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第九十九話 中国武術文献考(11)

  第九十九話 中国武術文献考(11) 洪イ祥も台湾の人で1949年の政変前後に台湾に渡って来た人たちから南北の拳法を学んだという。こうした時期に呉家太極拳の馬岳梁も一時、台湾に移住していたという。馬は再び大陸に帰って文革でひどい目にあったらしいが、呉家の長男の公儀は香港に移住している。これは楊家も同様で長男の守中が香港に移った。八卦拳の孫錫コンも香港に移住していたが大陸赤化から二年後には年に台湾に移って翌年には病没する。このように大陸から来た人たちも再び台湾を離れたり武術を伝える間もなく亡くなったりということがあったようである。蘇東成の『中国猴拳法』は洪イ祥の伝えたものである。松田隆智は『少林拳入門』(後の内容の一部を改めて『少林拳術 羅漢拳』として出版されている)で羅漢拳を紹介しているが、この羅漢拳は洪イ祥が北派の少林拳をまとめて新たに編んだものである。またかつて台北には「宮廷八卦掌」なるものを教える人がいてかなりの弟子がいたらしい。政変後に中国を離れて香港や台湾に移住した人が多いが他に朝鮮半島に逃れた人も居たようで佐々木大輔は釜山在住の張孝賢の伝えた六合拳を『中国北派拳法 六合拳』で紹介している。韓国における中国武術がどのような状態であるのか興味深いところである。

第九十九話 中国武術文献考(10)

  第九十九話 中国武術文献考(10) 佐藤金兵衛は『少林拳』で台湾の金鷹拳を紹介している。これは台湾南部で伝承している「台湾拳法」というべきものである。台湾は長く沿岸の平野部では風土病があったので清朝の中ころまでは大陸から移住する人もあまり居なかったとされるが近世以降、福建省などから移住する人が増えるにつれて中国南方の武術も伝えらえるようになった。ただ台湾の原住民は山の上に住んでいたので、「台湾拳法」といっても中国南拳の流れをくむものである。現在、台北や台中、高雄などの都市部の「中国拳法」は中国北方の太極拳や形意拳、蟷螂拳などが普及しているが地方では「台湾拳法」とされるものも盛んである。台湾では国民党政府が移ってから「台湾文化」には否定的であくまで「中国文化」が表に出されていた。そうであるから故宮の文物は大きく宣伝されても台湾の考古学などは長く「封印」されたままであった。台湾の武術といえば劉銀山の『白鶴門食鶴拳』が優れた成果といえよう。台湾では鶴拳は広く練習されていて鄭子太極拳で有名な黄性賢も、もとは鳴鶴拳の達人であった。こうしたこともあって台湾では鄭子と鶴拳を共に学ぶ人も少なくない。台湾の出身である蔡長庚は空手の団体を率いていたが柔派の鶴拳や太祖拳を習得しており『唐手教範 鶴拳法』『唐手教範 太祖拳剛柔派』がある。  

第九十九話 中国武術文献考(9)

  第九十九話 中国武術文献考(9) 日本で早くから中国武術を教えていたのが佐藤金兵衛である。佐藤は王樹金から学んだ太極拳や形意拳、八卦掌などを『太極拳』『形意拳』『八卦掌』として発表している。『八卦掌』では後に自らの会を開くことになる地曳秀峰が演じている。同書の用法では閻徳華の『少林破壁』で紹介されている対練を実演している。八卦掌の用法についてはなかなかそれを示すことが難しいのか松田隆智の『八卦掌入門』でも同じものを使っている。また松田の本では套路の紹介も姜容樵の『八卦掌』にあるものを実演して付するなど一冊の本としての情報量を確保するのに苦慮している様子がうかがえる。八卦掌の用法としては古武術研究家の鶴山晃瑞が『中国拳法』でその用法を大東流をもって示している。鶴山は大東流の伝承に柔術、合気柔術、合気之術のあることを考えており、柔術は鍛練的な要素が強く青年向きで、合気之術は導引的な要素が強い年配者に向いたものとして、合気を使った特殊な柔術を合気柔術と位置付け得るとしていた。鶴山はこれが「史実」であり、こうした三つが完全に伝承されているか否かが大東流の正統を考える鍵となるとしていた。そして大東流は幕末の会津で作られたもので、中国武術の太極拳や形意拳、八卦掌もそこに含まれていたと考えていたようにも思われる。つまり形意拳を「柔術」レベル、太極拳を「合気之術」レベル、八卦掌を「合気柔術」レベルとみていたために、八卦掌をして大東流でその用法を示そうとしたのではないかと考えられる。合気柔術で用いられる「合気」は中国武術では「化」「走」「粘」とされるもので、これは形意拳にも太極拳にも、八卦掌にもある。

第九十九話 中国武術文献考(8)

