋経は導引的な練習法であるが、筋肉を開くことで全身に偏りなく力を込めることのできる体を作り上げて行く。一方、太極拳などでは、これも導引的な方法を用いるが、この場合は筋肉を開いて全身の感覚を鋭敏に働かせることのできるような体を作ることを目指す。つまり、その目的とするのは「力を抜く」ことではないのであり、そういうことをよく知っておかなければ、武術としての展開ができないばかりか本来の太極拳としての正しい練習にもならなくなってしまうのである。

道徳武芸研究 力を使わない武術(3)

  道徳武芸研究 力を使わない武術(3) 日本で「力を使わない武術」が良いとされるのは「柔(やわら)」の伝統によるものである。我が国では聖徳太子の時代から「和(やわらか)き」を尊ぶ気風があった。十七条の憲法には「和を重要なものとして、争うことがないようにせよ」とある。つまり争いを防ぐ方法として「やわらかさ」が重要であることを我々日本人は古代より認識していたのである。では、どのようにすれば「やわらかさ(和、柔)」をして争いを制することができるのか。その具体的な技術が確立されたのは近世になってからであった。それを代表するのが剣術では「陰(かげ)流」、柔術では「やわら(柔)」ということになる。柔術の道歌に「柔とは水に浮く木の心持て 押さば引くべし 引かば押すべし」とあるように、できるだけ力の拮抗をなくして相手を制することが良しとされたのであった。一方で相撲のように力技を競うものは「しこ(醜)」として見にくいものとされた。ちなみに「しこ」は神に通じる概念で、強力なパワーを持つ神は醜い姿であると考えられていた。神は醜い姿を見られるのを嫌っていたために古代では暗闇の中で祭祀を行っていたとされる。相撲は本来は神占い的な行事であったことを考えると、それを「しこ」と見なすのは当然でもあったわけである。

道徳武芸研究 力を使わない武術(2)

  道徳武芸研究 力を使わない武術(2) 日本ではここ数十年では中国武術は、太極拳を中心に北方の系統のものが主として入って来た。そうしたこともあって、南方の武術に対する偏見も生まれたようである。アメリカなどではブルースの影響で詠春拳が盛んであったが、日本ではブルース・リーが知られるようになった頃は「空手映画」とされていて空手に関心が集まったりしていたが、これが「中国武術」であると認識されるようになるのはしばらく後のことであった。そして、当時、唯一とも言える中国武術の情報発信者であった松田隆智の影響もあって「南拳よりも北拳が優れている」とする偏った意見が主流となり、ブルース・リーがよく練習した詠歌春などは顧みられることが無く、むしろ八極拳などの方が注目されるようになっていた。ちなみに八極拳で李書文は名人として知られているが、そうした「名人伝説」はどの門派にも同様なものがあり、中国武術界全体として李書文が突出した「名人」とされているわけではない。これも情報の偏りから生まれた「偏見」である。また八極拳は中国全土からすれば極めて限定的な認知しか持ち得ていない門派であり、拳術としてのステータスも形意拳などと比べると遥かに低いといえる。

道徳武芸研究 力を使わない武術(1)

  道徳武芸研究 力を使わない武術(1) 日本の武術界では往々にして「力を使わない」ことが良いとされる傾向がある。そうした 方向で合気道や太極拳などは喧伝される。一方で「力」への信仰も深くあって、高度経済成長やバブルの頃は「パワーカラテ」などのようなものがもてはやされもした。こうした点から中国武術に目を転じてみると南方の武術は「力まかせて低級なもの」とする誤解が根強くあるようである。ちなみに中国人にはこうした偏見は全くない。勿論、太極拳をやっている人が、他の武術を批判する、といった流れでの「力任せである」ということはある。そうした独尊的な考えは温度差はあっても、多くの武術家に等しく見られることでもある。基本的には武術家は自分のやっている武術が一番良いと考えている。大きく言えばその門派に自分の命を預けて居るのであるから、自分の修業しているものが第一と考えたくなるのも無理からぬことでもあろう。

