道徳武芸研究 力を使わない武術(3)

 道徳武芸研究 力を使わない武術(3)

日本で「力を使わない武術」が良いとされるのは「柔(やわら)」の伝統によるものである。我が国では聖徳太子の時代から「和(やわらか)き」を尊ぶ気風があった。十七条の憲法には「和を重要なものとして、争うことがないようにせよ」とある。つまり争いを防ぐ方法として「やわらかさ」が重要であることを我々日本人は古代より認識していたのである。では、どのようにすれば「やわらかさ(和、柔)」をして争いを制することができるのか。その具体的な技術が確立されたのは近世になってからであった。それを代表するのが剣術では「陰(かげ)流」、柔術では「やわら(柔)」ということになる。柔術の道歌に「柔とは水に浮く木の心持て 押さば引くべし 引かば押すべし」とあるように、できるだけ力の拮抗をなくして相手を制することが良しとされたのであった。一方で相撲のように力技を競うものは「しこ(醜)」として見にくいものとされた。ちなみに「しこ」は神に通じる概念で、強力なパワーを持つ神は醜い姿であると考えられていた。神は醜い姿を見られるのを嫌っていたために古代では暗闇の中で祭祀を行っていたとされる。相撲は本来は神占い的な行事であったことを考えると、それを「しこ」と見なすのは当然でもあったわけである。


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 八卦拳の変化と蟷螂拳の分身八肘(8)

道徳武芸研究 改めての「合気」と「発勁」(6)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)