  第九十九話 中国武術文献考(8) また『陳氏太極拳図説』も有名な文献であるが一部が雑誌に翻訳されたものの完訳には至っていない。同書は前半は易について延々と説明がある。それはかつては書物の入手が難しかったために易を用いて説明をしようとするならば、易そのものが分かるような情報をも合わせて載せる方が便利であったからであるが、今では煩雑としか言えない。1949年に大陸が共産党によって統治されるようになる前後に大陸から台湾へ少なからざる武術家が渡って来たが中には『陳氏太極拳図説』や楊澄甫の『太極拳体用全書』などの本を持って来た人も居た。少し時代が落ち着くと武術家同士の間で誰それが『陳氏太極拳図説』を持っているという話が知られるようになったらしいが、直接に行って見せてもらうわけにもいかず、どうしたものかと考えているうちに世の中が落ち着いて出版されたりということがあったと聞いたことがある。同様に武術の雑誌も一人一冊といった感じで台湾に持ち込まれており台湾師範大学ではかつて目録を作ったこともある。ただこうしたものは個人の所蔵であるため既に散逸したものも多いのではないかと思われる。

第九十九話 中国武術文献考(7)

  第九十九話 中国武術文献考(7) 他に笠尾恭二には陳炎林の『太極拳刀剣 稈散手合編』の翻訳として『太極拳総合教程』がある。同書は楊家の太極拳を網羅的に紹介しており、「採腿」の秘伝も載せられている。同じく翻訳として孫禄堂の『拳意述真』が『きみはもう「拳意述真」を読んだか』として出されている。これは孫禄堂が師事した武術家を中心に人物伝と教えが記されている。いづれも二世代くらいの範囲で情報を収集しているのであるからかなり価値のあるものと考えることができるであろう。これらは中国武術の文献の中でも特に優れたものであるが、他には武田煕の『通背拳法』などもある。これは套路部分の一部が翻訳されて私家版で出されたものが各地の図書館に寄贈されている。『通背拳法』は基礎功の八段錦から補助功の鉄沙掌まで中国武術文化を体系的に説明しているところに価値がある。そうであるからこの本は文化人類学の資料としても充分なる価値を有している。わたしの指導教授であった稲生典太郎は北京大学で武田と交流があったと言っていたが「ひじょうに偉い先生で」ということで武術については話したことがなかったらしい。また武田は沢井健一から意拳を習うようにさそわれたと私家版には記されている。

第九十九話 中国武術文献考(6)

  第九十九話 中国武術文献考(6) 笠尾恭二は『太極拳入門』で九十九太極拳を紹介するが、この時は王樹金が伝えた後ろ足に体重をかける套路ではなく、弓歩を基本とするものに変えている。これは王樹金門下で問題視されたとも聞く。九十九太極拳は弓歩(大架)でも後ろ足に体重をかける方法(小架)でも練ることができる。九十九太極拳、形意拳、龍形八卦掌は三つでひとつとされており、太極拳、形意拳、八卦掌を一通り習った後はどれかを中心にして練習する人が多い。この場合、太極拳を主とする人は大架をとることが一般的で、形意拳や八卦掌を主とする人は小架で練る方がやりやすいようである。陳ハン峯は『中華国術太極拳』で大架を基本として演じているが、いくつもの動作で小架の動きが見られ(解説文では弓歩となっている)、日常的には小架で練習していることをうかがわせている。それは陳ハン峰が形意拳を主として練習していたことと関係している。笠尾にはほかに香港の精武会の武術を紹介した『少林拳入門』という珍しい本もある。わたしが菓子折りを持って笠尾の家を訪ねた時ちょうど、香港から師範が来ていて、門弟の方に教えていた。またこの時、松田隆智からはがきが来ているのを見せてくれて「陳小旺」という陳家太極拳の習得者がいたことが書かれていた。この「旺」が受験の参考書で当時知られていた旺文社の「旺」と同じと思ったのをよく覚えている。またテレビで松田隆智が「カンフー・レディ」で武術を演ずるのを録画するためにビデオデッキを買ったとも聞いたように記憶している。

第九十九話 中国武術文献考(5)

  第九十九話 中国武術文献考(5) 松田隆智とならんで中国武術界をけん引したのが笠尾恭二である。笠尾の『太極拳技法』は簡化太極拳(二十四式)の実演と、図で楊家太極拳が紹介されている。笠尾は楊家を取得していなかったのである(王樹金から九十九式を伝えられていた)が、同書では陳家と楊家の拳譜を比べて、陳家から楊家への変化の考察も試みられている。また同書では太極拳の玉女穿梭に八卦掌の影響があるのではないかともされているが、これは笠尾の習得していた龍形八卦掌の白蛇吐信と動きが似ていることによったものであろう。また歩法においても玉女穿梭は転身を繰り返すが、その時にはつま先を内側に向ける扣歩を使う。こうしたことも八卦掌との関連を考えさせたのではないかと思われるが、転身をしようとするのであれば扣歩を使わないわけにはいかない。八卦掌との特殊な関連をいうのであれば扣歩と擺歩の組み合わせが無ければなるまい。龍形八卦掌の白蛇吐信はむしろ太極拳から動きをとったものなのである。九十九太極拳、形意拳、龍形八卦掌は特に九十九太極拳が「正宗」をもっていわれるように、そこでは太極拳、形意拳、八卦掌に分かれる「前」の動きが追究されていた。歴史的にいうならば九十九太極拳は呉家をベースに楊家や陳家それに形意拳、八卦掌の動きを加えたものであるが、これを逆に太極拳、形意拳、八卦掌に分かれる「前」の動きであるとして「正宗(正統)」をもっていうのである。もちろん九十九太極拳を練習する人以外ではこうした評価がされることはまったく無い。

