宋常星『太上道徳経講義』(36ー4)

 宋常星『太上道徳経講義』(36ー4)

もし衰退を知ろうとするならば、必ず興隆が前提とされ(固)なければならない。

天下のあらゆる事物は廃れることがあれば、必ず興ることがある。興ることがあれば、必ず廃れることがある。「興隆」それは「衰退」の始まりなのである。「衰退」とは「興隆」の兆しと言える。こうした「理」は循環しており、そこでは必ず次のものが生じることになる。聖人はこうした「理」をよく知っていて、勢いのあるところは必ず廃れることになることが分かっている。「強」さのないところで「興隆」は始まる。何事も起こらない「衰退」しているところは、次には反対に「興隆」が生まれる。「衰退」しているのは一時のことに過ぎない。また「興隆」が長く続いているところは、ここに「もし衰退を知ろうとするならば、必ず興隆が前提とされ(固)なければならない」とあるように、反対に「衰退」することになるものである。道を修しようとする人は、ここに述べられている興廃のように、次には反対のことが生じるという「理」をよく知らなければならない。現在「衰退」しているところは、将来には必ず「興隆」する。そうでないと考えるならば、興廃の「理」が分かっていないということになる。「興隆」には必ず「衰退」がつきものなのである。


〈奥義伝開〉ここも先と同じことを「衰退」と「興隆」において述べている。人は誰でも「興隆」を長く続けたいと思うものであるが、それは不可能なのである。あえて不可能を可能としようと無理をすると矛盾が生まれて、それが「衰退」を招くことになる。そして最後には大いなる破局に至り「革命」が起こされる。つまり「革命」とは「興隆」のことである。


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