宋常星『太上道徳経講義』(35ー7)

  宋常星『太上道徳経講義』(35ー7) (もし道が発生したならば)何を用い(用)ても、限定される(既)ことはない。 大いなるシンボルは、それを視覚的によって限定的に認識することはできないし、聴覚によっても知ることは不可能である。もし、よく大いなるシンボルを通して「道」を知ろうとするならば、それは全く限定されることのない「認識」となる。その大きさは無限であり、あらゆるところに及ぶのであって、細かいところも至らないところはない。それは大昔から遥かな未来にまで絶えることなく、天地にあって、万物を育てている。このように大いなるシンボルの働きは、あらゆるところに及んでいるのであり、それが存していないところはないのである。もし「道」を使うことができれば、それは全く限定されることのないものとなる。「限定される」とは限界があるということである。そうであるから、ここでは「限定される(既)ことはない」としている。道を修行する人は、聴覚によらないで、大いなるシンボルを知ることができることが分かっているであろうか。それは鏡が物を映し、秤が均衡を保っているようなもので、そこにあって明らかなことは、あらゆる存在が結局は「無」であるということである。そこには何ら限定的な法も存してはいない。心の「理」は、渾然としていて、限定された形を持つこともない。天地、万物は全て我が心の本質である「性」の空なるものとして存している。それが「(あらゆる存在が)名を持たない。天地の始めはそうであった」(第一章)ということであり、これこそが「静」的な状態において「道」の発生が予定されているが、いまだ現れていない(未発)状態、つまり大いなるシンボルが現れている状態なのである。大いなるシンボルが実際に事柄に応じて働く様子は、転がる珠に似ている。珠はいろいろな転がり方をするが、それは丸い珠のままで何ら変わりはない(つまりどのように転がっても変わることのない珠は「道」であり、右に転がり、左に転がるというのが「シンボル」となるわけである)。また「名を有するのは、万物の根源である」(第一章)とあるのは、「動」における大いなるシンボルの働きを言っている(つまりシンボルとして現れていないものに「道」を認めることはできないのである)。大いなるシンボルは、存在を「静」や「動」からとらえれば、こうしたことになる。こうした見方は、どのよう

宋常星『太上道徳経講義』(35ー6)

  宋常星『太上道徳経講義』(35ー6) (もし道が目に発生したならば)何かを視覚的に捉え(視)ても、その認識(見)にとらわれることはなく、 大いなるシンボルは、それを「道」ということを通さないで、ただ視覚的に捉えられたものだけで知ろうとしても充分ではなく、また聴覚的においてもそうしたことが言える。およそ声が発せられていれば、それを聴くことはできる。およそ音があれば、それを聴くことはできる。大いなる道は「虚無」であるので、そこには声も音もない。大いなる道の「声」や「音」を聴こうとするならば、自分の心で認識する(聞)より他にない。実際の声や音は限定的にしか発せられていない。そうしたものを大いなる道のものとして認識することはできない。そうであるから「何かを視覚的に捉え(視)ても、その認識(見)にとらわれることはなく」とあるのである。もし、心をしてよく認識することができれば、「道」の「声」や「音」を認識することができるのであり、それが聞こえないということはないのである。 〈奥義伝開〉聴覚に並んで視覚も人の心におおきな影響を与える。重要なことは表面的な現れとしてのシンボルを通して、普遍的な「道」を知ることにある。世間で「良い」とされるものに同調する必要は全く無いわけである。そうしたものはシンボルとして一時的に評価されるだけで、あらゆる存在は「道」の観点からすれば平等の価値しか持ち得ていない。ただ「自分」にとって有益、不益なものがあるだけである。これを知るにも「道」についての理解を深めなければならない。

宋常星『太上道徳経講義』(35ー5)