第九十九話 中国武術文献考(4)

  第九十九話 中国武術文献考(4) 松田隆智は映画雑誌などでもよく原稿を寄せており、空手ではない正しい中国武術の情報を発信していた。松田の著した『中国武術』はほぼ呉図南の『国術概論』によったものである。門派の概略、套路、系統図、人物紹介などで構成する組み立てはほとんど『国術概論』と変わらない。ただ『中国武術』では台湾で松田が得た知見などが加えられているほかに自らが修行をした陳家太極拳や八極拳などが詳しく紹介されている。後に箱入りの『図説中国武術史』なども出版されたが、この時、蟷螂拳の実戦技として片手倒立をしながら左右の足で相手を蹴るという「衝撃」的な写真が掲載された(穿弓腿)。これは同じく『秘伝日本柔術』の大東流で数人に担ぎ上げられた状態から一気に潰して固めてしまうというこれも「衝撃」的な写真と同じ「雰囲気」を感じさせるものであった。ある意味でこれらは写真の時代ならではの「衝撃」の演出であったように思われる。後に古武道大会で大東流の担ぎ技が披露された時には会場に失笑が漏れた。また当時、中国武術を学んでいた人は少なからず片手倒立をしての蹴りを練習したものであるが、倒立をしようとした時点で相手との間合いがきまってしまうので、蹴りを当てることはほぼできない。この技の本来の使い方は蹴った足を掴まれたりした時に片手をついて体を回すと同時に別の足で相手を蹴るものである。既に相手に足を捕られている状態で転身をしてもう一方の足で蹴るわけであるから死角からの蹴りとなる。また間合いが固定されるのもこうした状況にあるからに他ならない。同様の技は陳家太極拳にもあり『陳氏太極拳図説』にも示されている。

第九十九話 中国武術文献考(3)

  第九十九話 中国武術文献考(3) 『太極拳入門』が日本で広く受け入れられるようになった背景にはブルース・リーの「燃えよ!ドラゴン」のヒットがあった。日本で同映画がヒットした頃(1973年の12月の公開。『太極拳入門』も同年の出版であるから映画のブームよりは前に出されている)にはすでにブルース・リーは死亡していたこともあって、ブルース・リーの演じている「武術」が空手とされてこうした一連の功夫映画は空手映画とみなされていた。ヌンチャクなど使って見せる空手の師範も居たが、いづれも映画の見様見真似であった。ブルース・リーの「ヌンチャク」の使い方は中国武術の双節棍の使い方とは大きく乖離していた。それはブルース・リーの「ヌンチャク」がダン・イノサントの伝えたフィリピン武術によるもので、もともと中国武術の双節棍とは違っていたことも原因していよう。印象からいえば双節棍が「一本の棍棒」が二本に分かれて変化をするもところに利を見出しているのに対して、ブルース・リーの使う「ヌンチャク」は「二本の短棒」がベースであるように思われる。双節棍は長い棒が狭いところでは使いにくので、それを二つに折った形でも使えるように工夫をしたものである。ただ棒術はそれを短く使うことをもって上達と見なされるのも事実ではある。

外丹武術篇と内丹静坐篇に

 11月22日より外丹武術篇と内丹静坐篇に分かれます。内丹静坐篇は、 https://naitan1130.blogspot.com/ まで。

第九十九話 中国武術文献考(2)

  第九十九話 中国武術文献考(2) 中国人社会では「日本人の評価」はなかなか微妙なところがあって、わたしが台湾に住んでいた頃に斉眉棍を「日本人が教えを求めて来たが断った」とある師範が語っているのが新聞に出ていた。また一方では「日本でも教えたことがある」という太極拳の師範も雑誌に出ていた。「日本人」に教えないで国粋の文化を守ったことも ステイタスになるし、教えたというのも「日本人」が価値を認めたということでステイタスたり得る。そこにはアジア居地域に進出する「総合商社」=「日本人」が西洋に伍する存在としてステイタスを有している反面、それがかつての戦争時代の植民地主義を連想させることへの反感もあるという複雑な立ち位置が形成されていたこが背景となっている。ほかに八極拳や意拳なども中国で評価のあまり無い状態から日本でのブームが影響して注目を集めるようになったと言えるものがある。

