道徳武芸研究 道芸と武芸を分けるもの〜腰帯から考える〜(3)
道徳武芸研究 道芸と武芸を分けるもの〜腰帯から考える〜(3)
形意拳も「武芸」的にも「道芸」的にも練ることが可能であるが、形意拳の内部では特に「道芸」が強調される。それは形意拳が往々にして「武芸」的な鍛錬に流れやすいことを戒める意味もある。形意拳はそもそも劈拳から始めるが、これは「肺」を練るもので、動作においては腕を上下させる。そうすることで呼吸と動きを合わせるけである。腕を上げる動作で息を吸って、下ろす時に吐くのであるが、息を吐く時に全身の動きが統合されて大きな力を生み出すことが可能となる。もし、この時に腰帯で体を締めていたら気血の円滑な流れ、つまり下から上、そして上から下への流れが阻止されるので形意拳がシステムとして有する息の働き(心身の統合による発勁)は発動させることができなくなってしまう。形意拳の母拳である五行拳の冒頭の劈拳に「肺」が置かれているのは、形意拳が本来は「道芸」のシステムでなければ正しく力を発揮し得ないことを示しているわけなのである。