  宋常星『太上道徳経講義』(35ー5) (もし道が耳に発生したならば)何かを聴覚的に捉え(聴)ても、その認識(聞)にとらわれることはなく、 大いなるシンボルを知ることは、ただ淡白であったり無味であったりする味覚だけのことではない。ある物を視ても、それにとらわれることがなくなるのである。およそ形を有する物で、それを視るとは、その形を視ることである。色を視るのも、その色を視るわけである。しかし、大いなる道には限定された形も色も存してはいない。そうであるから大いなる道によれば、ある物を視覚で捉えても(視)、それをそれとして限定的に認識する(見)ことはないのである。そうであるなら「何かを聴覚的に捉え(聴)ても、その認識(聞)にとらわれることはなく」とされているのであり、ここにおいて認識されるのは物事の本質(性)である。つまり「道」を見ているということであって、何も見ていないのではない。本質(性)ということを抜きにして「道」を語ることはできない。「道」ということを言わないで、大いなるシンボルを述べることはできない。つまり、大いなるシンボルが分かれば、よく物事の本質(性)を認識できるのであり、そうなれば「道」を知ることができる。つまり何を視ても「道」が認識できないということはないわけである。 〈奥義伝開〉視覚に並んで聴覚も人の感情に大きな影響を与える。プロパガンダで多く音楽が利用されるのはそのためである。また時々の流行歌が時代を反映しているというのも、その時代の人々の心のとらわれが反映しているからに他ならない。軍歌のようなものは為政者が意図して人々の心のあり方を変えるために作るものである。こうしたものも「道」のシンボルであるから、その奥にある「道」が分かっていたなら表面的なプロパガンダに踊らされることはなくなる。

道徳武芸研究 中華国術教材における形意、八卦、太極拳(4)

道徳武芸研究  中華国術教材における形意、八卦、太極拳(4) 中華国術教材ではベースになる門派を持ってそれをより深く体得するために、いろいろな門派の「知」を学ぶことを重視する。こうして相互の理解を深めることで門派の閉鎖性を打破できるわけである。こうした套路に含まれている「秘訣」を解きほぐして教える学習の課程は本来は指導書などが作成されるべきであったであろうが、そうしたものを作る環境は戦争などもあり得られなかったようである。そうしたこともあって現在、台湾ではそれぞれの指導者の理解の程度によって「中華国術教材」として編まれた形意拳、八卦拳、太極拳が教えられている。そのために、必ずしも教材の意図にそって教授がなされているとは限らない。ただ三つの種類の拳を教えているだけの人も居る。実はこうした「動きの原理」へ還元して、別のシステムの「秘訣=知」を取り込もうとする試みは八卦「掌」において見ることができるのである。本来の八卦「拳」には拳も掌もその形にある。しかし八卦掌になると掌しかない。それを見て「八卦掌は拳を使わないで戦う」などと誤ったことが言われることもあるが、八卦掌が掌だけであるのは、それが実戦の形ではなく、実戦で用いられる心身の原理を練るものとされたからに他ならない。八卦掌は主として形意拳に付随して広まったが、そうした場合には実戦の形は形意拳に依っていた。形意拳からすれば、八卦掌を取り入れることで体を練ることがより合理的に可能となったわけである。近代になって各地の武術家の交流が盛んになると、こうした形での「知の共有」を進めようとする動きが活発化して来ており、中華国術教材もそうした流れによって生み出されたのであった。

道徳武芸研究 中華国術教材における形意、八卦、太極拳(3)