道竅談 李涵虚(174)第二十章 玄関の一竅

  道竅談 李涵虚(174)第二十章 玄関の一竅 また、そこには「生」も「死」も共に存しているのである。「死」とは何を言うのであろうか。それは黄庭、気穴、丹田のことであり、これを「中」とするのであり、これらは「死」に属している。「生」とは何を言うであろうか。それは凝神、聚気であり、ここに「中」が生じる。つまりこれらは「生」に属しているのであって、これらは「中」とされ「生」のものである。「死」をもって論ずるならば黄庭、気穴、丹田、「生」をもって論ずるならばつまりは玄関の一竅ということになる。そうであるから玄関の一竅は虚無の中に生じて、真機はここに表れている。これを得た者は秘すべきである。 〈補注〉黄庭、気穴、丹田は後天の肉体に属るものであり、それがバランスが取れている「中」にあったとしても死を免れることはできない。一方で凝神、聚気は心身の統一であり、これは先天と後天をむすぶもので、これにより生死を越える認識を得ることがdきる。
  第九十九話 中国武術文献考(1) 最近は中国武術に関する本も少なくなったが、今日まで多くの文献が日本で出版されている。ただこうした武術に関するような文献はなかなか図書館などでも十分な収集と保存ができていない状態にある。そろそろ全体をまとめないといけない時期に来ていると思うが今回は中国武術の文献について、その背景の一端を思い出と共に語っている。扱ったのはごく一部であるに過ぎない。 わたしが初めて手にした中国武術の本は松田隆智の『太極拳入門』であった。これは陳家太極拳を紹介したもので陳家は実戦的で、ゆっくりと動く他の太極拳は健康法であるとの立場で書かれている。松田は他の『中国武術』などでも同様の主張をしている。本格的な中国武術の普及時期の始めにこうした「情報」が広まったこともあり、日本では陳家を練習する人が多い。一般的な中国人社会では楊家が圧倒的で、北京や上海、香港など一部の地域では呉家がそれに次いでいる。武家や陳家、孫家などはほとんどこれらを練る人は居ない。また中国大陸や台湾などで陳家を練る人が多くなったのは松田の影響によるところがあるのかもしれない。『中国武術』は巻末に当時の台湾在住の武術家の名簿が載せられており貴重である。同書は日本でブルース・リーの映画「燃えよ!ドラゴン」が公開される前年の出版である。当時、空手や少林寺拳法の経験者などで台湾に武術の修行におもむく人も居たが、それはごく一部のマニアに限られていた。

道竅談 李涵虚(173)第二十章 玄関の一竅

  道竅談 李涵虚(173)第二十章 玄関の一竅 玄関の一竅は虚無の「中」に生じているのであり、五臓六腑に関係しているものではない。つまり肉体とは全く関係がないのである。ここにそれを言うならばこれは「玄妙なる機関」ということになろう。そうであるから「玄関」と称するのである。この竅は「万法帰一」のところであり、唯一無二のとこととされる。そうであるから「一竅」と称されるのである。これを一言で言うならば「中」とすることができよう。「中」とは上下の関係における「中」であもるが、同時にそうでもない。 〈補注〉「竅」とは「穴」のことであり、玄なる世界に通じるところが「玄関」であり、そお「穴」を「竅」と称する。これはまた肉体に属するものではなく先天、後天の「中」にある。

道竅談 李涵虚(172)第十九章 性命の順逆

  道竅談 李涵虚(172)第十九章 性命の順逆 ここにおいて上徳の「清浄」は、順成の道を守ることになり、こうして仙胎が結ばれるのである。つまり天をして人が完全となるということである。同じく下徳の「返還」は、その逆成の道を修して聖胎を結ぶことになる。要するに人は天と完全に合一するということであり、修行者はこのことを知らなければならない。 〈補注〉 「上徳、清浄、順成」は儒教の道である。「下徳、返還、逆成」は神仙道の道である。本来であれば儒教で「聖胎」、神仙道では「仙胎」とする方が適切ではあるが、あえてこれを反対にすることで儒教と神仙道の方法が「入り口」が違っているだけで最後には天と人の合一という同じ境地に入ることを示そうとしている。

道竅談 李涵虚(171)第十九章 性命の順逆

  道竅談 李涵虚(171)第十九章 性命の順逆 「性」を究めれば「命」へと至る。「性」の中に「命」が造られるのである。これが「逆」をなすということである。至人は「神火」をして「命宝」の種とする。「性」には「神」がある。そうであることで「命」は存在し得ている。感応したり、結びついたりするのはすべて「性」の神光によって行われる。 〈補注〉 「『性』を究めれば」とあるのは煉己のことである。煉己において「虚」を悟ることで先天の「火」が開かれる。これは先天真陽の一気と称される。「神火」とされるのが「真精、真気、真神」であり「元精、元気、元神」である。こうしたものが開かれることで後天の精、気、神の働きが整うことになる。「神」とは精神のことをいっている。これに対して命は肉体のことである。

