道徳武芸研究 力を使わない武術(4)

 道徳武芸研究 力を使わない武術(4)

日本では太極拳の指導において「力を抜いて」ということをよく聞くが中国では「力が入りすぎている」「リラックスして」とは指導されるものの「力を抜いて」と言われることはないようである。そもそも力を入れなければ動くこともできない。太極拳においても他の運動と等しく余計な力みを無くすことは重要であるが、力そのものを入れない、というのでは正しく太極拳を練ることはできない。楊澄甫や呉鑑泉の写真を見ても実に立派な体躯をしており、体からは力のみなぎりを感じさせる。こうした体躯がただ脱力をして得られるものではないことは明らかであろう。確かに少林拳などは全身に如何に力を込めるかを練習する。これが易筋経である。易筋経は導引的な練習法であるが、筋肉を開くことで全身に偏りなく力を込めることのできる体を作り上げて行く。一方、太極拳などでは、これも導引的な方法を用いるが、この場合は筋肉を開いて全身の感覚を鋭敏に働かせることのできるような体を作ることを目指す。つまり、その目的とするのは「力を抜く」ことではないのであり、そういうことをよく知っておかなければ、武術としての展開ができないばかりか本来の太極拳としての正しい練習にもならなくなってしまうのである。


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