 道徳武芸研究  中華国術教材における形意、八卦、太極拳(3) 近代中国が西欧に大きく立ち遅れたのは「知の共有」が円滑でなかったためとの反省があり、それは武術にも及んだ。そうした風潮を受けて孫禄堂は「拳術の動きを虚に還元する」ことで門派の垣根を越えて「知の共有」が可能となるとしていた。具体的に「動きを虚に還元する」とは、それぞれの拳術の持つ「動きの原理」に還元して普遍性を得ようとするものである。つまり形意拳であれば「力の集中」を学ぶシステムとする。八卦拳は「入身」を学ぶシステムとして、太極拳は「心身の統合」を学ぶものとするわけである。こうした「力の集中」「入身」「心身の統合」はどの門派にもあることなのであるが、こうしたことに特徴を持つ門派で個々に練習することで、より分かりやすく会得することが可能となるし、いろいろな形での「力の集中」を体験することで、より広い視野を得ることもできる。もし八卦拳を専門とするのであれば、形意拳の発力(初勁)を学ぶことで、八卦拳では分かりにくい発力(発勁)というシステムをより深く理解、体得できるようになるわけである。

道徳武芸研究 中華国術教材における形意、八卦、太極拳(2)

 道徳武芸研究  中華国術教材における形意、八卦、太極拳(2) 国術教材として中央国術館で編纂されたものとして知られている拳術に八極拳がある。これはかつて李元智によって台湾にも伝えられた。この八極拳について劉雲樵などは「八極拳の本質を失っている」などと評していたらしいが、国術教材の編纂方針としては「門派にとらわれない」ということがあったので、そのため八極拳の特徴はより明確に強調されると共に、本来は秘伝とされるような種々の秘訣が教科書的にに盛り込まれることになった。こうしたこと(本来はいくつもの套路を学習して段階的に取得されるべきものをひとつの套路に集約してしまった)により本来の八極拳そのものの風格は変質している部分のあることは否めないが、ある意味ではより進化したともいえるものとなっている。こうした新たな国術教材の編纂は日中戦争が激化して行ったこともあり、どこまで進められたのかは明らかではなく編纂過程など具体的なところは分からないところも少なくない。陳ハン嶺が伝えた形意拳や八卦拳、太極拳にしても誰がどのように関わって編纂されたのかは明確ではない。そうした歴史的経緯はともかくとして現在「中華国術教材」としての形意拳、八卦拳、太極拳はいわゆる形意拳や八卦拳、太極拳をそれぞれ学ぶのではなく、八極拳と同様に個々の拳術が持つ「動きのエッセンスとしての原理」を学ぼうとする方向で学習を進めるべく編纂されている。

道徳武芸研究 中華国術教材における形意、八卦、太極拳(1)

  道徳武芸研究 中華国術教材における形意、八卦、太極拳(1) 中華国術教材とは、かつて中央国術館で編纂されていた「国術教材」をイメージしたもので、具体的には陳ハン嶺が教えていた形意、八卦、太極拳をその基盤とする。ただ陳ハン嶺自身はその団体である九九健身会において、教えている武術が中央国術館で編纂されたものとは必ずしも明言していなかったようである。太極拳については著書もあるが、その成立の経緯には触れられていない。また太極拳の名称についても「太極拳」とあるだけで一般にいわれている双辺や九九などの名称を冠することもしていない。陳はその示した太極拳は太極拳一般としてのオーソドックスなもので、それは楊家や呉家などの門派の垣根を越えた普遍性を有するものと見るべきとしていたようなのである。勿論、それは中央国術館の「中華国術教材」の目指すところでもあったのである。