道竅談 李涵虚(170)第十九章 性命の順逆

  道竅談 李涵虚(170)第十九章 性命の順逆 天命を「性」という。「命」の中に「性」はある。これが「順」である。孟子は「形色」をして「天性」であるとした。ここにおいて「命」とは「形」のことであり、これがつまりは「性」でもあるわけである。「良知良能」はすべて「命」の働きが形として現れたものといえる。 〈補注〉 簡単にいうならば神仙道で「性」は精神、「命」は肉体のことをいう。「命」の中に「性」があるとは物質の中に精神が含まれているということである。そうであるから儒教では日々の生活をよく観察することで「真理」を悟ることができるとする。儒教で悟られる「真理」とは人の本来有している心の働きということで、それを「性」とする。孟子のいう「形色」は容貌と顔色であるが、これはつまりは肉体のことである。それがそのままで天の「性」を有しているわけである。「良知良能」は「性」の働きで、本来人が有している能力のことである。

道竅談 李涵虚(169)第十九章 性命の順逆

  道竅談 李涵虚(169)第十九章 性命の順逆 「一をもって二を兼ねる」とは、つまり気に理を付するということである。気と理が合わせられることで性と命は渾然一体となり完成体となる。「一をもって二に合わせる」とは、水をして火を弱めることである。水と火が交わって(「火加減」のよろしきを得て)性と命は長く保たれることとなる。 〈補注〉 先に「順」は儒教の方法であると述べたように、ここでは「順」を理と気で説明している。これは朱子学などでいわれている宇宙観(理気二元論)でもある。これに対して「逆」は神仙道の道であるので、水と火をもって説明する。これは陰と陽、腎と心と同じである。西派では「気」を先天から存するものとして、「理」は後天において働くものとする。一方の「逆」では「土生金」「金生水」の五行説によっている。「土」は「虚」の感覚である。その一端にでも触れることができれば「金」が生まれる。「金」は肺であるから、これは呼吸が整うということである(真息、胎息を得るという)。そうなると「金」は「水」を生むので、これをして火を鎮めることが可能となるとする。「水」は腎のことで呼吸が整うと、感情の乱れも少なくなる。そうなれば腎に発する性的な心の欲望が抑制されることになる(神仙道では「心」は離卦で「火」とされている)。

道竅談 李涵虚(168)第十九章 性命の順逆

  道竅談 李涵虚(168)第十九章 性命の順逆 〈本文〉 性命の理には「順」と「逆」とがある。「順」成する性命はこれを天に得る。「一をもって二を兼ねる」のである。「逆」成する性命は人において造られる。これは「一をもって二に合わせる」ことになる。 〈補注〉 先天を開いて後天に合わせるのは「順」である。後天をして先天に合わせるのが「逆」である。一般的に神仙道は「逆」の道をとる。これに対して儒教は「順」をとる。「二」とは陰と陽である。「順」の道であればすでに「先天」の中に「後天」が融合していると考えるので特別な方法を採ることはない。一方、神仙道では先天を「虚」として、その感覚を得ることで自ずから陰陽が合一すると教えている。「虚」の感覚を得ることを煉己という。

道竅談 李涵虚(167)第十九章 性命の順逆

  道竅談 李涵虚(167)第十九章 性命の順逆 武術では一般的に「逆」の道をとる。ただ「虚」への認識を得た指導者の動きを真似ることで心身が次第にあるべき状態となり、そうなると意識も変化をして自ずから「虚」への認識が得られるとする。楊澄甫の大弟子の陳微明は「順」の道である静坐の修行と、「逆」の道である太極拳の修行とを比較して「太極拳は弊害が少なく容易である」としている。静坐では人の持って生まれたままの心の状態を知れば良いだけであるので、ただひたすらに静かにしていて自己の内面を見つめることに努める。しかし、こうした方法は往々にして誤った道に迷い込み易いであろう。大東流の佐川幸義は「最後に合気を習得できる直前にあきらめてしまう人が多い」と述べていたが、それは真実である。人は大きく自分の心身が変化するのをなかなか受け入れられないからである。心身の変容を目指して修行を始めてもそれが本当に起こり始めると恐れを感じてしまうものである。それを乗り越えるのは執着を捨てることが大切である。今までの価値観を捨てるわけである。鄭曼青が「己を捨てる(捨己)」を太極拳の第一としているのはそうしたことと関係しているからである。