宋常星『太上道徳経講義』(35ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(35ー4) もし道が口に発生したならば、その味は淡白となり、無味となる。 大いなるシンボルとしての「道」は、世間一般の価値観で計り知ることのできないものである。「もし道が口に発生したならば、その味は淡白となり、無味となる」時の「味」とは「無味の味」である。「無味の味」は淡白ではあるが、「先天の造化」がそこには働いており、太極の本体が明らかに存している(ので素材そのままの味ということになる)。古から今に至るまで、その味は変わることなく淡白であることが知られている。つまり、大いなるシンボルが心に有れば、それは味覚にも作用するので、そこにおいて淡白であると感じられるわけである。天地の終始を知り、万物の法則を知り、生死の時を知る。鬼神はこうしたことの吉凶を告げるが、仙人にとっては、それらは全て「淡白」で「無味」なる事に過ぎない。それは全く世の人の感じる「味」とは異なっている。そうなると楽しみも、美味なる食事も何らの価値のないものとなる。そうしたことを「もし道が口に発生したならば、その味は淡白となり、無味となる」と言っているのである。 〈奥義伝開〉前に「楽しい食事」と訳したのは原文では「楽与餌」である。この「楽」は音楽のことであるから、より具体的には「音楽が奏でられているところでの楽しい食事」ということになる。聴覚的にも味覚的にも満たされるわけである。ただ、こうした「作られたもの」によらなければ満足できないというのは、本質である「道」を見失っているからであると老子は教える。老子は「樸」を重視する。つまり加工されていない状態を最も好ましいと考えるわけである。そうすると作られた「音楽」は自然の風や水の音に及ぶものではないし、食事も手間をあまりかけないようなものが良いということになる。ここで「淡白」「無味」とあるのは「樸」と同じ意味で、素材そのまま自然のままということである。

宋常星『太上道徳経講義』(35ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(35ー3) 楽しい食事が行われていれば、それに直接関係のない人でも足を止めてしまうものである。 【宋常星の読みに従えば「楽しい食事は、苦しい旅を続ける行商人のような人生において一夜の宿で味わえるだけのことに過ぎない」となる】 多くの人と宴会をする。これは楽しいことである。美味なるものを食べるのも得難いものである。行商をする人を「過客」という。「止」まるとは、宿を取ることで、これは通常ではない事態である。ここで老子は例えをして説いている。世の人は大いなるシンボルの働きと一体となり得てはいない。欲望に満ちた世の中に生まれて、苦しい旅を続ける行商人のようである。その人生はごく短く、その楽しみも久しいものではないのである。 〈奥義伝開〉宋常星は「楽しい食事」は短い人生の中のしかも一時のことであるから、それにとらわれるべきではないと解している。原文で「過客止」とあるところの「過客」は旅人の意であるので、宋常星は「止」を宿泊として「楽しい食事」と旅人の「一夜の宿り」を「短いもの」として、そうした楽しみは短い人生のしかも一時のことに過ぎないことに注意を促している。ただここでは「道」を外れた過度なもの(シンボル)にとらわれることの否定として読みたい。勿論、こうしたものにも「道」を見ることはできるのであるが、人々は往々にして、過度に楽しいものであれば、なおさらシンボルだけに気を取られてしまう。ただの食事ではなく、音楽が奏でられていたり、グルメなものが出されていたりする食事、そうした過度なものに「道」から外れた人は往々にして反応してしまうわけである。しかし「道」を体した人は次にあるように、そうしたものに殊更な関心を抱くことはないのである。

宋常星『太上道徳経講義』(35ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(35ー2) 大いなるシンボルということを分かって、天下に臨めば、そこには弊害の生まれることはなく、「安(安泰)」で「平(平安)」で「泰(泰平)」となる。 大いなるシンボルとは「道」の現れである。ただ「道」はシンボルそのものではない。そうであるなら、ここにある「大いなるシンボル」とはいったいどういうものなのであろうか。無極の本体は、これを「無」いとすることはできない。太極の働きも、これが「有」るとすることはできない。これらは「有」ると言うこともできないし、「無」いと言うこともできないのである。また「非存在(空)」とは限定できないし、「存在物(色)」と規定できるものでもない。それはあらゆる存在に関係していて、あらゆるところでその働きを表している。これは「シンボルなきシンボル」と言えよう。それがまさに「大いなるシンボル」なのである。もし、この「大いなるシンボル」の「理」を得て、自分の身に修したならば、その人は他人と区別のないものとなる。大いなるシンボルと一体となって国を治めれば天下は平安となり、全ては順調となる。あらゆるものは正しく働き、心は「空」となって、その「楼門」は四方八方に通じている。それはあらゆるところに大いなるシンボルの完全なる働きが及んでいるからである。如何なる時にも「理」から外れることなく、動静は適切で全ては大いなるシンボルのままになされている。つまり、全てのものは大いなるシンボルが基になっているわけなのである。そうであるなら、それを「害」せようとするものなど存することもない。そうであるから大いなるシンボルと一体であれば、民は苦しむことなく、政(まつりごと)は失敗することなく、圧政はなされず、戦争も起こされることはない。これらは全て「害」するものがないからである。天下に臨んで「害」するものがないならば、家、国、天下は自然に安泰(安)で平安(平)、泰平(泰)となり、すべての人が共に安らかに楽しむことのできる闊達な世の中となる。そうであるから大いなるシンボルを、我が身に用いることができたならば常に安らかでいることができる。以上からすれば「大いなるシンボルということが分かって」ということも明らかとなろう。そうであるから「大いなるシンボルを分かって、天下に臨めば、そこには弊害の生まれることはなく、『安(安泰)』で『平(平安)』で『泰(

道徳武芸研究 道芸と武芸を分けるもの〜腰帯から考える〜(4)

  道徳武芸研究 道芸と武芸を分けるもの〜腰帯から考える〜(4) 通臂拳を始めとする少林拳では套路を行う時に息を止めて行うこともある。息を止めることで早く動くことができるからである。こうした套路は大体が三十動作くらいであるから30秒もかからないで終えることができるので、息を止めて行うことは不可能ではない。ただ套路を終えた後は完全に息があがってしまう。こうした鍛錬は武術的には意義があるが、健康面では好ましくないとされる。こうした無理な鍛錬は「結婚する前まで」とされることが多い。かつての社会における「結婚する前」というのは、大体二十代の中半くらいであろうから、これは大体において青年期の終わりといえる年でもあり、壮年期となって体の衰えが始まる前でもある。中国武術では青年期までを「鍛」の時期、壮年期は「錬」の時期、そして老年期は「養」の時期としている。腰帯を用いた鍛錬は体に負荷をかけることもあり、よく自分の心身の状態と「武芸」「道芸」といったどのような功を得たいのかを考えて行う必要があるであろう。

道徳武芸研究 道芸と武芸を分けるもの〜腰帯から考える〜(3)

  道徳武芸研究 道芸と武芸を分けるもの〜腰帯から考える〜(3) 形意拳も「武芸」的にも「道芸」的にも練ることが可能であるが、形意拳の内部では特に「道芸」が強調される。それは形意拳が往々にして「武芸」的な鍛錬に流れやすいことを戒める意味もある。形意拳はそもそも劈拳から始めるが、これは「肺」を練るもので、動作においては腕を上下させる。そうすることで呼吸と動きを合わせるけである。腕を上げる動作で息を吸って、下ろす時に吐くのであるが、息を吐く時に全身の動きが統合されて大きな力を生み出すことが可能となる。もし、この時に腰帯で体を締めていたら気血の円滑な流れ、つまり下から上、そして上から下への流れが阻止されるので形意拳がシステムとして有する息の働き(心身の統合による発勁)は発動させることができなくなってしまう。形意拳の母拳である五行拳の冒頭の劈拳に「肺」が置かれているのは、形意拳が本来は「道芸」のシステムでなければ正しく力を発揮し得ないことを示しているわけなのである。

道徳武芸研究 道芸と武芸を分けるもの〜腰帯から考える〜(2)