道竅談 李涵虚(166)第十九章 性命の順逆

  道竅談 李涵虚(166)第十九章 性命の順逆 〈要点〉 ここでは「順」を儒教のアプローチ、「逆」を神仙道のアプローチとして、これらは最終的には天神人の合一を目指すものとする。「順」では内的な悟りを先に得てそれから心身が整うことになる。それに対して「逆」では心身の状態を整えることで悟りを得るものとする。これは神仙道での「煉己」の位置づけとも関係している。神仙道では修行の始めに「煉己」を修するとする派もあるし、最後に修すべきものと教えている派もある。「煉己」とは「虚」の認識を得ることである。「煉己」を始めに修するとする派では、「虚」へに認識がまったく無い状態ではそもそも神仙道の修行に入ることができないとする。これに対して「煉己」を最後にもってくる派は「虚」への完全なる認識を得て神仙道の修行は一応の成就をみると考える。要するに「虚」への認識が浅いか、深いかの違いが「煉己」を最初にするか最後にするかの違いとなっているに過ぎない。

道竅談 李涵虚(165)第十八章 再び神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(165)第十八章 再び 神、気、精を論ずる 「真」と上徳とでは大きな違いはない。下徳の修行においては無為の境地に達することはない。上徳を得て無為の玄を究めることがなければ、けっして天元を得て、天仙となることはできない。 〈補注〉「真精、真気、真神」は先天に属している。これは「上徳」も同様である。「下徳」は後天のものであるが、妙諦を得ることで先天への悟りが開かれる。そうして「元精、元気、元神」が開かれて先天への道へと入ることができるようになる。「天元」(先天)はそれだけで天仙となることはできない。必ず「人元」(後天)と合一していなければならないのである。

道竅談 李涵虚(164)第十八章 再び神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(164)第十八章 再び 神、気、精を論ずる この「人元」の始めには、採元の妙諦がある。それを求めるための秘機があるのである。そうであるから「人が天に還る」とは、元精を採って元気を補うことなのである。元気を煉って、元神を養うのである。元神を煉って、真神とするのである。ここに後天の修行は成就され、返本還元、抱元守一の境地が得られる。 〈補注〉「人元」の修行では「採元の妙諦」があるとする。これが往々にして「房中術」などと誤解される。人が「先天」を知るのには後天の精、気、神をベースとする他ない。後天の精、気、神をしてどのように先天を知るのか、ここに「妙諦」があるというわけである。これはいうならば日常生活の中でこそ悟りが得られるということにである。人はたとえどのような山奥で孤独な修行をしようとしても長期にわたって一人でいることはできない。どうしても他人と係りを持つことになる。そうであるなら山奥に籠っても、普通の生活をしても変わりがないと考えられる。「採元の妙諦」とは真の修行は市井においてこそなされるということに他ならない。そうであるから本当の隠者は街中に居る(大隠は市井に隠れる)といわれているのである。

道竅談 李涵虚(163)第十八章 再び神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(163)第十八章 再び 神、気、精を論ずる 〈本文〉 上徳の「体」となる精、気、神にはすべて「元」を付す。これらは天(先天)において得ることになるが、必ずしもそれは自分以外に求められるものではない。そうであるから「天元」と称するのである。下徳の「事」の精、気、神はすべて「真」を付して称する。これは人から得られることが実に多く、これを自分において求めることはできないからである。そのために「人元」と称するのである。 〈補注〉 上徳であり根本(体)とされるのが「元精、元気、元神」である。これらは「先天」に属している。また下徳であり実際に扱うことのできるもの(事)であるのは「真精、真気、真神」とされる。これらも「先天」に属するのであるが、これは他人との係りにおいて得られるものとする。自分一人で得ることのできる「元精、元気、元神」に対して、他人との関係性の中でしか得ることのできないのが「真精、真気、真神」ということになる。また自己において完結するものを「天元」、他人との係わり合いにおいて完結するものを「人元」としている。

道竅談 李涵虚(162)第十八章 再び神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(162)第十八章 再び 神、気、精を論ずる 人類学の研究においても体力に勝るネアンデルタール人に比してホモサピエンスが現代まで生き残ることができたのは「群れ」を作ることができたからとされる。狩りでも「群れ」を作ることで一人では得られないような獲物を仕留めることができるようになったのである。つまり人の「性(本来の心)」とは協調や和合にこそ存しているのである。こうした DNA の記憶とでもいうべきものを「先天」と称している。空海も一般的な倫理観が目覚めて、菩提の心が発現すると仏教の修行に入ることができると説いている。これは下徳から上徳へと至る道である。神仙道では下徳から上徳の悟りを得ると心身の変化が生じるとする。それは完全なる後天の「精、気、神」からではなく、ある程度、先天の開けた段階である「真精、真気、真神」を得ることで心身に変化を生じさせることが可能となる。