  道徳武芸研究 道芸と武芸を分けるもの〜腰帯から考える〜(2) 腰帯をきつく締めることで気血の流れを分断して、上半身の流れを下げさせないようにすることができる。そうすることで大きな力を出せるようになるとされる(いわゆる力んだ状態を作り出す)が、この時に呼吸も止めてしまうことがある。人は力んでいる時には呼吸を止める。反対にリラックスする時には「深呼吸をして」などとアドバイスされるように深い呼吸を行うことが重要となる。太極拳の拳訣には「綿綿不断」があるが、これは呼吸が穏やか(綿綿)で途切れることがない(不断)という教えで、そうなると結果として動きも柔らかなものとなる。こうして息と動きを一体として動きを柔らかで連環性を持ったものとして練って行けば、息も自ずから「綿綿不断」となる。こうした呼吸を意識して穏やかで途切れることがなく動こうとしたなら、それは自ずから太極拳的な動きとなるわけである。ただ秘訣としては呼吸そのものを意図的に行うことは好ましくないとされ、動きを練ることで自ずから息も適性な呼吸(真息)が得られるとされている。

道徳武芸研究 道芸と武芸を分けるもの〜腰帯から考える〜(1)

  道徳武芸研究 道芸と武芸を分けるもの〜腰帯から考える〜(1) 腰帯は本来は衣服を着るためのものであったが、現代中国武術では専ら体を締めるベルトとして使われる。これは腹部に圧力を加えることでより力を出そうとするもので、その典型は重量挙げなどに見ることができる。一般に中国武術では少林拳などでは腰帯で腹部を締めることを重視する。一方、太極拳などは体を締めることは気血を滞らせるものとして好ましくないと教えている。こうした傾向をここでは「武芸」と「道芸」として区別して論じようと考えている。例えば通臂拳のようなものでも、腰帯で体を締めて行えば「武芸」になるし、そうしたことをしなければ「道芸」としての鍛錬をすることができる。「武芸」としての鍛錬をするか、「道芸」として行うかは個人的な判断による。それはシステムと、どう関わるかということである。

宋常星『太上道徳経講義』(35ー1)

  宋常星『太上道徳経講義』(35ー1) 大いなるシンボル(大象)は、大いなる道(大道)の根本(体)とされる。大いなる道の働き(用)は、大いなるシンボルによってそれが示される。大いなるシンボルと大いなる道はその「名」は異なっているが、その「理」においては同じである。また無極は天地の始めであるとされ、太極は万物の母であるとされるが、混沌たる状態から天地が分かれて、万物が既に生じてしまっている状態にあっては、それらに何らかの「名」を付して言い表わそうとしても、その全て「名」をつけるとはできないし、その根本をというのであれば、それは「無名の樸(名を付することのできないあるがままのもの)」と言うしかない。もし、あらゆる存在の始めを言うならば「シンボルとしての「帝(かみ)」の先にあるもの(象帝の先)」(第四章)ということになろう。道を修する人が、もしよく「大いなるシンボルの奥義」を悟り得たならば、陰陽が盛んになったり衰えたりする「理」が分かるであろうから、古今東西のあらゆる存在の盛衰を、鬼神が吉凶を告げるが如くに知ることもできるであろうし、物事の終始も明らかにできるであろう。そうなれば三綱(君臣、父子、夫婦の道)においても大いなる義は明らかとなり、人の心も正され、邪な考えは排される。我が身を修める大本も、天下を治める優れた能力も、その根本は「一をもって貫かれている(ただ一つ)」(『論語』里仁篇)のである。ここで述べられているのはまさにそうしたことである。この章では大いなる道と大いなるシンボルのことが説かれているが、それらはつまりは無窮の存在なのである。 〈奥義伝開〉この世はいろいろな「法則」で出来ている。そうした「法則」を総称して「道」という。つまり「道」は唯一の法則をいうものではない。そのため「大いなる」という語を冠して「大道」とすることもある。こうした「道」の働きが具体的に現れたものが「象(シンボル)」である。水に熱を加えれば湯になるという「道」は沸騰するという「シンボル」によって示される。ここで宋常星は老子の「象帝の先」を引いているが、このフレーズのある第四章で述べられていることは、この章とほぼ変わらない。老子が「象帝の先」としているのは「道」のことであり、法則としての「道」と、その現れとしての「象」との関係を「象帝の先」では言っている。つまり「帝(かみ)」とは厳密には