道竅談 李涵虚(161)第十八章 再び神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(161)第十八章 再び 神、気、精を論ずる こうした人ととの係りの中で初めて先天を知るという言い方は、往々にして房中術のようなものと誤解されるが、そうではない。先天を知るとは「性」を知るということなのであり、「性」とは「人が持っている本来的な心の在り方」をいうのである。これを儒教では具体的に「仁」として教えている。仏教では「慈悲」としている。大乗仏教では「慈悲」の実践、つまり「菩薩行」が悟りへの道となることを見出したが、それはまさにそうした実践を通してこそ人が本来持っている心の在り方を知ることができることが分かったからに他ならない。

道竅談 李涵虚(160)第十八章 再び神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(160)第十八章 再び 神、気、精を論ずる 禅では先天から後天へのプロセスを「静中の工夫」、後天から先天へを「動中の工夫」として、坐禅と 作務をそれにあてている。また禅では「動中の工夫」の方を重視する傾向もあるようである。これは専ら坐禅をしていたエリート僧の神秀よりも、飯炊きをしていた慧能の方が高い悟りを得たとする伝承にも見ることができる。こうした中での神秀は本来の仏教の坐禅を中心とする修行を象徴するものであり、慧能はそうではない新しい修行(慧能の派からすれば本当の仏教の修行)を示すものであった。西派でも先天へのアプローチは他人との係りにおいて初めて知ることができるとするのであり、ただ一人で瞑想をしていても先天の世界に入ることはできないと教えている。「作務」のようなものを重視する感が方は中国の特徴といえるのかもしれない。

道竅談 李涵虚(159)第十八章 再び神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(159)第十八章 再び 神、気、精を論ずる 老子などの道家では完全なる「徳」の実践は「道」を悟らなければ不可能であるとする。あるいはそれは「道」の悟りを得てから「徳」の実践をするのは先天から後天へ至るものであり、不十分でも「徳」を実践して行く中で「道」の悟りを得ようとするアプローチは後天から先天へと至るプロセスであるとすることができるであろう。「徳」は無為自然においてなされるものである。無理なく自然な善行であれば、それは一応「徳」の範疇にあると考えて良いであろう。しかしそれが真に「徳」の実践たり得ているのかはその人に先天への覚醒、道の悟りが無ければ分からないとする。

道竅談 李涵虚(158)第十八章 再び神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(158)第十八章 再び 神、気、精を論ずる 〈要点〉 ここでは再び精、気、神を論じるとしているが、そこで問題としているのは、むしろ上徳と下徳であるとすることができよう。上徳は先天後天の合一した時に得られるいうならば完成した「徳」である。一方、下徳は後天から先天へのアプローチがなされた時に得られるもので、この段階では真の「徳」が得られていない。そしてまた先天の境地にも入ってはいない。老子は「道」と「徳」は一体のものとしており、「道」が実践されれば、それはすなわち「徳」の行いとなるとしている。下徳とされる「徳」はいまだ先天を知らない段階の「徳」であり、それは完全に道と合一した徳とはいえないので「下徳」としている。

道竅談 李涵虚(157)第十七章 神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(157)第十七章  神、気、精を論ずる また団陽子に「人元の煉気が天地の造化を奪う」ということに就いて聞いた。そして初めに天元、人元とはどういったものであるのかを問うたのである。 団陽子が言われた。 「わたしは汝に天の『命』はこれを『性』ということを述べた。理は気によって生まれている。これが天元である。『性』を極めればは『命』へと至る。また気は理から生まれている。これが人元である。上徳は無為であり、これは探求することのない清静なる功であり、これを天元という。下徳はこれを行って止むことのない返還の道であり、これを人元という。上徳を修する人は、天と一体であること甚だしい。そうであるから清静なる修行をすれば、必ず元気や元神は『至清』『至虚』となる。こうなると正等正覚(最高の悟り)が得られる。こうなって天元の理が究められることになる。つまり天元とは上徳を実現させることではないのである。つまり上徳はそのままで天元であり、そうであるから我に欠けているところは無いのであって、自らと天元は一体なのである。下徳の人は最も多いであろう。そうであるから先に『還』『返』の優れた教えがあるのであり、必ず陰丹と陽丹をひとつにしなければならない。そして煉って太無、太虚へと入ることで人元の道が完成する。これが人元は下徳の実際を表すものではないということである。つまり下徳は人元であり、そうであるからそれを輝かせるのである。そのために人元の術と号するものがある。上徳の本体には性と命が共に存している。下徳の妙用は性と命とを共に完全に導くところにある。そして一気を作り上げる。そうして人は元始の一気をして仙人となるのである。つまり天は陰陽五行の気を施して人を作るのであり、丹道はそれを受けて天地の造化を奪って天道と一体となるのである」 〈補注〉「天地の造化」を知るとは「天地の理」を知るということであり、これが最高の「悟り」であるとする。この「天地の理」は「性」と称され、人は生まれながらにしてこれを有している。これを上徳という。こうした「理」を動かしているのが「気」であり、これを「命」とする。「性=理」は「命=気」から生まれたものであるから、「性」を知ろうとするならば「命」を煉れば良い。練気によって「性」への悟りが得られるのである。仏器を初め多くの瞑想で感情のコントロールが重要であるとするの

道竅談 李涵虚(156)第十七章 神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(156)第十七章  神、気、精を論ずる また問うことあり。 「元気と真気とはどのようなものなのでしょうか」 「元気とは子供が天からそれを得ているものである。いうところの体を作る気であり、年を重ねるにつれて体を育てて行く。しかし真気はそうではない。真気は先天元始の祖気である。虚無の中から来るもので、真師の口訣を得なければそれを知ることはできない。先に乾坤の鼎器を設けて、真龍と真虎を和合させ、真陰と真陽とをひとつにする。そうすると半個の時、辰に、鉛母を結ぶことになる。この時に鉛の中に陽を生ずる。これが真気である。そうであるから天は元気をして人を生むのであり、道は真気をもって仙、仏を生むのである。人元の煉気の法には、天地の造化を奪うものがある」 〈補注〉元気は先天に属するもので、これから後天の気が生まれる。それに対して真気は先天の気であり、これがあることで先天の気(元気)と後天の気(気)が一つになる。真気を開くには「虚」への認識がえられなけばならない。「乾坤の鼎器」の「鼎」は下丹田で乾坤は陽と陰である。これを下丹田で融合させるわけである。「真龍」は神であり、「真虎」は精である。これも下丹田で融合をすることになる。「半個の時」とは一時間の半分であるがこれは陰陽の半分の陽が発現する時であるということである。また「辰」は北極星のことで、全ての星は北極星を中心に天を巡っている、「辰」は先天後天の合一の「核」となる先天真陽の一気が開かれることをいっている。この先天真陽の一気が、鉛母である。鉛母は腎(坎 陰陽陰)の一陽である。これを真気としている。真気が開かれることで心身の融合が始まるのである。  

道竅談 李涵虚(155)第十七章 神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(155)第十七章  神、気、精を論ずる 或いはまた問う。 「元精と真精とはどのようなものなのでしょうか」 「元精は自らが有している。真精は相手が有している。自らが有しているとは、元精が絳宮(中丹田)の混然たる気であるということである。これを蓄えること久しければ霊液(唾液)を生じる。相手が有しているとは、真精とは華池の盛んな気のことである(唾液が盛んに生じること)。『悟真篇』でいう『首経』とは真精のことである。八月十五日(満月)に金気が充分となって、水潮が生じる(金生水)。ここに『真(心のまこと)』と『信(行為のまこと)』の二つが一つになるのである。修行者はこの『精』のあることを知ったならば、一口でそれを吸うべきであるが、この瞬間に天仙となれるかどうかの分かれ目となるのであり、この『精』は一般的な精とは違っている」 〈補注〉以下には「精」「気」「神」について「元」と「真」との関係が述べられている。ここで教えられていることは「金液還丹」と称される段階である。絳宮(中丹田)で「元精」が蓄えられると霊液(唾液)が生じるとする。これを「土生金」「金生水」の過程と解するのである。「土」とは先天と後天の合一した状態である。そうなると「金」が生じる。「金」は五行で肺をいう。つまり呼吸が整うということである。呼吸が整えば「水」が生じる。「唾液」が沸いてくるのである。確かに瞑想をしていて心が落ち着き、呼吸が静かに深くなると、リラックスが得られるので口が乾くようなことがなくなる。

道竅談 李涵虚(154)第十七章 神、気、精を論ずる

  道竅談 李涵虚(154)第十七章  神、気、精を論ずる また問う。 「元神と真神とはどのようなものですか」 「元神は盛んに活動していて厳かである。真神は朗らかで明らかである。一にそれが隠れると混沌として光の無い状態になる。一つに鍛錬を経ると有用となる。儒家は静安をして深く考えることができるとしている。釈家は空なる修行をすることで安定した瞑想に入って智慧を得る。これが真神の妙である。こうしたことからこう言えるであろう。元神は無知であり無識である。識神は多く知ることができるし、多く識別することができる。真神では完全なる知を得ることができて、完全なる識別が可能となる。そうであるから真神の働いている童子はそのままで『清』らかな修行をすることができる。しかし大人は必ず『静』の修行をしなければならない。そうして完成された真神を求めるなければならない」 〈補注〉神仙道でいう「神」とは「思考」「認識」の働きをいうものである。その根源となる元神の働きは無為自然であり、それはいうならば全く「受け身」なのである。外的、内的な事象をそのままに受け取るのが「元神」である。しかし、「神」は往々にして欲望によって曇らされているところがあるので、正しい思考や認識を得ることができないことがある。それを避けるには真神の「鍛錬」をしなければならない。儒教では「静安」な瞑想である静坐によって真神は開かれると教えている。また仏教では「空」を悟るための瞑想である坐禅をすることで真神が開こうとする。